ニコラ・テスラ vs アルバート・アインシュタイン(’18/5)

海外サイトでは、"Nikola Tesla vs Albert Eistein"という対比記事をちらほら見受けます。そういうことを言うと、特に理
系の多くの方は、「なんでそこにNikola Teslaが出てくるんだ?」とその対比自体に少なからず違和感を感じられるかもしれま
せんけど、すでに、本コーナーでは散々、歴史的真相を書いてきましたので、くどくどとは書きませんが、それは、事実を知
らない・知ろうともしないまま、当時、Nikola Teslaに敵対心を抱いた色々な勢力とそれに便乗するだけのマスコミ・メディアに
よって作り出され、巷でばらまかれてきた「ためにする」Nikola Teslaに対する不当な扱いに、これまで何一つ疑問を抱いてこ
なかっただけに過ぎないと断言させていただきたく存じます。大変失礼ながら、ネット上で多々見られますが、Teslaに対して
声高に中傷・嘲笑・罵倒をされている方々は、そういう勢力に属して意識的にしているか、あるいは、真相を知らないまま、
そういう勢力に踊らされているだけであると言っておきます。「勝者と追随者が書き権威筋が維持し、愚かなマスコミ・メディ
アが追随して一般大衆を誑かせ続けている欺瞞的科学史
」ではなく、真の科学史を調べてみる−それは、特に全ての科学
の基本的dogmaの発症の地である欧米で、有識者が調べて本等で暴露し、特に今世紀になってからブロードバンドの発達
により、モチベさえあれば、世界中で居ながらにしてそれらを知ることができるようになっています−なら、この二人を比較
する行為は、科学の本質を考える上で正当かつ重要なものである
ことは明白です。

とにかく、Nikola Teslaと言う方はどういう方だったのか、そして何をなされたかについての真相は、私が本コーナで記事に
してきた一連のものを是非読んで判断していただきたく存じます。できるだけ、所謂「オカルティック趣味」に偏するようなも
のは記事にするのは避けています(海外にあるものを読んでいて、日本では知られていないことを知ってはいますけど)。
本コーナーでは、Nikoka Teslaの人生観(思想)と発明の長に関連する若き頃彼を悩ませた特異体質などについては、1900
年にTeslaが出した論文"The Problem of Increasing Human Energy"からの抜粋引用したarticle: Nikola Tesla〜哲
学と目指したこと@
Nikola Tesla〜哲学と目指したことBを、そして、無視され隠されてきたTeslaの驚くべき発見とそれを
なした研究方法については、特に、article:ニコラ・テスラ〜なぜ不当な扱い(6)〜隠された発見とTeslaの実験研究課程の
詳細@〜
ニコラ・テスラ〜なぜ不当な扱い(6)〜隠された発見とTeslaの実験研究課程の詳細J〜を一度読んでいただ
きたく存じますm(__)m。

大変失礼ながら、ネットサーフィンしていますと、テスラファンでも、多くのことを誤解され語られていることが目につきます。
私自身、当初はそういう記事から誤解をしたりしていましたのでえらそうなことは言えませんけど(^^;
最低限知っておいていただきたいことは、

 @Nikola Teslaが発明して科学界でもその功績を認められている−SI単位系において磁束密度の単位に彼の
  名前が採用されていることやアメリカ電気学会IEEEにその名を冠した賞「テスラ賞」があること等−のは
  「ACの発明」ではなく、ACを実用的なものにした「多相(Polyphase)交流の発明」であること(AC自体はNikila
  Teslaの学生時代に既に存在していてTeslaをして魅了させましたが、問題点があって実用化には至っておら
  ず、この発明によって、アメリカのナイアガラ瀑布に初のAC水力発電所が開設されるまで電気はDCの時代
  でした)
 AYouTubeなどにも多くのデモ映像がある「テスラコイル」はNikola Teslaとは関係がなく、1889〜1892年におけ
  る彼のその後の科学人生を一変させた実験研究の中で発明した"Tesla Transformer"とはまるで原理原則
  が異なるものであること(非公開であったNikola Teslaの1897〜1899年時代の"Colorado Springs Journalの
  編者も誤解しているようでした。真相は、所謂「テスラコイル」と称せられているものは、彼の実験的研究を誤
  解したSir Oliver Lodgeと言う人が最初に作り出した装置だということです)


