"My opinion about Miller's experiments in the following. ... Should the positive
result confirmed, then the special theory of relativity and with it the general
theory of relativity, in its current form, would be invalid.
Experimentum summus judex.Only the equivalence of inertia and gravitation
would remain, however, they would have to lead to a significantly defferent
theory."
「Millerの実験に関する私の意見は次の通り...ポジティブな結果が確定されるなら
私の特殊相対性理論と一般相対性理論は現在の形では無効となるであろう。
Experimentum summus judex.ただ、慣性と重力の等価性は残るであろうが、
それらは意味深い異なった理論に導かなければならない」
−Albert Einstein, in a letter to Edwin E.Slosson, July 1925
Einsteinは相当、危機感を抱いたようです。その前1921年には、
"I beleive that I have really found the ralationship between gravitation
and electricity, assuming that the Miller experiments are based on a
fundamental error.Otherwise, the whole relativity theory collapse like
a house of card."
「私は、重力と電気の間の関係を真に発見したと信じており、Miller実験は
基本的誤りに基づいていると思っている。さもなければ、全相対性理論は
カードの家のように崩壊する」
−Albert Einstein, in a letter to Robert Millikan, June 1921 (in Clark 1971, p328)
ちなみに、Wikepedia英語版によりますと、Dayton Millerは1866年生まれで1941年に亡くなら
れていて、1920年代、secretary, vice president, and president of the American Physical
Society and as chairman of the division of Physical Sciences of the National Research
Councilを歴任し、1931年〜1933年は president of the Acoustical Society of Americaを務
められたそうです(⇒ここ)。
MillerはMichelsonやMorleyと同じアメリカ人であり、少なくとも
1920年代以降、アメリカ物理学界の重鎮であったということは留意しておく必要があります。
ですから、前に書いたようにきちんと受理保管されている1920代の実験結果報告もこの論
文も、決して無名の若手とかoutsider学者の手によるものではなかったということを是非注
目しておいていただきたいのです。
すぐ後で、そういう地位まで上り詰めることになった米国科学界の重鎮の実験結果報告論
文ですから、1919年以来、"genious and hero of science"となって、対抗していたフランス
派に勝った喜びに溢れていたと思われるEinsteinとEinstein' fellow(Einsteinians)に対して冷
水を浴びせかけたものでしたから、彼らは相当危機感を抱いたと思います。前述の手紙は
まさにそれを表したものだということがよく伺えますよね。
前にも書きましたけど、当時はまだ母国ドイツにいたEinsteinはMillerに一杯手紙を出したら
しいのですが、Millerは論文を読みもしないであやこや言ってきている(読めば書いてあるよ
うなことを主張したのでしょうね)と不快感を示し、無視したようですね。
尚、出展は違うようですが、日本語サイトで、このMillerの仕事に言及されているものは一
つだけ見つけました。
そんな程度ですから、あるいはrelativistsの方達は少しはご存知だとは思いますけど、多分
一般の人々は勿論のこと、科学者でも知らない方が多いのではないかと思っています。
その重大性に鑑みると、きわめてけしからん話であり、実際、前にも紹介しましたが、1990
年代にそういう批判をされた学者がおられます。これも上記英語サイトにありました
(⇒Experimentというタブの中の、"Dayton Miller"の項の文章内でリンク"Here")
フランスの物理学者でノーベル経済学賞受賞エコノミストのMaurice Allaisという方です。
21st century Science & Techonology, Spring 1988, p28の
"The Experiments of Dayton C.Miller(1925-1926) and the Theory of Relativity"の中で
Millerの結果の正統性について述べ、
"It is startling that the findings published in Miller's paper in 1933
should have been ignored for 25 years.
The outright pigeonholing of Miller's paper strikes me as one of the
scandals of contemporary physics."
the apparent velocity of light would be different according to whether the observer
is carried by the earth in the line in which the light is travelling or at right
angle to this line.
