ニコラ・テスラ〜なぜ不当な扱い?(3)

久しぶりにこの話題です(前記事はNikola Tesla〜なぜ不当な扱い?(2)ですが、
scalar waveについて思う事でも少し言及しました)。

たまたま、海外サイトを当たっていましたら、"Tesla vs Einstein"というarticleが沢山ヒッ
トしました。私自身、本コーナーを開設した最初の目的が、このコーナーで記事の多くを
占める「相対性理論への疑念」で、もう今では完全に"Anti-Relativity"、"Anti-Einstein
& Anti-Einstein's suppoter"になっている上、「判官びいき」的かもしれませんけど、更
に"Tesla is greatest genius"という思いを強くしているゆえにちょっと気になりました。

実は、その割にはまだ、私自身、Nikola Teslaのなした「仕事」には十分わかっていない
・不案内なところがあるのは事実で、色々と調べているところです(日本語サイトには私
が求めているものが十分ないため、やむおえず海外サイトを当たっているのですが、ま
すます英語力が衰えてしまっているのでなかなかうまくいっていません(^^;)。
教えていただいたCololad Springにおける研究ノートも読みましたが、その性格上、断片
的な感があり、私が一番知りたい彼の「真髄」の"philosophy"が十分把握できていません
(情けないですが(^^;)

日本でも、最近Nikola Teslaに関する本、訳本を出されておられる方がいらっしゃいま
すが、近所のいくつかの本屋にはないため、目にしていません。そろそろ、Amazonとか
ネット購入するしかないかと思っているのですが。

いずれにしても、意図的かどうか不明ですけど、これだけは誰も無視できない現代電気
文明に多大な貢献をした「交流」の発明ゆえに、完全に名前を消されることはなかった
のですけど、未だに「ラジオ」の発明者の名誉が世間的にはMarconiに奪われたまま−
よく調べて見ましたら、国側の使用に対してMarconiが自分のpatentをかざして無断使
用といういちゃもんをつけたのに対して、基本特許は先にTeslaが出しているとして裁
判沙汰になり、最終的に、国側の主張が認められたすなわち、本来の基本特許は
Teslaが出したものであるということが判明したという事−になっており、更には世紀の
変わり目(19世紀→20世紀)以降の研究が独自と言うか異端扱いになったり、武力への
適用などで国家秘密扱いになったりしたことが"Nikola Tesla was forbidden"という風に
なったのではないかと思います。

日本で知られていないのは、EdisonやEinstenと違い、Teslaは来日していないからだと
いう推測も目にしていますが、「異端者扱い」され日本科学アカデミアやpress/mediaか
らの招きもなかったのだろうと思います。ネット上では西洋でも未だに異端・mad扱いす
る人もいますからね。なぜ、「未だに」と書いたかといいますと、冒頭で示した前の項
でも触れたのですが、アメリカなどではTeslaとその研究を見直す気運があるようで、
"Tesla Society"でググって見るとわかりますけど、米国内の色々な都市にその支部が
できているようです。2000年代になってそういう組織により生誕祭も開催されたそうで
すから。日本では全く知られていないようですけどね。
前に、このTesla Societyはアメリカの他、スイスや彼の母国の現・クロアチアにあるこ
と、そして、クロアチアには「Tesla Musium(テスラ博物館)」があることと述べましたが、
つい最近、スカパー「旅チャンネル」でクロアチアのことをやっていて、その中にこの
「テスラ博物館」が出てきました。Nikola Teslaはクロアチアの方にとっては"Hero"のよ
うです。

Tesla vs. Einstein: The Ether & the Birth of the New Physics(※) という記事には、
下手な訳を示しておきますと

 1890年代のコロンビア大学、Chicago World’s Fair、Isaac NewtonとKelvin卿
 のideaで建立されたパリとロンドンのRoyal Societiesでの講演に置いて、Tesla
 は原子の構成を太陽系と類似した、後にホトンとして知られるようになったも
 のに対して波のような面と粒子のような面のものと論証し議論した。彼が以前
 に講演し、交流した同僚はWilhelm Roentgen、J.J. Thompson、Raleigh卿、
 Ernst Rutherford、Robert Millikanのような多くのノーベル賞受賞者やElmer
 Sperry、Sir William Crookes、Sir Oliver Lodge、Kelvin卿、Heinreich Hertz、
 Hermann von Helmholtzのようなその他の科学者を含んでいた。


