続・特殊相対性理論への疑念(18)

〜Dayton Millerの論文A〜

さて、前述のように、MM実験に対し、Fitzgeraldが1891年頃に示唆し、それをLorentzが発
展させて1895年に"Lorentz-FitzGerald theory"(Millerの呼称)が発表されたのですが、私
からすると、何かいかにも無理やりつじつま合わせしたみたいな"ad-hoc"なものとしか思
えない代物でしかないのですが、その頃他からは出てこなかったようですけどどうやら主
流理論にはなれなかったようです。

1900年、パリで開催れた国際博覧会に合わせて開かれたInternational Congress of Physics
において、有名なLord Kelvin(ケルビン卿)がエーテル理論の解説とそれら理論との関連
性でMM実験の重要性を説明、後の座談会でもっとパワフルなether-drift実験の繰り返し
実施を強く主張したそうです。要するに、"FitzGerald-Lorentz theory"の正否の実証試験確
認を促したというわけです。勿論、まだ、当時の科学界では

 ether-drift自体はあるはず

と広く考えられていたということです。

で、Dayton Millerは、これにMM実験のMorley教授と共に参加していたそうで、このLord
Kelvinの主張を受け、二人は「よし、やってやろうじゃないの」と考えたようで、Lorentz-
FitzGerald theoryの「短縮説」の証明を行うのに適するようにMichelson干渉計を改良
して、
新たに実験を行うことにしたようです。

Millerの実験は、初期の1902年〜1905年のMorleyと一緒にやったものと、1921年以降の分
とにわかれていて、色々と考察し改良を加えたりしていますが、基本概念は共通していたよ
うです。

MM実験では光学系は正方形の石製定盤(約150cm四方、厚さ30cm)に固定されていまし
たが、代わりに十字形のものにしたようです。「短縮」を探知するという理由からでしょう。
最初(1902〜1903年)は長さ約340cmのwhite pineの木材を重ねたものを使ったそうです。
この木材のベースは、MM実験と同様、鋳鉄製の水銀層に浮かべた木製フロートの上に設
されており、この方式構成は最後まで一貫して使用されています。
そして、精度を上げるため、往復反射を用いることで光路長をMM実験の3倍としたそうです。
彼らはこの装置を用いて、1902年8月1903年7月計3回505回転の実験(場所はMM実
験と同じ16点)を実施したそうですが、結果的に正の効果はあったものの、MM実験よりわず
かに大きい程度だったようです(前項の図4で□で示しの1902年のもの)

そこで、木材では湿気・温度の影響が出るからと、鉄材を検討することにしたそうです。
但し、鉄は磁気の影響を受けますので、地磁気の影響を消すために色々と確認試験を実施
した結果(詳細は省略します)、地磁気は外乱要因にはならないことを確認したそうです。

その結果を元にして、Rumford Fund of the American Academy of Arts and Sciencesからの
資金援助により、Case School of Applied ScienceのCivil EngeneeringのF.H.Neff教授により
設計された新しい干渉計装置を1904年に造ったそうです。この鋼鉄製ベースは図5のような
ものだったそうです。

 
 
   図5 1904年以降のMillerが使用した干渉計の鋼製ベース等

設計上の目的は、"secure structual symmetry and the ulmost rigidity"だそうです。
木製フロートの寸法とか水銀量とか記載されていますが省略します。
1904年の装置を図6に示します。

 
   図6 1904年Morley-Miller実験装置

図5のベースの上にトラス状になった鋼鉄部材が設置されていますね。
光学系は1902年のときのもので、光路計画図は図7だそうです。

 
   図7 Morley-Miller実験装置の光路概要

反射鏡は4×4=16個、ハーフミラー2個という構成はMM実験と同様ですが、光路長は往
復で3203cm×2=6406cmあり、これは波長数はアセチレンライトで約112,000,000に相当す
るそうです。この装置は1921年の実験を除き、1904年以後の実験で使用されたとのことです。
尚、この光路は実験時はカバーで覆われていて、1904年の実験で使用したカバーは松の木
製、1905年のときはガラス製としたそうです。

