続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜/(補)
私は、"Relativity"に関しては、論文自体以上に生誕以前以後、今日までの歴史的真相
に興味が湧き(というか、なぜ今ではすっかり"Anti-Relativity"の一人になっている私に
言わせてもらうなら、どうして「こんなもの」が"Holy Theory"扱いされてしまったのかが不
思議でならなくなって)、海外サイトを当るようになり、その中で発見した知らなかった事
実(少なくとも私がこれまで日本サイトでは目にしたことがなかったもの)について選んで
ここで紹介させていただいているのですが、それでも私の疑問が全て解明できたわけで
はなく、未だに検索しているところです。
今回、色々と多くの方の意見を調べ、考えて分析され、それをweb論文でいくつも紹介さ
れている方のものを又、リンクをたどって発見しました。非常に気になるものでしたのでし
たので紹介させていただきます(⇒Mysterious Rivision of Einstein's Theory)。
それは、Einstainの"Special Relativity"は1905年の最初のドイツ語のオリジナル版と、そ
の後に出た英語版とに一つの重要な相違点があるということです。
あまり考えないと、気にせず見逃してしまいそうなことなのですが・・・
それは、Alberto A. Martinezと言う方が"American Journals of Physics,Volume 73,Issue 5,
pp.452-454(2005)"で言及されているそうですが、ドイツ語オリジナルをそのまま英訳する
と、
Consider a coordinate system in which the equations of Newtonian
mechanics hold
(ニュートン力学の方程式が保持されている座標系を考えよう)
とあるだけなのに、その後から出された英語版では、
a system of coordinates on which the equations of Newtonian
mechanicss hold good, i.e., to the first approximation
(ニュートン力学の方程式がうまく、すなわち第一近似で保持
されている座標系)
と下線部分が加筆「修正」されているということです。
このweb論文の著者やその元になっているMartinezと言う方が「何を問題にされている
のか」おわかりでしょうか?
彼らの結論は、これはEinstein自らの修正では無く、"person(s) unkonwn"によりなされ
たものであるということです。Martinezと言う方は
There is no evident that Einstein added it.
(Einsteinがそれを加えたと言う証拠は無い)
と書かれているそうですし、このweb論文の著者の分析でもそうだとのことです。
誰がなんのためにこういう修正をしたのでしょうか?Martinez氏は
Presumably, this specific footnote was added to harmonize the
pertinent sentence with special relativity, which revises many
equations of Newton's mechanics.
(恐らく、この特別な文末は多くのニュートン方程式を変更した特殊相対性
理論との適切に文を調和させるために加えられた)
と書いているそうです。
このweb論文の著者は、このわずかの修正が、実際には論文自体のconceptをすっかり
変えてしまっているような趣旨、すまわち、"Special Relativity"のは"SR1"と"SR2"という
完全に異なるバージョンがあるということを主張されています。
そして、そのことは、web essayとしてFred Hutchsonという方の指摘に通じるようです。
この方は、
Newton's math is one thing,Einstein's math is a scond thing,
and the math of the bridge between the two is a third thing.
The bridge had noting in common with Newton's math or
Einstein's math.
(ニュートンの数学は一つのもの、アインシュタインの数学は二番目のもの、
その二つを間を橋渡しする数学が第三のものである。
その橋はニュートンの数学とアインシュタインの数学の間で共通するもの
は何もない)
とし、
Where does the mathematical bridge come from?
It comes from the science establishment.
(その数学的架橋はどこから来たのか?
それは科学組織から来ているのである)
と主張されているそうです。そして、この方は、
The two can never touch. why not? Because the structure of
math in the bridge is alien to Newton's math.The bridge is an
artificial consturuct and an illusion. It is bone to fool the
bulldogs.
(その二つは決して触れあうことは無い。なぜか?橋における数学構成が
ニュートン数学にとって異国人だからである。その橋は人工構造物であ
り幻影(illusion)である。それはブルドッグを愚弄する骨である)
と言い、
I was almost fooled.But lest I be overly embrrased, many
scientists are fooled by their own trick.
