続・相対性理論への疑念(13)〜その『欺瞞性』(まとめ)〜

再三同じことばかり書いていますけど、本項は、本コーナーをそもそも設けてしまった理由は『特殊
相対性理論』(以下、他のarticle同様"Special Relativity"と書きます)に対して私の中に芽生えた不
信感からであり、そこから派生的に『一般相対性理論』(以下、他のarticle同様"General Relativity"
と書きます)が今や理論の根幹をなしている標準宇宙論の『ビッグバン宇宙論』にも疑念・不信感が
私の中で湧いてきて、結局、"Relativity"(Special & Generak)全般への不信感から、調べ考えて輻
輳しながら綿々と書き散らしてきました。

本コーナーはRelativity関連以外のarticleもありますが、そもそも、「なぜRelativityが現代物理学の
一方の旗艦理論になったのか」(もう一方のQuantum Mechanicsは非相対論的の元の分は今のと
ころ私には不信感はありません)という疑問からネットを漁るようになり、大変失礼ながら、『科学界』
への不信感が私の中に巻き上がったことが書き続けて来た私の原動力になりました。
そして、それは、調べれば調べるほど、Relativityが象徴しているという思いが募って来たわけです。

ちなみに、正直告白しておきますが、そもそもは、最初ネットで"Special Relativity"について別に
「間違っている」などという思いがまだ全然私の中になくて純粋にわからなかったことを調べてみよ
うという軽い気持ちで当たったとき、「反対論」とそれに対して山のように出てきた「反対者批判攻撃」
内容を目にし、言い表せないような強い不快感が湧いてきたことも私をのめり込ませた引き金にな
りました。要するに、「反対論」攻撃側に少なくとも私にとっては説得性のあるような論理的反論が
皆無で、大半が上から目線の低脳扱い(ひどいのになると、著者の学歴まで事実と違う落とし込め
までしている)の中傷嘲笑罵倒(言葉が丁寧でも中身はそのまま)ばかり目についたからでした。
その結果、何も力もない一市民の私ですけど、定年直前まで60年間、そんなことほとんど考えたこ
ともなかったのに、完全なAnti-Relativity、更には、理系なのに科学界不信者そして、しつこいくらい
批判を書き連ねるじじいがここに一丁出来上がりとなりました(^^;。
そして、海外サイトまで調べた中で、彼らの知見のまやかしまで沢山発見できてしまい、「事実を知
りもしないで、間違った情報を信じて粋がっているんじゃね〜ぞ」「そんなのにだまされちゃいけな
いよ」と"歴史的事実"をこつこつとUPしてきました。そういう意味で、彼らは気が付いているかどう
か不明ですけど、『科学界』の思惑(believer拡大、anti撲滅?)は完全に逆効果になってしまってい
るわけです。

ただ、分散して書き散らしてきたため、私の言いたいことなどが少し発散気味で焦点がぼけた気も
しており、とりあえずここで、今までだらだらと書きたい放題してきたことのちょいまとめしておこうと
思います。


前に、クーンのパラダイムでトーマス・クーン、 『反証可能性』ってでポパーの科学哲学に関し、ネッ
ト上で「アカデミズム科学界またはそれに信を置いている」方々が不都合なためなのか、(権威づけ
のために?)彼らの名前を出してもあまり引用していない実は重要なそれらの論のポイントと私が
感じたことを中心的に紹介しました。

クーンもポパーもともに、私が批判しているRelativity/標準宇宙論には言及していませんし、ポパー
などは晩年のEinstein語録でもってEinsteinを好意的に言及しているくらいですけど、私は、これら
Relativity/標準宇宙論(ビッグバン宇宙論)はそれぞれが基本的パラダイム及びmain streamにな
り、綿々と「アカデミズム正統科学」扱いされてきた裏には、まさに、クーンの言及、ポパーのそもそ
も批判したことそのものが深く流れていることを"True history"を調べる中で気が付いてしまいまし
た。要するに、私に言わせてもらえば、なぜ、「こんな数学を駆使してそれらしく見せているだけのま
さにTeslaらが批判してきた"reality"を無視した"quasi-science"が基本的パラダイム/main stream
になれたのか」という私の中に湧いていた謎が解けてきたのでした。

結局のところ、ポパーの論でそれだけが独り歩きしている感のある『反証可能性』の裏にあった

 『帰納法的証明』批判とその副作用的な『狂信的反証回避』批判(※)

