アインシュタイン, "Einsteinians"、そして・・・(’17/3)
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本項は前にUPしていた「こういう発言があるのですが<Einstein」を全面書き換えしたものです。
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多くの方々は今もそうでしょうが、私も還暦前までは、「科学好き」であったこともあり、「科学」は
「客観的」できちんとした実験観測証拠に裏付けられ、真摯な科学的論議の中で確立してきたも
のだと思い込んでいて、また、それに従事している「アカデミア科学者」という方達は優秀だと思
い込み、かないませんでしたが憧れさえ抱いたこともありました。
そんな私の価値観を一変させてしまった発端は、繰り返し書いてきていますが、たまたまネット
上で見た複数の方達の「反相対性理論」主張を目にしたことでした。私は「科学好き」な理系の
末端の輩ですけど、「面白い」とは思っても、所謂「魅入られてしまったり」はしない人間であるた
めか、多くの人が魅入られてしまっている気がする「特殊相対性理論」にも全然魅入られたりせ
ず、20代の頃に翻訳版のブルーバックスを1冊読んだ切りで、詳しく調べてみようという気を起さ
せるモチベ自体、長い間ありませんでした。やっと50代になり、偶々これも翻訳の啓蒙書を本屋
で目にし、なぜそんな気になったのか記憶がないのですが、買って読み、で、そのときは、何か
わかった気になっただけでやはり魅了されたり不思議に思ったりなど全然せず、またそのまま本
棚入りしただけでした。工学部出身で技術系の仕事をしてきた私にとっては、学生時代も社会人
になってからも、直接「相対性理論」には縁などなかったこともありましたしね。
ま、ネットでたまたま「反相対性理論」主張を目にしたいきさつについては前に書きましたので省
略しますが、それが発端になって、すぐに単にANTI-RELATIVITYの仲間入りしただけでなく、
長年冒頭で書いたような私のそれまで綿々と抱いて来た科学に対する思いが消し飛ばされてし
まい、それらが原動力になって、「石橋をたたいても渡らない」ことさえある私ゆえに、自分の個
人HPでありながら、思ったこと・言いたいことをそのまま書くことをなるべく控えてきた私にとって
は、それこそ「清水の舞台から飛び降りる」ような蛮勇をふるって、本コーナーを追加で設けてし
まい今に至っています。
結局のところ、教えられ伝えられてきた「科学史」「科学者像」というのは、「勝者が書いた歴史・
伝説」でしかなく、真相とは程遠いもの−有名科学者像の多くはおとぎ話でしかない−、それゆ
え、冒頭で書いた綿々と私が思い込んできたことは、科学者自身がそう信じているのか、はたま
たまた、大変失礼ながら(ネット上で、私のような揶揄に対して「科学者を侮辱している」などと怒
る「科学(従事)者」がいますから)、ご自分達のステータス維持のために一般下々を誑かしてき
たかは不明ですけど、単なる「伝説」でしかないことを悟ってしまったのでした。勿論、真の立派
な「ほんとう」の科学者もおられることは十分存じていますけど、必ずしも「有名科学者」=「ほん
とうの科学者」とは限らないとだけは主張しておきます。
そんな「有名科学者(物理学者)」の最たる人で、多くの方々が"Genius and Hero of science"だと
思い込み(綿々とそういう風に一般下々が思い込まされてきたというのが真相ですが)、彼が創設
した「相対性理論(Relativity)−『特殊相対性理論(Special Relativity)』『一般相対性理論(General
Relativity)』」は「量子力学」ともども20世紀後の「現代物理学」の2大基本パラダイムとなり、特
に彼が1905年に発表した『特殊相対性理論(Special Relativity)』は"Holy Theory"扱いされてき
たその人、Einsteinについてはその実像すなわちなしてきた言動、そして科学界における彼の実
際の位置づけなどは一般下々には"Einstein is Genius & Hero of science"ということだけ喧伝さ
れ、科学界にとって不都合なものは悉く隠されてきました。しかるに、インターネットの発達によ
り、特に古い資料が沢山ある発祥地でありかつ基本パラダイム化を確定した欧米では近年、そ
ういう20世紀中には隠されて来たものが次々に暴露されてきています。
本コーナーでは、特に「続・相対性理論への疑念」として、特に私が海外サイトから知りえたこと
を多く紹介してきましたが、本項では、更に、Einstein自体の思考や科学界が彼をどう扱ってい
たか等、これまで紹介してこなかったことについて引用紹介しながら私の感想をしたためたいと
思います。
尚、タイトルにある"Einsteinians"について注釈をしておきます。
欧米の「反相対性理論者(Anti-Relativity)」の中に、「アインシュタイニアン(Einsteinians)」という
用語を用いる方がいて、私もそれに倣い、あえて、本コーナーでは"Einsteinians"という用語を用
いてきました。「ニュートニアン(Newtonian)」という用語があり、それをもじったもののようで、本・
新聞・雑誌・メディアそしてインターネット上でアインシュタインを讃え、相対性理論を正しいと強
調されている方々に対して、彼らから長く"Cranks","Cranke","fool"などど罵倒されて来たことに
対抗するものであることは間違いありません。他には、"Einstein's supporter"というのもあります。
日本では、「アインシュタイン信者」とか「相対性理論信者」とか(中には居直ってかそれを自ら名
乗る方もネット上に見受けられますが)、こういう言葉はどうもそのま使うのに抵抗があるゆえ、
私はEinstein's supporters/Einstein's believers/relativity's believers/relativists等を総称して本コー
ナーでは、この"Einsteinians"という用語を使っています。
さて、"Einstein is genius and Hero of science"と思っている方は多いと思いますが、どれだけの方
が真のEinsteinの実像をご存知でしょうか?Einsteinがどのような言動していたかご存知でしょう
か?多分、"Einstein is genius and Hero of science"と思いこまれている−大変失礼ながら「思わ
されている」/言うならば、科学界・メディア等によりそう洗脳されてきた−方々は、大変失礼な
がら、せいぜい"Einsteinians"が、Einsteinの言わば「神格化」の意図でEinsteinに都合がいい言
動だけを集めた「名言集」くらいしかご存知ないのではないかと思います。しかしながら、彼も一
介の「人間」にすぎません。彼は「私は天才ではない」と述べたという話を目にしていますが、私
に言わせてもらうなら、これは、殊更、"popular symbol"(後述)扱いされたことに対する「はにか
み」だろうと思います。そして、私は事実その通り(天才でも何でもない−もっと言うと、実に身勝
手で『無責任』な人−)と思っています。
そんなわけで、作り上げられた嘘で固められた「偶像」を、暴かれた真相を拡散することによって
まずは破壊し続けることが、そのために余計に"Holy Theory"扱いされてしまっている−海外サ
イトでは"Divine Abert's Divine Theory"という揶揄されているAnti-Relativityの方もいる−「特殊
相対性理論」を、そういう純粋な科学とは無縁の先入観で考える・語ることの愚かさを糾弾する
こと−"Relativity"を教義としている「Einstein教」の排除−で、純粋な科学議論の対象にするた
めの先決問題だろうと思ってやっています。
勿論、日本では発行されていない本も多く、ただ漫然と欧米サイト検索してもあまり出てこない
のですが、幸い、本当にこまめに、色々な方が調べられたこととそれのその方のスタンスからの
解説・感想などをまとめられた本やウェブ記事を探し出してきて、それらをコレクション的に引用
し、議論サイトでのarticleや(制約のない)らしい一般science essayサイトにscience essayとし多数
投稿されておられる方がいて(そういうのを発見しました)、真実を知る手掛かりとして重宝してお
り、これまでも、直接検索で得たものだけでなく、そこから得た情報も多数アップしてきました。
例によって前置きが長くなりましたが、本項は、最近、その中からきちんと読み直し、興味からリ
ンクを辿って読んだウェブ記事などまだ紹介していないか、紹介が中途半端だったものなどを標
題に関係したものとして引用言及しているものです。
今回の主引用元は、the general science Journalというサイトにあったscienc essayです。そこに多
数science essayを投稿されているRoger J. Andertonという方(氏素性は不案内ですが、どうやら
在野の物理学研究家らしく、ウェブ上にあるWorldwide science.orgで検索しましたら顔写真はあ
りました。過去に本を出されているようで、その本の中身の概要を示されているサイト記事があ
りました⇒Einstein-conspiracy)のもの(彼がそこに投稿しているもののリストは、Papers written by
Roger Andertonにあります)で、今回の対象はその中の、
@"Einstein admits his 1905 special relativity theory is nonsense"(2012/9UP)
(Einsteinは彼の1905年の特殊相対性理論はナンセンスであると認めている)
A"The Suppression and Resurrection of Einstein’s Relativity"(2014/11UP)
(Einsteinの相対性理論の抑圧と復活)
です。尚、この方は、近年色々と露呈しているEinsteinの講演、言動、友人宛書簡等から一貫し
て"Einstein's change in mind"の指摘と、Einsteinがそれを明確に表明してこなかったことに
対する批判をされていて、どうやら、Poincaré及び忘れられた存在のBoskovichを支持し、ANTI-
"Einstein's and Einsteinian's Special Relativity"のスタンスの方のようです。
私の考えは、必ずしもこの方の主張とは一致するわけではなく、例えばこの方はその引用から
@の標題のような結論を導かれていますけど、これまで紹介してきた他からの情報を勘案して
そこまでは断定できないだろうという見解です。したがいまして、本項はこの方の主張を全面的
に紹介するものではなく、そこで引用されていたことからの私独自の見解を述べようというもの
です(勿論、同意するところは示しますが)。
まず、@からです。
海外サイトでは多くのANTI-RELATIVITYの方々が、Einsteinが1905年に発表した「特殊相対
性理論(Special Relativity)」とその前年の1904年にLorentzが発表した"Lorentz Ether Theory"は
「数学的に同等」と主張されています。今や見捨てられた"Lorentz Ether Theory"はほんの断
片的にしか紹介されていませんが−「エーテルによる短縮」という考え方はMichelson-Morley実
験を受けてその2年後に、FitzGeraldという方が先に述べた(論文にはしていない)考えをLorentz
が参考にしたものですが、大抵の方は最初からLorentzが考え出したと誤って思われていると思
うくらいのレベルでしかなく、FitzGeraldなんて人の名前もご存知でないしょうね。私もご多聞に
漏れず海外サイトを漁り出すまで知りませんでした−その理論の数学的なところについては前