(私は殆ど愚弄されていた。しかしながら、私がひどく当惑している
のは科学者が彼ら自身のトリックで愚弄されているのではないかと)
と慨嘆されているそうです。
で、このweb論文の方の主張は、
SR1 means the theory that Einstein was dealing with was really
Poincare's theory or rather his confused misunderstanding of
Poincare's theory
(SR1[Einsteinのドイツ語の最初の原論文のこと]はアインシュタインが
実際にポアンカレの理論またはむしろ、ポアンカレの理論の彼の混乱
した誤理解を扱った理論であることを意味する)
そして、
While SR2 means a theory that was never property defined, and
is a confused mess, because the 1905 paper starts from Newtonian
physics and never clearly explains why Newtonian physics should
be abandoned and replaced by another theory(SR2), and never
clearly explains what is the different between those theories.
(一方、SR2[前述の英語版で修正されたもの]は決して適切に定義されたもの
ではなく混乱した理論である、なぜなら、1905年の論文はニュートン物理学
から始めているのに決してなぜニュートン物理学を捨てて他の理論(SR2)に
置き換えたのかを明白に説明しておらず、それらの理論の間の相違が何か
について決して明らかな説明をしていない)
というものです。
この後文、私はまさにそこに「なぜなのか?」という違和感があるのです。
私がずっとこの理論に違和感を抱いている原因みたいなものに関する言説と解析でした
ので少し分量多く紹介しました。
要するに、Einsteinは自分の原論文はニュートン力学を元に発展させたものと思い込んで
いたのですが、当時の、支持者の科学者は「それが間違いである」ことに気が付いてこう
いう一文を付け加えたということです。やっぱり、私が抱いて来た違和感は私の勝手な思
い込みではなかったということです。但し、不思議なのは「なぜそこまでして支持したのだ
ろうか?」ということなんですが、残念ながらまだ、そこまでは探索できていません。
しかしながら、上記Fred Hutchsonという方の最後に示した"many scientists are fooled by
their own trick"というのは、私が抱いている違和感を「それでいいのだ」と根拠も示さない
で云いきる学者などの方々に是非捧げたいものです。すなわち、「物理学の基礎から
論理的に出てきたものなどでは無く、単に『信じているだけ』でしょ?」ということ
です。
ところで、前述のweb論文著者が触れているPoincaréの件ですが、私的にはまだ謎が残っ
ています。それは、今世紀になって"Einstein Pagiarized Poincaré"という本が出版され和
訳本もでたとかで、日本サイトでも少し話題になっていたことにあります。その本の作者で
はないようですが、海外サイトでそういう強烈批判をしている方も見受けられました。
私自身は、そのPoincaréの論文を見ていないのですけど、気になっているのは当人自身
の談話がそれを扱ったところでも出て来ないことなんです。かつて唯一、ネット上で目にし
たのは、「観測が進めば、成立しなくなる可能性がある」というような趣旨のものくらいで
した。ところが、この"Pagiarized Poincaré"ということを言う人が現れたのは、そういう論争
が実際に昔存在した事実からのものであることがわかりました。
これも、前述のweb論文の著者の同じ論文サイト(the general science journal)に投稿され
ているもので知りました(⇒Rewriting of the history of special thory of relativity)。
そこに引用されているものは、科学史の専門家らしいYves Gingrasという方の
"The collective construction of scentific memory:The Einstein-Poincaré
conneciton and its discontents, 1905-2005"
という論文からのものです。
その論文の中で、
The debate on the role of Poincaré in the emergence of relativity
theory has been particularly hot in France where amateurs have
published books claiming that Einstein Pagiarized Poincaré
(アマチュアがEinsteinはPoincaréを盗作したという批判の本が出版された
フランスで「相対性理論」の出現におけるPoincaréの役割に関するディベート
が特に熱くなされてきた)
とあります。
勿論のこと、"Relativists"(="Einsteinians")は無視を決め込んだそうです(反論さえしない
というのが私からすれば卑怯だと思うのですけど、不都合なことはいつもそうしているよう
ですね。ある程度は知っているからこそ黙点を決め込んだのかな?)が、「科学史」の専門
家としては無視できなかったようですね。本当は、アマチュアの本で今更歴史を調べるなど
というのはどういうことなのか?と問いたいのですけどね。