ということです。Nikola Teslaは長く「謎の人」「忘れられた科学者」扱いをされてきたために、一般大衆は勿論、影響力が未
だ強いマスコミ・メディア・科学ジャーナリストさえAはおろか、@さえもまるで知らない方々が多いと思いますが。私が本コー
ナでNikola Teslaを取り上げようとした理由の一つがこれだったりします(それゆえ、シリーズタイトルに「不当な扱い」と言う
言葉を用いたのでした)。本コーナーでは繰り返し書いてきていますけど、アメリカなどでは、1980年代から次第にNikola
Teslaの研究業績の見直し等の活動が始まり、単なる「オカルティック趣味」的なものではなく、まじめに彼の研究の発掘と
継承発展を目指すことを目的とした"Tesla Society"という組織もできていて、次第に拡大しつつあるようです。スイスや
Tesla Musium(前述の"Colorado Springs Joural"もアメリカから返還されて保管されているそうです)が公的に建設され維持
されている母国クロアチア(Nikoka Teslaはクロアチアでは英雄扱いです)にも独立で同様の組織があって活動されているよ
うです。アメリカでは、今世紀初頭には生誕150周年記念祭も執り行われたようで、熱心なTesla研究者も増えているようで
す。これらは、1985年にビデオデモを使ってTeslaの無視され隠され忘れられてきた1889〜1892年の実験研究の再現に成
功したと発表されたElectrical EngineerのEric Dollerd氏の発表などがその発端になったようです。
日本ではほとんど知られていない(Eric Dollerd氏に関しては、国内でもNikola Tesla関連の著書を出されている井口博士
という方がブログ等で触れられてはいますけど)ようですので、再三強調してきました。

いずれにしろ、Nikola TeslaをAmerican Heroとなった発明家Thomas Edisonに対抗する「天才的発明家」であることだけ強調
したり、後に袂を分かったアメリカの大手電気会社GEの前身である電気会社を設立してビジネス界に進出したEdisonの会
社で働いていた−"Polyphase AC"の発明前−"Electrical Engineer"としての評価は一面的なものであり、在野の方ではあ
りましたけど、大学できちんと学び、19世紀には多くの大学から名誉称号を授与されていた「物理学者」であったことを是非
知っておいていただきたく存じます。そして、それにも係らず、"scientis"としては"forgotten"されてしまい、テスラファンさえ
前述の@Aの誤解を招いてしまったのは、一重に、1889年〜1892年になした従来理論・一般的知見からは決して出てこな
い驚くべき実験研究結果とその応用としてTeslaが目指したこと(電力のワイヤレス送電など)が科学界及び金融・産業ビジ
ネス界の敵視を招いたことによることも是非知っておいていただきたく存じますm(__)m。地球における「科学」というのは、決
して、語られてきているような「客観的」なものではなく、極めて人間的な科学者の主観的な面と色々なところの思惑−時に
イデオロギー的に語られるような政治経済的な勢力のみならず、実際には一般大衆の思惑も深く影響しています−からな
されてきたものであることを是非知っていただきたく存じます

さて、本題に入ります。

海外サイトでは、ANTI-RELATIVITY / ANTI-EINSTEINの方々にNikola Teslaに触れている方々が多い感をしています。勿
論、Nikola TeslaがANTI-RELATIVITY / ANTI-EINSTEINであったことをご存知であることもありますけど、なぜそうだったか
をきちんと知るなら、それは正当な理由があり、私も同様な意見を有しています。

特に本コーナーで示してきた前述の「ニコラ・テスラなぜ不当な扱い」E〜J及び「Nikola Tesla〜哲学と目指したこと」@〜
Bで示してきたことと、私論・Einsteinの科学哲学批判などで述べてきたAlbert Einsteinを比較すると、二人はその科学哲学
も科学手法も完全に一線を画していることがわかると存じます。

簡単に言えば、Nikoka Teslaは実験物理学者で徹底したリアリストであった(海外サイトにもそういう主張がありました)のに
対し、Albert Einsteinは実験検証という「現実世界」のことを軽視・無視して脳内だけでの考察で構築しようとした、大数学者
の故・岡潔博士が晩年に批判されていた「哲学か何か」すなわち「観念論」にしてしまった−「自然科学」ということを忘れて
しまった−ということです。私に言わせてもらえば、大自然の前には敗北を繰り返してきたちっぽけな存在でしかない地球人
類の浅知恵だけで「物理」の本質が見極められると思い違いしてしまったということです。

こういうEinsteinの思い違い・思い込みは、古くはギリシャ時代に遡るものですが、特に、Albert Einsteinが1905年にSRTな
どを引っ提げて科学界にデビューして以来、20世紀以降の物理学界に深く影響し浸透してしまってきている感がしています。
19世紀までは、まだ、Nikola Teslaがなしたような「現実世界」に即した実験検証による地道な科学研究がなされていたこと(
心ある世界の科学者が本・ネット等で指摘されています)を考えると、Albert Einsteinは科学界特に物理学界に対して悪しき
影響力を及ぼしたと考えています。

色々と調べてみると、物理学以外の科学部門では、どんな権威の説でも、実証検証がなされていないものは単なる「仮説
(Hypothesis)」扱いです。19世紀までの伝統的な科学手法である「観察(Observation)→仮説(Hypothesis)→予測(Prediction)
→実験実証(Testing)
」こそが真の「自然科学」の名に相応しいものであると私は思っています。20世紀以降、多くの物理学
者はボタンの掛け違いをしてきてしまったと思っています。ひどいのになると、仮説と実際の実験ではなく、単なる「思考でし
かない」思考実験なるものだけで理論の成否を判断してしまっています。予測などまるでできないもの(Super String理論、
地震学等)や予測がはずれてばかりのもの(Big-bang宇宙論など)が重宝されてしまっています。

