続・相対性理論への疑念(22)(’15/10)

   〜更なる「虚像」の証拠〜/追('16/5)

しつこい私です(^^;

科学の理論というのは沢山あるのですが、

 他のどの理論をも超越して、"Holy Theory"扱いされ、いわば「神聖にして
 犯すべからず」的な「不磨の大典」扱いされてきたのは、"Special Relativity"
 を置いて他にはないのではないか
(※1)

という気がしてなりません。これは国内だけではなく世界中でのことであり、"Holy Theory"というterm
はAnti-Relativityの英語サイトからの引用です。既に書いてきましたが、西洋でもCrameの声を上げ
た科学者達は科学界から"cranks"などと嘲笑されてきたようです。
そして国内だけではなく、英語サイトでもAnti-relativity派に対して"fool"と罵倒している方達もおられ
ます。反対者・疑念者を"cranke""cranks""fool"などと罵倒しているのは"Special Relativity"だけくら
いではないでしょうか?

しかして、それは、一つには、1905年の論文(ON THE ELECTRODYNAMICS OF MOVING BODIES)
で、この"Special Relativity"を発表した「Einstein崇拝」があるからだろうと思っています。
ネットを見ればそれは一目瞭然で、実に多くの人が"believer of Einstein"のようで、それを公言され
ている方もおられます。西洋では、子供のころから「Einsteinは偉大な天才物理学者」"genious and
hero"として教え込まれている(いわば「洗脳されている」)ようです。日本でもメディア等によりそれが
伝えられてそういう風に思い込まれている方達も沢山おられる気がします。
英語のサイト見ていると、Relativity正しい派の方がAnti-relativityの方に「あなたはEinsteinがお嫌
いなんですね?」などと本質的な科学議論とは離れたことを言っているのを目にしました。

従って、これも既に書いて来たのですが、それゆえに、

 "Special Relativity"はいわば"Divine Albert's Divine Theory"扱いが
 されてきた
(※2)

わけで、(※1)となっているのではないかと思うのですが、うがちすぎでしょうか?

そういう20世紀に綿々と続いた「Einstein信仰」風潮に一矢を放ったのが、今世紀の初めに在野の方
が出した本であったようです。Relativistsは無視したそうですが、フランスでは大議論が沸き起こった
そうです。私はその本を読んでいないのでその作者と同じ方か不案内ですが、英語サイト3か所くら
いで見つけた同一人物による"Albert Einstein :Plagiarist of century"という記事がありました。
米国雑誌にも投稿・掲載されているようで、続・相対性理論への疑念(15)〜作り上げられた虚像〜
で紹介しました。で、そこで既に示しましたように、Einsteinは誰から"plagiarize"したかですが、それ
はフランスのPoincaréです。そして、それは続・相対性理論への疑念(15)〜Poincaré〜 で書いた
のですが、今回、実は既に、1967年に詳細に指摘した論文が出ていたことを知りました。

これは、How Much of Modern Physics is a Fraud? (現代科学のどれだけ多くが詐欺か?)というサ
イトの"8. What is wrong with relativity?"という項目の中でほとんど丸々引用されていました。
その論文は、G. BURNISTON BROWNという方のもので、タイトルは
"What is wrong with relativity?"というものです。引用論文のheadには、

"From the BULLETIN of The Institute of Physics and the Physical Society, pp. 71-77, March 1967
The Institute of Physics headquarters is 76 Portland Place, London W1. Tel 0171 470 4800.
Reproduced here by permission of The Institute of Physics.
"

とあります。
本サイトの紹介文によれば、この600語の論文は長い間知られずにいたそうで、これに対する応答は
発見されず、このサイトでは

 in fact, it often happens that a book or paper which is unanswerable, or
 difficult to answer, never receives any answer

 (実際、反駁できないまたは答えるのが困難な本または論文は決して応答を受けて
 いない)

と推測していますが、不都合のため科学界からはガン無視」されたんでしょうね。
そういう事情ゆえ、サイト主さんは、(ほとんどまるまる引用することに)弁解をしないと書いています。