完全にはわからなかったみたいですが、これまで隠されてきたというかほとんど知らされて
きていないことがいくつか書かれていました。
どうも、Einsteinと彼の"Special Relativity"が一挙に全世界で有名になったのは、1915年
に発表した"General Relativity"が1919年のここで指摘したEddingtonの恣意的観測結果
発表を受けてらしいです。但し、それまでは文書が残っていないらしいのですけど、ドイツ
のEinstein派とフランスのLorentz-Poincaré派の論争はあったみたいです。それは、当時、
Olivier Darrigolと言う人がPoincaré-theoryとEinstein's theoryという二つのtheoryがあっ
たことを述べ、更には"peace treaty"という表現を使っていることが根拠です。
どうやら、やはり、私が前に調べてここで触れたように1910年代当時、"Relativity"は
"Lorentz-Einstein Theory"と称せらていたのは間違いないようです。PoincaréはLorentzと
一緒に研究されていたそうですから。ま、Poincaréは「偉大な数学者」の一人でしたからね。
しかしながら、前述の1919年の出来事を受けて、名声がEinsteinだけに集まったためにそ
ういう"peace treaty"が感情的なものあって壊れてしまったのか、1920年代フランスで論
争が復活したらしいのです。ただ、一つ問題だったのは、そういう「怒り心頭派」の中に
"anti-Semitic"(反ユダヤ主義)の方がいたことです。結局、それをEinsteiniansにうまく利
用されてしまったようですね。要するに、これ以後、特に戦前は、"Anti-Einstein' Relativity"
者="anti-Semitic"と実は事実は違うのに喧伝され、世評を気にする科学者の反対言論
を"Einsteinians"は抑圧したわけです。こんな事実は現在には知らされていません。
共に、本質的な"science"ではなく、本来、"science"とは無関係なところで抗争があり、
うまく世論に合わせた"Einsteinians"が功を奏したということです。
ただ、このweb論文著者が指摘されていることですが、そこまで調べてわかったのに、この
科学史家は「ことなかれ主義」に陥って、「科学史の書き直し」から逃げたようで、
Gingras' belief is that historians should not deal with such history
problems.
(Gingrasの信念は、歴史学者はこのような歴史問題を扱うべきではないという
ことである)
とし、
Ofen I hear from scientists that science is a self-correcting process.
Well who corrects these mistake?
(しばしば、私は科学者から、科学派自己修正プロセスのものであると聞く。
では、だれがこれらの過ちを訂正するのか?)
と主張されています。
ネットでは専門家ではないと思われる"Einsteinians"の中に、
「EinsteinはPoincaréができなかった最後の一方を成し遂げたのだ」
というような弁解もどきのものを目にしたことがありますが、そうではなくて、
「Poincaréは数学専門家ゆえに、illegalなhypothesisまで踏み込ま
なかったのだ。数学の得意でなかったEinsteinはその垣根を平気
で踏み越えただけ」
というような逆主張もあります。
以前、どこかで両者の数学的解析の相違点に触れたのを目にしたことがありますが、一
切のしがらみなしで論理的に考えた時、私は、やはり、後者の主張の方に歩を上げたいと
思うのです。そして、本項の前段で述べたことを考えると、それが私には正しい判断だと思
えるのです。
ちなみに、知らなかったのですが、Einsteinは1913年に不本意だった特許局職員から華麗
に希望していた大学教授にトラバーユされたそうです。
そして、6年後には一躍「名誉」に輝いたわけですね。
で、これは私の想像でしかないのですが、Einsteinは1913年迄は一介の特許局職員でしか
なく、1919年以前は支持者はいましたが、まだ無名の若者だったわけです。そういう方が
一挙に名声を獲得するなら、一般市民の多くは、そこに"Hero"伝説を感じますし、権威側
に反感を持つ若手科学者もいたはずですから、心はどうしても
無名の若手・Einstein>有名な数学者・Poincaré(バックはLorentz)
となるのは必然的だったのかもしれません。
その意味では、"Einsteinians"や「正しいと信じ込んで色々な物理学の基本原理("Holy
Theory")と思い込んでいる方からは反発されるでしょうが、Einsteinには幸いし、逆に、
20世紀地球物理学には大変「不幸」な歴史だったなと思うのです。
私は本来、科学に「人間の好き嫌い」「政治的」「権力的」な本質的には科学とは無縁なも
のを入れることには大反対ですが、地球の科学はそういう暗黒面が入り込んできていたの
は事実です。ですから、"Relativity"もそういう「科学の暗黒史」の「あだ花」と強く感じてい
ます
(’14/8)
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(補足)
本項、少し書き足らない思いがして改めての補足です。
私は、別項で「『論理矛盾』『論理飛躍』は受け入れられない」と書いたりしていますけど、
私の中に芽生えた"Special Relativity"に対するそれは、要約すると
古典力学(ニュートン力学)との物理的接点は
一体全体どこにあるのか?