とあり、更に、

 私が知る限り、物理学史についての標準教科書では、これらのideaが、それ
 らが更にRutherfordとBohr(彼らの原子核周りを回る電子を持つ原子の太陽
 系説明で)によって発展されたときノーベル賞に、そして、Tesla波と光の粒
 子状説明に等価であるEinsteinの光電子の発見に結びついたのに、Teslaに
 ついては何も述べていない。


と指摘しています。ここにも、不当にTeslaの「物理学者」としての一面が無視さ
れてしまった不自然さが明白に出ていますね。

NewYorkのTesla SocietyのTesla Memorial Society of New Yorkというサイトに彼の業
績が掲載されています。
さりげなく、free energyとかワイアレス電力伝送も入っています。Wikipediaにも写真が
あるWardenclyffe Tower(下図)も入っています。確かワイアレス電力伝送を欧州とや
ろうという目的もあって建立されたものだったはずでしたね。
残念ながら、無線通信の方はもっと簡単な方法で実現されてしまい、Morgenの資金投
入も止められて1906年以降放置され、World warTの頃に取り壊されたとか。
   Wardenclyffe Tower

私は、このようなアカデミア科学界では誰も振り向かなかったような異端的な研究に興
味があるわけで、詳細を調べているのですが・・・

20世紀になってからのTeslaの発言に所謂「オカルト的」なところがあり、J.P.Morganか
らの資金援助がとまってからは基本的に「実験物理学者」であった感がしているTeslaと
しては手足をもがれたみたいなものだったんでしょうね。
結局、Teslaが抱いたHypothesisはfellowも後継者もおらず、悪評だけ伝えられて未完成
で終わってしまったわけです。J.P.Morganからの資金が途絶えた年を見ますと、まさに、
Einsteinが"Special Relativity"を発表した後くらいですねぇ・・・
早々と"Ether(Aether)"を信じたNikola Teslaは、検出できないからそれは不要(ない)と
したEinsteinの革命的な主張の前に科学界で敗れ去ってしまったというわけです。

ま、歴史を考えてみれば、1863年のMaxwellの発表したオリジナルのMaxwell方程式は
無論のことそれをQuaternionで拡張した1872年のものも、それを8割詰めた彼の死後
に発行されたものも理解されず無視され、結局、1890年代初頭にHertzがやっとこさ、
電磁波を実証証明し、その上、Maxwellの死後にHeavisideが最初のオリジナル式を書
き換えてしまい、そこから出てくるのは「横波」だけということで、Teslaが主張した
"Tesla wave(longitudinal wave)"は今もまだそうですが、「存在などしないもの」として
科学界に無視され受け入れられずに現在まで続いていますけど、Teslaの目指したワ
イアレス電力伝送は彼のhypothesisである"Tesla wave(longitudinal wave)"でのもの
であったことは間違いありません。

ただ、前述では"hypothesis"とは書きましたが、Teslaの立ち位置は Rutherfordらと
同様、かつての「実験物理学者」です(ここで、あえて、「かつて」と言っているの
は、以前は「自分自身で実験観測し、そこから理論を組み立てる」という立場の物理
学者−私はそういうスタンスを高く買っています−がいたからです。プラズマ宇宙論
の創設者のノーベル賞受賞科学者でプラズマ物理学の父Hannes Alfvenのらの立場
はそうだそうです。続・相対性理論への疑念(22)〜更なる虚像の証拠〜で引用した
ように1927年にBridgmanと言う方は、そういう理論と同様、観測と実験を行う物理学
者を「本当の物理学者」と書いていたようです。Teslaはただの発明家ではなく高等
教育を受けており、私は「本当の物理学者」の一人だと思っています)から、脳内か
ら出てきたものではなく、彼は、テスラコイルを発明後、それを用いて様々な実験観
測をしており、そこから得た結論だったようです。すなわち、彼は、その観測(例の
Corolado Spring研究所での研究)により、

 「光速を大幅に越える」速度に達している太陽から発している宇宙線
 をとらえた


としたのでした。そして、Colorado Springでの実験観測から、"longitudinal wave)"であ
る"Tesla wave"が無線伝送に使用できると結論付けていたのです。彼のワイアレス電
力伝送はそういう考えで小型モデルを作って特許庁でデモして特許にしていることは前
にも書きました。