それに対し、Nikola Teslaは、前述の「ニコラ・テスラなぜ不当な扱い」E〜Jを読んでいただければわかるように、徹底的
に上記の伝統的な科学手法を用い、なおかつ豊かな知見・情報収集力及び特異体質がもたらした発明の長で画期的な実
験装置を発明して実験研究を行った物理学者しかも真に人類の幸福に貢献することを目指した科学者だった
のでした。
そういう方だったゆえに、何度も引用していますが再掲しますと、

 "Today's scientists have substituted mathematics for experiments, and they wander off
 through equation after equation, and eventually build a structure which has no relation
 to reality. The scientists from Franklin to Morse were clear thinkers and did not produce
 erroneous theories. The scientists of today think deeply instead of clearly. One must be
 sane to think clearly, but one can think deeply and be quite insane.
"
 「今日の科学者は実験を数学で置き換え、方程式のち方程式でさまよっていて結果的に、現実と無関係
 な構造を構築している。FranklinからMorseまでの科学者は明らかに思考家であったが誤った理論は出
 さなかった。今日の科学者は明確の代わりに深く考える。人は明確に考える分別があらねばならないが、
 深く考えて全くばかげていることにもなれるのである。


という言説を残されています。

私は、真の"Genious & Hero of Science"という称号は、メディアによって作り上げあげられ維持されてきた虚像として
の「メディアスター」「科学アイコン」(以上は私が作った言葉ではなく、海外サイトで多々指摘されて使われている言葉で
す)に祭り上げられ続けているだけで何一つ人類の幸福に貢献などしてこなかったAlbert Einsteinではなく、少なくとも現代
文明の担い手としての多相交流の発明で人類に多大の貢献をしたNikola Teslaにこそふさわしい
と断言したく存じます。
Relativityが人生におけるidentityになっているrelativistsやそういう虚像をそのままにしておくことでメリットを抱いている科
学権威筋の思惑(例えば、アインシュタイン, "Einsteinians"、そして・・・参照)と、それに迎合している愚かな「売らんかな」の
マスコミ・メディアの洗脳に誑かされ続けることは、結果的に彼らのmoney spinningに無償でボランティア活動していることに
他ならないことに気が付いていただきたいものです。

以上が、私が特に、"Nikola Tesla vs Albert Einstein"という構図で主張したかった最大のポイントですが、この対立に関し
語っている海外サイトでは、Nikola Teslaが、相対性理論に反対した根本的理由に関して語られているものが多いです。で、
次にそれに関して触れておきたいと思います。

それは、1905年にSRTを発表したときのEinsteinの言明と、前述の「ニコラ・テスラなぜ不当な扱い」E〜Jを読めばわかり
ますが、「エーテル』(æther/現在はよく"Aether"と表記されています。以前は"ether"でした)の存在の有無に関する考え
方の相違
」です。但し、これについては、Nikola Teslaのスタンスは明確ですが、Albert Einsteinの場合には実に曖昧です。
確かに1905年のSRT発表時には、『エーテル』の存在を否定と言うか不要なものとしましたけど、繰り返し強調してきている
ように、1920年のLeiden大学の物理学コンフェランスにおいてEinsteinはなんと、「電磁波の伝搬にはエーテルが必要であり、
(敵対していた)Lorentzにもこのことを伝える」と言明した記録事実が近年暴露されているのです。不都合故に隠され続けて
きて、反相対性理論の方でも知らない方が多いみたいですが。
近年、Einsteinが書いたこと・語ったことの多くが暴露されてきて、それを一堂に集めて、彼の考えの変遷("Change in mind")
の指摘をされている方も海外サイトにいくつも見受けられるのですが、中には、Einsteinians(*)自身が暴露しておいて好意
的解釈をつけている例もありますけど、言説の推移を見ますと、明らかに以前とは矛盾したことを語っているものが多々あ
ります。それらに関しては、本コーナでも多々、海外サイト記事からの引用として示してきていますけれども、私がEinstein
に対してなした批判は、どうもEinsteinと言う人は、自分が一度なした言説に対して無責任というか、以前の言説と矛盾して
いても以前の言説をまず否定するということをせずに平気の平左で新たな言説をやっていたということに対してでした。これ
もまさにその一つでしょう。それゆえ、Einsteiniansの中に、double thinks(二重思考/互いに矛盾していることを両方とも成立
すると主張するad-hocかつナンセンスな考え方)を招いてしまっています。まるで宗教のような"Einstein's beleivers"化してし
まっているわけです。ですから、さすがにそういう好意的解釈ができない−ご本人は気が付いていなかったのかわかりませ
んけど、SRTの根源に矛盾しているわけですから−この発言は無視され隠されてきたのでしょう。