詳細な寸法とか装置について書かれていますが、それは省略するとして、図7で光路につい
て示しておきます。
反射鏡は図6の写真を見ればわかるように、各位置4個は上下二段に配置されているようで
す。論文には図は無いですが、下図8のような配置だそうです。
 
           図8 反射鏡配置

光路において、光源S(レンズで絞って入射させています)から出た光は、斜めに置かれた
所謂「ハーフミラー」(実際にはhalf-silverd plate)Dに入り、二つに分かれます。
一方は、そのまま透過して反射鏡T-1に入り反射されて、
 T-2⇒T-3⇒T-4⇒T-5⇒T-6⇒T-7⇒T-8
と十字形アームTの長さの約7.5倍の光路を進みます。
反射鏡T-8で反射した光は上の逆で、
 T-7⇒T-6⇒T-5⇒T-4⇒T-3⇒T-2⇒T-1
と戻り、Dで反射して望遠鏡Tに入ります。

他方は、反射鏡U-1に入り反射されて、
 U-2⇒U-3⇒U-4⇒U-5⇒U-6⇒U-7⇒U-8
と十字形アームUの長さの約7.5倍の光路を進みます。
反射鏡U-8で反射した光は上の逆で、
 U-7⇒U-6⇒U-5⇒U-4⇒U-3⇒U-2⇒U-1
と戻り、Dを透過して望遠鏡Tに入ります。

ちなみに1904年のとき、対面する反射鏡固定部間は黄銅管で補強された松の棒で支持さ
れ、図7のSとTの2か所の反射鏡固定部は鉄鋼ベースに固定され、反対側の二箇所は自
由吊り下げにされていたようです。そして、黄銅管はトラスで支えられていました。
望遠鏡は光学的には反射鏡8に焦点が合わされていると述べられています。

詳細な説明がなされていますが、外乱の影響、実験の容易性などかなり細かく神経が使わ
れ、測定方法もMM実験とは異なっています。測定者は望遠鏡の接眼レンズに目を当てた
まま、装置回転と一緒に装置の周りを移動して縞の移動量の読み取り作業をしています。
測定位置の全16点/干渉計(interferometer)1回転は同じですが、MM実験のようにその位
置に来た時マクロメータの十字を合わせるというようなやり方はしていません。固定矢印頭
(反射鏡固定部の反射鏡のそばに設けられていて視野に入るようにしているようです)が干
渉縞系の位置の固定マークに使われ、中央縦縞のすぐ右側でそれが視野に入るように調
整されたようです。(私の読解力不足で少し誤解している可能性もありますm(__)m)
1周16点それぞれの位置というのは電気信号で把握する方法をとったようです。また、
装置の回転は読み取り作業者が木製フロートに取り付けられた糸を引っ張りながら行わ
れたようです。

使用された光源ですが、実験により、作業性から調整時:ナトリウムランプ、黒の干渉縞を
使うために測定時:白色光であるアセチレンランプとされたようです。
調整の結果、得られた干渉縞は図9のようなものだったそうです。

 
   図9 干渉縞(実験では右側が用いられた)

この1904年の結果から、彼らは、1905年5月発行論文で、

  “if pine is affected at all as has been suggested, it is affected to
  the same amount as is sandstone. Some have thought that this experiment
  only proves that the ether in a certain basement room is carried along
  with it. We desire, therefore, to place the apparatus on a hill to see
  if an effect can be there detected.”