と、クーンが科学史調査分析の結果として言及していた(再掲しておきます)

 定説になっている理論を覆すのは、それに反する観測結果ではなく
 新しい別の理論である
(※※)

と、前には直接言及しませんでしたけど、

 一旦、基本パラダイムになると、scientistは全てその中・その線上
 だけで考え、実験観測する
(※※※)

等はRelativity/標準宇宙論の"True history"を調べてみるとまさにそれを証明している感がしてい
るのです。そして、これも直接、Relativity/標準宇宙論には言及していませんけれども、
ネットに見られる強い「科学者信奉」@で引用しました『背信の科学者たち』の中で指摘されている
ように(再掲しておきます)

 伝統的な科学観によれば、科学は厳密に論理的な過程であり、
 客観性こそ科学研究に対する基本的な態度である。科学者の主
 張は同僚科学者による審査や追試を通じて厳しくチェックされ、
 あらゆる種類の誤りはこの自己検証的な科学の体系から容赦な
 く排除される」と一般には考えられてきた。
(※※※※)

しかしながら、科学史を綿密に調べた結果として、

 『科学とは通常考えられている姿とはほとんど似ても似つかない
 もの』であり、『新しい知識を獲得するとき、科学者は論理と客観
 性だけによって導かれるのではなく、レトリック・宣伝・個人的偏
 見といった非合理的な要因にも左右されている』というものであ
 った。」
(※※※※※)

は、これもRelativity/標準宇宙論がその典型的なものと言うのが"True history"を調べての私の結
論であり一貫しての主張です。

そして、これが、ネット上にも沢山ある、恐らくは(※※※※)と信じて疑っていないであろう(直接そう
いう主張をされている方達もみられますから)「反対論者攻撃組」の方達への一大反論にもなると
考えているわけです。なぜなら、大半は、反対論に論理的合理的反論をするのでなく、(※※※※)
を「黄門様の印籠」として「錦の御旗」みたいに掲げて攻撃するだけのなさけない・さもしい言説が横
行しているからです。
ま、「ああいえば○○」で、「そんなことはない。理論を理解して正しいことをよく知っているから、反
対論はばかばかし過ぎて反論する必要性もないだけ」と言う方もおられるようですけど、その根底
には、やっぱり(※※※※)があることに気が付いてないのです。
なぜなら、最初に(※※※※)という『先入観』があって、後世の学者の授業・教科書・啓蒙書などで
それらを疑わずにうまく「誘導」されていると思われるからです。それは、理論そのものの中味だけ
ではなく、背景的な面での"fact"が歪められた啓蒙も含めての話です。

さて、本項テーマの"Relativity"は(※)(※※)(※※※)(※※※※※)の悪しき見本であることは、
これまでずっと継続して紹介してきましたが、再度ここにエッセンスをまとめておきます。

(※※※※※)に関しては、その最初の原点は、
なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜/(追)
で指摘したEddingtonがなしたことにあります。そこには、なぜ英国王立科学協会メンバのEddingtonが
それをしたのかという"fact"に基づく推測も上げておきました。そして、これが、メディアの思惑に乗
り、1905年の理論発表当時は、希望と違って、アカデミズム科学界に入れず、無名のスイス特許局
の一職員でしかなかった(その後、1913年に念願のアカデミズム科学界入りを果たしているものの
まだアカデミズム科学界では十分認められていなかった駆け出しの)Eisnteinは、1919年には早く
も一大科学英雄に祭り上げられたという"True History"があるのです。
そして、その後は、
続・相対性理論への疑念(6)〜3789件も〜
続・相対性理論への疑念(11)〜Einsteinians〜
などで触れましたように、不幸な時代背景(世界大戦とヒトラー&ナチス出現)があり、ユダヤ人で
あったEinsteinが一大ヒーローになったゆえにLorentz-Poincare派(1905〜1919年頃にはフランス
のLorentz-Poincare派とドイツのEinsteinians派との間で正統争いがあったそうです⇒
続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜(補)参照)の一部の反感を抱いた馬鹿な連中の
言動のせいで、当時のEinsteiniansらからの一律の、"Anti-Relativity=antisemitism"という虚
偽喧伝がなされて反対論を出しにくい「風」が作られ、既に20世紀前半には、特殊相対性理論への疑念(全面改定版5)
で触れた、Anti-Relativityの一人だったLouis Essen(原子時計発明と近代の確定した光速値の測
定責任者)の言(一部省略して再掲します)、

 No one has attempted to refute my arguments, but I was warned
 that if I persisted I was likely to spoil my career prospects.

