続・相対性理論への疑念(31)(’17/5)

〜G.O.Mueller調査報告紹介再びB〜

(@で示したように、本項は、紹介PDFの95 Years of Criticism of the Special Theory of Relativity
(1908-2003)
からの引用です。)

前項Aの続きです。前項同様、Chapter2からの引用です。

"The fairy-tale of relativity and the facts(相対性理論のおとぎ話と事実)"という小見出しのつい
た小節で、相対性理論に係るラフな(そう明記されています)な「年代記(chronology)」が示されて
います。私が本コーナーで真の科学史として紹介してきたものも沢山記載され、更に詳しいです。
下手な和訳だけ示しておきます(興味のある方は上記サイトをご覧いただければ幸いです)。

1801-1905  特殊相対性理論(1905)以前の、相対性理論に反する発見を有する出版物

1908-1914  フェーズ1第一次世界大戦前の批判;主にドイツの著者;1912に最初の
          アングロサクソン人著者のエントリー;フランス人Georges Sagnacの回転干
          渉計での実験と肯定的結果。特殊相対性理論の基本的批判は論駁されて
          来なかった;その理論には実験的証拠はなく、種々の実験結果がその理論
          を論駁している 。


1914-1919  第一次世界大戦の間に、重力を統合した第二理論(一般相対性理論)が出
          版され、ドイツにおいて直ちに批判がなされた:1918年にA. Einsteinはその
          批判に答えるまれな論文の一つを与えている:ついで、P. Duhem
          E. Guillaumeと共に、重要なフランスの著者がその場面に入っている;劇的
          な発展はない


1920-1922  フェーズ21919年の日食観測は一般相対性理論を確定したと偽りの主張
          がされ、人類最大の成功であるとして称賛されている−基本的に、研究者
          の希望的観測思考とミスリードにより操作され、何も確証していないと最初
          にイギリスの著者、ついで、ドイツの著者と、特にA. Einsteinの訪問を通し
          てのプロパガンダが大衆の心を支配した全ての西側諸国の著者に批判さ
          れた;主な批判は言語により[次のように]グループ化されている:


   English: L. Silberstein; H. I. Newall; Sir Oliver Lodge; Sir Joseph Larmor; A. Fowler;
        Ch. L. Poor; Dayton C. Miller; A. N. Whitehead;

   German: Ph. Lenard; P. Weyland; E. Gehrcke; Oskar Kraus; F. Lipsius; G. Mie; H.
        Dingler; M. Palagyi; F. Adler; Franz Brentano; H. Fricke; J. Riem; L. Ripke-
        Kühn; W. Andersen; L. Höpfner; Wilhelm Karl Wien; H. Strasser; R.
        Weinmann;

   French: J. Maritain; J. Le Roux; H. Bergson; M. Dubroca; M. Gandillot; E. Guillaume;
        P. Painlevé; P. Lévy;

   Italian: G. Gianfranceschi; P. Pagnini; E. Rignano;
   Other languages: H. A. Lorentz; S. Lothigius; A. Phalén; A. Rodriguez de Prada;
        M. Greeve;


1920      A.Einsteinはエーテルに異議を唱えた15年後、Leiden(オランダ)における
          コンフェランスにおいて、一般相対性理論におけるエーテルの必要性を
          認めている


ここには次のような批判的注釈がつけられています。何度も何度も書いていますが、全く「真摯
な科学論議」などというものは「相対性理論」に関してはなかった
ことを如実に証明していますね。
反対ビラまきの話は初めて知りました。「ドイツ」ではとあるのは、このプロジェクトはドイツ人に
よりドイツ国内でなされたものであるゆえです。ちなみに、上記分類されたこのフェーズ1での批
判科学者に「A.Einsteinが歴訪した全ての西側諸国」とあるのに、日本人科学者名はありません。
日本は調査から除外されているのか、それとも、やっぱり、日本人科学者は「おおおかみ」に従っ
ていて「おかしい」という声をあげる方がいなかったのか・・・。「真摯な科学論議」で生き残ったの
だなどとたわけたことを堂々と嘯いている人がいる日本ですからねぇ(怒)

