続・相対性理論への疑念(9)〜更に更に〜
これまでも再三引用させてきていますが、"The General science journal"というサイトで一
貫してAnti-Relativityの立場でのessayを出されておられる方がいて、Antiの方達の主張
の紹介や"Einsteinians"(believer)の主張の紹介とそれへの反論などをいくつもされてい
て、海外ではどのような状況にあるのかその一面を私は見るのに参考にさせていただい
ているところです(ご本人の属性は不明ですが、冷静で深い考察が見受けられます)。
で、今回、新たなものを2件検索で見つけました。本稿はそのうち、特に、
It's OK to say Einstein is wrong
というpdf論文に関してのものです。
9ページの短いessayですから、興味のある方は是非、読んでいただきたいのですが(私
は古い人間で、ちょっとページ数があるものは紙にしないと日本語でさえ、読みこなせ
ない時代遅れの輩なんですが、幸い、新規に購入したEpson複合機は両面印刷ができる
ので紙数節約になりました(^◇^)。もっともインクの減りは早いですけど(^^;)、このessay
の構成は、前半は、異端(自ら自称されているそうです)の天文学者Hilton Ratcliffleとい
う方の批判の紹介、後半は、"Cosmos"に投稿されている「体制派」(="Einsteinians"/
believer of SR & GR)のJohn Farellという方のRatcliffleのような「異端派」に対する攻撃
主張の紹介とこのessay著者のそれに対する批判・反論からなっています。
再三、述べてきましたが、私自身、60歳の定年直前にちょっと不明な点があってネット検
索して以来、"Relativity"と"Relativists"の言動に不信感が募り、それが本コーナーを設
けてしまった理由だったのですけど、この後半の「正統派」すなわち"Einsteinians"の方
達というのは、やはり、ネットでちょろっと見られる「冷めた」ような考えではなく、本当に、
心底"Divine Albert & his Divine(holly) Theory"のbeleiver、心服者"なんだなぁというこ
とを改めて感じました。
このessayでは"Einstein's supporter"または"believer"という用語が使われていますが、
本稿では、以後、すでにこれまで海外サイトからの引用で用いてきた"Einsteinians"とい
う用語で統一させていたきます。すなわち、
Einsteinians=Einstein's supporters | believers | Relativitists
というgroupingをさせていただきます。
紹介されているEinsteinianの方−ま、ネット上でAnti-Relativity攻撃をしている大半の
Einsteiniansの方達はそういう思いをしているのだろうと感じ取れますが−は、インター
ネットのニュースレター、ブログにおいて、"Anti-Relativity"主張がなされていること
−近年、特に多い気がしますけど−に我慢がならないようです。
しかしながら、おそらく、そういうインターネット中心での"Anti-Relativity"主張には、私が
それで知見を得て本コーナーで紹介してきているように、「隠されてきた不都合」や、「おか
しな」点が白日の下にさらされ始めていることから、そのことに、Einsteiniansや権威筋が、
危機感を抱いているからではないかと思うわけです。
ところが、このEinsteinianの同じEinsteinianであるシドニー大学のBryan Gaenslar教授(物
理学者)の言葉を引用しながらのRatcliffleらdissidents(異端者)へのattackを行っていま
すけど、引用されている内容を見る限り、何ら目新しいものはなく、何ら、ciritisismに対す
る的確で論理的な「科学的反論」など全然なく、「十年一昔」の同じ主張の繰り返しすなわ
ち、「dissidentはcrank(変人)である」とか、すでに本稿でも触れてきたように偽りの落と
し込めなどの人格攻撃をし、一方で"Einstein is genuos,not wrong"と言っているだけ・・
驚きましたのは、なんと、彼の主張の中に、"temple of relativity"なる語彙が現れて
いることです。"great battle aginst 'the temple of Relativity'と。
しかしながら、なんですか?"temple of Relativity"って・・・。
もう、私には、いくら「違う」と否定しようと、これこそまさに、"Divine Albert's Divine
Theory"(YouTubeにそういう歌さえあります(大笑))を教義とする「Einstein教」または
「Relativity教」信者としか思えません。そして、その言動を見ると、Einsteiniansの方々の
大半はそうだとしか思えません。前項(⇒ここ)
で述べたように、@が大半だということで
す。
そして、一番笑ってしまうのは、どうやら、「反対者は"ordinary feeling of comon-sence"を
捨てききれない連中」だと固く信じ込んでいるようです。私は理学部ではなかったため、学
生時代にRelativityの講義を受けていませんので、日本のUniversityではどうなのかわか
りませんが、向こうでは、Relativityの講義では、studentsにまず
abondon ordinary feeling of comon-sence
(普通の常識を捨てなさい)
と教えているそうです。
私など、もうこれだけで「ばかばかしいためにする攻撃」としか思えません。なぜなら、前
にも述べましたが、少なくともこの私にとって、"ordinary feeling of comon-sence"に反し
ているなどというのは「懐疑的」になる理由などにはならない輩だからです。
essayの著者は、"Einsteinian"Farellの
everyone delivering a talk there is insane
(誰もが馬鹿げたトークを投げかけている)
という主張に対して、
it is quite easy to see if a student does not abandon common-sense
then those people who have abandoned common-sense i.e. Eisntein
believers then appear insane to that sutudent.