 Students are told that the theory must be accepted although
 they cannot expect to understand it.
 They are encouraged right at the beginning of their careers to
 forsake science in favor of dogma.

 (誰も私の議論に反撃を試みなかったが、私は、もし固執するなら私の
  キャリア展望をだいなしにしようとしていると警告を受けた。
  学生らは彼らがそれを理解することを望まれなくても、その理論を受
  けいれなくてはないらないと言われた。
  彼らは彼らのキャリアの最初において、ドグマのために科学を捨てる
  ことの正当性を鼓舞された)

という情況になり、その後も、New Inquisition(新しい異端審問)で触れたようなひどい状況が続い
て来た(それは続・相対性理論への疑念(6)〜3789件も〜で述べたように、(※※※※)を今でも信
じている方達の思いとは正反対で、多くの科学の発展に必須な有用な疑問・指摘を排除し、そうい
うことはなかったかのように一般には隠され続けてきたのです。
そして、前述のLouis Essenの言にあるように、科学者にはキャリアでの抑圧がなされ、権威らは、
特殊相対性理論への疑念(全面改定版6)で引用したロシアの若手科学者がソ連科学アカデミー
最高幹部会の態度であったことを述べているように(再掲しておきます)

 相対性理論は現代物理学にがっちりと統合されているの
 だから,その土台をほじくり返すべきではない,そんなこ
 とをするより「建物の上階」を増築したほうがいい,この理
 論を批判しても「コブをつくる」[失敗して痛い目にあう]
 だけだ


と忠告することで、反対論が出てこないように科学界内部を抑圧してきたのです。多分にたとえ疑
問を抱いても、科学者人生(キャリア)と生活のためにそれを心の中にしまい込んで妥協された方
もおられたこと(特に功なりとげた学者でなくこれからの若手科学者には)と思いますね。
どうですか?以上エッセンスだけ示しましたけど(詳細は引用した各article更にはそこで引用したサ
イトをご参照ください)、それでも、"Relativity"は決して、既に幻想・神話であることが暴露されてい
る(※※※※)などというものには程遠く、間違いなく(※※※※※)の典型的な例であることがご理
解いただけると思います。

さて、次に、(※※)ですが、ポパーの言う「反証」なる実測観測結果は過去いくつも出されて来たん
です。しかしながら、その大半は、"Einsteinians"(相対性理論学者及び信者)により、無視またはあ
いまいにされてしまっていて、隠されてきのです。本コーナーで示してきたそれらを再度以下にまと
めて掲示しておきます(詳細は引用articleをご参照ください)。

 @Dayton C. Millerという方の20,000件もの追加Michelson-Molley experimentでの
  "Non-Null"結果(東西と南北でわずかに時間差あり)

  (⇒ここで示しました。)
 ABryan G. Wallaceのearth based raderによる金星探査観測での光速測定結果
  (⇒ここここで示しました。)
 BEPRパラドックスに対するベルの定理とアスペの実験
 CGKZカットオフ
 D(最近の有名なもの)超高速ニュートリノ
 EOne way speed of light
   Ranzanという方がGiftという方の実験結果報告を元にしての通常の光速測定
   での往復での試験でなく、それぞれ一方向の速度測定をした結果、往復で異
   なる値であったという報告
  (⇒ここで示しました。)