にANTI-RELATIVITYというサイト記事を参考にして彼が「ローレンツ変換」を導出した数学的
過程の私の推測をLorentz ether theory?というarticleでしたためています。ちょっと見た目には
「どこが同じ?」と思うかもしれませんが、Einsteinのオリジナル論文をよく読めば、本質的なとこ
ろでは結局は同じことをしていることに気が付くと思います。このことについては、前に「特殊相
対性理論」への疑念(全面改定版5)で引用したように(出展は不明ですが)、その理論を理解で
きなかった誰かが
theory mathematically based upon ether's effect on light could describe
an etherless environment
(光へのエーテルの影響に基づいてなされた数学理論がエーテルの無い環境
を記述できた)
と述べたのをEinsteinは知り、1930年頃までにはそれを認めたという話もあるようです。それどこ
ろか、これも既に全く別の方のサイトからの引用としてニコラ・テスラ〜なぜ不当な扱い?(3)で
引用しましたが、" Walter Isaacson, Einstein: His Life & Universe, New York: Simon & Schuster,
2007, p. 318"というところに、なんとずばり、
1920年、Leiden大学における、「相対性理論のエーテルと理論」についての講演で、
Einsteinは、波のような性質を持つからエーテルは存在し、伝達媒質として必要で
あると公然と述べた。彼はLorentzにこの点を明らかにすることさえ書いた。(※1)
と書かれているそうです。ネット上で、「Einsteinはエーテルなど認めていない」と反論力説されて
いる方がいましたけど、こういう事実を知らないまま、1905年当時のEinsteinの言説で頭が化石
化してしまっている"Eisteinians"ですね(笑)。「不都合」ゆえか、無視され隠し続けられてきた彼
の重要な言説であり、私は間違いなく、この頃までにEinsteinは1905年当時から"changed in
mind"していたことは明白です。
いずれにしろ、件の方は(どうやら、Einsteinは1905年当時、"Special Relativity"を作って"ether"
を単に否定したというより)、当時のEinsteinと、前年1904年に"Lorentz Ether Theory"を発表した
Lorentzそして仲間であったPoincaréらとは、寄って立つ「哲学」に大きな相違があったと主張さ
れています。ま、私は、私自身にとって、「哲学」というもののイメージが未だ曖昧なところがある
ためかもしれないのですけど、Einsteinのこれに限っては「哲学」を変えたというのとはちょっと違
う気もしていますけど、以下に引用するものを見ると、そういう風に見るのが妥当なのかもしれま
せん。
Lorentzや同僚の Poincaré ら哲学の基本は、それまでの科学界においてはその物性は解明され
てはいませんでしたけれども共通の基本的概念であった「エーテル("ether"−現在は"Aether"
と称せられています−)」にありました。その19世紀までの科学界の共通の概念としての"ether"
は単に19世紀になって、それまでの1世紀以上、Newtonの威光に従って主流であった「光微粒
子説」が実験観察による否定的結果に終わり、「光は波動である」ことが確定したときに出てき
た所謂 「光学的エーテル(luminor ether)」に限ったものではなくもっと本質的なもの−空間(space)
は決して"empty"ではなく、未だ直接検出はされてはいないが、物理現象に深く関与する媒質
(medium)が充満している("luminor ether"は19世紀にその一つの性質として加えられたもの)−
というものです。物理学者、電気工学者は知っているはずなのに口を濁してごまかしていますけ
ど、Maxwellの「オリジナル」の方程式(散々主張してきましたが、現在教科書等で教えられてい
る「マックスウェルの方程式」はMaxwell's Original Theryを無視してHeavisideがMaxwellの死後
に米国のGibsが創設しHeavisideがその確立に協力したできたばかりのベクトル演算法の適用
第一号として「数学的に」書き換えた、言わば「改ざんした」もの−したがって、欧米サイトではそ
のことを知った多くの方が"Maxwell-Heaviside Equations"と称しています−)については、先に
1855年に彼が出している最初の論文(10年がかりで1865年に最初の"Maxwell original equations"
を完成しています)でははっきりと"medium"="Ether"を前提にしていることが書かれています。
一方、少なくともEinsteinは1905年の論文を出した時点では、一般には単に「エーテルを否定し
た」とだけ伝えられていますけれども(それで、19世紀後半には研究が進んでいた"ether"研究
が一挙に多くの当時の科学者から見捨てられてしまったという指摘をしている方も海外サイトに
おられます)、このRogerという方は、その時のEinsteinの「哲学」は「『物理学理論』においては、
直接観測できない"ether"などを想定してはいけない」というものであったというような主張をされ
ています。その根拠として(件の方は、そこから@の表題のような主張をされているのですが)、
量子力学に反対したEinsteinの二つの対話を上げられていますので引用紹介しておきます。
一つは、Mary Thurstonという方がQuantum Mechanics: A Not-Too-Technical Introduction, Marty
Thurston (from: Isaacson, Walter. (2007). Einstein: His Life and Universe. Simon and Schuster, NY)
というところに記載しているものの引用のです。
・対話1:当時新興の「量子力学」に対するEinsteinと友人のPhilipp Frankとの間の会話
Einstein:“A new fashion has arisen in physics, which declares that
certain things cannot be observed and therefore should not be ascribed
reality”.
Frank: “But the fashion you speak of was invented by you in 1905!”
Einstein: “A good joke should not be repeated too often.””
Einstein: 「物理学に新しいファッションが起きて来た、それは、あるものは観測
できなくて、それゆえに現実を語るべきではないことを宣言している」
Frank: 「しかし、あなたが話すファッションは1905年にあなたによって発明され
た!」
Einstein:「よいジョークはめったに繰り返すべきではない」
和訳が下手なので余計にわかりにくいかもしれませんが、Einsteinは新興だった「量子力学」の
ことを「新しい『ファッション』」と皮肉な言い方で批判しています。で、その「ファッション」ですが、
「直接観測できないものを元に(現実に即した)物理学を語ってはいけない」(※2)
という哲学のものだと言う事でしょう。で、私は友人Frankのそれに対してなした驚き(「!」がつい
ています)の応答を重視しています。彼は"was invented by you in 1905(1905年にあなたによっ
て発明された)"と言っています。この発言から、(※2)というのは、「19世紀までの科学界にお
ける哲学ではなく、Einstein自身が最初に始めたもの」ということを如実に示していると思
います。具体的には、Einstein自身が1905年に「特殊相対性理論(Special Relativity)」を発表した
際、「(直接検出されていない)エーテル」など不要−エーテル否定−であるとして、実質的には、
前年1904年にその「エーテル」をベースにして権威Lorentzが発表した"Lorentz Ether Theory"に
対する自分の"Special Relativity"の優位性を主張したことです。まさにそのときEinsteinは(※2)
というスタンスであったすなわち(※2)という「哲学」を打ち出したということでした。Frankの驚きは
それをきちんと把握していた上でのものだということです。
で、これに対するEinsteinの応答をどう解釈するかですが、Einsteinの近年暴露されてきている
発言を見ていますと、意味深で曖昧さが相当含まれていて、ずばり明瞭なものは少なく(悪く言
うとかなり「ごまかし」的発言が多い気がしています)、私にはこれもその一つに思えます。これ
以上は元記事には引用されていませんのでその後どういう会話がなされたのかは不明ですが、
少なくともFrankの発言には「!」がついていますので、「揶揄的なジョーク発言」でなく真に驚い
た−友人としてEinsteinが1905年に打ち出した(※1)を少なからず支持していたはず−ことは明
白でしょう。ですから、"good joke"というのはFrankの発言を指して言っているのではないことは
明らかです。また、明確にFrank発言自体への否定的反論をしていません。したがって、Frankの
指摘自体にEinstenは反論しようがなかった、すなわち認めたということになります。で、その上
で出て来た応答が、"good joke should not be repeated too often"だったわけです。元記
事の著者は、そもそも「量子力学」について論じている中でこれを引用していて、最初のEinstein
の発言のみにしか言及していませんが、これを孫引用している件の方は、このFrank発言とそれ
に対する(私にとっては理解しがたい)このEinsteinの応答の方を特に重視されて(そのために引
用されたのですが)、
(So Einstein is referring to the philosophy underpinning quantum
mechanics as a “fashion” - and this “fashion” was started by Einstein,
and Einstein considered it a joke.
そう、Einsteinは量子力学を支えている哲学を「ファッション」として言及している
−そして、この「ファッション」はEinsteinによって始められ、Einsteinはそれを
ジョークと考えたのである。)
とし、その上で、
Applying that back to his 1905 theory-he was now considering the
philosophy under which that was built as a joke. The philosophy was
one of rejecting the ether, and so given he abandoned that philosophy
then it is back to what Lorentz was insisting that the ether was existing.
(1905年の彼の理論に戻ってそれを適用すると−彼は今や、ジョークとして構築
されたことの元にある哲学を考えていた。その哲学はエーテルを拒絶するもの
であり、彼がその哲学を捨てたことを考えると、それはLorentzがエーテルは
存在していると主張したことに戻っていることになる)(※3)
と主張され、更には、
i.e. Einstein’s change of mind was that he was admitting his 1905 theory
was nonsence.