   一般相対性理論の力説された成功は、相対性理論学者によって特殊相対性理論
   の継続であるという偽りの主張に用いられているが、批判は、[それらは]互いに相
   反していて、それゆえ、無用な構成であることを宣言している。
   このフェースは、1922年に、Leipzigでの科学組織の世紀の祭典"Gesellschaft
   Deutscher Naturforscher und Ärzte"(ドイツの科学研究者と物理学者社会)で終わ
   っている;相対性理論批判にはどんな会議も認められず、どんな批判議論も持たれ
   、相対性理論はドイツの「科学コミュニティ」において、新しい科学宗教として引き
   継がれている。相対性理論の批判は、祝典会場の外の路上でなされ、彼らの間の
   ドイツの大学からの有名な物理学教授19人の科学者によって述べられた反抗のチ
   ラシが配られた。
   ドイツでは、1922年以来、今日まで、アカデミー物理学における授業と研究の自由
   は撤廃されている。


1923-1927  フェーズ3全ての西側諸国では、批判は継続され多くの新しい著者に
          よる出版とともに成長した。Dayton C. Millerの実験とめいめいのPasadena
          コンフェランスと共にアメリカは他の批判センターになっていた;ハイラ
          イトは[次の通り]である:

   (1)1924年の「国際哲学会議」
   (2)未回答のままであった O. KrausのA. EinsteinとM. v. Laueに対する「公開書簡」
   (3)1925年の明確にエーテルドリフトを示す肯定的結果のクリーブランドでのDayton
    C. Millerの実験
   (4)1927年のCaliforniaのPasadenaにおける、最も卓越した関係者:Michelson, Lorentz,
    D. C. Millerとともの「Michelson-Morley実験についての会議」

私がこれまで知って本コーナーで紹介したのは(3)だけでした(^^;(4)は初耳です。驚きです。

1928-1945  フェーズ4批判は同じ国で増加する著者と共に続いた。
          第二次世界大戦中、活動は下火になり、1948年まで停滞した。


ここにも批判的注釈がつけられています。まず、

   ドイツでは1922年以来、批判的著者はアカデミー物理学から厳しく締め出され、
   それゆえ、両方の相対性理論への批判議論は、『Ensteiniansの恐怖』に反抗し
   て1931年に出版された"Hundert Autoren gegen Einstein"[Einsteinに対抗する
   百人の著者]というタイトルの小冊子に集結した。小冊子は Hans Israel, Erich
   Ruckhaber,Rudolf Weinmannによって編集された。


と書かれています。ドイツ人グループゆえに自国の歴史を詳細に調査できたようですね。
そして、その後に隠されたり虚偽の説明がなされてきた重要な調査結果が示されています。
要約しておきます。

 ・複数の相対性理論学者(Einstein本人は言っていない)が警告しているような
  反ユダヤ(Antisemitism)に関しては何もないこと


これについては、未だに、そういうデマを信じて「反対者は『反ユダヤ』だ」というデマを飛ばして
いる相対性理論学者(relativists)がいるそうですし、ネット上では真相も知らないで、Einsteinが
ユダヤ人だったから相対性理論にノーベル科学賞が出なかったのだというデマを堂々と飛ばし
ている輩がいます(真相は前に書きましたように、そのときの選定委員会の委員長が明言してい
たことがもう暴露されています)。調査の結果、1920-1944年の間にドイツで出版された批判本
及び論文570件中、"Antisemitism"のものはわずか約3%(14人の著者の17個だけ)だったそうで
す。しかるに相対性理論学者は、反対派を封じ込めるために、それを逆手に取って、前述のよ
うなデマを飛ばし、それが批判を沈黙させる"Black mail"になったと批判されています。
そして、それどころか驚くべき事実を示しています。

 ドイツにおけるナチ支配の時代、ナチ党の科学者と本人も認めたアカデミアの
 相対性理論学者が1940年11月ににミュンヘンに集まり、特殊相対性理論は物理
 学の受け入れられた基本であると考えるべきであることに合意した;これはナチ
 政権下での事実である。


どうですか?驚くべき話です。「反ユダヤ(Antisemitism)」の総本山たるナチが政権支配して
いたドイツ自体において、ユダヤ人Einsteinが創設した相対性理論をそのナチの党員だった科
学者自身によって物理学の基本であることに合意したということ−いかに相対性理論学者らが
嘘八百を並びたててむしろ批判者をsuppressionしたかが明々白々になっていますね。
前述でも "terror of the Einsteinians"と書かれています。続けます。
 ・この種々の国の著者からの批判要約について相対性理論学者は決して答え
  なかったし、一般大衆も重要視しなかった。
  A.Einsteinは、もし批判に何らかの実際の理由があるなら一人の著者で十
  分であるとコメントしたと言われている。
  相対性理論学者の自信は、批判には理由がなく答える必要性はないという
  ものである。