という強い疑問だったわけです。
別項でも書いたつもりですが、具体的に言えば、
なぜ、「時間・距離の尺度が普遍的・不変的である」ことを条件として
いる「ガリレイ変換」からスタートして、それとは完全に物理的に矛盾
する「時間・距離の尺度が局所的」であるとする"Special Relativity"
が導出できるのか?
ということです。すなわち、両者は完全に物理的に矛盾している概念であり、「両者の間に
は『物理的接点』などどこにもないじゃないか」という思いでした。もっと端的に言うならば、
科学者は、「c>>vでは近似的にニュートン力学が成り立つ」と言うが、
それは単なる『数学的近似』の話でしょう?で、これは『数学理論』でなく、
『物理理論』のはず。物理的に根本的基準の異なる両者の間の「物理的
連続性」などどこにあるのか、ないじゃないか
という強い不信感だったわけです。
そのときは、そんな風に考えるのは自分だけかなと思ったりしたのですが、市販本も出さ
れているとのことである日高守さんのサイト記事のタイトルと中身を目にし、まさに、私が
感じた通りのご主張、「この理論は(『自然科学』を無視した)『数学的トリック』(以外の
何物でもない)」と考えられている方がおられることに意を強くしたものでした。
ただ、それじゃ、「なぜ、当時の科学者の中にそういう指摘をする方がいなかったのか?」
という疑問・不思議さが私の中にありました。
で、調べてみると、かのLorentzは、一部で喧伝されて来たような「しゃっぽなど決して脱い
でおらず」、生涯「不同意」の立場で、聞こえてくる中では唯一「数学トリックくさい」と言っ
ていたという逸話を目にしました。けれども、どこが「数学的トリック」なのか具体的指摘を
したという話は聞こえてきません(ま、私に言わせてもらえば、ご自分が1903年(二回目)に
出されたLorentz ether theoryも矛盾はないものの、やはり、根拠なきposutulateを数学に
より理論化しただけの十分ad-hocなtheoryという感がしますけどね)。
しかも、1905年の論文提出当時は、確かにEinsteinは
etherなど考えなくてもLorentz変換は導出できる
⇒(静止)エーテルなどない
と思い、そう主張していたようですけど(うまくそれで既に前に出されたLorent ether theory
そして、当時のpoincare等の見識などの結論を出せたことで満足していたのではないかと
思うのですが、別項で紹介しているように、どうやら、Einstein自身はGeneral Relativity構築
の過程で、また、他の方達の指摘などから、曖昧な表現だったようですけど、"ether"という
か、「空間はemptyではなく、何らかのmediumで充満している」とphilosophyを変えたらしい
のですけど、未だ、多くの方達が、"Special Relativity"が出た時のEinsteinの思考に従い、
「エーテルは否定された、エーテルなどない」と頑強に信じ込んでいるということはなぜなの
か、そして、現在の科学者によるLorentz変換の導出方法がEinsteinの原論文と異なるのは
なぜかということを考え併せてみると、やはり、本項前半で紹介したようなことが事実ではな
いかと思うのです。すなわち、
現在、"Special Relativity"として教えられているものはEinsteinの
オリジナルのものではなく、別の科学者達が巧妙に作り替えたも
のだろう
ということです。なぜ、そんなことをしたのかですが、既に私が推測してきたように、1887年の
Michelson-Morley experiment以来、当時の科学界にあった混乱に対して、まずLorentzが