そして、それはEinsteinがデビューするより前に彼自身が得ていた結論ですから、この
ことも、TeslaがEinsteinに反対した理由の一つだったようです。

未だ、「とんでも」扱いになっていますが、"longitudinal wave"については、前に、
Maxwellの方程式(6)〜訂正・新たな追記〜の項で示しましたように、物理学者からは
完全に無視されたらしいのですが、当時のイギリスの著名な数学者のE.T Whittakerと
いう人が数学的にスカラーポテンシャルの波を求め、それが縦波(longitudinal wave)
であること、光速より速くて構わないことなどを結論付けた論文を出しています。
また、1972年のQuaternionで拡張した方を更に拡張した研究論文がロシア等で出てい
るようで、それは"longitudinal wave"であって光速を越えているという結論になっている
そうです。これも紹介しましたが、スイスTesla Societyに属されているらしいイタリアの
電気工学系工学博士の方が実験論文をそのスイスのTesla Societで発表されたそうで、
その発表パワーポイント原稿がネットにありました(浅学菲才のため理論部分は理解
できていませんが(^^;)
勿論、未だ、アカデミズム物理学では一般には認められてはいませんけど、こういう論
文が出ていた・出て来たということは、Nikola Teslaが勘違いしてとんでもなことを言っ
ていたというように決めつけるのは、事実ではないのではと思うわけです。
むしろ「とんでも」と決めつけずに、誰かがフェローまたは後継者として研究を続けたな
らもう100年以上たつわけですから、研究が進んで人類に多大な貢献をしたのではな
いかと思いますと残念でなりません。

光だって、Newtonが微粒子説を出す前に波動説を出していた人がいたこと、そして、誤
解していましたが、回折現象がわかって波動説になったというのは嘘で、ヤングの実験
により微粒子説の矛盾が出てきて(波動の方がうまく一致した)ずっとNewtonの威光が
利いて(1世紀くらい)主流になり、大半の科学者はそれに従って研究論文を出してい
たそうですから−波動説が主流になって、自分の当時の誤りを率直に認めた科学者と
しては素晴らしいと私は思う科学者もおられたそうですが−。そんなもんなんです。
科学には「絶対はない」のです。しかし、先に波動説を出した方がいて、途中でもそうい
う実験的又は理論的にそれを支持した科学者がいたにも係らずRoyal Societyの長にま
でなったSir Newtonの威光が100年も続き、それだけ科学の進歩が遅れたことは間違い
ない「事実」です!
ちなみに、このNewtonの威光のあるものは「物理常識」となっていて影響力がある直近
の例を病理学的懐疑論(pathological skepticism)に示しました。
もう一つは、前に、宇宙論のこと(3)に示しました。

おっと話が脇道にそれてしまいました(^^;Teslaに戻ります。
Einstein's Special Relativityに反対したTeslaはこんなことを述べているそうです。

 On a body as large as the sun, it would be impossible to
 a disturbance of this kind [e.g., radio broadcasts] to
 any considerable distance except along the surface.
 It might be inferred that I am alluding to the curvature
 of space supposed to exist according to the teachings of
 relativity, but nothing could be further from my mind.
 I hold that space cannot be curved, for the simple reason
 that it can have no properties. It might as well be said
 that God has properties. He has not, but only attributes
 and these are of our own making. Of properties we can
 sonly peak when dealing with matter filling the space.
 To say that in the presence of large bodies space becomes
 curved, is equivalent to stating that something can act
 upon nothing. I for one, refuse to subscribe to such a view.

 太陽のような大きさの物体において、その表面に沿う以外の任意
 の考えうる距離に対してこの種の外乱[すなわちラジオ放送]を予
 測することは不可能である。私は、相対性理論の教えによって存
 在すると仮定している空間の曲がりに対して言及しており、私の
 心の中にはそれ以上のものはないことが推測されるであろう。私
 は、それは特性を持つことができないという簡単な理由で空間は
 曲がることはできない[という意見を]持っている。
 それは、神が特性を有していると言うのと同じである。彼は持って
 はいなくて、ただ、帰している、そして、これらは我々自身が作っ
 たものである。特性については、我々は空間を充満する物質を扱
 時、いう事ができるのみである。大きな物体の存在で空間が曲が
 るという事は、何かがなにもないものに作用できることを始まりと
 するのに等しい。私個人としては、このような見解に対して署名す
 ることは拒否する。


この言葉の中に、私は、Teslaが"Ather(ether)"に関してどのように考えていたかについ
て把握するとっかかりを見出しました。"it[space] can have no properties"というのと、
"Of properties we can sonly peak when dealing with matter filling the space"です。
前に他の海外サイトから知って書いたのですが、(※)でも、referenceとして、
" Walter Isaacson, Einstein: His Life & Universe, New York: Simon & Schuster, 2007,
p. 318"が示されていて、