一説には、"Relativity"にノーベル賞が授与されなかったのは、@のためという話もあるようです。
1920年代に行われ、米国の公的機関に実験論文が提出されており、なぜかごまかしで曖昧のまま
隠され続けてきたためにほとんど知られていない(私は海外サイト検索するまで知りませんでしたし、
日本サイトで未だ、目にしたことはありません)ものです。
Aは1990年代まで生存されたご本人が亡くなる直前頃に出されたscience essayの中で「無視され
た」と、科学界への怒りと警告とともに共に明言されています。
Bは日経サイエンスで、「量子もつれ」というタイトルで国内の相対性理論学者が正直に世界の相
対性理論学者が深刻に考えていて、未だ、彼らお得意の「辻褄合わせ」ができていないことを白状
されていました。「わかったつもりになっている」専門家でないbelieverさん達の言うような安易な話
ではありませんね。
Cは国内科学者が観測で発見したものであり、否定できないものの、一生懸命、辻褄合わせを考
えているようですけど、未だ答がでておらず、あいまいのまま放置されている感じがします。
Dは一時、メディアが大騒ぎし、間抜けな「タイムトラベル」の話まで出ていて空いた口が閉じませ
んでしたが、再現にも成功したという話も見られたのに、何か、分析方法の誤りとかなんとかで結局
あいまいなまま騒ぎが知らないうちに終わってしまいましたね。
Eはまだ今世紀に出て来たばかりのものですけど、どうやら無視されているようですね。少なくとも
日本では全く知られていないようです。
以上の反証実測観測結果が真実であるなら、本来、どれ一つとっても"Relativity"に致命的のはず
ですが、無視・曖昧放置で下々に知らせないようにしたり、知られても、「代替理論」などないだろう
と高を括っているのか、確かに(※※)というのは事実ですね。

そもそも、Relativityに関して科学界でなされてきたことは、(※※※)そのものであり、「証拠」と称し
てきたものは、他の理由でなされたものを、都合よく、SpecialまたはGeneral Relativityだけで解釈
してのご都合主義的「解釈論」による「情況証拠」とか、前述のEdingtonのような恣意的証拠扱いと
か航空機による原子時計実験のようなほぼねつ造的データ分析実験論文とか、教えている学者の
中にさえ疑問を抱いてきている方がいるというミュー粒子観測とか、そんなものばかりで、物理的矛
盾のpostulateも、結果のLorentz変換についても直接観測実験さえやろうとしてきていません(現代
の科学技術なら全て可能だという科学技術者もおられるにも係らずです)。

21世紀になっても、日本科学界とか世界の一般下々には情報が流れていないのか、どうやら欧米
のアカデミズム科学界においては、少しずつ、Einsteinianには不利な状況になりつつあるらしです。
そのためではないかと思うのですが、続・相対性理論への疑念(3)〜奇妙な側面(続き)〜で引用
したような、私から見ればまさに、「狂信的反証回避」に走ろうとする見解(驚くべきことに、問題の
反対者の多い、postulateUはpostulateTから出てくるとか、更にはpostulateUなどなくても理論
の妥当性には何も影響がないようなこと)を言い出したEinsteinianがいて、それをstudentに教えて
いるという驚くべき話まであることを述べました。


どうですか?(ちょっとえらそうなこと言うことをお許しいただけるなら)私が何を問題にし批判してき
たかご理解できましたでしょうか?"Relativity"はまさに、(※※※※※)で"Holy Theory"に祭り上
げられたもので、(※※)という科学者の主観的意図で存続され続けてきたのです。

また、再三反論してきたことですが、ネット上でときに見られる「反対者は物理を知らない」という言
説への反論として前述引用したここや、ここで引用した ロシアの若手物理学者が世界に発信(五か
国語)したウェブ論文の存在を示してきました。私に言わせてもらえば、彼らの言う「反対者は物理
を知らない」の「物理」というのは、すでに"Special Relativity"の概念に汚染された「循環論的」な
ものでしかないと思います。彼らはそれに全く気が付いていないだけです。

以上、私は特にEinsteinian(相対性理論学者と"Divine Albert's Divine Theory"とするbeliever)が
なしてきたことに対して批判してきたことをまとめました。
しかしながら、私はEinstein本人も強く批判されるべきだということをここで強調しておきたいと思う
のです。誤解のないように言っておきますが、それは決して"Special Relativity""General Relativity"
論文提出のことではありません。また、一介の非アカデミズム科学者でしかなかったEinsteinの最
初の三つの論文を頭からリジェクトしたりしなかった当時の科学界の度量には敬意を表しています。
それでも、Einsteinは1905年の論文発表から、亡くなるまでの間の言動を慎重に分析するとき、大い
に批判さるべきだと私は主張したい。

