「特殊相対性理論」への疑念(全面改定版2)/

〜マイケルソン=モーリーの実験について〜(追)/(修)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※疑問を抱いてから思考の紆余曲折を経て(17)まで書いてしまいましたが、重複・誤解・
後から得た知見などもあるため、本タイトル分は整理しての全面改定で再編成しました
('14/4)

◎マイケルソンの実験論文の読み方が不十分で、完全な勘違いをしていたところがあり
 一部修正しておきます。別にマイケルソンは「完全引きずり説派」ではありませんで
 した。これについては、続・相対性理論への疑念(26)で述べましたm(__)m('17/1)
◎マイケルソン=モーリー実験についてはこの続・相対性理論への疑念(26)の方がより
正確であり、これと合わせて続・相対性理論への疑念(18)〜Dayton Millerの論文@〜
続・相対性理論への疑念(19)〜Dayton Millerの論文@〜を読んでいただければ幸いで
すm(__)m(17/4)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
好むと好まざるに係わらず、特殊相対性理論と言えば、どうしても避けて通れないのが、
マイケルソン=モーリーの実験」。で、まずはこれから。

相対性理論の教科書や啓蒙書の類では最初の方で、必ずこの実験の説明にページを
さいています。但し、その扱い・解釈説明は千差万別で、私の所有するロシア人著の和
訳本など本の数行でさらっとしか触れていません。しかしながら、ネットではいかにもこ
の実験が相対性理論の実証実験かのように
誤解(私は、こんなものは後世の学者の後
ヅモ説明でしかないと考えますので)して吹聴する向きまでいます。
一方、反相対論サイトでは、解釈が間違っている、実験自体おかしい等の意見も出てい
てこちらも人により多種多様です。

しかしながら、色々な伝聞があって、Eisnteinはこの実験の存在を知らなかったとか、い
や知っていたとか色々な意見がありますけど、別項で述べるように、本の数文字での言
及ですが、知っていたらしいセンテンスが原論文にありますので、全く知らなかったとい
うのは多分デマでしょう(Einsteinが自ら振りまいたのかもしれませんが)。

この実験について調べ色々と考えてみました。なぜなら、どうも相対性理論者の正否議
論で一番の話題がこれにあるためです。そして、後世の学者の説明は全てこれこそが
その基本になっているなと感じているからです。そして、じっくり調べるて見ると、いかに
この実験について皮相的で不正確な説明しかされていないかがわかりました。
それでも、まだ、最近まで私の知識も不足していて、誤解していたことがわかりました。
私にとっては、ちょっとした誤解も意外に自分の理解を阻害することがあるのです。その
意味で、海外サイトは役にたつことがありますね。

ネットにこの実験報告の原論文が転がっていましたので、読んでみました。
論文は、

 AMERICAN JORNAL OF SCIENCE NOVEMBER,1887
 Aet.XXXVI_
 On the Relative Motion of the Earth and Luminiferous Ether

 (地球と光学エーテルの相対運動について)
というものです。

その前書きみたいな部分を読み、合わせて、もう少し19世紀における光とエーテルに
関する科学の歴史を調べ直してみました。ざっとおさらいしますと、以下のようです。
19世紀初頭にはもうすでに、科学界においては、「光は波である」というコンセンサス
があり、「波なら伝達する媒体が必要であるが、光は真空中でも伝わる」ことより、「光を
伝える」媒体として「エーテル」の存在が当時の科学界の共通認識になっていました。
ただ、その「地球の運動と媒体(Aether/ether)間の」には広く議論がなされていました。
その議論は「エーテルは運動体内において引きずられるかどうか」という問題に関する
ものだったようです。最初は「両者の間に相対関係はない」という意見があり、次には
「いや、両者には関係がある」というものでした。
で、1810年に、Aragoという人が、「ガラスのような物質の屈折率は空気中とガラス中の
光速比に依存するだろう」と考え、望遠鏡の前にガラスプリズムを置いて、星を観測し
たのですが、彼が期待した「星と地球の運動との速度差による屈折角の差」は見いだ
せませんでした。これを説明するため、1818年にFresnelが「エーテル部分引きづり
」を出しました。それは、「空気でなくガラスのような物質で引きずられるというエーテ
ルの大部分は静止している」という概念を導きだしました。
一方、1845年にStokesは両者が無関係だとか部分的に引きずっているというのは反自
然的だとして「エーテル完全引きづり説」を出しました。これは、「エーテルは物体
の中と周辺では完全引きずり、大きな距離では部分的引きずりがあり、自由空間では
静止している」という説のようです。