 「もし、松が示唆された全てのように影響されるなら、それは砂岩と同じ量の
 効果である。ある方はこの実験はただある地下室のおけるエーテルがそれ
 に沿って運ばれていることを証明しているという考えを持つ。我々は、それ
 ゆえ、もし、その効果が検出できるなら、見るために丘の上の装置に置き換
 えることを望んでいる。」


と書いています。
ただし、Millerは、このときの手順は正しくなく、地球の合成絶対運動に関する誤った仮定に
基づくものだったと書いていますので、この結果自体転載するのは省略します。

1905年、上記の結論に基づき、試験場所を高度約285mのCleveland Heightsの敷地の仮小
屋に移しました。この際、1904年の実験の光路の長さを決めた木製棒は取り除かれ、全て
の鏡枠は鋼製ベースに固定されて、光学距離は鋼によって決るようにしたようです。
しかしながら、その結果はポジティブではあったものの、1904年の時を若干上回る程度の結
果だったようで、ここでMorley教授は手を引いたようです。で、Miller自身はもっと高い所での
実験の繰り返しの必要性を感じていたそうですけど、諸般の事情から断念したようです。

そうこうしているうちに、1905年にEinsteinが"Special Relativity"の論文を出し、ご存知のよ
うに「エーテルは不要」と主張し、しばらくはまだ、Poincaré/Lorentzなどetherを採るフラン
ス派とEinsteinらドイツ派の議論がたたかわれていましたが、1915年に出した"General
Relativity"が1919年の日食観測結果(Eddingtonによるもの−繰り返し指摘していますが恣
意的結果報告−)により証明されたとして、Einsteinの"relativity"が科学界の主流となり、科
学界では次第にether-driftという概念自体が否定されることになりました。

しかしながら、自らも実験を繰り返してきたMillerは、"ether-drift"は無いとする考え方に強く
反発されたようです。私には彼のその時の思いがよくわかります。苦労して色々な外乱要因
を潰しながらやった報告を、やりもしなかった連中から場所などの影響だろうなどといとも簡
単に無視されてしまったわけですから無念という気持ちが強かったと思いますね。

 Since the Theory of Relativity postulated an exaxt null effect from the
 ether-drift experiment which hade never been obtained in fact, the
 writer[Mille} felt impelled to repeat the experiment in order to secure
 a difinitive result.

 (相対性理論は、実際には決して得られなかったether-drift実験
  から厳密にnullだと仮定した
ので、著者は決定的な結果を確定す
  るため実験の繰り返しを進めていこうと感じた)。


と書いています。

the Carnegie Institution of Washingtonからの資金により、念入りな計画を立て十分資金手
当ての上で実験観察と考察をしたようです。米国科学界の有力者になっていたゆえに可能
だったとは思いますけどね。

実験年・実験場所が示されたタイトルを示しておきますと

・The Mount Wilson Experiment 1921
・Lavatory Tests of the interferometers,Clevent,1922-1924
・The eter-drift observations made at Mount Wilson in 1925-1926


です。以下、論文からポイントだけ抜粋しておきます。

まず、新たに、Wilson山のRock Crusher Knoll−"Ether Rock"と称せられるようになった−の
上に研究house(詳細に造りの説明がなされていますが省略します)を作り、そこに実験装置
を設置しました(標高1750m、近くに100インチ望遠鏡が設置されているところでした)。
試験は、まず1921年4月8日〜21日まで連続して行われました(1904、1905年の装置を一
部改良したもの)。全67組350回転の実験で、10km/sのether-drift結果を得たようです。
ただ、これを発表する前に、ether-driftによるものと同様の効果を与える全ての原因を検討
することにしたそうです−radient heat,centrifugal and gyrostatic action, irregular gravitation
effects, yielding of the foundation, magnetic polarization and nagnetrostriction−。
最初の試験は、1インチ厚さのコルクカバーで完全に覆って、50組、273回転を実施、周期性
から放射熱(radient heat)の影響は除外される(◇)と判定しています。

次に、1921年の夏に干渉計の鋼製枠を黄銅で補強したコンクリートベースに設置、コンクリー
トベースを支える全ての金属部分はアルミまたは黄銅製に改造したようです(磁気と温度の
影響からフリーにするため)。
この装置で、1921年12月42組422回転の観察を実施した結果、4月の結果と完全に一
したそうです。そして、回転方向を変えたり回転速度を変えてみたり色々と条件を変えても
なんら影響は受けなかった(結果は変わらなかった)とのことで、このコンクリート製はこの時
だけで以後は元の鉄鋼製ベースに戻したようです。