Lorentz ether Theoryとしてやっと19世紀の終わりと20世紀の初頭に一つの解釈論を出した
のですが、多分にそのad-hoc性もあって、科学界では議論が沸騰していたものと思われるの
です。しかしながら、じゃぁ、他にbetterな説明はと言えばだれも出せなかったわけです。そん
な雰囲気の18年間というのは、恐らくは当時の科学者にとっては厭世観が漂っていたのでは
ないかと思います。そこに「ば〜ん」と出てきたのが無名の非アカデミズム界にいたEinstein
のそれまで科学界では一般常識みたいになっていた"ether"なしという革命的論文だったわ
けです。しかも、最終結論はLorentz ether theoryと同じ「ローレンツ変換」、そして既に当時
の主流派の間で次第に熟成しつつあった「時間の遅れ、距離の短縮」も説明されているとい
うこともあって、大きな衝撃を受けた科学者も多くおられたものと考えるのはあながち考えす
ぎではないと思うのです。ただ、彼らはアカデミズム科学者であり、当然ながら当時の科学
には十分熟知していたはずですから、素人の私が見ても、粗削りというかEinsteinの原論文
のままではという思いもあって、熟考の上でできるだけそれとは離れない範囲での巧妙な修
正を追加したもので置き換えたのではないかと思うのです(studentへの講義とか書き物の
中で)。結局、which is better?でEinsteinの出してきたものの「概要」を選択してそれをよく言
えば成熟させたものが現在教えられている"Special Relativity"というものではないかと思う
のです。ただ、1919年のEdingtonの「ゆがめられた」観測結果報告により、メディアの宣伝も
手伝ってEinsteinが一躍ヒーローに躍り出たために、そういう真相は隠されてしまったのでは
ないかと思います。これって、「♪よくある話じゃないか〜」だと思うのですが。
色々と欧米の科学者の発言などを見てますと、私が本コーナーで再三批判してきたように、
ともすると、科学者は
realityより理論のエレガントさを好む
傾向にあり、理論のエレガントさの前には「矛盾」も霞んでしまうすなわち軽視されてしまう
ゆえだったのではないか、要するに、当時の科学知識・実験技術では他に彼らの上記の思
いを満足するような知恵も出てこず、「やっとこれでこの問題解決で完了」というほっとした
ような意識が多々あったのではないかと、勝手な想像をしているところです。
で、そういう当初の科学者の心の中まで知らない後世の学者は「それでいいのだ」として、
studentsに教え、そのstudentが学者になって次のstudentsに教えるという形できたというこ
とではないでしょうか?結局、studentsは疑う前に魅了されてしまっているのではと思うので
す。魅了された学者が教えるのですから・・・。だからこそ、「矛盾」を軽視しているのでは
ないでしょうか?(というより、アカデミズム現代科学の"Holy Theory"になっているゆえに
「おかしい」などという考えさえ浮かばないのではないかと失礼ながら思えるのです)
しかしながら、「魅了されなかった」「懐疑的」な科学者も現にいたわけで、隠されています
けど、理論生誕以来、21世紀の今日に至るまで100年以上途切れることなく綿々と科学
者からのClaimがあったという歴史的事実があるのです。
で、私はそれは、私が抱いたと同じ、理論の論理的矛盾性とこの理論を取り巻くEinsteinians
(相対性理論学者や魅了された科学者、students)のなしてきた「不誠実」な言動ゆえに必
然的なものと思うのです。(’15/1)
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