結局、その論争は1851年のFizeauの実験が「『透明物質に限定した』エーテル部分引
きづり説」の概念に合うということで、元々のaragoの観測共々、Fresnelの説の方に軍
杯が上がった感がありました(Stokes自身はフィゾーの実験から導出されたフレネル係
数を説明する反論を出してはいましたが、Lorentzが再反論していたようですが)。
したがって、科学界の主流は透明物質以外では『静止エーテル』という考え方になって
いました。

で、Michelsonのこの1887年の論文の前書きみたいなところを読むと、フレネルの説を
地球のような不透明な物質にまで適用できるかという議論の確認のためのものだった
ようです。エーテルが金属にしみこむことはLorentzが示したそうですが。

どうやら、Michelson自身は「エーテル引きずり説」だったようで、Lorentz達の主張
が正しいかどうかを確認するため(どうやら「間違っている」ことを証明するため)にこの
実験をやったようです。そんな話聞いた事がありませんでしたので驚きました。
結果はLorentz達の考え方を否定してしまいました。
ですから、彼自身はどうやら、この「マイケルソン=モーリー実験」はLorentzらの説を否
定し、自分の「エーテル引きずり説」(要するにstokesの説)の証明になったと考えたよう
です
。Michelsonは論文内でもはっきりと

 If now it were legitimate to conclude from the present work
 the ether is at rest with regard to the earth' surface,
 according to Lorentz there could not be a velocity potential,
 and his own theory also fails.

 (もし、この仕事からエーテルが地球表面に関して静止していると結
  論づけるることが正しいとしたなら、Lorentzによれば速度ポテン
  シャルが存在できないことになり、彼自身の理論はまた、誤って
  いる)

と書いています。

ちなみに、1890年にHertzは、

  if it is assumed that the aether is at rest within matter
  in one reference frame, the Galilean transformation gives
  the result that matter and (entrained) aether travel with
  the same speed in another frame of reference.

  (もし、エーテルが一つの参照系の物体内で静止しているなら、
   ガリレイ変換は、物体と(一緒に乗せられた)エーテルは、他の
   参照系の中で同じ速度で進行する結果を与える)

としました。彼は「Maxwellの方程式」に「ガリレイの相対性原理」に合致するよう
「完全引きずり説」を織り込んだのです(参照⇒Wikipedia)。

結果は、厳密に言えば、Lorentzが作った理論予測値と全然合わない小さな値しか出
なかったというわけです。当然ながら、「すわ、一大事」と当時の学界に衝撃が走りま
した。19世紀の末に、当時の権威学者のローレンツらは頭を抱えました。
で、彼らはどう解釈したか・・・。


その前に、もう少し、この"Michelson-Morley's Experiment"について原論文に従って簡
単に説明しておきます。

その実験概念図は図1・2でした。



これらの説明をする前に、もう少し具体的な実験装置の構成の説明をしておきます。
装置全体見取り図を図3に、それを横から見た図を図4に示します。

                図3
                図4


図ではわかりにくいのですが、水銀が入れてある鋳造製の水槽はレンガ製の八角形の
脚部にセメントで固定されており、木製フロートと試験装置を取り付けている石の基盤
は水平方向に回転できるように構成されています。この種の実験で問題になる振動の
影響を極力避けるための工夫がなされているようです。実験時には木製のカバーをし
て空気流や温度の急激変化を避ける工夫もしていたようです。

これで、図1,2で示したモデル図での実験をやったわけですが、何をしたかと言います
と直角二方向(東西方向、南北方向)の光の経路による推定された時間差を干渉縞の
観察で確認しようとしたものでした。
誤解しているらしい人を見かけるのですが、「光速を測定したわけでもなく、また、それ
ぞれの時間の絶対値を求めたわけではない」ことは十分留意しておく必要があります。

実は、この有名な実験は1887年のものですが、先に1881年に一度実験報告を出してい
るんですね。どうも、それと一部混同している方も見受けられるのですが。
この1881年の実験にはLorentzらからいちゃもんがつき、再度、Lorentzが実験理論を作
り直し、一方、Michelsonらは実験装置を改良して精度アップを図ってやったのがこの
1887年のものなのです。
Michelsonという方は、米国の最初のノーベル賞受賞者で、光関連の高精度測定装置
などがその受賞理由になっているようです。この1887年の装置も2次オーダまで高精度
なものだったそうです。
その工夫として、光路長を図5のように反射を繰り返すように構成して、1881年のときの
約10倍にしたことがあります。論文には調整について簡単に触れていますが、これは
大変だっただろうと思われますね。