それで、この実験装置を再び、以前のClevelandの研究室に戻して、更に1922年と1923年
装置の詳細を色々と変えたり、ヒータで温度条件を変えたりして試験を行っていますが、
結論として、

 These experiments proved that under the conditions of actual
 observation, the periodic displacements could not possibly be
 produced by temperature effects.

 これらの実験は、実際の観測条件下では、周期的変移は温度効果に
 よっては生じないことを証明した


と述べています。色々言われたために徹底的にやったようですね。
尚、このときの装置は図10です。

 
   図 10 1923年の実験装置

次に、1924年に再びMount Wilsonに装置を持って行って再び試験を行っています。
但し、1921年の時は深い谷の端の部分にinterferometer houseを設置していたのをkonll岩
上の位置を変え渓谷の影響を回避する
ようにしました。
このときは、4,5,6月10組136回転の試験をやったそうです。そして、結果は同じだった
(10km/sのether-drift,回転方向での周期性の存在)そうです。

以上の観測結果から、Millerは

 there has persisted a constant and consistent small effect which
 has not been explained.

 (説明できない一定で首尾一貫した小さな効果が残っていた)

と述べています。すなわち、

 (a)ehter-driftは誤差として無視できないこと("NON-NULL")
 (b)半周分の方位角(azimuth)で周期的に変化すること


ということを光を用いた実験で完全に確証したということです。
更にMillerは、

 Previous to 1925, the Michelson-Morley experiment had always been
 applied to test a specific hypothesis.
 The only theory of the ether which had been put to the test is
 that of absolutely stationary ether through which the earth
 moves without in any way disturbing it.
 To this hypothesis the experiment gave native answer.

 (1925年までは、Michelson-Morley experimentはいつも特定の仮説に
  適用されてきた。
  試験に帰してきたエーテルの唯一の理論は、地球がそこを
  何ら外乱を生ずることなく移動する絶対静止エーテルのもの
  であった。この仮説に対して実験は否定的な答えを与えた
)


と述べています。

ここまで読むと、前項@で掲げたEinsteinの1921年と1925年の手紙ににじみ出ているEinstein
の心の動きがよくわかりますね。1921年当時は、試験結果を「温度ドリフト」の影響だろうと
か嘯いていたようですが、それを覆してしまったわけですから。
要するに、Millerは、この1924年までの自らの観測によって、

 MM実験結果を"NULL"だったとすることを前提条件とした
 Einsteinの"Special Relatibity"も、前年1904年に出された
 Lorentz-Ether Theoryも否定した