*Einsteinians: 私は本コーナーでは、相対性理論学者を含む、Relativity's supporters/beleivers、Einstein's supporters/
       believersのことを海外サイトでANTI-RELATIVITYの方々が使っているこの用語で一括して示しています。


もっとも、

 "Einstein did not disprove the existence of the ether…. He only stated [in Special Relativity]
 that whether or not it existed, light would always travel at the same speed.
"
 「アインシュタインは、エーテルが存在しないことを証明したのではなかった−彼は単に、[特殊相対性理論]
 において]、それが存在するかしないかに係らず、光はいつも同じ速度で進むであろうと言っただけである」

 (〜Edwin Gora, Physics Department, Providence College, private correspondence, 1991)(※1)

と擁護論的感がする主張をされている方もおられます。私が、Einsteinが前述の1920年にLeiden大学でなした発言の存在
を始めて知った(後で調べて、この方一人だけの提示のものではないことを知り、間違いない史実記録であると確信できて
います)、Tesla vs. Einstein: The Ether & the Birth of the New Physics("NEW DOWN" from 1991の2012年5月の記事)の著
者MARC J. SEIFER氏は、「Einsteinは、その性質により、エーテルは検出できないと述べることにより、その発見[MM実験
のこと]に本質的に同意した。しかしながら、Einsteinはまた、もし、エーテルが検出できるなら、彼の相対性理論は誤ってい
るということによりかなりその前言を引き上げた」と書いています(もっとも、色々と事実を知った私から見ると、この著者も
誤って述べられてきたMM実験の目的・結果をそのまま信じられているような記述にはっていますが)。上記(※1)はこの記
事からの孫引用です。また、この記事では、次の科学ライタIbid氏の言の引用もされています。

 "belief in the nonexistence of the ether remained alive, but in actuality, by 1916, Einstein had
 replaced the old ether in his theory of General Relativity by curved space-time itself. Only,
 this new ‘ether’ is no longer a medium in three-dimensional Euclidean space, but in four-
 dimensional non-Euclidean (curved) space-time.
"
 「エーテルの非実在性の信仰がまだ生き残っているが、実際には、Einsteinは、1916年までに、その古いエー
 テルを彼の一般相対性理論において曲がった時空自身で置き換えた。この新しい「エーテル」だけは、もはや
 三次元ユークリッド空間における媒質ではなく、四次元の非ユークリッド(曲がった)時空におけるものである。
」(※2)

一般相対性理論は1915年に発表されていますが、Einsteniansの中には、EinsteinはGRT(一般相対性理論)の研究の過程
で1905年の自分のエーテル否定主張の誤りに気が付いたというようなことを主張している人もおられますけど、ご本人が明
確にそのように述べたというような記録は見当たりませんから、この科学ライタの言も含め、1920年のEinsteinの言明などを
元にして想像しての好意的解釈したものの一つにすぎないと思っています。記事の著者は、Nikola Teslaは勿論(※2)には不
同意だったと書かれています。これは、この記事でも引用されていますが(他のところでも引用されてきています)、
Nikola Teslaは次のように述べていました(本コーナーでは繰り返し引用してきています)。

 "On a body as large as the sun, it would be impossible to a disturbance of this kind [e.g., radio
 broadcasts] to any considerable distance except along the surface. It might be inferred that
 I am alluding to the curvature of space supposed to exist according to the teachings of
 relativity, but nothing could be further from my mind. I hold that space cannot be curved,
 for the simple reason that it can have no properties. It might as well be said that God has
 properties. He has not, but only attributes and these are of our own making. Of properties
 we can sonly peak when dealing with matter filling the space. To say that in the presence
 of large bodies space becomes curved, is equivalent to stating that something can act upon
 nothing. I for one, refuse to subscribe to such a view.
"
 「太陽のような大きさの物体において、その表面に沿う以外の任意の考えうる距離に対してこの種の外乱
 [すなわちラジオ放送]を予測することは不可能である。私は、相対性理論の教えによって存在すると仮定
 している空間の曲がりに対して言及していると推測されるかもしれないが、私の心の中からはそれ以上の
 ものは[出てこ]ない。私は、それは特性を持つことができないという簡単な理由で空間は曲がることはで
 きない[という意見を]持っている。それは、神が特性を有していると言うのと同じである。彼は持ってはい
 なくて、ただ、帰しているだけであり、そして、これらは我々自身が作ったものである。特性については、
 我々は空間を充満する物質を扱う時、いう事ができるのみである。大きな物体の存在で空間が曲がると
 いう事は、何かがなにもないものに作用できることを始まりとするのに等しい。私個人としては、このよう
 な見解に対して署名することは拒否する。


(※2)とは明らかにニュアンスが違いますよね。ここにも、当時、Einstein自身は(※2)というような説明をしなかったことが間
接的に示されています。更に、Nikola Teslaは(EinsteinとEinsteniansに対する過激な批判攻撃の言も残しています。前に引
用しましたが、再掲しておきます。