                図5


図5において、aは光源で、アルガンバーナーというものだったそうです。レンズを通し、
絞って光線(pencils)化しています。d,d1、e、e1は金属製反射鏡群です。e1は前後に
位置調整できるようになっています。「ハーフミラー」("plane-parallel glass"と記載あり)
もb、c二つあります。fは検出部ですが"telesocope"とありますから「望遠鏡」ですかね。
光路長さは反射を繰り返すことで稼いでいて、「白色光」で1000波長となるようにされて
いたようです。ま、細かい事で色々と疑問があったのですが、まずはそれはすっきりし
ました。やはり、原論文を読まないときちんとしたところはわかりませんねぇ。
とにかく、模式図は図1ですが、実際には図5のように構成されていたということです。

さて、実験予測値はどうやって求めたのでしょうか?

本論文でMichelson自身が認めているように、1881年の方は

 the effect of the motion of the earth through the ether on the path
 of the ray at right angles to this motion was overlooked.

 (地球のエーテルを通しての運動の、この運動と直角の光路に対する
  影響を見落としていた)

のものでした。すなわち、1881年ときは、図1で、それぞれの光路進行時間を
東西方向(a→c→a):・・・(1)
南北方向(a→b→a):・・・(2)
としたのです。Lorentzらからクレームがついたのは、この南北方向分でした。
恐らく、Michelsonは地球系(運動系)だけで考えたと思います。地球の公転方向への光
路ではエーテル風の向かい風、反対方向の光路では追い風があるとして(1)式を求め
たものと思われます。ですから、それと直角方向光路へのエーテル風の影響を「見落
としたのではないでしょうか?ま、装置の検出精度も悪かったようですけどね。

で、Lorentzが新たに実験理論を作り、Michelsonはそれで予測値を出しました。それが
1887年の本論文に示されたものです。それは、新たに図2の系で考えたもので、私自
身、長く誤解してましたが、これは静止エーテル系での図なんですね。皆、相対性
理論と関連づけて説明されているのでそういう誤解をしてきたのですが(責任転嫁(^_^;))。
そして、その考え方は、

 光速は静止エーテル系に対して一定

というものだったんですね。これから、図2とこの論文で出てくる理論式の根拠が理解
できました。上記と合わせるため、論文とは記号を変えておきます。論文では光速c
の代わりにV、光路Lの代わりにDが使われており、また、時間はそれぞれ、T、T1と
なっています。光路長を求めています。

・運動方向(a⇒c⇒a):
 時間は、
 a→c:・・・(3)
 c→a:・・・(4)
 より、往復で
 ・・・(5)
 となります。したがって、光路は、
 ・・・(6)
 となります。4次オーダをneglectしますと、
 ・・・(7)
 となります。補足説明しておきますと、(5)式より、
 ・・・(8)
 ですので、
 ・・・(9)
 とおくと、
 ・・・(10)
 ですので、テーラー展開してxの二次オーダをneglectすると、
 ・・・(11)
 となるわけです。

・運動と直角方向(南北方向):
 ・・・(12)
 であり、同様に近似すると
 ・・・(13)
 となります。
 実は、論文では「明らかに」として、(12)式を提示していますが、考え違いをしていて
 最初、ちょっと理解できませんでした。
 間違っているかもしれませんが、多分、以下のように考えたのかもしれません。
 図2で三角形光路は小さな三角形ですね。斜めの線abの光路進行時間をtとすると、
 図2のこの斜めの線abの光路長は、

 ・・・(14)
 となります。一方、
 
 より、
 ・・・(15)
 ですので、(14)、(15)より、  
 ・・・(16)
 として(12)式が出てきます。
そこで、(8)、(9)を適用すると、
 
 となるので(13)式が求められました。
 実は、私は別の考え方をしていて、図6から、
 ・・・(17)
 と考えました。ただ、このときでも、4次オーダをneglectすれば
 
 となりますので、(13)式となります。


 
     図6

(7)と(13)より光路差は
・・・(18)
となります。実験では90度装置を回転させていますので、両方で光路差は
・・・(19)
だろうと見つもったわけですが・・・
尚、長さは波長で見ています。直接の確認は干渉縞でしたが。

実験は正午と午後6時に行われ夏〜秋にかけ、3カ月間行われましたが、結果としては
予測値よりはるかに小さな値となってしまいました。さぁ、どうしたでしょうか?