わけです。要するに、

 事態は1887年のMM実験時点の振出に戻った

ということです。ですから、科学の本来のあり方から考えるなら、この時点で当時の科学界
は原点に戻ってやり直すべきだった
んです。

しかしながらそうはならなかった・・・なぜでしょうか?
私はここにまさに、クーンの科学哲学で述べられていた現実を目にした感を持っています。
要するに、

 基本パラダイムが覆るのは、それに反する実験観測結果
 ではなく、多数の科学者が賛同する代替のパラダイムの
 出現である


ということです。

極めて残念ながら、もう既にそのとき、多くの科学者が、"Einstein's Fantasy"に魅了されてしまって
いたようです。調べた中では少なくとも1955年Einsteinが亡くなるまで、Millerの実験結果報告を覆す
ような有力な反論も見当たらない(説得力のあるものなら、Millerは必ず追加観測をするなどしたと
思いますが、亡くなる1948年まで自分の観測結果を主張つづけたそうですし、なにより、結局ノーベ
ル賞が出なかったという事実がそれを物語っていますね。もし、MIllerの地位的威光だけによるもの
なら、Millerは1948年死亡に対し、Einsteinはその後1955年まで生存していたわけですから、その間
に授けられても不思議ではないわけですので、やっぱり有力な否定的反論などはなかったのだろう
と思います)にも係らず、"relativity"は現在まで、真理だとされたままになっています。
当時、他の人達の実験観測もあったようでMillerは紹介していますが、それらはMiller実験ほどの厳
密性に欠けているとMillerは批判していますし、上記事情からして、恐らくそれらがMiller報告への
有力反論にはならなかったようですね。私は当然だと思いましたが。
ちなみにEinsteinの死後、20世紀後半にMiller実験結果の解析にいちゃもんつけた科学者もいたよ
うですけど、もうRelativity自身が"Holy Theory"になり、すっかり"Anit-relativity"を唱える科学者が
"Cranks"扱いされ、論文や発表がリジェクトされてしまっていたことから、そんなのは単なるおまけ
みたいなもので、正統科学界では議論自体なされず、そもそも、Millerの報告さえ忘れられた存在
になっていたのではないでしょうか?

でも、繰り返しますが、

 Michelson-Morley experimentはRelativityの実験的根拠ではなかった

ことをMillerが詳細に渡る多くの追加実験観測で証明したのです!このことを軽視してはいけないと
言いたいのです。ネット上で「Michelson-Morley experimentはその後も繰り返された」などと主張し
て、"Special Relativity"の正しさを強調し、"Anti-relativity"者は何にも知らないかのように罵倒して
いる人がいますけど、そういう方は、当時のEdingtonら"Einstein's fellow"に踊らされた科学者達の
誤った恣意的主張を「信じている」だけで、実際には、愚かにもおのれ自身が『事実(fact)』について
何も知らないことを自ら暴露しているのです。
やはり、"Special Relativity"は"Michelson-Morley experiment"とは全く関係のない、真の"science"
には程遠い、本質的には根拠のない単なる"Einstein's Fantasy"でしかないのです。
それに当時の科学者が魅了されてしまって、それを綿々と科学界が引き継いできただけの代物です。

ところで、Millerの論文では更に綿々と続いていますが、それは、MM実験と自らの追加実験結果が
なぜそういう結果になったかに関する彼の考察結果です。
その過程で、1925〜1926年の追加実験観測をしたようです。

私自身は理解力に乏しいためか、よく理解でしていないので詳細紹介は省略しますが、彼の思考方向
について参考までに少しだけ触れておきます。興味を持たれた方は原文をご参照くださいm(__)m
Millerはこれについては私は不案内でしたが(実は誤解しかけていたんでしたが)、

 The experiment was applied to test the question only in connection
 with specific assumed motions of the earth , namely , the axial and
 orbital motions combined with a constant motion of solar system
 toward the constellation Heracules with the velocity of about nineteen
 kilometers per second.

 The result of experiments did not agree with these presumed motions.

 (実験は、ただ単に地球の特別な運動、すなわち、速度約19km/sで
  ヘラクレス座に向かう太陽系の一定運動と連動した自転・公転、
  と結びついた疑問をテストするのに適応された。
(◆)
  実験結果はこれらの仮定された運動と不一致だった。)


と述べ、更に、

 The attention was given almost wholly to this velocity of the ether drift,
 and no attempt was ever made to determine the apex of any indicated
 motion.

 (注意はほとんどether-driftの速度だけに与えられ、指し示された運動の
 向点の決定は試みられなかった)


 The ether-drift interferometer is an instrument which is generally admitted
 to be suitable for determining the relative motion of the earth and the ether,
 that is, it is capable of indicating the direction and the magnitude of
 the absolute motion of the earth and the solar system in space
.
 If observations were made for the determination of such an absolute motion,
 what would be the result, independent of any “expected” result?