  "a mass of error and deceptive ideas violently opposed to the teachings of great men of
  science of the past and even to common sense. The theory wraps all these errors and
   fallacies and clothes them in magnificent mathematical garb which fascinates, dazzles
   and makes people blind to the underlying error. The theory is plike a beggar clothed in
   urple whom ignorant people take for a king. Its exponents are very brilliant men, but
   they are metaphysicists rather than scientists.
"
   「過去の偉大な科学者の教えと常識に対してさえ過激に反対する誤りと欺瞞だらけであった。その理論は、
   これら全ての誤りと誤謬を覆い隠し、それらを、魅惑し目をくらまし、人々を底に沈む誤りに対して目くらま
   しする壮大な数学的装いを着せている。その理論は無知の人々が王に対してとる裸の王位のようなもの
   である。その解釈者は大変立派な人であるが、彼らは科学者よりむしろ形而上学者である。


最後の一文は、当時、「哲学者」の多くが魅せられ語り教科書迄だしていたこと(⇒続・相対性理論への疑念(25)〜Einsteinians
の思い込み〜
参照)に対するものでしょう。そして前段は、古くから科学界ではその存在が信じられ、研究がなされてきたも
のの未だ、その実在を実証観測されてこなたかったものを、1889〜1892年における実証実験研究の中でついに観測でき
た(⇒前述の「ニコラ・テスラなぜ不当な扱いE〜J」参照)という自負心があったNikola Teslaにとって、単に「脳内から出し
ただけ」の相対性理論で、実証もなしにあっさり「エーテル」を否定するようになった風潮
には我慢できなかったと思われま
す。前に、私論・Einsteinの科学哲学批判2をしたためたのは、こういうTeslaの怒りの言葉に触れていたこともありました。
ちなみに、「その理論は無知の人々が王に対してとる裸の王位のようなもの」というのは、私が最近書いたそのものですなぁ。

多分に多くの方々は「エーテル」など過去の遺物でしかないと思い込まれていると思いますが、「エーテルの存在を否定し
た実験事実があった」からではなく、1905年のSRT発表時のEinsteinの言説により、1904年までのLorentz/Poincaré理論に
飽き足らず、SRTに魅せられてしまった多くの理論家が19世紀というか前年1904年にも関連理論発表まであって進展がな
されたエーテル研究を放棄し、それ以後次第にタブー視されてしまっただけ
であることは私が勝手に考えていたことではな
く、例えば、エーテルに関する興味深いアカデミア物理学者の記事紹介で引用したように、アメリカの量子力学専門のアカ
デミア女性物理学教授がウェブ記事で言及されています。私が物理学に関して海外サイトを当たりだしたころ、「エーテル」
に関して多く語られているサイト記事とかフォーラムを目にして驚いたのですが、この女性教授はそのことにも言及されてい
ました。未だエーテルを過去の遺物だと思っている日本人は世界を知らないだけだということです。一般下々ではなく科学
の素養を十分持たれている科学者の先生に対して「エーテルは科学で否定されています(キッパリ)」などと意見した科学者が
おられるようですけど、それは、愚かにも、歴史的真相も最近の海外の情勢もまるで知らないことを自ら暴露しているだけ
にすぎません(笑)(多くの一般大衆や学徒は、以前の私同様、専門家は専門分野ではなんでも知っていると思っていると思
いますが、それは大間違いのこんこんちきであり、ある人がブログで書かかれていましたが、意外に自分の専門分野の科
学史さえ知らない科学者が多いそうです。「科学史など知る必要がない」と宣っている科学者がいるようですが、地球人類
の意識などまるで変わっておらず、そうやって科学史を軽視しているゆえに愚かな失敗を繰り返しているのにまるで気が付
いていないのが部外者には笑えてしまいます)。

くだんの記事で著者は、「[Einsteinは]もし光が粒子のように移動できるのであるなら、それを通る媒質(すなわち、エーテル)
は不要であると述べた。たとえ、Maxwell, Faraday, Kelvin, Fitzgerald, Lorentzのような当時の偉大な科学者の大部分が空間
を伝える媒質すなわちエーテルがあらねばならないという明確な結論を全て受け入れていても、このすべてがうやむやにさ
れた。これは、エーテルは存在しないという一般的に受け入れられている結論に導かれ、それはその後の一世紀全期間で
の今日に立場である!」と述べられ、前述の1920年のライデン大学での言説に関して「それは、彼がこのまばゆい誤った概
念{すなわち、エーテル否定]に対処するのに15年かかったが、そのダメージがすでになされてしまってきた。」と書かれて
います。
しかしながら、「もし光が粒子のように移動できるのであるなら、それを通る媒質(すなわち、エーテル)は不要である」という
言説と、1920年のLeiden大学における「電磁波を伝えるのはエーテルが必要である」という言説にはまるで整合性がありま
せん!
。記事では言及されていませんでしたが、全く説明をしてこなかったものと思われます。たびたび"Change in mind"
を重ねてきていることが暴露されてきているEinsteinという人はこういう言説にごまかしというか曖昧さが多々あった方で、
それゆえに、ご本人が直接言及もしていないことを、後世の学者が勝手に都合よく解釈説明してきただけということに気が
付いていただきたいものです。Einsteinが同じく1905年に発表し、ノーベル賞受賞対象でもあった「光量子仮説」では、彼は
「粒子のようなもの」と述べただけなのに、その後、「粒子」という概念に重きをおいた「光子(photon)」という概念が一般的
になりました。それでも、大半の物理学者は、あえて「電磁波が真空中を伝わるのは光子の粒子性ゆえ」などと説明したり
せず(突っ込みどころ満載ゆえに)黙点です。で、愚かなEinsteiniansの中に「粒子だから真空中でも伝わるのだ」などと主張
する人がいて、「粒子ならニュートン力学で十分である。なんで余計な相対性理論など必要なのか」と突っ込みが入ってい
て返答できませんでした(笑)。Einsteiniansの主張などには、このように枝葉だけでわかったつもりで大局的に見ておらず
突っ込みどころ満載なものが多いです。

