続・相対性理論への疑念(8)〜理解不能〜

"Anti-Relativity"に関して海外サイトを漁る中で、"Relativity and/or Einstein"に対す
る科学者及び一般大衆の最近のスタンスは次のように分類されるのではないかと考えて
います(もちろん、反論はあるでしょうが)。

(1)Einsteinians(Relativists)
 @"Divine Albert and his Divine theory"の完全・絶対的believer
 A解釈の修正で維持を図ろうとする"Relativity" believer科学者
 B理論の修正で"Relativity"の本質の部分維持を図ろうとする科学者
 C近年、うろたえている人々
(2)とにかく「そのままそっとしておきたい」科学者
(3)Anti-Rerativity(反対者または懐疑者)


私はもちろん、今では(3)であり(「遅れて参画した」ここ数年のことですけど、少なくとも私
の人生の中で@であったことは全くありません)、本コーナーを設けた理由も「おかしいぞ」
といういらいらが募ってのことでした。
そして、すでに触れてきたように、"Einstein's Relativity"についてはそれが発表された20
世紀初頭(1905年)以来、ずっと現在に至るまで「反対論」がついて回り、その都度、ネット
で見られるがごとく、「反対論者」は「変人・低能」などというレッテルが貼られて排斥され
て来たわけで、海外ネット上では、Anti-Relativity者が"Holy Theory"と呼称したりして
います(単独個人でなく複数の人がそう呼称しているのです)。

科学者はご自分たちでは気が付かないまま、アカデミズム権威学者集団指導体制の「科
学教教団」に組み込まれていますから、当然ながら"Holy Theory"に疑問を持つなどと
いうことは極めて「不遜」な態度とみなされ排斥されてしまうわけです。ネットにある科学
者の正当性を主張した理想像などというのは、現実とはかけ離れた「神話」でしかないこ
とはすでにここで言及しましたのでこれ以上は触れませんが、 これだけはきっちりと主張
しておきたいことは、「科学神話の理想像」からするなら、きちんと「科学自体」の正当的
なあり方で「反対論」を正当な扱いにしてディベートを行うべきだということです。

さて、私は上記でAnti-Relativity者以外を4つに小分類しています。一括できず同床異夢
的な感があるからです。
おおざっぱに分類しますと、(1)ABCと(2)の方々は「Einstein beleiverではない」ようです。

(1)@は、大変失礼ながら、もうこれは一種の「宗教信者」と変わりはないようです。ネット
上にはそれを公言してはばからない方たちがおられます。まるでEinsteinを「神様」扱いさ
れています。
まさに、♪We all beleive in Relativity,Relativity,Relativity(⇒Einstein's relativity song
という世界です。
ネット上で、あの直接実証もされておらず、Einstein自らが原論文の中で「(postulateTと
矛盾しているように見えるが」と言及しているpostulateUを「信じ切ったことが素晴らしい」
などと書いている人がいますが、この方はまさにこの(1)@belieiverのお一人でしょう。
「相対性理論がなければこの世のすべての技術が存在しない」かのような言動を吐いて
いる最高学府の方も同じでしょう。
彼は「論理矛盾」も「証明論文ねつ造疑惑」も全く意にも解していないようです。ま、「科学
する」ことの本質を忘れてしまっていて、かつ、
 ♪これこそはと信じられるものがこの世にあるだろうか(「イメージの詩」吉田拓郎)
という問いかけに「あるよ(^◇^)」と答えられる「幸せな」方たちなんでしょうね。
で、「今のところは正しい」という方たちも否定しようとこの(1)@と変わりはありません。
「believerと思われたくない」というだけからのポーズでしかないからで、同様に「論理矛盾」
も「証明論文ねつ造疑惑」も全く意にも解していないと思われるからです。

次に(1)Aですが、再三指摘しているように、Relativityの説明が「金太郎あめ」になってい
ないことで、Anti-relativityの指摘に対して、「新たなご都合主義的・恣意的解釈論」で延
命をもくろむような主張をされている方が近年見られるのです(⇒ここ参照)。彼らはそれ
を自己のstudentsに教えているそうです。いわば、そうやって、「believerの拡大生産」を
図っているわけです。
しかしながら、どうやら、ここで引用したように理論がmain stream化するしょっぱなから
そういう解釈論での修正が他の科学者たちによってなされたようですね。
今現在、アカデミーで教えられている"Relativity"というのは、そういう他の科学者たちに
より、「こっそりと」一見してわからないように修正されたものだということです。
どうも、「神様」扱いされているオリジナルの提案者自身は真に自分のtheoryを理解でき
ていなかったようですが、その後の人生の中でそれを取り繕うような言動をしてきたよう
です。まるで「新興宗教」の「教祖様」みたいな・・・

また、(1)Bの方は、いわば、
 ♪信じられるものがあったとしても信じないそぶり(「イメージの詩」吉田拓郎)
な方たちが含まれていて、見かけ上、Einstein and his realativity攻撃してはいますけど、
最後まで読むと、結局、「修正理論」でしかなく、大半のAnti-relativity者の主張とは隔たり
があって、「Relativityの根本的なところ」は残しています。近年、海外で複数の科学者が、
それぞれ独自展開しているものです。