おっとその前に・・・
Lorentzは南北方向(地球の公転方向と直角方向)にも「エーテルの風」の影響がある
として、図2で上の(6)を導出しています。
しかし、「おや?」と思いませんか?なぜなら、「風」の影響があるなら、地球上に設置さ
れた実験系ではこの方向の光線って往路では図7のようになってしまいませんか?


            図7

そうなると、光は検出器に戻らないじゃないでしょうか?光路方向の調整をしているの
だろうと言う方がいますけど、それだと90度回した時、今度は東西方向の光は検出器
に戻ってこないのではないかと思うのです。小さいですけど干渉縞自体はあったようで
すから、間違いなく両方の光は回転前後共、検出器に戻ってきているのですから。

驚いた事に、ネット上に奇妙な説明がありました。そして更に色々とネット漁っていたら、
なんと、これはあのLorentzの考えらしい・・・
それは、エーテルの流れを上流から下流に流れる川を泳いで対岸に渡る人の例で説
明されていました。すなわちその人は流れさからって対岸に到着するため、少し上流向
きに泳ぐようにして結果的に流されてちょうど対岸に渡っているとし、これと同じである
というのです(図8)。


            図8

私はこれを目にしてめちゃくちゃ驚き実は目が点になってしまいました。この説明って極
めて奇妙奇天烈じゃないでしょうか?
光は意思のある人間じゃないですよね。そういう無意志の光がどうして地球の公転速度
を知っていてエーテルの風の速度をあらかじめ知っているのでしょうか?
そしてあらかじめ反射鏡であるbに地球上でうまく到着できるように公転側にその方向を
向けてるなどということがどうして言えてしまうのでしょうか?あまりにも馬鹿げた説明で
はないでしょうか?
Lorentzの実験理論はいかにもそれらしいのですけど、実験装置が地球系(運動系)上
にあることをうまく説明できないためにこのような驚くべき理屈で逃げているのです。


ま、それはさておき、Michelsonから "his own theory also fails"とまで言われてしまった
Lorentzでしたが、当時の権威学者であり、当然ながら、「透明物体のみのエーテル引き
ずり説」が捨てされません。1889年、Heaviside(ありゃりゃ。この人かい・・この悪感情は
ここ参照ください)がMaxwell方程式から運動体周りの磁気ベクトルポテンシャルが
だけ変化すると主張しました(from 英語版Wikipedia⇒ここ)。
そして、同じ1889年に、George Fitzgeraldという人が「奇妙な」主張をしました。
元々、「今更」ということか、ローレンツの考えについては、普通、簡単にしか触れられて
いないので、私自身、あまりに歴史を知らな過ぎたことを悟りました。別途色々と紹介し
ますけど、海外サイト見ていたら、私がずっと求めていた相対性理論の詳しい歴史的背
景が書かれているサイトがあり(⇒ANTI-RELATIVITY) そこにこれについての記述が
ありました。彼のサジェスチョンは、

 "null" result of MMX could be from shrinking of a body due to motion
 (MMXの"ヌル"結果は運動によって物体が短縮することから可能である)

というものです。尚、"MMX"は"Michelson-Morely' experiments"のことです。
簡単に説明しておきますと、

 運動系(地球系)と光は一緒に進行しており、運動系内の全ての「物」は
 shrinkして静止エーテルに対する運動の影響が運動系内では観測され
 ないようにmaskingされている


というような考え方のようです。これだけではちょっとわかりにくのですが、具体例で説
明しますと、

 例えば、エーテルの風がないとき、光がある時間に10inch進む速度だったとし、
 エーテル風があるとき、それが9inch進む速度になるとすると、そのときは運動
 系(地球系)内の物差しは10inchから1inch短縮した9inchの長さで10inchを示す
 ので運動系内では運動系の速度に無関係で同じに観測される

というような意味です。このshrinkは光も同じとなるので、なんら歪は見られないというこ
とです。

これらをヒントにして熟慮したLorentzは1895年1904年に"Lorentz ether theory"を
発表しました。上記の反相対性理論の海外サイトを見るまで私はこんな名称知らなかっ
たのですが、これでググると海外サイトがいくつも出てきますし、英語版wikipediaもあり
ます(⇒ここ)。

LorentzはFitzgeraldのサジェスチョンを拡張し、Poincaréらの協力を得ながら縮小した
り拡張したりと極めて「人為的ご都合主義的」な形での「数学的解析」を行うことで、
ローレンツ変換」なるものを生み出してしまったのです。
(ちなみに、現在、エーテルは"Aether"と称せられているようですけど、以前は"ether"
と呼ばれていたようです。なぜかBingはAetherをエーテルと訳しませんが)

英語版Wikipediaによりますと、Lorentzは、相対的な収縮の可能な形として

 ・The body contracts in the line of motion and preserves its
  dimension perpendicularly to it.