ちなみに、多くの相対性理論学者を含むEinsteiniansは、MM実験をエーテル否定とSRTのpostulateUの証拠みたいに喧
伝していますけど、続・相対性理論への疑念(26)〜マイケルソン=モーリー実験 & Dayton Miller再び〜で示しましたように、
1887年のMM実験結果は、1920年代にDayton Miller博士が膨大な追加実験を行って論文で示されたように、エーテル否定
でも光速一定を実証証明したものなどではなく、それはデータ解析が不十分だった解釈誤りに過ぎません。未だMM実験
をそのように説明している方々は事実を知らないまたは知って隠していることを自ら暴露しているにすぎません。MM実験を
を行ったMichelsonの実験論文きちんと読めば、値がLorentzが作った実験理論と異なっていた理由推定がなされていること
を目にするはずですし(Einsteiniansは読んでもいないか、あるいはたとえ実験論文を読んでいても、不都合故仁隠している
のでしょう。)、また、なぜ実験をやったかの当初の目的もわかるでしょうし、更には、Michelsonは、論文では決して"NULL"
だったなどとは書いていないことを知るでしょう。そして、、Dayton Miller博士が行ったMM実験結果の再解析と自らの実験
結果に共通している傾向をきちんと見るなら、あの1919年に捏造と言える発表をしたEddingtonがひたすらPRした「結果は
NULL」というのはためにする虚構であった
ことがわかります。そもそも、FitzGeraldの1889年の口頭発表に触発されてなされ
た(そんなことさえご存知ではない方が多いと思いますが)LorentzによるLorentz Ether Theoryは、明らかにつじつま合わせ
的で、ad-hocでillusionのものでしたが、それはLorentzもMM実験結果をNULLと誤って解釈して出てきた数学的辻褄合わ
せなものにすぎず、だからといってæther否定には繋がらないことを強調しておきます。

海外サイトを当たっていましたら、Tesla vs Einsteinというところに、アメリカの"Immortality"という雑誌のジャーナリストJohn
Smith氏によるNikola Teslaへのインタビュー記事が引用されていました。以下に全文、私の下手な和訳と共に孫引用紹介
しておきます。Teslaは解りやすくストレートな物言いをしないところが見受けられますので、インタビュアも意図を十分把握
していなかった感がしていますが。
以下、I=Interview Journalist(英文は青で示す), N=Nikola Tesla(英文は茶で示す) と略します。

 I : Your admirers are complaining that you attack Albert Einstein and his theory of relativity.
 The strange is your assertion that the matter has no energy. Everything is full of energy,
 where did it come from?

 (あなたのファンは、あなたがAlbert Einsteinと彼の相対性理論を攻撃することに不満を持っている。奇妙な
 ことは、物質はエネルギーを持たないというあなたの主張です。全てのものはエネルギーで満たされていま
 す、それはどこから来たのですか?
)

 N : First was energy, then matter
 (最初にエネルギーがあり、それから物質[ができた])

 I : Mr. Tesla, would you like to say that you have created your father and not he has given life
 to you.

 (テスラーさん、あなたは、あなたがあなたのお父さんを作ったというのを好み、彼があなたに生命を与えた
 というのを好まないのですか?
)

 N : It works like that from the birth of the universe. Matter is created from original and eternal
 energy that we know as light. It shone, and there have been appeared stars, planets, humans
 and everything on the Earth and in the Universe. The matter is an expression of infinite forms
 of light, because energy is older than it. There are four laws of Creation. The first is that the
 source of all in the inconceivable, the dark particle that the mind cannot conceive, or
 mathematically measure, in this particle the whole universe enters. The second law is the
 spreading of darkness that is the true nature of light, from the inconceivable and its
 transformation into the light. The third law is the necessity of the light to become the matter
 of light. The fourth law is: no beginning and no end, the three previous laws always exist and
 the creation is eternal.