すなわち、Einsteinの心変わりは、彼が自分の1905年の理論はナンセンスである
ことを認めたことだった(※4)
と断定されています。もう前述の(※1)のようにEinstein自身は早くに1905年当時は否定していた
「エーテル」を認める発言を明確にしています(現在まで科学界は素知らぬ顔で無視を決め込ん
でいますが)ので、論理的に言えば(※3)は間違いのない所でしょうが、(※4)というのは本人は
生涯直接認めていませんので、真相は不明です。ま、そもそも、1905年のこの「特殊相対性理
論の発表」が、彼を、わずか5年後の1910年には一介のスイス特許事務所職員から念願のドイ
ツ科学アカデミア界に「物理学者」として連ならせたわけですから、おいそれと「間違っていまし
た」などと言うわけにはいかなかったと言うのが真相じゃないかなと私は思うのですが・・・そう
いう思いが"joke"の前に"good"をつけさせたのかなと言う気もします(あくまで私の推察です。ど
うもこの"good"が気になります)。
ま、この短い会話からだけでは「Einsteinが遅くとも量子力学批判をしたときには1905年当時の
自己の『哲学』を変えた」と納得されない方もおられるかもしれませんが、それを裏付けるもっと
公式的な対話が記録として残っています。それは「不確定性原理」で有名なHeisenbergとの対談
で、Thomas Knierimという方が引用されているものだそうです(引用元が空白ページで読めませ
んので引用元記載は省略します)。
・対話2:「量子力学」を推進していた有名なHeisenbergとの対話
(“Der Teil und des Ganze” by W. Heisenbergからの翻訳とのことです)
Heisenberg: “One cannot observe the electron orbits inside the atom.[…]
but since it is reasonable to consider only those quantities in a theory
that can be measured, it seemed natural to me to introduce them only as
entities, as representatives of electron orbits, so to speak.”
Einstein: “But you don’t seriously believe that only observable quantities
should be considered in a Physical theory?”
”I thought this was the very idea that your Relativity Theory is based on?”
Heisenberg asked in surprised.
”Perhaps I used this kind of reasoning”, replied Einstein, “but it is nonsence
nevertheless.[…] In reality the opposite is true: only the theory decides
what can be observed.”
Heisenberg: 「人は原子の中の電子軌道を観察できない[中略]しかし、測定で
きた理論におけるそれらの量のみを考えることは合理的なので、いわば、そ
れらを電子軌道を表すと同様の実態のものとして導入することは私にとって
は自然に見える」
Einstein:「しかし、あなたは観測可能な量だけが物理学で考えられるべきで
あると真面目に信じていないでしょう?」
「私は、これはまさに、あなたの相対性理論が基づいている考えだと考えて
いた」とHeisenbergは驚いて答えた。
「恐らく、私はこの種の論理を使った」とEinsteinは応じ、「しかし、それにもか
かわらずそれはナンセンスである[中略]実際は、反対が真実である:理論だ
けが何が観測されることができるかを決めている」
どうですか?Heisenbergも前述の友人Frankと同じ驚き−Einsteinがこともあろうに1905年当時の
「科学をなすスタンスないしは『哲学』を変えた」ということ−をしています。しかしEinsteinは彼ら
の「驚き」を「誤解」だという反論はしていないのです。むしろ当時の自己の哲学は指摘された通
りであったことを認めた上で、この場合はなんとそれを「ナンセンス」とまで言い放っているので
す。件の方は、この発言から、上記(※4)だと主張されています。
この対話については、Heisenberg自身も書いているようです(これも引用元は消えていました)。
引用がありましたが、煩雑になるので、一部のみ孫引用しておきます。
(..)“To my astonishment, Einstein was not at all satisfied with this argument.
He thought that every theory in fact contains unobservable quantities.
The principle of employing only observable quantities simply cannot be
consistently carried out."
「私が驚いたのは、Einsteinはこの議論に全く満足していなかったことであっ
た。彼は、全ての理論は、実際、観測されない量を含んでいると考えた。
ただ観測可能な量だけの原理は完全になされることはできないと。
それで、Heisenbergは
"And when I objected that in this I had merely been applying the type
of philosophy that he, too, has made basis of his special theory of
relativity, "
「そして、私がこの中で、私はただ、彼もまた彼の相対性理論の基礎を作った
哲学のタイプを適用してきただけだと反論したとき、」
として、前述のEinsteinの"Perhaps...observed."と応答があったことを示しています。
実は、それぞれの対話を引用紹介している二人、そして、対話2の対談相手のHeisenbergもこの
"Einstein's change in mind"にはそれ以上言及していません。あくまで、その対話時点における
Einsteinの量子力学を前にして示した「哲学」の相違に対するものとして引用されたものです。
しかしながら、件の方の嗅覚からは逃れなかった対談であり、確かにEinsteinの実像を知る上で
は看過できないものだと私は感じましたのでこの項をしたためることにした一因です。
ちなみに参考までに、Thomas Knierimの解説及びHesenbergの対談結果後の自身の考え等も
引用されていましたので、一部だけ孫引用しておきます。
まず、Thomas Knierimの方から・・・
"We can see the rift between Einstein’s intuitive and Heisenberg's empirical
approach."
「我々はEinsteinの直観力とHeisenbergの実証的アプローチの間の亀裂を見る
ことができる。」
"Although Einstein’s argumentation appears tricky, it is clear that he
believes in a reality independent of what we can observe, (..)In contrast,
Heisenberg believes that reality is what can be observed."
「Einsteinの議論はトリッキーに見えるけれども、彼は、我々が観測できるものと
独立した現実を信じていることは明らかであり、[中略]比較すると、Heisenbergは、
現実は観測できるものであると信じている[ことになる]。」
"The two philosophies seem incompatible at first."
「二人の哲学はまず相いれないように見える」
次にHeisenberg・・・その対話時点でのEinsteinの「哲学」に関する自分自身の思いが綴られてい
ます。
"He pointed out me that the very concept of observation was itself already
problematic. Every observation, so he argued, presupposes that there is an
unambiguous connection known to us, between the phenomenon to be
observed and the sensation which eventually penetrates into our consciousness.
But we can only be sure of this connection, if we know the natural laws by
which it is determined. If, however, as is obviously the case in modern
atomic physics, these laws have to be called into question, then even the
concept of “observation” loses it clear meaning. In that case, it is the theory
which first determines what can be observed."
「彼は、私に、観測のまさに概念はそれ自身既に問題を含んでいると指摘した。
彼が論じたように、全ての観測は、観測された現象と我々の意識に最終的には
浸透している感性との間には、我々に知らされている明白な結びつきがあるこ
とが前提になっている。しかし、我々は、もしそれによって決定される自然法則
を知っているなら、この結びつきを確かめることができるだけである。
しかしながら、もし、現代原子物理学における明らかなケースとして、これらの
法則に疑問を呼び出されるべきであるなら、「観測」の概念さえもそれの明確
な意味を失ってしまう。その場合、それは、最初に何が観測できるかを決める
理論になる。」
このHeisenbergの主張には私は一理あると感じています。例えば、「量子力学」というものの発
端になったのは、溶鉱炉の温度を理論的に推測するためになされた黒体による実験結果デー
タをどう解釈するかという所からスタートしていると聞き及んでいます。最初に「量子力学」あり
きの所謂"Experiment effect"とか"confirmation bios"が入った実験ではなかったということです。
一方で、Einsteinの「相対性理論」に対して、"relativists"がなした「証拠」と称せられるものの中
の「他者が他の目的でやったもの」に対するご都合主義的解釈を除く、「実証観測」なるものは、
明白にEinsteinがHeisenbergに対して示した「観測された現象と我々の意識に最終的には浸透
している感性との間には、我々に知らされている明白な結びつきがある」ことをそのままあから
さまに証明しているものですから、それを許したということは極めて矛盾した態度だと強く感じ
ました。私は、科学における「実証観測」というのはその意味で深く考え論じるべき大きな課題
であると考えています。
ただ、いずれも、件の方がこれを引用されて主張されている"Einstein's change in mind"について
のこれ以上のつっこみは示されていません。友人FrankもHeisenbergもこのときのEinsteinの発言
に驚いている−繰り返しますが、Einsteinが1905年に「特殊相対性理論」を発表したときに示した
元となる「哲学」を今度は自ら否定し、Heisenbergに対してはその「哲学」自体のことを"nonsence"
とまで言っている−のですから、なぜそのとき、彼らは、そういう哲学の元で作られ、その哲学に
基づいて自分の理論の、(前年にLorentzが発表した)Lorentz Ether Theoryに対する優位性を示
して来たこと(既に本コーナーで言及してきましたが、Einsteinらのドイツ派とLorentz及びPoincaré
らフランス派との間にずっと論争がなされていたわけでしたから、Einsteinはその時の仲間であ
ると思われるドイツ人のHeisenbergらをいわば裏切るような発言をしたということ)になぜ、もっと
突っ込まなかったのかそれが不思議です。
ちなみに、このHeisenbergとの対話についてのFeynmanが述べた見解が引用されていましたが、
引用意図は私がこの項を起こしているものとずれており、そのFeynmanの見解にも不同意です
ので大半は省略しますが、次のところだけ引用しておきます。Feynmanは
“Another thing people have emphasized since quantum mechanics was
developed is the idea that we should not speak about those things
which we cannot measure. (Actually relativity theory also said this.)"