  (物体は運動線上で縮まり、それと垂直方向ではその寸法を保持する)
 ・The dimension of the body remains the same in the line of
  motion, but it expands perpendicularly to it

  (物体の寸法は運動線上で同じのままであるが、それと垂直方向では
   伸張される)
 ・The body contracts in the line of motion, and expands at
  the same time perpendicularly to it.

  (物体は運動線上で縮まり、同時にそれと垂直方向で伸張される)

を示したとのことです。
前述の反相対論の海外サイトによるとこんな感じ?
実験では光は往復していますので、Fitzgeraldのサジェスチョンそのままのままでは不
足しています。Lorentzはもうひとひねりのご都合主義的空想を盛り込んだんです。
それは、往復の「平均」的なものが、丁度収縮されると考えたことです。どうやら、光と
運動系が同じ方向のときの"upsteram効果"とは別に、光と運動系の方向が逆の時の
"downstream効果"を考え、両方の効果でそうなるとしたようです。
そこでは収縮だけでなく拡張もあります。収縮したり拡張したりしてつじつま合わせをし
たわけですから、あまりにad-hocそのもののtheoryでしたから、やはり学界の賛同は
得られなかったようです。尚、「局所時間」「距離の短縮」などは既にこの理論に入って
いましたので、そういう考え方自体は別にEisnteinの独創ではないことは知っておくべき
でしょう。Einsteinを「天才」のように信奉している方達は多分に御存知ないでしょうね。

しかしながら、西欧では、

 Einsteinの"Special Relativity"とLorentzの"Lorentz ether theory"は
 「数学的には」同等である


とされてきたそうです。
しかし、こんなこと、皆さんは御存知でしょうか?
だからこそ、1905年に発表されたEinsteinの"Special Relativity"を意外に早くから支
持する科学者がいた感がしています。"Which's better?"だったのではないかと思いま
す。あまりにad-hocな"Lorentz ether theory"より"Special Relativity"の方がエレガント
ですからね。ま、1919年のエディントンの日食観測報告がEinsteinを一躍ヒーローに仕
立て上げてしまいましたし、反対者は代替案を出せないゆえに、とうとう「物理の原理」
にまで祭り上げられてしまったんでしょうね。

しかし、「実は」という無視されてしまった大きな問題があるのです。これはまた、別項
で述べたいと思います。
                          (’14/4)       (続く)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(追記'14/12)
ここで紹介されていますが、Pari Spolterと言う イラン生まれの米国移民女性科学者が
出した反相対性理論の本"Gravitational Force of the Sun"の中で、

 She also points out that Lorentz, on whose equations the entire scheme
 was based, never accepted the concept of a merged spacetime and
 that Michaelson had expressed regret that his work had been turned into
 this 'monster'
.

 (彼女はまた、全スキームが彼の方程式に基づいたものであったLorentzは
  決して合併された時空の概念を受け入れなかったし、Michelsonは彼の
  仕事がこの「モンスター」に転化されたことに悲憤を感じていた
。)

とし、

 As Robert Shankland relates, Einstein told him,
 "He (Michelson) told me more than once that he did not like the theories
 that had followed from his work.
"


 (Robert Shanklandが述べたように、Einsteinは彼に、
 彼(Michelson)は私に何度も、彼は彼の仕事から導き出されたこの理論は
  好きでないと言った
」と述べていた

と記しているそうです。
後述の別項(⇒ここ)で触れた「Michelsonは反対派の一人であった」ことはこの
Einsteinの言葉からも明らかですね。本稿で書きましたように、Michelsonがどういう理
由でこの実験をしたかをきちんと理解すれば、Michelsonの反発は当然だったと思い
ますね。よく言われるような「保守的」な思考で反対していたわけではないのですね。
"Lorentz, on whose equations the entire scheme was based"については後述の別
項(⇒ここここ)で別のサイト記事から引用紹介していますので ご覧いただければ幸
いですm(__)m。1905〜1910年代には"Einstein-Lorentz Theory"と称せられていたそう
ですが、日本では全く知られていない歴史的factです。

目次に戻る
次へ