 (それは宇宙の誕生からそのように働いている。物質は、我々が光と知っているオリジナルでエーテル的
 エネルギーから作られている。それは輝き、地球上と宇宙に星、衛星、人間、あらゆるものを顕現してきた。
 物質は、エネルギーがそれより古いので光の無限の形の表現である。創造の四つの法則がある。第一の
 ものは、心が捉えられないまたは数学的に測定できない想像もつかない暗黒粒子−この粒子の中に全宇
 宙が入るものであるが−の中の全ての源である。第二の法則は、その想像もつかない、光へのその変換
 からの真の光の性質である暗黒性の拡張である。第三の法則は、光の物質となる光の必然性である。第
 四の法則は:始まりも終わりもない三つの前述の法則がいつも存在し、その創造は外部的である。
)

 I : Your hostility to the theory of relativity goes so far that you hold lectures against its
 creator at your birthday parties.

 (あなたの相対性理論への敵意は、大変遠くまで行っていて、あなたが、あなたの誕生日パーティにおけ
 るその創造者に反対する講演を持っている
)

 N : Remember that the space is not curved, but the human mind cannot comprehend infinity
 and eternity! If relativity has been clearly understood by its creator, he would gain
 immortality, even yet physically, if it was his will. The proof that his theory is not correct
 is like the sound of the violin is been listening for delight and comfort at home by
 incompetent and ignorant people like him.

 (空間は曲がっていないが、人間の心は無限と永遠を把握できないということを覚えておきたまえ!もし、
 相対性理論がその創造者により明確に理解されてきているなら、もしそれが彼の望みなら、物理的にさえ
 彼は不滅を得るだろう。彼の理論が正しくない証拠は、彼のような無能で無知な人々によって家で喜びと
 快適さのために聞いているバイオリンの音のようなものである。
)

 I : It's really wrong, Mr. Tesla! Don’t you have poetry for delight and comfort! You came to
 America with a bag where, by your own statement, the most valuable was the book with
 poems.

 (テスラさん、それは実際間違っている!あなたは喜びと快適さのための詩をもっていないのか!あなたは、
 あなた自身のステートメントによれば、大部分の価値が詩と共に本にあるカバンをもってアメリカにやってきた
)

 N : The musicality of the poems is the words, and Mr. Einstein dared to touch music. This is
 real crime. If his theory were correct, I would become a great musician like Handel and Gluck.

 (詩の音楽性は言葉であり、アインシュタイン氏は思い切って音楽に触れた。これが実際の罪である。もし、
 彼の理論が正しいなら、私はヘンデルやグリークのような偉大な音楽家になったであろう。
)

 I : Excuse me, if you were a musician, so his theory would be correct.
 (失礼ながら、もしあなたが音楽家なら、彼の理論は正しいだろう。)

 N : I am a part of the light and it is the music. The light fills my six senses: I see it, feel,
 touch, smell, feel and think. Thinking of it means my sixth sense. The particles of the light
 are the written notes. A stroke of lightning can be an entire sonata composed with one or
 more instruments. A thousand strokes of lightning is a concert. For this concert a ball
 lightning is created, which can be heard on the icy peaks of the Himalayas.

 (私は光の一部であり、それは音楽である。光は私の六感を満たしている:私は、それを見、感じ、触れ、
 嗅ぎ、感じて考える。それを考えることは私の第六感を意味している。光の粒子は書かれた記録である。
 光の投射は、一つまたはそれ以上の道具で構成された完全なソナタであることができる。何千もの光の
 投射はコンサートである。このコンサートのために、一つの球電光が作られ、それはヒマラヤの氷の頂上
 で聞くことができる。
)

 I : I do not still understand why you are so hostile to Einstein.
 (私はまだ、なぜあなたがそこまでアインシュタインに敵対的かを理解していない。)

 N : He committed a sin against Pythagoras and mathematics, a scientist cannot and should
 not sin against these two. Numbers and equations are signs marking the music of the sphere.
 If Einstein had heard this sound, he would not have created the theory of relativity. These
 sounds are a message to remind that life has meaning, that the universe exists in perfect
 harmony and beauty is the cause and effect of creation. This music is an eternal cycle of
 stellar heavens. The smallest star is a completed composition, and a part of the celestial
 symphony. The human’s heartbeat is a part of the symphony of the Earth. Newton realized
 that the secret of the geometrically regular model is the movement of celestial bodies. He
 acknowledged that the harmony is the supreme law of the universe. The curved space is
 chaos, chaos is not music. Albert Einstein is a messenger of the confused and agitated
 time.

