病理学的懐疑論(pathological skepticism)
前項(見えても信じず、見えてないのを信じる科学者)の中でちょっと使ったのですが、その時
あるところからリンクを辿って見た海外サイトに、"patho-skepticism"というtermがありまし
た(⇒EM Drive Rises Despite Pathoskeptic Dirge)。
私の所有している古い英和辞典には掲
載されていないのでネットで当たりましたがずばりが見つかりませんでした。
ただ、"pathological skepticism"というのはありましたので、恐らくこれのことだろうと(patho
は「疾病」という意味があり通常連結語で使われるとありましたから)思いました。こちらは、
google検索では「病理学的懐疑主義」という訳が出てきました。
しかしながら、なぜか、日本語サイトではこれをぐぐっても出てきませんでした。日本では一般
的ではない用語なんでしょうね。私なんぞが不案内なのは当たり前ですなぁ・・・
そもそも、私は、ネットで「懐疑主義者」を名乗られている方達の言説の中味から、この言葉に
良い印象がなく、反射的に「批判的」に見てしまうのですが、「病理学的懐疑主義」という用語
からは徒然ながら「批判的」文節で使用されていることは伺えると思います。
前述で「よい印象がなく」と書きましたが、それは前にNew Inquisition(新しい異端審問)の項
で引用したScience Mysteries/WORLD-MYSTERES.com
というサイトにある"The Suppression
of Inconvenient Facts in Physics"という記事の中のセンテンス(再掲しておきます)
This 'new inquisition', as it has been called by Robert Anton Wilson*
consists not of cardinals and popes, but of the editors and reviewers
of scientific journals, of leading authorities and self-appointed "skeptics"
and last but not least of corporations and governments
(この、Robert Anton Wilsonによって「新しい異端審問」と称せられたものは、枢密卿
や教皇ではなく、科学ジャーナルの編集長や査読者、権威や自称懐疑主義者、
(後略)で構成されている)
で「批判対象」として記載されていて、そこでskeptics(懐疑論者)"というtermを目にしてい
たからでした。そして、ぐぐっていますと、「自称懐疑論者」というのは「真の懐疑論者」ではな
く、中途半端な「懐疑論者」を指すというような指摘があったのでした。
前述の"patho-skepticism"という用語が使われているサイト記事では、
Ardent, outrageous skepticism becoming patho-skepticism often
cloaked on the internet but also to be found in the journals of
science is where one is made to listen to the pesky yapping almost
unavoidably.
(病理学的懐疑主義になる激しいけしからぬ懐疑主義は、しばしばインターネット
上を覆うが、また、人が、ほとんどやむおえず、しつこくきゃんきゃんほえたてるの
を聞かせられる科学雑誌の中に見つけられる。)
とあります。
日本語説明が見付からないので、そのまま"patho-skepticism"で検索したところ、
Pathological skepticism and Pseudoskepticism are terms popularized
by Marcello Truzzi in the 1990's.
(Pathological skepticismとPseudoskepticismは、1990年代にMarcello Truzziに
よって広められた用語である。)
(⇒ココ)
とありました。"Pseudoskepticism"は日本語訳が見つかりませんでしたが、"Pseudo"は「疑似」
という意味です。ちょっといい訳を思いつきません(^^;
そして、更に、
Pathological skepticism refers to excessive skepticism to the
point of "pathology."
(Pathological skepticismは「病理学」の見地で過度の
懐疑主義を意味している)
とあります。
この説明は優しすぎるのではないかと思うのですが、Tag Archive for
というところでは、"pathological skepticism"と"healthy skepticism"の違いの理解する方法とい
うのが書かれていて、
Pathological skepticism is based on faith.
Healthy skepticism is based on evidence.
(病理学的懐疑主義はfaith[信頼、信仰]に基づいている。
健全な懐疑主義は証拠に基づいている)
とありました。この"faith"とうのは「authorityが言っているから」ということに基づくものであるが
However, it’s very important we always remember that these
authorities could be wrong. The history of science is a history
of the consensus being at least partially wrong. This trust in
authorities becomes pathological when it is made absolute.
(しかしながら、これらのオーソリティが間違っていた可能性があることを
いつも思い出すことは重要である。科学の歴史は少なくとも部分的誤っ
ていたコンセンサスの歴史である。このオーソリティへの信頼は、それ
が絶対的になるとき、病理学的になる。)
と。・・・本項で私が言いたかったことがずばり書かれています。
どこかでも同じような指摘を見たことがあるのですが、例えば「地球は平面だ」という人(驚きま
したが、海外のそれも先進国でそれをjokeではなく、本気で主張されている方がおられるようで
すね。ネットで知りましたが。)に対して、「あほか。地球は丸いのだ」とわざわざ罵倒する方
がいますけど、その多くはそう習ったからそう言っているわけです。
(この記事の著者はこれを"Faith-based evidence"と称されていて、それに対して、例えば、
船乗りは自分の体験から自分でそれを知っているわけでそれを"understanding-based
evidence"と称されています )。
ネット上では、「科学常識」を盾に、それに反することをいう人達を「馬鹿、低脳」などと嘲笑罵倒
を繰り返す連中がいますが、自ら実験して体験的に理解しているわけではなく、その多くは
studentとしてauthority or teacherから聞いた、textbookから学んだというのが大半ですよね?
要するに、彼らの言は単に"Faith-based evidence"によるものに過ぎず、patho-skepticだと言う
ことです。
ま、"self-skeptic"の多くは"patho-skeptic"に成り下がっている感がしていますけどね。
冒頭のサイト記事には、そういうのへの皮肉をこめて、
It’s all the rage amongst the frustrated and dim-witted pups
to bite, claw, and pee all over whomever they perceive as having
a chance at becoming an alpha.
(それはアルファになるチャンスを持つと認める人全部に対して、かみつき、
爪をたて、小便をひっかける欲求不満でばかなおびただしい子犬たちの間
にある憤怒である)
と書いています。何か、最近、現在進行形で目にしてますなぁ・・・
('16/5)
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