そのあたりを孫引用しておきます(下線は私が勝手につけたものです)。

 Poincaré preferred to raise this failure to a ‘principle’ -the principle
 of relativity- saying: “The laws of physical phenomena must be the
 same for a ‘fixed’ observer as for an observer who has a uniform
 motion of translation relative to him, so that we have not, and cannot
 possibly have, any means of discerning whether we are, or are not,
 carried along by such a motion.” As a result there would perhaps be
 “a whole new mechanics, where, the inertia increasing with the velocity,
 the velocity of light would become a limit that could not be exceeded”

 (ポアンカレは「原理」に対するこの失敗を起こすことに言及し、−『相対性原理』−
 「物理現象の法則は「固定」観測者に対して、彼に対して相対的な均一の並進運動
 している観測者に対すると同じであらねばならない。それで、我々はこのような運動
 にそっているかそっていないかを区別する何らかの手段を持たない、おそらく持てな
 い」。結果として、恐らく「速度と共に増大し、速度が越えられない制限となる全てが
 新しい力学」があるだろう」(Poincaré 1904)

上記の「この失敗」というのは、Michelson-Morleyの実験で、光を伝達する存在として当時信じられて
いた「静止エーテル」が見出されなかったことですね。
ここに、PoincaréはEinsteinより前に既に「相対性原理」と「速度制限」の概念を有していて、提示して
いたことが示されています。更に引用します。

 It will be seen that, contrary to popular belief, Einstein played only
 a minor part in arriving at the main ideas and in the derivation of
 useful formulae in the restricted, or special, theory of relativity

 (一般に信じられているのに反し、Einsteinは主ideaへの到達と限定された、
 または特殊の相対性理論の有用な公式の導出において、単にマイナーな
 役割を演じただけ
であることがわかるだろう)

と言い、次のような根拠を示しています。
これは前にも触れましたが、Whittakerという人の指摘に言及しています。

  Whittaker calledit the relativity theory of Poincaré and Lorentz,
  pointing out that it had its origin in the theory of aether and
  electrons
(Whittaker 1953)
  ( Whittakerは、それをPoincaré and Lorentz理論と呼び、それはエーテル
  と電子の理論の元であったことを指摘していた)

そして、このことは、Keswaniという人が確証していて、

 "As far back as 1895, Poincaré, the innovator, had conjectured
 that it is impossible to detect absolute motion. In 1900 he
 introduced ‘The principle of relative motion’ which he later
 called by the equivalent terms ‘The law of relativity’ and
 ‘The principle of relativity’ in his book Science and Hypothesis
 published in 1902. He further asserted in this book that there is
 no absolute time and that we have no intuition of the ‘simultaneity’
 of two ‘events’ [mark the words] occurring at two different
 places.
 In a lecture given in 1904, Poincaré reiterated the principle of
 relativity, described the method of synchronization of clocks
 with light signals, urged a more satisfactory theory of the
 electrodynamics of moving bodies based on Lorentz’s ideas
 and predicted a new mechanics characterized by the rule that
 the velocity of light cannot be surpassed. This was followed in
 June 1905 by a mathematical paper entitled ‘Sur la dynamique
 de l’électron’, in which the connection between relativity
  (impossibility of detecting absolute motion) and the Lorentz
 transformation, given by Lorentz a year earlier, was recognized.
  In point of fact, therefore, Poincaré was not only the first to
 enunciate the principle, but he also discovered in Lorentz’s work
 the necessary mathematical formulation of the principle. All this
 happened before Einstein’s paper appeared
 
(Keswani 1965)
 (「1895年まで戻ると、改革者ポアンカレは絶対運動を検出するのは不可能
 であると推測していた。1900年に彼は、彼が後に、同意義の用語『相対性
 法則』と、1902年に発行された彼の本Science and Hypothesisでは『相対性
 原理』によって呼称していた『相対運動原理』を導出した。彼は更にこの本
 の中で、絶対時間はないことと我々は、二つの異なる場所での二つの『出
 来事』[言葉に留意のこと]の『同時性』の直観的知覚を有していないことを
 主張した。
 1904年の講演で、ポアンカレは相対性原理を何度も繰り返し、光信号での
 時計の同期化方法を述べ、Lorentzのideaに基づく運動体の電気動力学の
 ずっと満足いく理論を主張し、光速は越えることができないというルール
 を特色付けた新しい力学を予言した。これは1905年1月に‘Sur la dynamique
 de l’électron’と題された数学論文、その中で相対性理論(絶対運動
 検出は不可能)と1年前にLorentzにより与えられたLorentz変換との間の関
 係が認識された、により後追いされた。
 それゆえ、事実上、ポアンカレは最初にその原理を発表したばかりか、Lorentz
 の仕事に置いて必要な原理の数学的公式を発見したのである。このことは
 皆、Einstein論文が明らかになる以前に起きている
」)