1949-1952  フェーズ5戦後の批判活動の再開は、各々がある批判的立場を伝える
          重要な記事の集合であった;イタリアが他の批判センターであった。


不案内ですので、説明の要約だけ示しておきますと、所謂「冷戦」により旧ソ連の内部情報が西
側諸国では一般には伝えられなかったのですが、どうやら「スターリン主義」のイデオロギー的
立場でイタリアではイタリア語で紹介するものが発行されたということのようです。
(雑誌名:"La fisica sovietica")。その中で、Einsteinの亡くなった1956年だけを除き、旧ソ連の科
学者の間では西側諸国での厳密な科学的批判と変わらない相対性理論批判が多くあったことが
示されているようです。
ここでは、皮肉的に、

 おそらく、相対性理論学者は望ましくない相対性理論批判が「普通の」言語では埋も
 れているのを見て幸せだっただろう


と書かれています。そして、

 イタリアの様々な著者の中におけるいくつかの新しくなされたものは、実質的には、
 全てただイタリア人の中だけで有益な出版物を提供し、イタリア以外では未知の疑
 似的なものであった


として、Majorana, Quirino([1921-]1947-1956)、Tonini, Valerio(1948-57)、Dell’Oro, Angiolo Maros
Garavaldi, Orestina(1950)、Ottaviano, Carmelo(1950-52)を上げています。

その後に、この頃の本当に隠され続けて来た重大な史実が示されています。驚きました。
1954年6月にドイツのConstance湖にあるMainau島で4人のノーベル賞受賞者による定例会議
において、なんとFrederick Soddyという方が、「原子崩壊の発見のより広い側面:数学的理論
と実験事実の矛盾
」と題したコンフェンランスを持ち、それは、

 Soddyの主要な課題は、恐らくMainau島での彼の聴衆に歓迎されなかったであろう
 A. Einsteinの相対性理論の基本的・劇的批判であった


ようです。しかしながら、第二次世界大戦後の今度は西側諸国とソ連・東側諸国と間の「冷戦」
が影を落としました。

 Soddyの[西側諸国の科学者からは]望まれないコンフェンランスが[西側国家では]
 望まれない雑誌で出版された

と述べられています([ ]内は私の注です)。これは、このSoddyのコンフェランスがスターリン主義
ソ連の影響を受けた陣営による、英米の核実験に反対するイデオロギー的プロパガンダに利用
されたということです。そのため、Soddyのコンフェランスは疑似的な「一つの秘密」扱いにされて
きて、[このプロジェクトドキュメントを出す]ほんの10年前までは、極秘で決して出版されないもの
としてほんのわずかの批判家により引用されてきただけだったそうです。

1956-1960  フェーズ6地球を回る最初の人工衛星が宇宙飛行の技術的可能性
          を示し、特殊相対性理論の双子のパラドックス[すなわち]相対性理論
          によって偽って主張されている旅から戻った双子は地球に残っていた
          双子より若いというideaに新たな現実を与えたか?


これについてはこんな話が示されています。
有名な相対性理論学者で1940年に相対性理論の教科書を出していたHerbert Dingleという方が
なんと、1956年に、双子の一人は他の一人より若くなるという相対性理論学者のideaを批判する
「相対性理論と宇宙旅行(Relativity and space travel)」という課題を開始し、このideaは相対性原
理(Principle og relativity)に反している
と判断したそうです。Dingleの疑問のポイントは

 もし全ての系が相対的に同じ位置づけにあるなら、どのようにして、その系が[他よ
 り]若いままでいることができるのか?