「量子力学が発展するまで人々が強調していた他のことは、我々が測定でき
ないそれらの事柄について話すべきではないという考えである。(実際、相対
性理論もまたこれを述べていた)。
と述べていて、当時の「科学界」の「哲学」というか「スタンス」を追認しています。しかしながら、
私は、前述の友人Frankの発言を重視していて、「そんなものは、19世紀までの科学界の共通
認識でもなんでもなく、1905年に『Einstein自身が発明したもの』でしょ?」と反論したく存じます。
恐らく、当時はまだ科学界には19世紀までアカデミア学界では「『自然科学』が『自然哲学』の中
に置かれていて、科学研究のバックボーンには科学者個人の「基本哲学」があって、そこから、
このようなその見解が「哲学」から出てきているものになっているのですが、Einsteinという人は
それを本当に認識していたのかという疑いを抱いてしまいました(極めて穿った見方かもしれま
せんが)。友人FrankやHeizenbergからそれを指摘されて、ああいう取り繕うような応答をしたの
ではないかと思うのですがどうでしょうか?私はHeisenbergへの応答で、"Perhaps I used this
kind of reasoning"というのがすごく気になっているのです。
というか、次に引用紹介するある理論物理学者の主張(ほとんどその主張の根拠となる引用が
示されていませんので真偽の程は不明ですが)が真相をついているとしたら、Einstein自身の
「哲学的軸足」というのは、本質的に、対談相手の友人Frank、Heisenberg、そしてこれらを紹介
している二人やFeynmanの考えている「哲学的軸足」は完全にずれたものではないかと思うの
です。暴露されてきているEinsteinの語録を見ると、彼が"change in mind"を多々してきているの
は「事実」("Einsteinians"の方がわざわざそれを紹介されているということを私は重く見ています
−もっとも"Einsteinains"ですから、それらを都合よく「好意的」解釈をしていますが−)ですけど、
あまりにもそれが「安易」になされ、そのことに関して、明確な弁明をしていない−だからこそ、
"Einsteinians"は都合よい解釈をしているのですが−ということを考えてのことなんですが・・・。
いずれにしろ、科学界においては、一般的にはEinsteinは"Special Relativity"を発表した1905年
当時と"Quantum Mechanics"に反対した時の間で、よってたつ「哲学」を変えたという認識がなさ
れてきたということで、件の方が一貫して重視し主張されている"Einstein's change in mind"
に対しては、無視してきたか気が付いていないのか重要視されてこなかったようです。私は実に
そこに科学の問題の根深さを感じてしまっています。ぶっちゃけていえば、「特殊相対性理論」
が元祖Einsteinの手から離れて物理界の中で一人歩きしてしまったということです。対外的には
Einsteinが科学の"popular symbol"(後述)であることにより"Einstein's theory of Special Relativity"
ということになっていますけど、その実は、他の多くの科学者により「百家争鳴」の中で体系化さ
れ、最初のideaを出し、"popular symbol"化したEinsteinの名を冠し、"Holy Theory"扱いにした−
その実態は、私に言わせてもらえば、それこそ「ナンセンス」なものゆえに、百花繚乱で、各人が
勝手に解釈をして、「Aさんの『相対性理論』」「Bさんの『相対性理論』」・・・というもうまるで宗教
の「分派抗争」のような状態になっているのです。要するに、1905年のEinsteinの「特殊相対性
理論」の発表と当時の言動が、この約110年間、科学界(哲学界まで巻き込んで)を混乱の渦に
入らせたと言っても言い過ぎだとは思いません。ところが、元祖Einsteinは無責任にも、そういう
混乱など「どこ吹く風」で、発表から5年後に念願のアカデミア物理界に席を置くことになってから
一人抜け出して、平気の平左でしゃぁしゃぁと(※1)のような発言をしながら、それでいて、生涯
明確に自分が出し、20世紀物理学に大きな影響を及ぼした「特殊相対性理論」の否定撤回は
しませんでした。
ちょっと考えれば明らかですが、少なくとも(※1)という言動が記録されているわけですから、彼
は間違いなく1920年までには1905年に否定しそれが今にまで「真実」であるかのように信じられ
続けている「エーテル」の存在を認めたわけですから、ご自分の作った「特殊相対性理論」との
矛盾に気が付いていたはずです。しかしながら、それを生涯明言しなかったのはなぜかと言う事
です。そして、それを彼が明言していたらどうなっていたかです。
私は確かに現在では完全にANTI-TRLATIVITY派になりましたが、決してその"Relativity"を出
したからという理由でEinsteinを糾弾しているのではなく、また、"change in mind"自体を批判して
いるわけでもなく、私が彼に対して批判していることは、
(a)ご自分が1905年になしたことの重大さをあまりに軽く見ているのではないか?
(b)自分の言動に対する「覚悟と矜持」にあまりに欠けているのではないか?
(c)自分の"change in mind"を明確に示しておらず、自分の出した論文に対して
科学界・哲学界のなすまま放置していたではないか?
ということです。要するに、極めて人間的な「保身」からか、あまりにも「自己中心的」かつ「無責
任」であると感じていて、私はそのことを糾弾したいのです。
「人間」であるゆえか、その言説が時系列的に見ると明らかに変遷している−以前の発言と後
年の発言の間には明らかな「矛盾」がある−にもかかわらず、以前の言説には殊更触れない、
つっこまれても無視するかあるいは詭弁・屁理屈を弄して逃げる−方達が現に多々存在してい
ます。そして、彼らの"fellows"は同じく勝手に好意的に解釈して詭弁・屁理屈を弄して擁護する
という状況が往々にしてあります。海外サイトに「矛盾する」発言・事柄を、詭弁・屁理屈を弄して
両立するかのように正当化することを"double think"と揶揄している方がいました。そしてEinstein
と「相対性理論(relativity)」とりわけ「特殊相対性理論(Special Relativity)」に関してはそれが横
行してきた感を富にしているのです。
さて、件の人は、標題@に関係のあるもう一つの記事にも言及されています。これについては
興味があって全文を読んでみました。それはいわば、一つの理論物理学者の混迷と、その中で
現れてきた、これまで私が"Einsteinian"と揶揄してきた方々とはかなり異質な、自分達こそ「真
の"Einstein"後継者」だとして、現在の物理界の在り方に批判的−彼らをmaverick physicistsと呼
んでいる方もネット上におられました−主張をされているような方達の存在を知ったゆえです。
そういう方達の存在は、別リンクで発見したE and mc2: Equality, It Seems, Is Relativeという米国
のscience writerのDennis Overbyeというがちょっと古いですが2002年末にアップされていたウェ
ブ記事を読んで知りました。ここで引用紹介する記事もそうですが、どうやら、2004年?の「相対
性理論誕生百年記念祭」を迎えるにあたって、単に祝うだけではおかしいという声を上げた理論
物理学者らがいたようです。その後、現在どういう動きになっているのかわかりませんが、主流
権威筋からは"suppresion"を受けているのかもしれません(からめ手の推測ですが後述します)。
で、引用する記事は、Dr. Lee Smolin(上記のscience writer記事によれば、"gravitational theorist
at the Perimeter Institute for Theoretical Physics in Ontario"だそうです)という方によるEinstein's
Lonely Pathというものです。副題に"Surprisingly few theorists have the courage to emulate the
master of modern physics.(驚く
べきことに、ほとんどの理論[物理]学者は現代物理学のマスター
[下名注:Einsteinのこと]を見習う勇気を持たなかった)"とあります。2004年の記事です。
記事を紹介する前に、この方に関する別の情報がありましたので、重要性から先に引用してお
きたいと思います。これは、私が時々覗いているサイトGSJ Physics Forum
というところに毎日の
ように沢山の"ANTI-RELATIVITY"(それどころか、物理学と物理界自体への痛烈な批判攻撃)
のarticleを複数アップされてきているPenthco Valevという方のarticleの中に引用されていたもの
ですが、Dr. Joao Magueijo(上記のscience writer記事によれば、"Portuguese cosmologist and
professor in Theoretical Physics at Imperial College London"だそうです)という宇宙物理学者が
出されているという本 "Faster Than the Speed of Light: The Story of a Scientific Speculation"の
中にこのLee Smolin博士のことが出てきて次のような記載があるそうです。
“Lee [Smolin] and I discussed these paradoxes at great length for many
months, starting in January 2001. We would meet in cafés in South
Kensington or Holland Park to mull over the problem. THE ROOT OF
ALL THE EVIL WAS CLEARY SPECIAL RELATIVITY. All these
paradoxes resulted from well known effects such as length contraction,
time dilation, or E=mc2, all basic predictions of special relativity. And
all denied the possibility of establishing a well-defined border, common
to all observers, capable of containing new quantum gravitational
effects.”
「Lee[Smolin] と私はこれらのパラドックスについて2001年1月に始め、何か月
もの長い間議論した。我々はSouth KensingtonのカフェまたはHolland Parkで
その問題を塾考するために会った。諸悪の根源は明らかに特殊相対性理論
であった。 これらのパラドックスは長さの短縮、時間の遅れまたはE=mc2の
ような、全て特殊相対性理論の基礎的予測であるよく知られた効果からの結
果であった。そして、全ては、全ての観測者に共通で新しい量子重力効果を
含むことができるうまく定義された限界を確立する可能性を否定している。」
なんとこのLee Smolinという方とJoao Magueijoというお二人の「理論物理学者」は2001年に深く
長い議論の末に上記のような驚くべき結論「諸悪の根源は明らかに特殊相対性理論である」に
達していたということです。Joao Magueijo教授は、"a pioneer of the varying speed of light (VSL)
theory"だそうで、上記科学ライタの記事には
Dr. Magueijo said: "We need to drop a postulate, perhaps the constancy
of the speed of light."
Magueijo博士は述べた:「我々は、恐らく光速一定の仮定を撤回する必要がある」
(※6)
とありました。"the constancy of the speed of light"はまさに、「特殊相対性理論」の第二postulate
であり、それを否定するということは、1905年の「特殊相対性理論」を否定することになります。
「理論物理学者」の驚くべき"発言であり、まさに、"maverick physisists"の一人なのかもしれません。
但し、この(※6)の前に、
"Perhaps relativity is too restrictive for what we need in quintum gravity."
「恐らく、相対性理論は、我々が量子重力において必要なことに対してかなり
限定的なものであろう」
という発言が引用されており、また、このMagueijo博士の上記本から引用されているPenthco
Valev氏によれば、
"but teaches... general relativity"
「しかし・・・一般相対性理論を教えている」
そうです。このMagueijo博士や以下に記事を紹介するLee Smolin博士らは、どうやらEinsteinと
「一般相対性理論」否定派ではなく、これがアカデミア理論物理学者の思考と立ち位置の限界
だろうと思いますが、別の位置づけの"Einsteinians"であり、「相対性理論の『修正』」を目指して
いるようです。特にこれもPenthco Valev氏が引用してるのですが、Lee Smolin博士は、なんと、
2013年のインタビューで次のような発言をしています。前述の Magueijo博士の本の中の言及か
らすると、何かものが挟まったような「後退」発言に見えてしまうのは、これを批判的に引用され
ているPenthco Valev氏と、それを読んだ私だけでしょうか?
(⇒ここ)。
QUESTION: Setting aside any other debates about relativity theory for
the moment, why would the speed of light be absolute? No other speeds
are absolute, that is, all other speeds do indeed change in relation
to the speed of the observer, so it's always seemed a rather strange
notion to me.
LEE SMOLIN: Special relativity works extremely well and the postulate
of the invariance or universality of the speed of light is extremely
well-tested. It might be wrong in the end but it is an extremely good
approximation to reality.
QUESTION: So let me pick a bit more on Einstein and ask you this:
You write (p. 56) that Einstein showed that simultaneity is relative. But
the conclusion of the relativity of simultaneity flows necessarily from
Einstein's postulates (that the speed of light is absolute and that the laws
of nature are relative). So he didn't really show that
simultaneity was relative - he assumed it. What do I have wrong here?