(もし、学生が常識を捨てないなら、常識を捨てた人すなわちEinstein
はその学生にとって馬鹿げていることが明らかなものを信じていると
見るのことは全くたやすいことです)
と揶揄しています。
私に言わせてもらうなら、Einsteiniansが言うところの"abondon ordinary feeling of comon-
sence"というのは、ただただ、"Relativity"だけに恣意的に適用した言い分でしかなく、
ただただ、
♪私の言うこと、信じなさい、ほら、信じなさい、ほら信じなさい
と繰り返しているだけに過ぎないわけです。そして、自らは、既に紹介したように、皮肉
でなく、真面目に、本当に、心から、
♪We all believe in Relativity,rilativity,Relativity
と歌っているわけです。前述の"♪Divine Albert's Divine Theory"ともども、新たな「(無
神論的)新興宗教」としての「Einstein教」の「讃美歌」ですか、これらは(笑)
大変失礼ながら、私にとっては、彼らのattackは、"quaosi-scientific"で"outside of science"
のものであり、単なる「Einstein教」believersの繰り返される「戯言」としか感じられません。
essayの著者は我慢強く一つ一つ反論されていますけど、こんなbelieverの戯言などもう
放置し、一つ一つ彼らの「信仰」の中身の「おかしさ」をきちんと解明するだけでよいので
はと思います。歩み寄りなどありえないbelieversとのbattleくらいむなしいものはありませ
んから。
さて、後先になりましたが、dissident astronomerのRatcliffeの主張に言及しておきたく存
じます。私からすれば、彼は決して"crank"などではなく、しごく「まっとう」な意見を出して
おられるだけと言いたいです。
彼は、自称
dissident astronomer that has straggled for 30-years to try to
put the "physical" back into "physics".
(30年間、「物理学的な」を「物理学」に戻すべくだらだらと努めて
きた異端の天文学者)
とのこと。すでに私は本稿で指摘してきましたが、彼は、
There is blatant skewing of scientific data by an informally
associated league of mathematical theorists.
(...)the method adoped by scientific elite not only leads
the world up the garden path,but also brings with it a skew
of associated misconceptions.
(非公式数学者連合同盟による科学データの見え透いたゆがみがある。
科学エリートにより採用された方法は世界をミスリードしているばかり
でなく、共同誤概念のねじれをもたらしている)
と述べています。そして、
There have been no new fundamental discoveries in physics
for over half a century.
Physics is dying,being suffocated by meta-mathematics,and
physics departments at major universities with grand histories
in physical science are closing down for lack of interest.
It is crisis in my view.My belief,therefore,is that
pysics should be taught with less emphasis on math
and more on empiricism.
(半世紀以上物理学の新しい基本的発見はありません。
物理学は死につつあり、meta-mathematicsによって息を止められつつ
ある。そして、物理科学における崇高な歴史と共に、主要な大学の物理
学分野は興味の欠乏で中止されつつある。それは私の見解では危機で
ある。それゆえ、私の信念は、物理学は数学への強調を減らし、もっと
経験主義に強調をおいて教えられるべきだということである。)
とも述べています。全く同意します。
また、
Professor Don Scott told me once,"The problems with cosmology
and astrophysics in the modern era are not scientific so much
as sociological."The Big Bang Theory is a faith-based system.
People believe it because they want to beleieve it,not
because they have been convinced by the supporting data.
(哲学者のDon Scottが私に一度、「近代における宇宙学者と天文学者
の問題は科学的ではなく大変、社会学的である」と言ったことがある。
ビッグバン理論は信仰に基づいた体系である。
人々は支持するデータにより納得してきたのではなく、それを信じたい
という理由でそれを信じている)
と。続いて、
It is estimated that when GTR was published in 1915,only about
a dozen specialist meta-mathematicians in the world could
decipher the math.Yet,before long,Einstein was the forcus
of intense international adulation by millions of people.
Since only a minute fraction of those fans could understand
the theory,there had to be another reason for the adulation.
(GTRが1915年に出版されたとき、世界中でほんの約1ダースのmeta-
mathematicsの専門家だけがその数学を解読できただけと見積もられ
ている。
しかし、間もなく、Einsteinは百万の人による強い国際的なへつらいの
焦点になった。それらのファンのほんの一部だけがその理論を理解で
きただけなので、へつらいにはほかの理由があったはずである。)
It was not working or the plausibility of the theory that
impressed people so much that they created from it an
eduring dogma.It was a psychosocial imperative that
characterized all widely defended dogma,includeing Big Bang
Theory,of course,which is the offspring of GTR.
Once the new dogma has become entrenched within the
educational system,it is done and dusted.