 (ether-drift干渉計は、一般的に、地球とエーテルの相対運動に適していると
 認められている、すなわち、それは宇宙における地球と太陽系の絶対
 運動の方向と大きさを指し示すことができる装置である

 もし、観測がこのような絶対運動の決定に対してなされるなら、どの「期待
 された」結果とも独立したその結果はなんであろうか?)


と述べています。実験のように(◆)の条件の下で、方位角(azimuth)を変えての計算をした
結果では、実験結果のような周期性はでてこなかったとのことです。

そこで、彼は、

 The absolute motion of the earth may be presumed to be the resultant of two
 independent component motion.

 (地球の絶対運動は二つの独立した成分の運動の合成と仮定してよい。)

とし、

 One of these is the orbital motion around the sun, which is known both
 as to magnitude and direction
.
 For the purposes of this study, the velocity of the orbital motion is taken
 as 30 kilometers per second and the direction changes continuously through the
 year, at all times being tangential to the orbit

 (これらの一つ太陽周りの、大きさと方向の両方が知られている軌道
 運動
[注:公転のこと]である。
 これらの研究の目的のため、軌道運動の速度は30km/sととられ、その方向
 は、年間を通して連続的に変化し、全ての時間で軌道の接線方向である。


はそのままで、

 The second component is the cosmical motion of the sun and the solar
 system
. Presumably this is constant in both direction and magnitude but
 neither the direction nor magnitude is known
; the determination of these
 quantities is the particular object of this experiment.

 (第二の成分太陽と太陽系の宇宙的運動である。恐らく、これは方向、
 大きさとも一定であるが、その方向も大きさも未知である


として、1925年〜1926年にそのための追加実験を行っています。
ちなみに、「太陽系の運動」ですが、前述の「速度約19km/sでヘラクレス座に向かう太陽系の
一定運動」というのは、周囲の星との相対運動であり、絶対運動ではないと述べています。
尚、これは計算では複雑すぎて困難であるため、実験的に求めようとしたそうです。

更にMillerは、地球の絶対運動の方向を観測するには、大きさではねぐった地球の自転も考
慮する必要があると考え、この追加の試験は、

 ・three or more epocs of the year
 ・a period of 24hours

を考慮したようです。

時期(epoc)の差(すなわち、太陽に対する地球の公転位置の差)として、1925年4月、8月、
9月、1926年2月に実施、更に24時間連続試験(自転の影響)を行っています。
これは、大変根気のいる試験であり、MillerはMorley教授が言っていたという

 "Patience is a posession without which no one is likelyto begin
 observation of this kind."

 (忍耐は誰もがこの種の観測を始めたがらないということを
  越えた財産である)


という言葉を引用しています。

論文では約5ページ強に渡って、綿々とどう考えたかの説明がありますが、煩雑になり私自
身十分理解できていないのでそれについては省略し、観測結果だけ示しておきます。

 
   図6 4シースン、24時間の結果

字が小さいので不鮮明ですが、各シーズン、上下二段あるカーブの上側はkm/s単位で表し
た、干渉計に投影された地球とエーテル間の相対運動の大きさを示し、下側は、この投影
された運動がなされる線の、北点からの角度を示しています。
●は平均値であり、太線はその平均値を結んだカーブです。

これより、彼は、向点(apex)の赤経(right ascension)、赤緯(declination)、ether-drift速度、変
移(干渉縞)を求めて次表で示しています。α-magとδ-magは図6のmagnitude曲線、α-Az
とδ-azはazimuth(方位角)曲線から求めたもの(hypothesisによる)とのことです。

 

ちなみに、MIllerはこの「向点」は理論的には北と南の二つあるとし、更に、考察で、南のもの
が合理的としています(私は、よく理解できていません(^^;)

尚、これらの実験解析から、Millerはこの太陽系の運動速度を100km/sオーダと見積もってお
り、ether-drift結果に関しては、少しだけ触れているのですけど、stokesの「ether引きずり説」
を念頭にいたようです。要するに、絶対系に対して、エーテルは静止していないと・・・。


                                   (’15/5)

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