LEE SMOLIN: The relativity of simultaneity is a consequence of the two
postulates that Einstein proposed and so it is deduced from the postulates.
The postulates and their consequences are then checked experimentally
and, so far, they hold remarkably well.
(QUESTION:当分の間の相対性理論についての他の議論を脇に置くとして、
なぜ、光速は絶対なんですか?他のものの速度は何も絶対ではない、すな
わち、他の全ての速度は観測者の速度に関して実際に変化し、それで、それ
は私にとってはいつもかなり奇妙にみえる。
LEE SMOLIN:特殊相対性理論は極めてよく、光速不変または速度一定性
は、かなりうまくテストされている。結局は間違っているかもしれないが、実際
とはかなり良い近似である。
QUESTION:そこで、もう少しEinsteinについて取り上げ、あなたにこのことを
尋ねさせてください:あなたは、Einsteinは同時性は相対的であることを示し
ていると書いています(P56)。しかし、同時性の相対理論の結論はEinsteinの
仮定(光速は絶対的であり、自然の法則は相対的である)から必然的な流れ
です。それで、彼は実際には、同時性は相対的であることを示していない−
彼はそれを仮定したのです。私はここで何か間違えていますか?
LEE SMOLIN:同時性の相対性はEinsteinが提示した二つのpostulateの
結果であり、それでそれは、そのpostulateから導き出されました。そのpostulate
とそれらの結果はそのとき、実験的にチェックされ、これまでのところ、それ
らはかなりうまく成立しています。)
どうですか?Magueijo博士が明らかにされている2001年の判断ってどこに消えたのでしょうか?
おくびにも出していません。このLEE SMOLIN博士の対応は、私の物理コミュニティに対する不
信感を増幅させただけでした。
おっと前置きが長くなりすぎました。では、このLEE SMOLIN博士の2004年の記事からの引用
紹介に入ります。以上の事情を勘案の上で眺めてくださいm(__)m
まず、
"So as we celebrate the 100th anniversary of Einstein’s great discoveries,
the question arises: How many professional physicists are Einsteinians?"
「Einsteinの偉大な発見の100年祭を祝おうとしているとき、[次の]疑問が生じ
ている:いかに多くの物理学専門家はEinsteinianであろうか?」
という発言があります。ここで彼の言う"Einsteinians"というのは、その前の文節で
"For more than two centuries after Newton published his theories of space,
time, and motion in 1687, most physicists were Newtonians. They believed,
as Newton did, (..)"
「Newtonが1687年に彼の空間、時間、運動の理論を発行した2世紀以上、
大部分の物理学者はニュートニアン(Newtonian)であった。彼らはNewtonが
やったように、・・・信じた」
に対応するものであり、この疑問文の直後で、
"The superficial answer is that we all are. No professional physicist today
doubts that quantum theory and relativity theory have stood up to
experimental tests, but the term “Einsteinian” does not exist."
「表面的な答えは我々全てがそうであるということである。今日物理学専門
家は量子力学と相対性理論は実験的試験に耐えていることを疑っておらず、
"Einsteinian"という語彙は存在しない。(※7)
と書いています。冒頭で、私が海外サイトで目にして使うようになった一部のANTI-RELATIVITY
の方が「相対性理論正しい派」(relativists[相対性理論学者]を含む)に対して呼称しているもの
とは全く一線を画すものでであることは以下を読むとわかりますので、ご留意くださいm(__)m
あえて言うと「別の"Einsteinians"」ということです。
上記(※)7の後の文章を少しまず示しておきます。強烈な皮肉が書かれています。
"There is a community of people scattered around the world who call
themselves relativists, whose main scientific work centers on general
relativity. But relativists make up only a tiny minority of theoretical
physicists, and there is no country where they dominate the intellectual
atmosphere of the field."
「自分自身を相対性理論学者と呼ぶ、その主要科学的仕事が一般相対性
理論に集中している世界中に分散する人々のコミュニティがある。
しかし、相対性理論者は、単に理論物理学者のごく少数を形成しているに
すぎず、彼らがその分野の知的空気を支配している国はない。」
誰かさんが聞かれたら目をむくような意見ですなぁ(笑)。Lee Smolin博士は重力理論物理学者
であり、「俺は『相対性理論学者(relativists)』などではない」と強調言明しているわけです。
その上で、
"Strange as it may seem, Albert Einstein, the discoverer of both quantum
and relativity theory, and hence clearly the preeminent physicist of the
modern era, failed to leave behind an intellectual following with any
appreciable influence. Why most physicists followed other leaders in
directions Einstein opposed is a story that must be told if this centennial
year is to be other than an empty celebration of a myth, unconnected to
the reality of who Einstein was and what he believed in."
「奇妙に見えるかもしれないが、量子力学と相対性理論の両方の発見者で、
これより、あきらかに近代の卓越した物理学者であるAlbert Einsteinは、
全てのかなりの影響で後に続くインテリを排して進むことに失敗した。
なぜ大部分の物理学者が、Einsteinが反対した方向での他のリーダに従っ
たかは、もし、この100周年が、Einsteinが誰であったかと彼が何を信じたか
の現実と結びつかない神話の空の祭典以外のものであるなら語らねばなら
ない物語である。」
と書いています。「大部分の物理学者が、Einsteinが反対した方向での他のリーダに従った」と
いうのは、「量子力学(Quantum Mechanics)」のことで、他のリーダとはボーアらのことでしょう。
先を続けます。
"He simply cared far more than most of his colleagues that the laws of
physics should explain everything in nature coherently and consistently.
As a result, he was acutely sensitive to flaws and contradictions in the
logical structure of physical theories."
「彼は彼の同僚の大部分よりもはるかに物理学の二つの法則は自然に
おける全てのことを首尾一貫して説明すべきということに簡潔に注意を
払っていた。結果として、彼は物理理論の論理構造における欠陥と矛盾
に実際、敏感であった。」
根拠を示さないまま、相当Einsteinを持ちあげていますよね?他の物理学者を批判的に示して・・・
そして、驚くべきことを書いています。
"Special relativity was the result of 10 years of intellectual struggle, yet
Einstein had convinced himself it was wrong within two years of publishing
it. He rejected his own theory, even before most physicists had come to
accept it, for reasons that only he cared about.
For another 10 years, as others in the world of physics slowly absorbed
special relativity, Einstein pursued a lonely path away from it.
「特殊相対性理論は10年間の知的奮闘の結果であったが、Einsteinは
それを発行して二年以内にそれが誤っていることに自ら確信を抱いた。
彼は、多くの物理学者がそれを受容してくる前でさえ、彼がただ気にか
かったという理由で、彼自身の理論を却下した。
他の10年間[下名注:1905〜1915年のこと]、物理学界の他者がゆっく
りと特殊相対性理論を吸収していたので、Einsteinはそれから離れて
孤独の道を追求した。」
ここまで読むと、理論物理学者(重力理論学者)であるこのLee Smoin博士は、Einsteinがなんと
まだ、物理アカデミア界に迎えられる前の1907年に既に、自分が1905年に発表した「特殊相対
性理論」の誤りに気が付いていたということを主張されている風に聞こえます。それをあえて書
いたのは前述の、2001年におけるMagueijo博士との半年以上に渡る議論の末問題があること
に気が付いていたゆえのことだろうと思います、しかるに、これに関して、極めて巧妙な言い回
しで続けています。
"Why? The main reason was that he wanted to extend relativity to
include all observers, whereas his special theory postulates only an
equivalence among a limited class of observers-those who aren’t
accelerating. A second reason was his concern with incorporating
gravity, making use of what he called the equivalence principle,
which postulates that observers can never distinguish the effects
of gravity from those of acceleration as long as they observe
phenomena only in their neighborhood. By this principle, he linked
the problem of gravity with the problem of extending relativity to
all observers."
「なぜ?主な理由は、彼は、相対性理論を全ての観測者を含むよう拡張する
ことを望み、一方で彼の特殊相対性理論は限られたクラスの観測者−加速
を含まない−の間での等価性のみを仮定している。第二の理由は、観測者
は彼らの近傍のみの現象を観察する限り、決して重力の影響と加速の影響
を区分できないという彼が、等価原理と称したものを利用して合体した重力
に関する彼の関心であった。」
そして、
"Einstein was the only one who worried about these two problems.
Meanwhile, other physicists came up with ways to incorporate
gravitational phenomena directly into special relativity. "
「Einsteinはこれら二つの問題に気を揉ませた唯一のひとであった。その間、
他の物理学者は、重力現象を直接、特殊相対性理論に組み込む方法で進
めていた。」
とまで書いています。要するにLee Smolin博士は、上記のEinsteinが「二年以内にそれが誤って
いることに自ら確信を抱いてそれを自らrejectした」のは、「特殊相対性理論では元々の目的−
「相対性理論を全ての観測者を含むよう拡張するには不適当」と判断したと主張されているわけ
です。私は(※1)の発言から、Einstein自身は本音の中では本当に間違いに気が付いていながら
それを生涯明言することを避けただけだと考えていますので、これは"Einsteinians"から離れなれ
ない極めてEinsteinの当時の動向を「好意的」に解釈したものと思います。いずれにしろ、これに
ついて彼は全く「根拠」を示しておりません。
引用しませんが、この方は、"Popular Symbol"にまつわる、よくある「好意的に作り上げられた」
伝説−私はあまり信用していません。全てを否定するわけではありませんが『おとぎ話』の一つ
でしょう(そういう思いをしている理由は続・相対性理論への疑念(11)〜Einsteinians〜で指摘し
ましたので繰り返しません−でしかない話を心底信じられているようです。この記事の根幹には
それ−「おとぎ話」的Einstein像が流れていますから。私がこの方を別の"Einsteinians"だと判定
しているのは、その「おとぎ話」的Einstein像を信じていることでこの方も実はEinsteinの亡霊から
逃れられていないと思います。
引用を続けます。
"By that time, Einstein had invented his second theory of relativity, which
he called general relativity. The experiment appeared to confirm the new
theory’s predictions. The result was announced on the front pages of the
world’s newspapers, making Einstein the first scientist to be a media star."