実に衝撃的ではありませんか?Einsteinの"Special Relativity"の基本コンセプトの悉くがPoincaréが
先に示したもの
であり、実質PoincaréがLorentzに協力して導出したというLorentz変換式も先に示さ
れていたにも係らず、Einsteinは1905年の論文では、一切それをreferenceとして示さず、全て自分で
考え出したかのように誤解されてしまう形としたのです。
これを「剽窃」と言わずに何を「剽窃」というのでしょうか?先のPlagiarist of centuryという批判は、前
に書いたような「言い過ぎ」では決してなかったという事です。理論の主題idea部分はまるまるパクリ
じゃないですか?

前に、このreference無しについて、かのMax Bornが批判したことを引用紹介しましたが、合わせて次
のように言っているそうです。

 “It gives you the impression of quite a new venture. But that is,
 of course, as I have tried to explain, not true”
(Born 1956)
 (「それはあなた方に全く新規の冒険の印象を与える。しかし、それは、勿論、
 私が説明を試みたように真実ではない)

しかしながら、現在の「相対性理論」に関する本は悉く、Einsteinマンセーで、Poincaréの名前などほ
とんど全く出てきません。
現代の科学界・メディアとその訓育を受けた一般市民は、続・相対性理論への疑念(15)〜Einsteinians〜
で言及したように、"General Relativity"の考察過程については大いに語ったのに、"Special Relativity"
のそれについては口を濁して語らなかったこと(Einstein's supporterの方が調べて見つけられなかっ
たと正直に告白している)ことや、「Michelson-Morley experimentを知っていたとかいや知らなかった」
などという後世の人々の議論があったりするようにEinstein自身による「ごまかし」や、1919年以降、
EddingtonらEinstein's supporterらによる策謀の中での「歴史ねつ造」にすっかり騙されて来たんです。
まさに、事実は、contrary to popular beliefなのです!
看過してはならない極めてけしからん話ではないでしょうか?(ー_ー)!!

これは日本だけではないようですが、少なくとも、現在の科学者は「事実を知らない」か「知っていて
あえて隠している」るかのいずれかでしょう。前者だったら情けない話ですし、後者だったら極めてけ
しからん話ですよね(-_-メ)。

そして、声を大にして言いたいのですが、先般の理研問題で、多くの方達が小保方嬢の論文を剽窃
だ(だからねつ造論文だ)として大攻撃しましたけれども、「あなたたちが"genious & hero"として
believerさえおられるEinsteinの1905年の論文はどうだったか」という事です(誤解されるといけない
ので言明しておきますが、私は別に小保方嬢擁護者・支持者でもありません)。ここまで、まるまる
先に出ているPoincaréの概念を書いていながら、Einsteinは、「いかにも全て自分で考えついた」か
のようにして、全く"reference"を示さなかった−Poincaréに言及さえしなかった−のです。
コピペどころの話ではありません。
間違いなく、

 Einsteinの1905年の論文は剽窃にまみれたとんでも論文だった

ということは明確でしょう。そして、ネット上で、小保方嬢攻撃していた方が攻撃の中で言及していた
ように、

 「剽窃」がある論文は「ねつ造論文」であり、たとえその結果が正しくても
 その論文を書いた科学者は「科学者失格」である(科学界から放逐され
 るのは当然である)


なら、Einsteinをアカデミズム科学界に招いたことは、当時のドイツ科学社会の大きな失策だったとい
うことにさえなるのではないでしょうか?