Universities(mostly inadvertently) become in effect
propaganda machines and produce sceintists who quite
frankly cannot practice or teach physics any other way.
(彼らがそれから持ちこたえているドグマを作り出すことを沢山強い
てきたのは理論の働きでももっともらしさでもない。
勿論、GTRの所産であるビッグバン理論を含む広く支持されたドグ
マを性格つけているのは社会心理学的命令であった。
一旦、新しいドグマが教育システムで確立されると、それがなされ、
ちりまみれにされる。
大学は(大部分は不注意に)効果的なプロパガンダマシンとなり、
全く率直に物理学を他のように行うまたは教えることができない
科学者を生み出す)
If,as in the case of GTR and later with Big Bang Theory
and Black Hole theory,the protagonists have seductive
charisma(which Einstein,Gamow,and Hawking,respectively,
had in abundance)then the theory,though not the least
bit understood,becomes the darling of the media.
GTR and Big Bang Theory are sacrosabct,and it's most
certainly not because they make any sense.
In fact,they have become the measure by which we
sanctify nonsense.
(もし、GTRとその後のビッグバン理論とブラックホール理論の
場合のように、提唱者が魅力的なカリスマ性(それぞれ、
Einstein,Gamow,Hawkingが沢山有していた)有しているならば、
その理論はちっとも理を解されなく
ても、メディアの人気者になる。GTRとビッグバン理論は至聖
のもので、それは確かに有意味であるという理由ではないの
である。事実、それらは我々がナンセンスを神聖化するため
の手段となってきた。)
などと指摘されています。
まさに、その通り!いくら否定しようとも、全て「信仰」の上に立って、そういう「曇った」目
でご都合主義的に「理解できた」気になって悦に入ってより「信仰心」を強くしているだけ
に過ぎないと大変失礼ながら思えてならないのです。
ちなみに、面白い逸話も上げていました。かのSagnacはすでにここで報告済のように初
期の時代の"Anti-Relativitsit"の一人でしたが、ある時、Einsteinの講演会に聴衆の一人
として聞きに行ったときのこと。
He questioned Einstin on the gedanken experiment regarding
contra-radiation light on a rotating plate.
Einstein thought for a while and said
"That has got noting to do with relativity"
Sagnac loudly replied,
"In that case,Dr Einstein,relativity has got nothing
to do with reality!".
(彼はEinsteinに回転板上の反対放射光に関する実験について質問した。
Einsteinはしばらく考えてから、「それはrelativityとは何も関係が
ない」と述べた。
Sagnac(サニャック)は大声で、「Einstein博士、その場合、Relativity
はrelalityと何も関係ないですよ」と返答した。)
すでに指摘しましたけど、リアルに実験的に関係が喧伝されてきたMichelson、sagnac,
原子時計の発明者のLouis Essen、そして、GPS開発技術者(パテントを多く有している)
Ron Hauchらは皆、Anti-Relativityだという事実を軽んじてはいけないと思います。
彼らは「脳内科学者」ではありません。
Einsteiniansの多くは、ここで指摘したように"reality"より"thoght-without-experiments"
でしかない"thought-experiments"を実験だと深く信じ込んでいます。
彼らが教義として"Holy Theory"とあがめ祀り上げているTheoryのprotagonistである
"Divine Albert Einstein"がrealityよりthought-experimentsを重視していたことから
の影響なんでしょうが。「教祖様の手法は忠実に真似しなくちゃ」というところでしょうけど
ね。
こんなもの、どこが「自然科学」なのでしょうか?「信仰」は全てを自己の教義に都合よい
説明ができてしまうのです。そこには「真の科学論理」などはありません。
まさに、Relativityは「Einstein教」believerにより、異端派を徹底的に締め出すことで確立
された本来の意味でのquasi-scienceそのものです。
そして、極めてけしからんのですが、20世紀の科学界に蔓延してしまった(無神論的)新
興宗教「Einstein教」でしかないのに、それを「信じる」ことを「合理的正義」だと虚偽の喧
伝をアカデミーにおいてstudentに対してなされ、メディアにより、綿々とEinsteinは偉大な
「天才物理学者」だと虚偽のプロパガンダがなされて世界の人々を洗脳し続けてきたこと
です。
科学者は「科学は信じることではない」とえらそうに言います。勿論、これは正論です。
しかるに、なぜか"Relativity"や"Big Bang theory"になると途端に"believer"に変身する
のです。いくら否定しようと、彼らの言動は100%"belieber"のなせるものです!
論理飛躍・論理矛盾・ご都合主義解釈を真摯に見つめなおさない限り、彼らには「科学
は信じることではない」などという権利は金輪際ありません。
RelativityもBig Bangも彼らが「信じる」hypothesisでしかないのです。彼らが否定する
「宗教」とどこが違うというのでしょうか?
どこにも明文化されていない、手前味噌の「科学的」という「プロパガンダ」をご都合主義
的に適用しているだけでしかありません。そんな手前味噌が絶対真理だなどという絶対
的根拠などどこにもないのです!
(’14/9)
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