(1)Cですが、まさに、そういう呈を証している科学者がいるようです。以前の主張と正反
対のことを最近言っているようです。以前は雑誌のインタビューで、全く正しく証拠で証明
されていると述べていたのに、最近では"dead end"と言っています。どうやら、友人学者と
の何年かに渡る議論の中で、"Relativity"が有する「矛盾」に気が付いたようですが。
これを紹介しているAnti-Relativityの方は、同じ人の相反する過去と現在の主張を並べ、
「統合失調症のEinsteinian」と酷評されていました。
ま、往々にして他ではよくある話で、以前の自己の言動と相反する言動を「なぜ変えたの
かを説明しない」まま平気でする方は多くいますからね。こういう人の言動は信頼性ゼロ
ですけどね。
中にはふと気が付いてしまって苦悩されている方もおられるようです。
ミューオンの件ですけど、「静止状態のミューオンの測定結果ってあるのか?」という疑
問から、これまでそれを証拠と思い教えてきたことへの恐怖心が湧いてきたらしいです。
いうならば完全に真実かどうか不明なものを真実のように言ってきていることへの「良心
の呵責」に苦悩しているようですね。

ところで、(2)ですが、おそらく、直接の「Relativity専門学者」以外の科学者にはこういう方
が多いのではないかと思います。
海外ネット上には「Anti-relativity者はどうしたいのか」というような冷めた意見もありました
し、ここで紹介した、

  相対性理論は現代物理学にがっちりと統合されているの
 だから,その土台をほじくり返すべきではない,そんなこ
 とをするより「建物の上階」を増築したほうがいい,この理
 論を批判しても「コブをつくる」[失敗して痛い目にあう]
 だけだ


というロシアアカデミー科学者の一般的意見もあります。要するに、Relativity自体に関し
てどうのこうのというのはやめておこうという「小早川の洞ヶ峠」を決め込んでいるわけで
す。ですから、"Einsteinians"とは一線を画しているとは思います。「正しいことにして」
使っていこうというだけの姿勢なわけですね。


いずれにしても、私には(1)(2)の方々の思考は全くもって理解不能です。
特に理解できないのは(1)の方たちです。海外のディベート見てましても、反対者の指摘
に全く論理的で説得性ある反論をせず、完全に無視して、従来からの「正しいのだ」とい
う主張を繰り返しているばかりです。だから、反対者から"Einsteinians"とか"believer"
とか攻撃されてしまうのです。

再三言及してきましたが、GPSはもう単に「Relativity専門家」が「証拠探し」から解釈論で
「証拠」だとし、更には厚かましくも「Relativityの応用機器」だと勝手に喧伝しただけにすぎ
ず、その開発においては一切使用されなかったことがばれているのに、未だにディベート
の中で「GPSを証拠」としている方が海外にもいて驚きました。
海外サイトにGPSの開発に関与した技術者や海軍の反論がありました。Relativity支持者の
厚かましい「虚偽宣伝」への反論です。

 Ronald R. Hatch is the Director of Navigation Systems at NavCom Technology
 and a former president of the Institute of Navigation.
 As he describes in his article for this issue (p. 25, IE #59),
  GPS simply contradicts Einstein’s theory of relativity.

 Straight from the navy

 In principle, the critics of GPS in the relativity debate have not been completely
 wrong.The neglected 7 factor could hurt us. The OCS software should be
 reformulated.Nevertheless, in practice, neglect of relativity does not
 now contribute measurably to the GPS error budget, as the OCS software
 is currently configured  
 (⇒ここより)

本当に、一切の先入観なしで小中高で習った物理科学の基本的な知識だけでかつ大局
的な考察をするなら、「おかしい」点が多々あるのですが、彼らはそうではなく、「最初に
Rilativityありき」で「循環論的」説明をしているのです。何か、"Rilativity"が物理の「神聖
な(Holy)」原理原則であり、全てはそれに基づくという発想がスタートにあるのです。
本末転倒ではないでしょうか?
そこに全く気が付いていないんですね。私にはそれが理解不能なのです。だからこそ、
議論が全然成立していないんです。発想の原点が根本的に異なっているのですから。

 Anti「なぜそうなるのだ?おかしいではないか。直接の証拠はあるのか?」
 Einsteinians(質問に答えず)「いや、それでいいのだ。それで正しいのだ」

・・・これではディベートになりませんよね。
真に「科学する」態度なら、少なくとも「確かに直接的証拠はないが結論は多くの証拠
があるから、このposutulateUは正しいはずである」という答えがあってしかるべきだ
と思うのですが、ありませんね。「正しいのだ」の一点張りです。
ま、"Holy theory"化しているゆえに「安心しきって」そういう風でいるのでしょうけ
どね。

私はこういう人たちには疑似科学批判をする権利は毛頭ないと思っています。しかしな
がらそういう人に限って大声で疑似科学批判されているのですからちゃんちゃらおかし
いいんですね。ダブルスタンダードもいいとこですわ(^_-)-☆

それから(2)の態度ですが、私は問いかけたい。
 あなた方は「科学者」としてそれで本当によいと思っているのですか?

ところで、もし、もしもですよ、この"Holy theory"が崩壊したら、(1)@Aの方たちはど
のような行動に出るのでしょうかねぇ。プライドがあるはずですから、Cというのは少な
いでしょうが、地動説がmain streamになってからも天動説学者が約70年残っていたそ
うですから、同じか、それともBになるか・・・大変失礼ながらしがらみなない私にとって
は大変興味深いです(残念ながらそれを目撃するまでこの世にはおられないでしょうが・・)
                             (’14/8)                           

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