「その時[下名注:1919年のエディントンによる"いんちき"日食実験結果発表時]
までにEinsteinは一般相対性理論と称する彼の第二相対性理論を発見した。
その実験[下名注:上記エディントンの観測]は新しい理論の予測を確かにした
ように見えた。その結果は、世界の新聞の第一面で報知され、Einsteinを最
初のメディアスターとなる科学者にした。
と、「一般相対性原理(General Reativity)」の創出をEinsteinが「孤独の道」を歩んだ後に大きな
成果を得たとして、ここでも暗にEinstein以外の当時の科学者を下に見てEinsteinを讃えるかの
ようなことを書いています。
先にばらしておきますが、この方は「一般相対性理論(General Relativity)」自体を重視されてい
て物理界におけるそれの取り扱いには批判的な立場です。Einsteinの考えたことに従っていな
いという批判的立ち位置のようです。それが、前述の"How many professional physicists are
Einsteinians?"という問いかけや"relativists(相対性理論学者)"に対する揶揄に繋がっています。
実は、色々とEinsteinの暴露されてきている言説から考えますと、Einstein自身は特に「剽窃」と
いう攻撃からは外れたすなわち自分自身のidea−数学的には数学者のミンコフスキーの助けを
借りてはいますけど−である「一般相対性理論」を大切にしていた感がしています。この方が言
うように(よくある話のため引用は省略しましたが)確かにEinsteinは1905年に「特殊相対性理論」
を出すまで何年もの間−この方は10年間と述べていますが−考え続けたかもしれませんが、前
年の1904年にLorentzがLotentz Ether Theory"を出し、また、論文にはしなかったようですけど、
その論文は、確かにpostulateT(相対性原理)にそれと矛盾するPostulateU(Light -speed constant)
という(何も証拠の無い)「仮定」を入れて数学的展開をしているだけで、その概念の大半は既に
前年までにLorentzの研究仲間であるPoincaréが講演などで発表していたもの−そのことを論文
では一切referenceの形で言及せず、全て自分のideaみたいな構成になっているゆえ「剽窃」とい
う批判は正当であり、現に1907年頃にこれも暴露されていますが、とても正当化できないような
詭弁の類のような言い訳をしていたくらいですから、ある意味、本音のところでは「どうでもいい」
代物になっていたのかもしれません(特に1915年に「一般相対性理論」を完成し、1919年には、
一躍科学界初の「メディアスター」になっていわば"Popular Symbol"になってからの彼にとっては)。
但し、(※1)発言より後年、それほど経っていない1920年代にDayton Miller博士が出した論文(⇒
続・相対性理論への疑念(18)〜Dayton Millerの論文@〜、続・相対性理論への疑念(19)
〜Dayton Millerの論文A〜、続・相対性理論への疑念(26)〜マイケルソン=モーリー実験 &
Dayton Miller再び〜参照)に相当焦りまくった(恐らく、この論文はLorentz Ether Theoryの数学
理論をも否定していたからかもしれません)事実があります(Dayton Millerが書いています)し、
私が一般相対性理論と特殊相対性理論の間の連続性(「特殊相対性理論」は「一般相対性理論」
に含まれるなどと言う人がいて、名称からしてもそれを暗示しています)はどうなっているのかと
調べてみたとき、それをウェブ上では見つけられませんでしたが、Einsteinの発言として「特殊相
対性理論」は「一般相対性理論」に含まれると思うが煩雑なのでその証明は書かない」と述べて
いたというのを目にしています。
ま、くどくどとこれについてはこれ以上は書きませんが、前述のMagueijo博士との長い論議下し
た結果を考えると、Einstein同様に殊更「特殊相対性理論」には触れず「一般相対性理論」の方
を掲げてEinsteinの栄光の崩壊を支えようとしている"Einsteinians"だなと思いました。
言うならば、Lee博士は「Einsteinは悪くなく、悪いのは気が付かなかった他の科学者だ」と主張し
ているような感じです。
もう少し引用を続けます。
"General relativity is the most radical and challenging of Einstein’s
discoveries-so much so that I believe the majority of physicists, even
theoretical physicists, have yet to fully incorporate it into their
thinking. The flashy stuff, like black holes, gravitational waves, the
expanding universe, and the Big Bang are, it turns out, the easy
parts of general relativity. The theory oes much deeper: It demands
a radical change in how we think of space and time."
「一般相対性理論は、Einsteinの発見の最も過激で挑戦的なものである−
非常にそうなので、私は大部分の物理学者、理論物理学者さえ、それを十
分に彼らの思考に組み込ませていないと信じている。ブラックホール、重力
波、拡張宇宙、ビッグバンのような派手なものは結局わかるように、一般相
対性理論の易しい部分である。その理論はずっと深いところを歩んでいる:
それは、我々が空間と時間についてどのように考えるかにおける過激な挑
戦を要求している。
要するに、Lee博士の主張は、「大部分の物理学者は『一般相対性理論』の本質のところを理解
していない」という批判です。その方の晩年に知り合いになった、一般相対性理論の方程式を
解き、最初に「ブラックホール」の存在を予測した天文学者のSubrahmanyan Chandrasekharが彼
(Lee博士)に対して見せた「Einsteinに対する怒り」(要するに、Einstein自身は一般相対性理論
を出した後、これに関する実証や応用を他の物理学者に丸投げして自らは次のこと−一人量
子力学を受け入れることを拒絶して統一場理論研究に進んだことのようです)に驚いたことが彼
がEinsteinの研究目標・手法を考えるようになったきっかけらしいのですが、これに対しては、
"I fear, acting like so many others-reaching for a beautiful flower but
missing the beauty of how it is that flowers come to be."
「Chandraは、私が感じているが、多くの他の人々のようにふるまっていた−
美しい花に到着するが、花がそこに至るにはどのようであるかという美しさ
を見失っている。」
とEinsteinを擁護して批判的に書いています。彼の立ち位置が鮮明になってきました。
どうやら、前述で"relativists"を揶揄するような皮肉を書いたのも、本質的なところを追及するの
ではなく、「易しい(応用面)ばかりやっている」という批判のように見えました。
そして、大部分の理論物理学者に対する批判の目としては、Einsteinが、不合意だった「量子力
学」に目を向けず、自分自身の「一般相対性理論」の拡張で「統一場理論」の研究をしそれが失
敗のまま終わったのに対し、理論物理界は、Einsteinが受け入れるのを拒絶した量子力学との
合体方向での「超弦理論」での「統一場理論」に進んでしまっているとして、
"Indeed, the number of such unified theories keeps increasing. Recent
estimates based on results from string theory indicate there are more
than 10^100 distinct unified field theory solutions. Thus, it is as unclear
now as it was for Einstein whether pursuing a unified field theory
will lead to real progress in understanding nature."
「実際、このような統一場理論の数は増え続けている。超弦理論からの結果に
基づいた[ものの]最近の見積もりでは、10の百乗以上の異なる統一理論解が
あることを示している。このように、Einsteinにとってもそうであったように、統一
場理論が自然の理解において真の進歩を導き出すことを追及しているかどう
かは今も同様に不明確である。」
と述べ、更には、
"One way to understand this story is to say that theoretical physics has
finally caught up to Einstein. While he was shunned in his Princeton years
as he pursued the unified field theory, the Institute for Advanced Study,
where he worked, is now filled with theorists who search for new variants
of unified field theories. "
「この物語を理解する一つの方法は、理論物理学は結局、Einsteinにとらわ
れているということである。彼は彼のPrinceton時代に、統一場理論を追及
したので避けられた一方、彼が働いたInstitute for Advanced Studyは今、
新しい統一場理論バリエーションに対して研究する理論家で溢れている。」
と逆説的に現状の主流の理論物理学界の在り方を批判しています。
この"he was ...theory"というのは、この方は、そもそもEinsteinは「全ての現象を説明できる理論」
の構築を Princeton時代に目指したが指導教官に受け入れらず、アカデミア物理学者の道に進
むことがその時はできなかったと主張されていてそのことを示しています。そして、
"For Einstein, quantum physics was the essential mystery, and nothing
could be really fundamental that was not part of the solution to that
problem. Because general relativity didn’t explain quantum theory,
it had to be provisional as well. It could only be a step toward Einstein’s
goal, which was to find a theory of quantum phenomena that would
agree with all the experiments and satisfy his demand for clarity and
completeness."
「Einsteinにとって、量子物理学は本質的な神秘であり、何も実際には、その
問題に対する解の部分でない基本にならなかった。一般相対性理論は量子
理論を説明できなかったので、それはおなじく暫定的なものであったに違い
ない。それは、全ての実験に一致し彼の明瞭さと完璧さに対する彼の欲求を
満足する量子現象理論を発見すべきだと言うEinsteinのゴールに対する単
に1ステップとできただけである。」
とし、
"The problem with this picture is that by the end of his life Einstein
had to some extent abandoned his search for a unified field theory.
He had failed to find a version of the theory that did what was most
important to him, which is to explain quantum phenomena in a way
that involved neither measurements nor statistics."
「この絵柄の問題は、彼の人生の終わりまで、Einsteinは統一場理論に対する
彼の研究をある程度捨てるべきであったことである。彼は、測定装置も静止者
も含まない方法での量子現象を説明すべき彼にとって最も重要なことをなす理
論のバージョンを見出すのに失敗した。」
と、もうここまで書けば明らかになってきていると思いますが、Lee博士はEinsteinが先を急ぎ過
ぎたことを指摘していて、「一般相対性理論」の深堀をすべきだったという意見のようです。
その上で、
"So what is Einstein’s real legacy? Are any of us his followers? In this
centennial year, there will be many who claim the mantle. That includes
the community of relativists, but most of them rarely look beyond the theory.
Instead they study it by finding solutions on computers or by looking for
gravity waves."
「だから、Einsteinの実際の遺産は何なのか?我々のいずれが彼の後継者か?
この100周年で、その外套を主張する多くの人がいるだろう。それは相対性理
論学者コミュニティを含んでいるが。彼らの多くはめったに理論の先を見てい
ない。代わりに、彼らは、コンピュータ上の解を探すか重力波の検出によって
それを研究している。
更には、
"I think a sober assessment is that up till now, almost all of us who work
in theoretical physics have failed to live up to Einstein’s legacy. His
demand for a coherent theory of principle was uncompromising."