 (彼は、ピタゴラスと数学に対する罪にかかわりあっていて、科学者はこれら二つに対して罪を犯すことは
 できないしすべきではない。もしアインシュタインがこの音を聞いてきたなら、彼は相対性理論を創造しな
 かっただろう。これらの音は、宇宙が、創造の原因と結果である完全調和と美の中に存在しているという、
 生命が意味していることを思い起こすメッセージである。この音楽は恒星天の永遠のサイクルである。最も
 小さい星は完成された成分であり、天のシンフォニーの一部である。人間の心臓の脈動は、地球のシンフォ
 ニーの一部である。ニュートンは、幾何学的定常モデルの秘密は天体の運動であることを理解した。彼は、
 調和が宇宙の超越した法則であることを知っていた。曲がった空間は混沌であり、混沌は音楽ではない。
 アルバートアインシュタインは、混乱しかき乱された時間のメッセンジャーである。
)

 I : Mr. Tesla, can you hear this music?
 (テスラーさん、あなたはこの音楽を聴くことができますか?)

 N : I can hear it all the time. My spiritual ear is as big as the sky above us. My natural ear
 is expanded with the radar. According to the theory of relativity two parallel lines will meet
 in infinity. It is like to say that Einstein’s curve becomes linear. Once created, the sound
 lasts forever. For a person it may disappear, but it continues to live in the silence that is
 its greatest power. No, I have nothing against Einstein. He is a kind man and has done good
 things, some of which will become part of the Music. I will write to him and try to explain
 that the ether exists, and that its particles are what keep the universe in harmony and life
 in eternity.

 (私はそれをいつでも聞くことができる。私の精神的な耳は、我々の上にある空のように大きい。私の自然の
 耳は、そのレーダと共に広がっている。相対性理論によれば、二つの平行線は無限で出会う。それは、アイ
 ンシュタインの曲がりが直線になると言っているようなものである。いったん作られると、その音は永久に
 続く。一人の人にとってはそれは明らかではないが、最大のパワーである静粛性の中で生き続けている。い
 や、私はアインシュタインに敵対するものは何もない。彼は親切な人であり、そのいくつかは音楽の一部と
 なるよいことをしてきた。私は、彼に対して書き、エーテルが存在することとその粒子は、宇宙を調和の中
 に、生命を永遠の中に維持しているものであることを説明しようと試みた。
)

Nikola Teslaは抒情的表現をよく使う感がしているため、わかりにくいところがありますけど、「調和が宇宙の超越した法則
である」という信念を有していて、かつ繰り返しですが、前述の「ニコラ・テスラなぜ不当な扱い」E〜Jで引用した1889〜
1892年の実験研究で彼が発見し得た結論が彼の反相対論主張に強く反映されている気がしています。そして、最後の言
葉には決してEinsteinを毛嫌いして感情的に攻撃をしているわけではなく、本質を理解してもらいたいという強い希望ゆえ
のことであることを意図しているというのが十分伺えました。ま、「試みた」で終わっているので、Einsteinはどこまで理解し
たか不明ですけどね。インタビュー日付が示されていませんので、いつ頃のものかは不明ですが、1930年代らしいです。
ちなみに、前に、続・相対性理論への疑念(31)〜G.O.Mueller調査報告紹介再びB〜で示したように、1920年代アメリカは
相対性理論批判センタの一つだったようで、また、アインシュタイン, "Einsteinians"、そして・・・で述べたように、アメリカ物
理界において、戦前はGRTとEinsteinはあまり評価されていなかったという事実が示されてきています。前述のMM実験
のMichelson(アメリカで最初にノーベル物理学賞を授与されました)もDayton Millerもアメリカ人でした。

もう一つ、TeslaがEinsteinと相対性理論に反対していた理由として、Einsteinや多くのEinsteiniansはローレンツ変換式から
そう考えていると思うのですが、「光速cを超えるものは何もない」と主張しているのに対し、Teslaが1889〜1892年の実験
研究で見出した創意工夫により発明した装置から放射される、彼が"Radiant Energy"と名付けたものは、Maxwellの横波電
磁波とは完全に一線を画すもので、その伝搬は「超光速」であることを見出していたことが挙げられます。
これは私に言わせてもらえば、そもそもの導出過程を無視して、単に結果の数式からだけで考えている「数学的幻想」でし
かない「タキオン」とはまるで異なるものです。この超光速については、前述のNikola Teslaの誰も成功せず無視されてし
まった1889〜1892年の実験研究(1897〜1899年のColorodo Springsでの実験研究はこの実験がベースになっています)の
再現実験に唯一成功している(ビデオデモで発表/1985年)Eric Dollerd氏も実証観測していると言明されています。

Nikola Teslaが1889〜1892年の実験研究(天賦の発明の才を生かして構築した画期的装置と深い洞察、そして悉く検証実験
を行ったもの)は理解されず、敵視までされて無視されてしまいましたが、彼が発見した"Radiant Energy"の装置は特許化し
ており、現象は複数の当時の有識者が目撃していて、かつ、それを元に実用化を目指していた「ワイヤレス送電」について
も小規模外部実験に成功していましたから、単なる「脳内思考・妄想」などではありません。真摯な科学論議と研究継承が
なされていたら、テスラが人類にとって極めて貢献できたはずのもう一つの柱になっていた可能性は多大です。

科学界は前世紀の初めに、完全に「ボタンの掛け違い」をしてしまったのです!!
('18/5)

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