続・相対性理論への疑念(25)〜Einsteiniansの思い込み〜
私は本コーナーで、"Relativity"に関しては、"Relativity"そのものよりむしろ"Einsteinians"
(relativists/Einstein's supporters/Einstein's believers)への批判に多くを割いてきました。
その大きな一つの思いは、再三指摘してきたのですが、彼らが明らかに、反対者を「理解
できない低脳」と見下している(口に出して誹謗中傷している人もいる)くせに、彼らのこの
理論に関する説明が決して「金太郎飴」になっていないことへの不信感があったからです。
それゆえ、私は、大変失礼ながら、彼らは自分では理解した気になって悦に入っているだ
けに過ぎないと悟ってしまったのでした。
そういう論議は国内サイトではあまり目にしていなかったのですが、海外サイトでは既に
それに言及し、過去を調べてなぜそうなったのかについて指摘されている方がおられまし
た。非常に興味深い話です。
学者やネット上で、「自分の理解・知識だけが正当だ」と信じ込まれてそういう言説をなさ
れている方達がいますが、実体を知るなら、「ちゃんちゃらおかしいわ!」ですよ。
すなわち、それは「あなたがそう思い込んでいるだけですよ」ということです。
ちょっと話がずれますが、これ、どこかに追記で既に書いたかもしれませんが、実に興味
深い隠されて来た史実を目にしました。Einsteinがノーベル賞候補にノミネートされたとき、
結局、彼の「相対性理論」は受賞対象にならず、「光量子仮説」のみが受賞した真の理由
を知ったのでした。それは、当時のノーベル科学賞の委員会委員長がすぐに自ら隠すこ
ともないとパーティで言明したそうです。当時のフランスの有名な哲学者が、「時間・空間」
の課題であって「哲学」に分類されるものとした(その前に、Einsteinは彼と公開討論会で
相当やり合ったそうです)ことから、「科学」ではないとして「科学賞」を与えなかったという
ことだそうです(「光量子仮説」は純粋に科学に関する物としてこれだけに賞が与えられた
ということのようですが、Einsteinは相当不本意だったらしく、その後、大人げないという
か、自分の授業ではこの「光量子仮説」については何も言わなかったとか。いやはや。)
ま、まだ、19世紀の「自然科学(natural science)」部門が自然哲学(natural phylosophy)」
部門の下にあった名残があったのかもしれませんね。何か完全に分離してしまった現状
で考えると不思議ですけどそういうことだったのだと思いますね)。
そういうことで、1910年〜1930年代、"special relativity & general relativity"については、
科学(物理学)者だけでなく哲学者からも沢山教科書が出版されたそうです。
で、科学哲学&科学史部門の学者が博士論文(哲学)のためにそれらの約2500冊の教
科書の中味を念入りに調べたそうです(by Prof.Dr.Klaus Hentschel, Substitute Dean of
Philosophical-Histprical Faculty of University of Stuttgart)。で、
The abundance of contemporary interpretations of Einstein's
theories of relativity between 1910 and ca. 1930...
(1910年と1930年の間のEinsteinの相対性理論の同時代の解釈
の豊富さ...)
という言葉が出てきています。年代に留意してください。まだ、Einsteinがアカデミア学
者になる前からアカデミアに迎えられた後まで、物理学の基本パラダイムとして完全
に確定される前の頃で、若きEinsteinはばりばりの頃です。で、この方は更に、こんな
ことを書いています。
By 1920, Einstein had become tired of repeatedly counterring
the antirelativists eith the same arguments. So, philosophers
with strong pro-relativistic opinions like Reichenbach and
Petzoldt took over the defence of his theories, by inevitably
evoking norms and arguments stemming from their own
interpretational framewarks.Now the Einstein opponents responded
to these defenses by confusing relativistic statesemts with
the corresponding philosophical interpretations by Einstein's
defenders.
(1920年までEinsteinは同じ論争で繰り返し反相対性理論者の攻撃を
受けるのに疲れていた。それで、ReichenbachやPetzoldtのような強
い相対性理論賛同意見を持つ哲学者は、彼ら自身の解釈枠組みか
らの必然的に引き起こした規範と論拠によって、彼の理論の防衛を
引き継いだ。今や、Einsteinの相手は、Einstein防衛者による相当す
る哲学的解釈の混乱した相対論的論述により、これらの防御に対応
したのであった。)
結局、これらの異なった、Einsteinの相対性理論の支持者になった人たちによる哲学
的見地は、彼ら自身のEinsteinが彼らに意味したものの誤解釈を主張していたわけで
当然ながら、Einsteinは彼の相対性理論によって意味するものをよりはっき
りさせるべきであったが、驚くべきことに彼はそれをせず、他者がその異
なった解釈を思いつくままにしていたのです。
明らかに、このことは、
Einsteinは(特に"Special relativity"に対して)ご自分の
きちんとした解釈を提示しなかった
ことに他なりません。
これは何を意味するのでしょうか?下記のいずれか以外には考えられませんね。
@Einstein自身がよくわかっていなかった
A自分自身の"relativity"を守るため全てsupporterに任せた
私は両方だろうと思っています。すでに書いてきたように、"Special Relativity"の思考過程
について「黙して語らず」だったそうですし、しょっちゅう、"canged in mind"だったそうです
から(これらはEinstein's supporterの方達が過去を調べて書かれています)。
そして、続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜で言及したように、英語版が出た
時にEinstein以外の科学アカデミアの誰かが巧妙に修正していることからも伺えます。
いずれにしろ、Anti-relativistのHarry Rickerと言う方が指摘しているように、
(Correct Derivation Of Lorentz Transforms Eliminates Contradictions Of Einstein's Relativity)
The theory of relativity is a controversial topic largely because
it is a diverse and confusing subject. The confusion is deepended
by the fact that the theory as currently understood is not a single
coherent theory, but a diverse collection of theories integrated
into a pachage which is taught in textbooks.