「私は、厳格な調査では今のところ、理論物理学で働く我々ほとんどすべて
はEinsteinの遺産に沿うことに失敗してきたと考えている。彼の首尾一貫し
た原理理論に対する要求は不屈のものであった。
と述べています。そして、最後の方で、
"So is it possible to follow the path of Einstein? To do so, you cannot be
a crank; you must be a well-trained physicist, literate in current theories
and aware of their limitations.And you must insist on absolute clarity in
your own work, rather than follow any fad or popular direction. Given
the pressures of competition for academic positions, to follow Einstein’s
path is to risk the price that he paid: unemployment in spite of abundant
talent and skill at the craft of theoretical physics."
「それでは、Einsteinの道に従うことは可能か?そうするには、あなた方は変人
であることはできない;あなた方は、現在の理論に学識が合ってそれらの限度に
注目するよく訓練された物理学者であらねばならない。そして、あなた方はある
はやりまたはポピュラーな方向に従うよりむしろ、あなた方自身の中で絶対的な
明確性で主張しなければならない。アカデミーの地位争いの圧力があるので、
Einsteinの道に従うことは彼が払ったリスク:理論物理学の乗り物に置ける豊富
な能力と熟練にもかかわらず失業する代価のリスクを負うことになる。」
と述べ、
"In my whole career as a theoretical physicist, I have known only a handful
of colleagues who truly can be said to follow Einstein’s path. "
「私の理論物理学者としての全キャリアにおいて、私は真にEinsteinの道に
従っているということができる同僚はわずか一握りであることを知った。」
"Let us be frank and admit that most of us have neither the courage nor the
patience to emulate Einstein. We should instead honor Einstein by asking
whether we can do anything to ensure that in the future those few who do
follow Einstein’s path, who approach science as uncompromisingly as he
did, have less risk of unemployment, the sort he suffered at the beginning
of his career, and less risk of the marginalization he endured at the end."
「さあ、正直になり我々の大部分がEinsteinを見習うための勇気も忍耐も持っ
ていないことを認めよう。我々は、代わりに、我々が、将来、科学は彼がした
ように妥協せずに科学にアプローチするEinsteinの道に従って行動しているこ
れら少数に人々が、彼らのキャリアの最初において提供された種類の職業を失
うリスクを減らし、最後に我慢した過小評価のリスクを減らすことを確保する
ため我々が何ができるかを尋ねることでEinsteinを評価すべきである。
とまで主張し、
"If we can do this, if we can make the path easier for those few who do
follow him, we may make possible a revolution in science that even
Einstein failed to achieve."
「もし、我々がこれができるなら、もし我々が彼に従うそれら少数の人に対して
より容易な道を作ることができるなら、我々は科学においてEinsteinさえ成就に
失敗した革命を可能にするかもしれない」
と締めくくっています。結局のところ、Lee博士は、Einsteinは一貫して"Theory of Principle"を追
及してきたとして、Einsteinが妥協せず、その原理原則を捨てなかったとしてそのことを高く評価
するとともに、Einsteinが1915年に発表した「一般相対性理論」をもっと深堀すべきであるという
ことを主張していると理解しました。
しかしながら、これは、別の"Einsteinians"でしかなく、もし、Einsteinの生涯追及したことがこの方
の主張通りだとしても、私はEinsteinのやった手法には完全に不同意です。なぜなら、いくらLee
博士が別の形でこのようにEinsteinを美化しようと、本項で引用している前述のRoger氏が@の
冒頭に書かれている、
Refusal to make the correction is the root of all evil and ruination to
physics.
訂正をすることへの拒絶が、物理学に対する全ての不道徳と荒廃の根源である。
(※8)
に完全同意していて、まずその落とし前をきちんとつけることが全ての出発点であると強く主張
したいゆえです。それをしない限り、このLee博士の主張は単に少数の「量子力学」反対派の繰
言でしかなく、仲間内以外への拡大は見込めないでしょう。
私がEinsteinを最も批判的に見てきたことは、安易に"change in mind"してきた「哲学」の問題よ
り、彼の取った科学の手法であり、それがその後の「物理学」に与えた影響の深さに対すること
です。彼が1905年に発表した「特殊相対性理論」に対して、「特殊相対性理論」への疑念(全面
改定版5)で引用した批判、
"Einstein,who had no qualms about abolishing the æther and still
retaining light waves whose properties were expressed by formulae
that were meaningless without it,who was the first to discard physics
altogether and propose a wholly mathematical theory..."
「エーテルを廃し、それを除いた無意味な式でその属性が表された光波をまだ
保持することになにもとがめを感じず、最初に物理学をすっかり捨て去り、完
全な数学的理論を提示したEinstein」
〜Herbert Dingle, Science at the Cross-Roads.
どんなにLee博士がEinsteinを擁護しようと、基本的にEinsteinのとった手法というのはこの批判
の通りです。そして、それ以後の科学界に流れて来た潮流は、同じ項で引用したNikola Teslaの
批判
"Today's scientists have substituted mathematics for experiments,
and they wander off through equation after equation, and eventually
build a structure which has no relation to reality. The scientists
from Franklin to Morse were clear thinkers and did not produce
erroneous theories. The scientists of today think deeply instead
of clearly.
One must be sane to think clearly, but one can think deeply and be
quite insane."
「今日の科学者は実験を数学で置き換え、方程式のち方程式でさまよって
いて結果的に、現実と無関係な構造を構築している。FranklinからMorse
までの科学者は明らかに思考家であったが誤った理論は出さなかった。
今日の科学者は明確の代わりに深く考える。
人は明確に考える分別があらねばならないが、深く考えて全くばかげてい
ることにもなれるのである。」
〜Nikola Tesla
通りのものです。「超弦理論」などまさにそのものでしょう。そして、一般下々にはごまかしていま
すけど、その実、混迷度を深めるばかりです。で、「重力理論学者」のLee博士は、まさに「重力
理論」でしかない「一般相対性理論」がバックボーンになっているゆえに、「Einsteinに帰ろう」と
主張しているのでしょう。そして、上で引用したE and mc2: Equality, It Seems, Is Relativeから見
ると"modify of reletivity"を目論んでいるようです。Einsteinが自分の「一般相対性理論」の延長
上での「統一場理論」の確立に失敗したゆえです。"Quantum Gravity"研究の上でそういう発想
をしているようです。彼らには"Relativity"を完全に捨て去ると言う選択肢はないようです。それ
は"Crank"になることと考えているようですね。
ぶっちゃけ、「一般相対性理論」の基本になっている「等価原理」なるものは、本当に「原理」な
のでしょうか?実証観測されているものでしょうか?否、そんなものはありません。まさに、特
殊相対性理論のposutulateT、Uと同じで、Einsteinが脳内で作り上げた「仮説」でしかありません。
そのことに気が付かない限りmavekな主張をしても成功などおぼつかないと私は考えます。
ついでのつもりが延々と引用してしまいましたけど、この主張を取り上げた理由は、物理界が実
際にEinsteinをどう見ていたかが伺えること−Einsteinの名を「方便」として使っている様相が伺
える−物理界と、それとは異なる「我こそは"Einsteinians"である」というEinstein自身の思考に
ほれ込んでいる"Einstenians"の方の意見に興味があったからです。
実は、その「物理界」のEinsteinに対する対応を"Einsteinians"が示した記事があって、それを引
用されているのがAの"science essay"です。驚いたのですが、同じ状況を、その記事の人の主
張と全く逆の説明をされている論文(?)を読みました(送っていただいたもので日本人物理学者の
ものです)。ですから、その状況の信憑性自体は高いと思っています。
Aの元になっているものは、Segei Kuzminという人の2012年記事からの引用だそうで、
Segei Kuzmin(in 2012) points out there was a Russian translated
collection of Einstein’s work prepared to commemorate the 10th
anniversary of Einstein’s death and 50 years of GeneralRelativity.
But there was not a similar English translated Collection of Einstein’s
work prepared at the same time.
(Segei Kuzmin(2012)は、Einsteinの死後10周年と一般相対性理論の50周年
を記念するEinsteinの仕事のロシア語に翻訳された収集があったことを指摘
している。しかしながら、同時に準備された同様の英語に翻訳された同様の
Einsteinの仕事の収集はなかった。)
という主張記事をSegei Kuzminという方が2012年に出しているようです。そこには、1920年代の
一般相対性理論に関するEinsteinの論文が日本語に訳されているのに英語には訳されていな
いということも書かれていて、これは英語圏(米国)において、Einsteinの「一般相対性理論」が
"suppression"を受け入ていた証拠だという主張のようです。しかし、これって本当に"suppression"
でしょうか?まず、英語の翻訳はなかったかもしれませんが、ドイツ語論文は出版されているわ
けです。私は勘違いしていたのですが、Einsteinが来日したのはなんと1920年代だそうですね。
その頃はまだ、Hitlorが台頭する前であり、Einsteinはドイツにいた時代です。そして、日本は明
治の開国以来、ドイツからの科学導入をしてきたという時代背景があると思います。
ただ、それを書くために引用しているわけではなく、興味深い事実が書かれていたゆえです。
それは、このSegei Kuzminという方は、戦前の米国科学界がEinsteinに対してどう考えていたか
を示すものを掲げ、それを"suppression"の証拠扱いにされていて、それが実に興味深いゆえで
す。
有名なRobert Oppenheimer(known as “the father of the atom bomb”)が述べた言葉が引用され
ていました。
"His[Einstein’s] early papers are paralyzingly beautiful but they are
thoroughly corrupt with errors, and this has delayed the publication of
his collected work for almost ten years. A man whose errors can take
that long to correct is quite a man".
「彼[Einstein]の初期の論文はしびれさせるように美しいが、それらは、完全
に間違いだらけであり、これはほとんど10年間の彼の集めた仕事に対する出
版を遅らせた。その間違いが正されるのに長くとることができる一人の人は全
く一人の人である」
更に、Oppenheimerは1939年、Einsteinの60歳の誕生日に際してのラジオの演説において
"Most of us…are proud to have in Einstein a popular symbol of what we
are doing and trying to do…But if few scientific workers would quarrel
with the fact that Einstein is in many ways a perfect of their work,
there are many who would feel that there is something a little false and
fabulous in the way that he is thought of …[T]here is a general impression,
supported in part by his eminence, that his work has been qualitatively
different from that of his fellow workers; that is abstruse, and remote,
and useless. This seems to me a very strange ground for admiration."