というものだったそうです。これこそ、まさに、これまでA.Einsteinも相対性理論学者も曖昧にして
言わずにごまかしてきた、大きな一つの重要な論理矛盾点
なんですよね。それに対して当時の
有名な相対性理論学者の中から批判が出ていたということは極めて重要なことです。彼は39の
論文と本を出したそうで、1972年に出した「交差点の科学」という本の中では、科学コミュニティ
による「公正さからの意識的な出発」に疑念を呈しているそうです。これを受けて、このドキュメン
トでは

 言い換えるなら、一般大衆は今日まで、科学コミュニティにより誑かされ騙されて来た

と、私が本コーナーで批判しているのと全く同様な強烈批判が示されています。

このフェースにおける批判の新しい中心地(center)はオーストリア(Austria)だったそうです。二つ
の雑誌が創刊され(1957年:"Wissenschaft ohne Dogma"−1958年に"Wissen im Werden"と改題、
1959年:"Neue Physik")、全て科学批判とくに相対性理論物理学批判に専念していたそうです。
オーストリアでは更に1957-1962に両相対性理論に対する二巻の批判集が出版されたそうです
(Karl Sapperによる"Kritik und Fortbildung der Relativitätstheorie"等。Sapperの論文は大部分
がドイツ語によるものだったそうですが、 A. Grünbaum, V. Tonini, K. Benedicks, P. Moon and
E. Spencer.によって英語によって貢献したそうです)。

このフェースでの重要なeventとして以下が示されています。

 (1)1955年以後、ソ連では、彼らの最も有名な著者Vladimir A. Fok(”Fock”)があきらか
  な相対性理論専門本を装って一般相対性理論についての種々の批判の声を上げて
  いるけれども、どんな批判も遮断し、公式的に国際的に受け入れられた相対性理論
  を支持することを決定した。

 (2)1956年以来、スペインの著者Julio Palaciosが両方の相対性理論批判に専念した
  論文とともに長い期間を開始した。

 (3)驚くべきことに、1958年に日本の湯川秀樹博士が原子力平和利用についてのUN
  コンフェランスの間、Genevaでのコンフェランスで特殊相対性理論を批判する報告
  した。

 (4)1961年、ドイツにおいて、相対性理論物理学の基本的批判での新しいプログラム
  が開始された:「Erlangenプログラム」(活動拠点がErlangen-Nürnberg大学であった
  ため)。その意図するところは、彼らが"Protophysics"と称している、実際の物理学
  の前提条件、距離と時間の測定を考え解析することにあった。彼らは、1919-1939
  のドイツの卓越した批判者の一人Hugo Dinglerのideaを継続的に発展させている。
  その中心的ポイントは、−測定の概念と、ものさし・時計のような測定具の構成に
  ついてのideaは全ての物理学以前の人間の構築と理論である−道具は理論に応
  じて構築され、なんであれ道具は、それにより体系化された理論を変えることはで
  きない−という発見である。このことから、時計によるどんな時間の測定も特殊相
  対性理論によって偽って主張されているようにそれ自身時間を変えることはできな
  い。
  主な批判論文は、Paul Lorenzen, Peter Janich, Holm Tetens, Rüdiger Inhetveen
  になされた−我々の知る限り、この批判プログラムとその代表者は、科学批判者
  によってさえ、ドイツ語圏以外では受け入れれれなかった。


(3)には驚かされました。わざわざ文頭に"As a surprise"と書かれています!あの、初の日本人
ノーベル物理学賞者の湯川博士です。残念ながらここにはどのような批判がされたのか記され
てはいないのですが、そして、私はもろもろの情報から湯川博士は相対性理論に疑念など抱か
れていなかったと思っていましたので本当に驚きました。事実なら、国内でなかったゆえに正直
な思いを吐露されたのかもしれませんね。

で、注目すべきは(4)です。ネット上でそういう指摘をいくつも目にし、私も疑念を感じてきたことは
既にずばり同じことを考えていたアカデミア物理学者がいたという歴史的事実を示しています。

また、(1)ですが、日本語訳だけなのか全部なのか調べていませんけど、少なくとも日本語訳の
ものがウェブ上から抹消されてしまったらしい、前に「特殊相対性理論」への疑念(全面改定版6)
で引用紹介したロシアの若き物理学者の反相対性理論ウェブ論文に書かれていた旧ソ連科学
アカデミーの決定というのは実にEinsteinが亡くなった1955年になされたというわけだったんで
すねぇ。

1977-1984  フェーズ7この期間はかなりの批判的出版の増加で特徴づけられる;
          1979年の Albert Einstein生誕祭は多くのプロパガンダ集会や出版物を
          生み出したが、また、批判者自身の組織化と出版も生じさせた。
          二つの新しい雑誌が発行され、一つは優れた論文集で、国際的会議の
          論文である