Esinteinがした「仕事(work)」というのは、Poincaréのideaをいかにも全て自分で考えたように装い、独
自解釈しただけのもの−矛盾する二つのpostulateを"Cuckoo Process"で数学的(トリック)操作
より、既に発表されていた権威・LorentzによるLorentz変換公式を導出した−にすぎないということで
す。ここで、"Cuckoo Process"と書きましたが、本論文内に次のようにありましたtermの引用です。

 We see, then, that ‘relativity’ is not an ordinary physical theory:
 it is what Synge calls a “cuckoo process” ; that is to say, Nature’s laws
 must be found first, and then they can, perhaps, be adapted to comply with
 the overall ‘principle’.
“The eggs are laid, not on the bare ground to be hatched in the clear light
of Greek logic, but in the nest of another bird, where they are warmed by the
body of a foster mother, which, in the case of relativity, is Newton’s physics
of the 19th century” (Synge 1956).

 (我々は、そのとき、『相対性理論』は普通の物理学理論ではないことを見る:
 それは、Syngeが「カッコープロセス」と呼ぶものである;すなわち、自然の法則が最初に
 発見されなければならず、それらは、恐らく、全ての『原理』に従うことが採用される。
  「卵は産まれるが、ギリシャ論法に照らして孵化するのは裸の大地上ではなく、養母の
  体によって温められる他の鳥の巣、相対性理論の場合は19世紀のニュートン物理学
  の中である」)(Synge 1956)

この前段で、G. BURNISTON BROWNは次のように書いています。

 Einstein’s attempt to derive the Lorentz transformation equations
 from the principle of relativity and the postulate that the velocity
 iof light is ndependent of that of the source would (if it had not
 involved a contradiction)have made Lorentz transformations
 independent of any particular assumption about the construction of
 matter (as it had not been in Lorentz’s derivation). Thisfeature,
 of course, was pleasing to the mathematically minded, and Pauli
 considered it an advance. Einstein said that the Lorentz transformations
 were “the real basis of the special relativity theory” (Einstein 1935),
 and this makes it clear that he had converted a theory which,
 in Lorentz’s hands at any rate, was a physical theory (involving,
 for instance, contraction of matter when moving with respect to
 the aether) into something that is not a physical theory in the
 ordinary sense, but the physical interpretation of a set of algebraic
 transformations derived from a principle which turns out to be a rule
 about laws, together with a postulate which is, or could be, just the
 algebraic expression of a fact -the independence of the velocity of
 light of that of the source (experiments already done appear to confirm
 it but more direct evidence is needed).

 (Einsteinの相対性原理と光速が光源の速度には依存しないということからの
 Lorentz変換の導出の試みは、(もし、それが矛盾を含まないなら)(Lorentz
 の導出のように)物体の構成についてのある特定の想定とは独立のLorentz
 変換を作った。勿論、この特色は数学的心には歓迎され、Pauliはそれを進歩
 と考えた。EinsteinはLorentz変換は『特殊相対性理論の実際の基礎』である
 と言っていた(Einstein 1935)。そして、これはある程度、Lorentzの手の中では
 物理理論(例えば、エーテルに関して動く物体の収縮を含む)であった理論を
 普通の意味では物理理論ではない何かに変換してしまった
、しかし、一組の
 代数変換の物理的説明は事実−光速の光源の速度からの独立性(実験は
 既にそれを確定していると明らかにされているが、ずっと直接的証拠が必要
 である)の数学的表現である、または、できたpostulateと共に、法則に関する
 ルールに転じられている原理から導出された)

この、"Pauli considered it an advance"が私には20世紀物理学が侵されている病巣の発症であ
と考えています。そういうことを示唆されているんですね。

ま、どうやら、19世紀前半、実験物理学者Faradayの実験的発見や思考概念に当時の"mathematician"
は反対したという話から、そういう"reality"を軽視して、「数学的操作による理論」をよしとする風潮は
既に科学界に綿々とあったんでしょうね。

実は、この論文の最初の方には、私が、前に特殊相対性理論への疑念(全面改定版5)で「反対して
いたのは実験科学者のようだ」と推察したことが正解であったことが示されています。次のように書か
れています。

 Genuine physicists - that is to say, physicists who make observations
 and experiments as well as theories -have always felt uneasy about
 ‘relativity’. As Bridgman said, “if anything physical comes out of
 mathematics it must have been put in in another form” . The problem was,
 he said, to find out where the physics got into the theory (Bridgman 1927).