「我々の大部分は・・・Einsteinに、我々がなしていることなそうとしていることの
大衆的シンボルを持つことを誇りにしている・・・しかしながら、もし、ほとんどの
科学従事者が、Einsteinは、色々な意味で彼らの仕事を完全なもにしていると
いう事実について争わないのなら、彼が考えられている観点において、何か少
し間違いと伝説的[なところが]があると感じているだろう多くの人々がいる・・・
彼の著名ぶりにより部分的に支持された、彼の仕事は質的には彼の仲間のそ
れとは異なっていたという一般的な印象がある;それは難解で、ありそうもなく
無用のものである。
このことは私にとっては称賛するにはたいへん奇妙に見える。」
と述べていることをこのSegei Kuzminという方は"suppression"の証拠として引用しているようです。
これが当時の物理コミュニティの公式的見解だとして・・・
そして、これによりSegei Kuzmin氏は、
In our opinion, if the centennial anniversary of Einstein’s GR will be
celebrated without publishing his collected papers, then it means that
Oppenheimer’s view prevailed and conventional belief of physical
community is to consider Einstein only as a useful “popular symbol”,
trademark of Physics(a la very profitable cult of Hollywood celebrities)
我々の意見では、もしEinsteinのGRの百年記念が彼の集めた論文の発行なし
で祝されるなら、それはOppenheimerの見解の物理学コミュニティの優先的で
慣習的な信念はEinsteinを物理学のトレードマークである、ただ役に立つ「大
衆的シンボル」(ハリウッドセレブの大変有益な熱狂として)として考えているこ
とを意味している。」
と述べているようです。いずれにしろ、私は思い違いしていたのですが、「一般相対性理論」は
「特殊相対性理論」とは様相が異なり、1919年のエディントンによる「科学を裏切り、他の理由
で行ったいんちき日食観測報告で、Einsteinは一躍、科学界初の「メディアスター」となり、上記
Oppenheimerの言の中にある"Popular Symbol(大衆的シンボル)"にはなったものの、その理論
は戦前は米国物理界では不人気であったということのようです。
しかしながら、「不人気」と「抑圧(suppression)」は別ですよね?このSegei Kuzminという方は真
の"suppression"の数々を知らないのか無視しています。私は本コーナーでそれの例を示してき
ました。
・New Inquisition(新しい異端審問)
「特殊相対性理論」に反対の科学者が「科学界」で受けていた"suppression":
論文は問答無用でリジェクト、公式の場での発言自体妨害を受けた・・・
・特殊相対性理論への疑念(全面改定版5)
原子時計の発明者で反特殊相対性理論者のLous Essenが受けた"suppression":
誰も私の議論に反駁しようとしないが、私は、もし固執するなら、私のキャリア
展望をだいなしにする可能性があると警告を受けた。
・Cold Fusion
地位をほのめかして研究をやめさせようとした圧力
・「懐疑主義(Skepticism)」に関する海外サイトから
有名科学者に支持されている米国のSkeptic団体"CSICOP"による"Psi"研究潰し活動
そんな戦前は物理界では「不人気」だった「一般相対性理論」が既に早くから"Holy Theory"扱い
されていた「特殊相対性理論」ともども"Relativity"として一括して"main stream"扱いになった
のは、戦後、それを強力に推進した人物がいたことによるようです。
CharlesW. Misnerという方が論文でそのことについて次のように述べているそうです。
"John Wheeler and the Recertification of General Relativity as True
Physics":" [John Wheeler] his push to bring general relativity into
the main stream to physics and the influence had on the development
of black hole ideas and on the study of gravitational wave."
「John Wheelerと真の物理学としての一般相対性理論」:「「[John Wheeler]
彼の一般相対性理論を物理学のmainstreamにする一押しとその影響は
ブラックホールideaの発展と重力波の研究に与えられた」
"……….the most important contribution John Wheeler made: to pull
General Relativity out of the discard pile and get large numbers of
good people actively working on it."
「・・・・大部分の重要な貢献はJohn Wheelerがなした:一般相対性理論を
廃棄堆積物から引き出しその上で能動的に働いている多くのよき人々を得た」
このことに関して、引用AでRoger氏は、
Wheeler set up a school for relativity, and presumably if we can consider
Einstein’s relativity as dead because of all its mistakes, when Wheeler
resurrected it then presumably an attempt was made to try to correct
those mistakes?
In my opinion if that were the case then the resurrection was not very
successful and mistakes about in Einstein’s relativity whether it is the
dead version or the resurrected version. A lot of the problem created by
the mainstream still wanting the general public to believe the false image
of Einstein as genius, which puts a block on other things being looked at.
Wheelerは相対性理論のための学校を設立している、そして、恐らく、もし
我々がEinsteinの相対性理論を、その全ての間違いゆえに死んだものとして
考えるなら、Wheelerがそれを復活させたとき、はたしてそれらの間違いを
ただす試みはなされたのであろうか?
私の意見では、もし、それがその場合なら、その復活は必ずしも成功してい
なくて、Einsteinの相対性理論において死んだバージョンか復興されたバー
ジョンかについてが見過ごされている。多くの問題が、未だEinsteinの天才
としての誤ったイメージを一般大衆が信じることを望み、その他のことが注
目されるのを阻止しているmain streamによって作られた。
と疑問を投げかけられています。
驚きましたが(本当はそういう意見が自由に言えてこそ、「真摯な科学的論議」が成立する場で
あるはずですが、それこそ"suppression"がかかるため、その中にいてそういう主張をされると
いうことは勇気がいることだと思うのですが)国内で堂々と現在の理論物理学の在り方、そして
一般相対性理論に懐疑的な理論物理学者さんがおられることを知りました。日大の藤田教授と
いう方が、前述のSegei Kuzmin氏とは全く反対の立場から、
「「アイン シュタインの一般相対論は1960年代までは、理論物理学が比較的
正常な発展をしていたために、物理学的にはほとんどまともに扱われる事は
なかったのである。」
(SさんからPDFを送っていただきましたm(__)m)
と前書きで書かれておられます。
そして、その戦前は「死んでいた(in dead)」だった「一般相対性理論」がこのように戦後、John
Wheelerという科学者が「復活(Resurrection)」させたということですが、前述の、Dr.Lee Smolin(私
が別の"Einsteinian"だとしている米国の重力理論学者)の言では、なされてきたことは、「一般相
対性理論の易しい面−ブラックホール、重力波、拡張宇宙、ビッグバンのような派手なもの」と、
Einsteinが生涯反対していた「量子力学(Quantum Mechanics)」(本質的には一般相対性理論と矛
盾している−よってたつ基本原理が全く異なる)との融合というEinsteinにとって不本意なことだけ
というのが実情のようです。
長々と沢山の言を引用してEinstein、"Einsteinians"、そして「科学界」がEinsteinをどう扱ったかな
どについて述べてきました。
そこには驚くべき構図があることがわかると思います。何度も書きますが、Einsteinは1919年の
「真の『科学』立場を捨てて、Einsteinを自分と通ずる自己の政治的信条のシンボルに祭り上げ
合わせてその後援者としての名声を得るために『20世紀最大のHOAX』たる英国Royal Society
の権威学者エディントンによりでっち上げられた『いんちき日食観測結果』発表」により、エディ
ントンらの思惑通り、たちまちのうちに"Genius & Hero of science"として当時のマスコミにより
「科学界初の『メディアスター』」に祭り上げられました。当然ながら、商魂たくましい出版界は沢山
の本を出しました。そういうのを子供の頃から読んでいる学徒は"Genius & Hero of science"の手
になる、『聖書』たる「特殊相対性理論」に飛びつき学び魅せられました。そういう学徒が次代のア
カデミア物理学者になるわけですから、早くも「特殊相対性理論」は"Holy Theory"扱いになり、そ
れに疑念を抱こうものなら、たちまちのうちに"Cranks","Cranke","fool"と罵倒攻撃対象になり、そ
れが科学者であれば、地位まで失いかねない・・・それが100年後の現在もまだ綿々と続いてい
ます。あそこまで現代物理学にがっちりと基本パラダイムとして組み込まれてしまっていれば、た
とえ疑問に感じても長いものにまかれよで黙っている科学者さん達もおられるだろうなと思いま
す。私のような素人の科学好きでも納得できないくらいですから・・・
しかしながら、本項で示してきた引用を見ると、我々一般下々は、Einsteinが現代物理学におけ
る"Popular Symbole"扱いされているゆえに、1905年発表の「特殊相対性理論」と1915年発表の
「一般相対性理論」を一括して"Relarivity"として早くから科学界で主流のいわば"Genius"の
Einsteinが創設した基本パラダイムとして重宝されてきたと思わされてきたのですが、実際には
科学界(物理学界)内部では"relativists"はそうかもしれませんが、一般にはEinsteinは神格化な
どされておらず、特に「一般相対性理論」は「量子力学に強硬に反対した」ことも相まってか、
前述のような状態だったということです。どこかこれも海外サイトだったと思うのですが、物理学
の権威主流派学者は晩年のEinsteinと仕事をするのを嫌がっていたという話も目にしました。
結局のところ、物理学界はご自分たちの「利益」のため、件の方の言うように(前述)
"the mainstream still wanting the general public to believe the false
image of Einstein as genius, which puts a block on other things being
looked at."
「未だEinsteinの天才としての誤ったイメージを一般大衆が信じることを望み、
その他のことが注目されるのを阻止しているmain stream」(※9)
だろうと思います。要するに我々一般下々は綿々と科学界からコケにされ続けてきたというにほ
かなりません。怒るべきではないでしょうか?
結局のところ、"ALL THE EVIL(諸悪の根源)"は、(※8)と(※9)にあるすなわち、
Einsteinは安易にたびたび"change in mind"しながらもそれでいて
「1905年の理論を訂正をすることへの拒絶をしていたこと」と、
「物理学のmainstreamが、一般大衆がEinsteinを天才という誤った
イメージを信じることを望んできたこと」
と思っています。
('17/3)
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