Einsteinianは彼の晩年の数々のご託宣をありがたがって、引用したりしています。しかしながら、彼
の人生を眺めると、それは、「Relativity教、Einstein教」の『教祖』に祭り上げられたことからのよくあ
るいかにも「ご立派」な「あとづも」のご託宣でしかありません。
続・相対性理論への疑念(11)〜Einsteinians〜で触れましたが、そもそも、Einsteinianの中にさえ認
めている人がいるように、Einsteinの言説は
 "not always self-consitent"であった
のです。一番おおきなことは自分のPhilosophyを途中で完全に変え、指摘に対してそれを認めなが
らもその語録は少し曖昧な言い方になっています。このPhilosophyを変えたことについては、前に
こういう発言があるんですが<Einsteinで引用しましたように、HeizenbergがEinsteinとの対談にお
けるEinsteinの発言を載せている中で、"Special Relativity"を出した時と「量子力学」に反対したと
きでEinsteinは完全にPhilosophyを変えているようです。しかしながら、なぜか(私は自己に不都合
だったからだろうと思うのですが)前述のここで示したように、生涯、"Special Relativity"に関しては
そういう考え方に至った経過などについて黙して語らずだったようです。

ですから、私は決して、「Einsteinは"Hoax"とか"tell a lie"」という批判はしませんが、そうではなく、
極めて「卑怯な人」であったという批判をしたいと思います。要するに、Einstenian
達の「みこし」に乗り続け、"Special Relativity"を「神秘のベール」の元に置き続けたという意味で。
そして、それが、20世紀以降のおかしな科学界の風潮である「direct experiment & realityを軽視し、
"thougt experiment"をいかにもtrueの"experiment"みたいに扱う」を増長させた張本人だからです。
晩年のアインシュタイン語録の欺瞞性は彼がそれに乗り続けたみこしを担いだEinsteinianのなして
きた前述の所業に鑑みれば明らかでしょう。EinsteinとEinsteiniansは持ちつ持たれつだったという
ことです。

本項の最後として、声を大にしてお尋ねしたい!

・当時も20世紀を通して色々な学者から批判があった"Eddingtonの1919年に
 なしたけしからん一大虚構・ペテン"についてどう思っているのか?
 放置し、そのまま証拠扱いして教え続けることは「共犯」ではないのか?

・MIllerの実験結果をなぜ握りつぶしたのか?
 これについて、1998年に物理学者で(ノーベル経済学賞受賞)エコノミスト
 であるMauri Allais(Allais効果で有名)という方が
  "It is startling that the findings published in Miller' paper in 1933
 should have been ignored for 25years.
 The outright pigeonholing of Miller's paper strikes me as one of
 the scandals of contemporary physics.
"
 (「1933年のMIller論文で刊行された発見は25年間無視されて来たこと
   は驚くべきことである。
   Millerの論文のあからさまな握り潰しは私にとって、「現代物理学の
   スキャンダルの一つとして衝撃的である」)(ここで紹介済)
 と糾弾されている事実を知っているのか?

・GPSの開発技術リーダが、明快にGPSにRelativityなど使っていない
 ことを述べている上に、GPSはRelativityに反しているとまで明言され
 ている事実をどう思っているのか?
 勝手にあつかましく「工学応用」などと喧伝して下々をだましてきたこと
 を恥ずかしくないのか?

・ドイツの調査プロジェクトが精査したものだけでも21世紀の現在に至るま
 で100年間、綿々と3789件もRelativityに対する科学界の中からCritisism
 が出ていたこと−多くはまともに答えず無視し、対外的に隠してきた事−
 を知っているのか?もし、知っているなら、全てに対する反論を公表して
 いただきたい。(ここで紹介済)


私は、正当派/believerが「正しいのだ」というのなら、なぜ、こういう見苦しいことをしなければ
ならなかったのか、是非理由を知りたい!

最後に、もう一度、ここで示したTeslaの批判の言葉を再掲しておきます。

 "Today's scientists have substituted mathematics for experiments,
 and they wander off through equation after equation, and eventually
 build a structure which has no relation to reality. The scientists
 from Franklin to Morse were clear thinkers and did not produce
 erroneous theories. The scientists of today think deeply instead
 of clearly.
 One must be sane to think clearly, but one can think deeply and be
 quite insane
.
"

 (「今日の科学者は実験を数学で置き換え、方程式のち方程式でさま
   よっていて結果的に、現実と無関係な構造を構築している
   FranklinからMorseまでの科学者は明らかに思考家であったが
   誤った理論は出さなかった。今日の科学者は明確の代わりに深く
   考える。人は明確に考える分別があらねばならないが、深く考えて
   全くばかげていることにもなれるのである。」)

                             (’15/1)

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