(相対性理論は大変物議を醸した話題である、なぜならば、それは
さまざまで混乱を招いている課題であるから。その混乱は、現在
理解されている理論が単一の首尾一貫した理論ではないという事
実に依存しているが、理論のさまざまなコレクションは教科書で
教えられている一つのパッケージに統合されている。)
です。
前に私が気になって来たことで言及しPopperの弟子で師匠の論に反対だったLakatosの
の指摘を再度見てみましょう。
Lakatos distinguished between two parts of a scientific
theory: its "hard core" which contains its basic assumptions
(or axioms, when formally and explicitly), and its
"protective belt",a surrounding defensive set of "ad hoc"
(produced for the occasion)hypotheses. (...)
In Lakatos' model, we have to explicitly take into account
the "ad hoc hypotheses" which serve as the protective
belt.
The protective belt serves to deflect "refuting" propositions
from the core assumptions..." >
(Lakatosは科学理論を二つの部分に分割した:
その基本的な仮定(または公式に明白に設定されているときは
原理)を含む"hard core"と周囲を防御する一組の"ad-hoc"な
(このときのために生み出された)仮説である"protection belt"
(中略)。
Lakatosのモデルにおいて、我々は特に保護ベルトとして支え
ている「ad-hoc仮説」を特に考慮すべきである。
保護ベルトはコアな仮定から「論駁される」命題をそらす役目
をしている)
"Special relativity"の"hard core"はpostulateTとUでしょう。
それ以外は皆、"protection belt"です。そこに色々な解釈が入って来たのです。
結局のところ、その様相は、"religion(宗教)"と同じなんですね。色々な解釈というのは
宗教における宗派と全く同じです。ご本尊自体がさせるに任せていたくらいですから、
自分の解釈が唯一正当だなどというのは単に「信仰」でしかないわけです。
恐るべきことは、前に、続・相対性理論への疑念(2)〜奇妙な側面A〜などで引用した
のですが、近年、海外のrelativists(相対性理論学者)の中には
Dave Slaven: "Einstein's first postulate seems perfectly
reasonable. And his second postulate follows very reasonably
from his first.
How strange that the consequences will seem so unreasonable."
(Dave Slavan:「Einsteinの第一posutulateは完全に合理的である。
そして、彼の第二postulateは彼の第一のものから非常に合理的
に導かれる。その結果が不合理に見えるということがいかに奇妙
であるか」)
(ここ)
とか、
Lubos Motl: "The second postulate of special relativity morally
follows from the first one once you promote the value of the speed
of light to a law of physics which is what Einstein did."
(Lubos Motl:「特殊相対性理論の第二postulateは、あなたが
Einsteinがなしたものである物理法則に光速値をあっせんする
ならただちに第一postulateから道徳的に導出される」)
(ここ)
とか挙句の果てには、
Tom Roberts: "As I said before, Special Relativity would not be
a non-zero photon mass, as Einstein's second postulate is not
required in affected by a modern derivation (using group theory
one obtains three related theories, two of which are solidly
refuted experimentally and the third is SR).
So today's foundations of modern physics would not be threatened."
(om Roberts: 「前に言ったように、Einsteinの第二postulateは現代的
導出においては必要がないので、特殊相対性理論は質量0の光子に
よって影響を受けない(群理論を用いて、三ッつの関連した理論を得る。
そのうち二つは、しっかりと実験的に反論されていて、三番目はSRで
ある。それで、今日の現代物理学の基本は脅かされたりしないだろう)
(SRは"special relativity"のこと)
などという学者も現れ、彼らは自分のstudentsにそれを教えているのです。
こんなあまりに"ad-hoc"な言い分まで飛び出すことを不思議に思わないでしょうか?
私は「そもそも『ナンセンス』なものだから、なんとでも言えてしまう」のだと
思っています。
大変失礼なことを言うのですが、草創期から、各学者が自分で解釈してそれをご自
分のstudentsに教え、studentsの中でその「魅力」に魅せられた方が先生の教えを
ベースにして更に自分で考えて次世代に伝えて・・・これが繰り返されて今に至って
いるのだろうと思います。ですから、繰り返しますが、
「自分の理解・知識だけが正当だ」と信じ込まれてそういう言説をなされ
ている方達がいますけど、「あなたがそう思い込んでいるだけですよ」
('16/5)
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