(見かけの光速は地球と共に運ばれる観測者が光が進行するライン上にあるか、
このラインに直角方向にあるかに応じて異なるだろう)
since all practicable methods require that the light shall travel from one station to
another and back again to the first station, a positive effect of the the earth's
motion on the ray going outward would be neutralized by negative effect on the
returning ray, except that on account of the motion of obsever during the time the
light is travelling the neutralizaton would not be quite complete, and a "second-
order effect", proportinal to the square of ratio of velocity of the earth to the
velocity of light, would be observal.
(全ての実用的な方法は、光が一つの場所から他の場所に進み、再び最初の場所
に戻ることを要求するので、地球の運動の外部側に進む光線に対する正の効果は、
戻りの光線に対する負の効果によって中和化される、光が進行している間の観測
者の運動を考慮すると、その中和化は完全ではなく、地球の速度の光速に対する
比の二乗に比例する"second-order effect"が観測可能値であろう)
と説明したそうです。ただ、Maxwellは
"The change in the time of transmission of the light on account of a relatctive
velocity of aether equal to that of the earth in its orbit would be only one
hundred-million part of whole time of transmission, and would therefore be
quite insensible."
「公転する地球の速度に等しいエーテルの相対速度の考慮での光の伝達時間の
変化は伝達全時間のわずか1/100000000であり、それゆえ、ほとんど検知で
きないであろう」
そのときの装置は図1のようなものだったそうで、Alexander Graham Bellという方が装置の
構成を提案し、BerlinのSchmidt & Haenschによって製作されたものとのことです。
アーム長さは120cmだったそうです。よくある模擬図通りのsimpleな装置だったんですね。
図1 1881年(最初の実験)の実験装置
最初はBerlin大学でやろうとしたそうですが、通りの交通による振動外乱で干渉縞が測定で
きず、大望遠鏡が設置されていて頑丈なObsevartry of Potsdamに場所を移してやったそう
です。
しかしながら、干渉縞の変移は理論期待値である干渉縞幅×0.04に対し、0.0015〜0.004と
不一致の上、この観測結果は誤差だとされてしまったようです(1887年の論文でMichelson
自身が認めているように、実験理論に誤りがあってLorentzらに指摘されたようです)。
Michelsonは欧州滞在中の1881年に、米国Cleveland(オハイオ州)の新設のCase School of
Applied Scienceの物理学教授に任命され、Western Reserve大学(Case Schoolのすぐそば)
の化学の後の教授Edward W.Morleyと知り合ったそうで、Morley教授はその干渉計とそれ
の使い方における種々の重要な進展となる提案をしたようです。
Albert Michelson Edward Morley
そして、Bache Fund of the National Academy od Sciencesから資金を手に入れて、改良し
た新しい装置を作りました(光学部分はPitburghのJ.A.Brashearにより制作された)。
これが有名な1887年の実験で用いた装置であり、これについては前にここでも紹介しまし
たが、図2のような構成のものでした(装置の詳細はここ参照ください)。
The brief series of observations was sufficient to show clealy that the effect did
not have the antcipated magnitude.
However, and this fact must be emphasized, the indicated effect was not zero;
the sensitivity of the apparatus was such that the conclusion, published in 1887,
stated that the observed relativity motion of the earth and ether did not exceed
one fourth of the earth's orbital velocity.
This is quite different from a null effect now so frequently imputed to this
experiment by writers on Relativity.
(これは、現在、しばしば、Relativityに関する著者によってこの実験に帰すると
されているnull効果とは全く異なっている)
と強く批判され、更に、
It also seems necessary to call attention to another histrical fact:
Michelson and Morley made only the one series of obeservations, in July,
1887, and never repeated the ether-drift experiment at any other time,
notwithstanding many printed statements to the contrary.
(また、他の歴史的事実にも注意を喚起する必要があるように見える:
MichelsonとMorleyは1887年7月の一連の観測を行ったのみであり、
多くの印刷された言説が反対のことを言っているにも係らず、ether-drift
実験は、他の時期には決して繰り返されてこなかった)