 1920年、Leiden大学における、「相対性理論のエーテルと理論」
 についての講演で、Einsteinは、波のような性質を持つからエー
 テルは存在し、伝達媒質として必要であると公然と述べた。
 彼はLorentzにこの点を明らかにすることさえ書いた。


とあり、やはり、Einsteinは後になって1905年当時の見解を撤回したのは事実のようで
す。しかしながら、そんな話は、少なくとも日本サイトでは見たことがありませんでした
から誰も知らないのではないかと思うのですが、(※)では、

 しかし、今まで、そのダメージがなされてきた。この講義はほと
 んど知られておらず、1971年に発表されたEinsteinに関する
 Roland Clarkの分水嶺となる伝記でも無視され、それで20世紀
 と21世紀初頭は完全にエーテル理論を捨てるような形で展開
 された。


とあり、それは、やはり、

 Einsteinは本質的に、その状態よりその発見と、その性質によ
 りエーテルは検出できなかったと認めた。
 Einsteinはまた、もし、エーテルが検出できるなら、彼の相対
 性理論は間違っているということで、かなりその賭け金を釣り
 上げた。Einsteinは更に、もし光が粒子のように伝わるなら、
 それを通す媒質(すなわちエーテル)は必要ないと述べた。
 Maxwell, Faraday, Kelvin, Fitzgerald, Lorentzのような
 当時の偉大な科学者の大部分さえ空間に伝達媒質すなわち
 エーテルがあるはずだという明らかな結論を受け入れていた
 のに、これの全てを軽く扱った。このことが、一般にエーテル
 は存在しないという結論が受け入れられることに繋がり、それ
 がその後の全世紀の今日の立場となっている。彼がこの輝く
 思い違いを処理するのに15年かかったが、そのダメージはす
 でになされていた。


と指摘しています。"Relativity"はそれを発表したとき、当時の科学界に与えた影響が
極めて大きく、そのときのEinsteinの見解の"Ether is not need"が"No ether"となって、
Einstein自身の手から離れて独り歩きしたという私がしていた推測は当たっているよう
です。「時すでに遅し!」。Einsteinはとんでもないことをしてくれたものです。

きちんと調べると、そもそも

 エーテルの存在の反証を上げなかった…彼はただ、[特殊相対
 性理論において]それが存在するかどうかに係らず、光はいつ
 も同一速度で伝わると述べただけ


だったのに{(※)の著者見解]、これ以後、多くの科学者はEtherの研究をやめてしまった
のです。ましてや、それでも「本当の実験物理学者」(前述)はether driftを見出す実験を
やったのですが、全て、Einstein's supporterによって"relativity"の証拠にされてしまっ
たわけです(例:サニャック効果、Michelson-Gale実験など)。

もう一つ、Teslaが"relativity"に反対して述べた言葉がありましたので、引用しておきま
す。

 a mass of error and deceptive ideas violently opposed to
 the teachings of great men of science of the past and even
 to common sense.
 The theory wraps all these errors and fallacies and clothes
 them in magnificent mathematical garb which fascinates,
 dazzles and makes people blind to the underlying error.
 The theory is plike a beggar clothed in urple whom ignorant
 people take for a king. Its exponents are very brilliant men,
  but they are metaphysicists rather than scientists.

 過去の偉大な科学者の教えと常識に対してさえ過激に反対する誤り
 と欺瞞だらけであった。その理論はこれら全ての誤りと誤謬を覆い隠
 し、それらを、魅惑し目をくらまし、人々を底に沈む誤りに対して目く
 らましする壮大な数学的装いを着せている。その理論は無知の人々
 が王に対してとる裸の王位のようなものである。その解釈者は大変
 立派な人であるが、彼らは科学者よりむしろ形而上学者である。


訳に下線を引いたところは、もう、私が抱いている思いずばりです。
Teslaは"metaphysicist"と言っていますが、少し違うのかもしれませんけど、 続・相対性
理論への疑念(25)〜Einsteiniansの思い込み〜
の項で論じましたように、当時の哲学者
がこの理論に参画して色々な解釈をして教科書を出したということに結びついているの
ではないかと思います。ま、だからこそ、「科学ではない」という判断から、relativityには
ノーベル物理学賞が授与されなかったとその時の選定委員会委員長が言明していたそ
うですので(見事に「勝者が書いた科学史では隠されてますけどね)、そういう判断をし
た人はTeslaだけではなかったということです。
少しずつTeslaの考えがわかってきました。長くなりましたし、もう少し調べたいと思いま
すので、今回はここまで。
                                ('16/5)

目次に戻る
次へ