紹介されている上記に書かれている新しい雑誌と、優れた論文は以下の通りです。

雑誌
 1978:"Speculations in science and technology"(オーストリア)
 1978:"Hadronic journal"(アメリカ)


論文関係
 19791937-1953の間に27個の批判論文を出版したHerbert Eugene Ivesによる特殊
     相対性理論への基本的な批判がAlbert Einstein生誕祭の「丁度そのタイミング」
     での他の著者の相対性理論批判論文の貢献とともに没後に彼の論文の記念版
     が受け入れられた。⇒The Einstein myth and the Ives papers


Herbert Eugene Ivesと言う人は原子時計のパイオニアの一人だそうです(既にこれまで本コーナ
で紹介してきたように原子時計のオリジナル発明者は英国物理学研究所勤務だったLuis Essen
でこの方も相対性理論反対者の一人で反対論文を出していたそうです−そのため相当な抑圧
を受けたと自ら書いています。期せずして原子時計のパイオニア二人までも反相対性理論者で
あったというわけですなぁ)。これと併せて、Dean Turnerによる"The Einstein myth"、J. J. Callahan
による"Euclid or Einstein"、他者による論文やコメント/Richard HazelettとDean Turner編集、
Old Greenwich, Connの"Devin-Adair 1979. 313 pp"などが出されたにも係らず、アカデミア物理
学からは完全に無視されたそうです。反論でなく「無視(put outside)」されたのです!
・・・ま、そう批判してもEinsteiniansは詭弁・屁理屈を呈して逃げるでしょうが。

 1982 International Conference on Space-Time Absoluteness (ICSTA)

この期間の新しい論文:
 L. Parish: The logical flaws of Einstein’s relativity. 1977.
 N. Rudakov: Fiction stranger than truth. 1981
 M. Santilli: Il grande grido. 1984


1987-1997  フェーズ8四つの雑誌、コンフェランスから抽出された種々の論文集、
          三つの重要な本がある


雑誌
 1987:" Apeiron": journal of inquiry into infinite nature. Montreal, Quebec: C. Roy
      Keys Inc.
 1988:" Physics essays": an international journal dedicated to fundamental questions
      in physics. Ottawa: Dollco.
 1990:" Galilean electrodynamics": experience, reason and simplicity above authority.
      Boulder, Colo.: Galilean Electrodynamics.
 1990:" Deutsche Physik": international glasnost journal on fundamental physics.
      Graz (Austria): East-West-Publ.


論文集
 1987Progress in space-time physics. Ed.: James Paul Wesley. - Blumberg (Germany)
      1987. 280 pp.

 1988Convegno Internazionale “Galileo back in Italy”, Bologna, 20-23 maggio 1988.
      Bologna: Andromeda 1988. 24 pp.

 1988Internationaler Kongress für Relativität und Gravitation, München, 22.-24.4.1988.
      Ed.: Emil Andrej Maco. - Hannover: Int. Vereinigung zur Fortentwicklung d.
      Naturwiss. 507 pp.

 1990Conference on “Foundations of Mathematics and Physics”, Perugia (Italy),
      27.-29.9.1989. Ed.: U. Bartocci, J. P. Wesley. - Blumberg (Germany) 1990.
      383 pp.

 1991International Conference on Space and Time in Contemporary Natural Science.
      2. 1991, St. Petersburg (Russia), 14.-21.9.1991. - The conference papers’
      collection volume has not yet been found in library catalogues.

 1993Fundamental questions in quantum physics and relativity: collected papers
      in honor of Louis de Broglie. Ed.: Franco Selleri. - Palm Harbor, FL:
      Hadronic Pr. 1993. 184 pp.

 1994-1995Frontiers of fundamental physics: proceedings of an International
      Conference on Frontiers of Fundamental Physics, Olympia, Greece, 27.
      -30.9. 1993. Ed.: M. Barone, F. Selleri. New York: Plenum Pr. 1994.
      601 pp. - Additions in a second volume titled: Advances in fundamental
      physics. 1995.


重要な本
 1986Phipps, Thomas E., Jr.: Heretical verities. - Urbana, Illinois: Classic Non-Fiction
      Library 1986. 637 p.

 1986Bourbaki, Georges A.: Der Sündenfall der Physik. - München: Aether-Verl.
      1990. 206 p.

 1986Collins, Harry M. / Pinch, Trevor: The Golem: what everyone should know
      about science. 1. ed. Cambridge: Univ. Pr. 1993. 164 p. - Of special interest
      is the 2. ed., revised after severe protest by the relativists and answers of
      the authors in an appendix: Cambridge 1998. 192 p.


重要な本としては1997年以降の次のものも示されています。

 1997 Galeczki, Georg / Marquardt, Peter: Requiem für die Spezielle Relativität.
      Frankfurt a.M.: Haag u. Herchen 1997. 271 p.

 2002 Magueijo, Joao: Faster than the speed of light. Cambridge, Mass., 2002. 279 p.


本プロジェクト報告は1995年から95年間のものの調査結果であり、既に言及したように、ドイツ
語での第二版は2004年、そして、英語版はこのガイダンスpdfにあるようにそれの翻訳として
2006年に出されたものです。しかしながら、複数メンバーによるプロジェクトだったとしても、よく
調べたものです。そして、こういうcriticismが科学界(物理学界)内に沢山あったという事実は極め
て重大なことだと思います。それをこれまで科学コミュニティは一般大衆に隠してきたという恐る
べき史実!我々一般大衆は誑かされ騙され続けてきたのです!

そこの、アカデミア物理学者でもないのに、「相対性理論は正しいのだ」「Einsiteinは"Genius &
hero of science"だ」と信じて、反相対性理論者を「物理学を知らない低脳・ばか」と嘲笑罵倒して
いる皆さん、あなたがたは科学コミュニティから馬鹿にされて誑かされ続けて知らないままに彼ら
の先兵になって彼らの利益に貢献している馬鹿馬鹿しさに気が付いていただきたい。
そして、「相対性理論学者」以外のアカデミア科学者の皆さん、自分を偽り続けることをやめませ
んか?決して「真摯な科学論議」で生き残ってきたわけではないという史的事実に目を開いてくだ
さい。
誤解されている方がいらっしゃるようですが、こんなものはどんな解釈論を出してきても無意味な
のです。相対性理論学者は、例えば「聖書」の解釈が宗教学者や宗派によって違うのと同じこと
を「科学」の名のもとにやってきたのです−ご自分の解釈だけが正しいのだと・・・。
大笑いです。最初に出した張本人自身が全く自分の理論を理解していなかったばかりか、無責
任にもまるきり矛盾するような心変わり(change in mind)してきたことが暴露されているのです。
1920年にLeiden大学において、はっきりと「光(電磁波)の伝達にはエーテルが必要である。」と
公式にそれまで言って来たことと反対のことを公言しているのです。おまけにそのとき、それを
(敵対していたフランス派の)Lorentzに言うとまで公言していたのです。論理的に考えれば、これ
は完全に「特殊相対性理論」のpostulateU(光速一定の原理−Einsteinのは「全ての慣性系で
測定して同じ値cだというもの−)とは矛盾することは中学生でもわかることです。

科学コミュニティが嘯いている「多くの証拠がある」なんていうのは嘘八百です。勝手に証拠だと
言っているだけです。だからこそ、理論生誕以来このような批判が科学界の中に綿々と続いてき
たのです。Einsteinの独創は根拠なく彼が信じ込み、仮定と言わず"Postulate"と称した二つの彼
の勝手な定義の「原理」を矛盾しているにもかかわらず一つにしただけのところです。それ以外は
悉く、Lorentz-Poincaréのideaのぱくりです。
はっきり言って、「古典物理学」の神髄をわかっていなかったA.Einsteinが数式だけ見て脳内妄想
ででっち上げた代物でしかなく、そんなものなのに同じく「物理」を知らず、「数学的心」ばかり強
い連中が魅せられてしまってきただけです。「おかしい」と感じるのは決して「低脳」だからではあ
りません。「おかしい」と感じるのは自然で正当な判断です。論理矛盾の塊だからです。そして、
真にだれもぐ〜の音も出ないような実証観測結果があるなら別ですが、そんなものは金輪際な
いのです。「裸の王様」なんです(国内だけでなく欧米でもそういう主張が複数ありました)。

まだまだ章は続くのですが、特にまとめられていたこの歴史的史実を示したくこの項をしたため
ましたので、今回の引用紹介シリーズはまずはここまでとします。(また、後日続けるかもしれま
せん)

 ('17/5)

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