 (本物の物理学者−すなわち、理論と同様、観測と実験を行う物理学者−は
 いつも相対性理論について落ち着きの無さを感じていた。Bridgmanは「もし、
 物理的な何かが数学から出てくるなら、それは他の形で説明されなければなら
 ない」と言っていた。彼曰く、問題は物理学が理論に入るところに発見される)
 (Bridgman1927)

前にも示しましたが、かのRutherfordは反対科学者だったようで、実験を基本とする科学者はRutherford
側についたようです。こんな逸話も示されています。

 [..] After Wilhelm Wien had tried to impress him with the splendours
 of relativity, without success, and exclaimed in despair
 “No Anglo-Saxon can understand relativity!” ,
 Rutherford guffawed and replied “No! they’ve got too much sense!”

 (Wilhelm Wienが相対性理論の輝きで彼を感銘させようと試みたが、成功せず、
 絶望のあまり「Anglo-Saxonは誰も相対性理論を理解できない!」と嘆いた。
 Rutherfordは大笑いして、「いいや!彼らは非常に多くの分別を得てきた!」と
 答えた。)

結局、私が推察していたように、Einsteinの"Special Relativity"に反対した科学者は、決してよく言わ
れるような「保守的」な発想ではなく、先に、その基本概念のことごとくを示し、「物理理論」とした理論
を出したPoincaré/Lorentz派と、"reality"を重視する−すなわち、理論と同様、観測と実験を行う
G. BURNISTON BROWNによれば「本物の物理学者(Genuine physicists)」たちだったというわけです
(Rutherford、Nikola Tesla、Dayton Millerらはその一人でしょう)。
一方、賛成派は、Pauliら「数学的心」が強い科学者や、Eddingtonらのような、Einsteinと共通するイデ
オロギーと野心に満ちた科学者らであったということですね。
そして、なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜や、
続・相対性理論への疑念(15)〜作り上げられた虚像〜などで指摘したように、1919年のEddingtonの
「真の科学者」であることを捨てて「悪魔に心をうってしまった」かのような虚偽発表と"Hero"願望の庶
民に媚びを売ることで儲けることをたくらんだ(特に米国の)pressによる宣伝そして、不幸なHitlorの
出現、先にPoincaré/Lorentzの死亡があったなどから、たちまちのうちに"Special Relativity"は"Holy
Theory"に、そしてEinsteinは"genious & hero of physics"に祭り上げられて今日に至っているわけで
す。そして、大変けしからんことに、Relativistsは決してPoincaréには言及しない・・・

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(追記)'16/5
2002年に出版された本については、その頃は全く"relativity"に関して興味をなくしていた頃で私自身
は全く不案内でしたが、どうやら、それは、2002年にChristopher Jon Bjerknesという方が著した"The
Incorrigible Plagiarist"というものだったようですね。

私がネット上で目にし、続・相対性理論への疑念(15)〜作り上げられた虚像〜というarticleをしたた
めたのでしたが、そのサイト記事はこの著者の物ではなかったようです。しかし、英語サイトではこれ
に関して、出版以来、山のようにarticleが出てきて、議論されてきていますね(今現在に至るまで)。

20世紀では、実際には、続・相対性理論への疑念(15)〜3789件ものClaim〜 で触れたように理論生
誕以来、現在に至るまで、途切れることなく綿々と"relativity"に対する反証論文が科学界の中で出
ていたようですが、New Inquisition(新しい異端審問)で引用言及したように、それらの論文の多くは
rejectまたは無視され、公式の場で口に出すことも妨害され、そういうことが一般下々には隠されて
来たのですけど、どうも、次第に"relativity"に分が悪い状況になってきたのかそういうEinsteniansに
よるタガが緩み始めて来たのか、前世紀の終わりごろには、続・相対性理論への疑念(18)〜EinsteiniansB〜
で触れたように、"Anti-relativists"に対して理論を誤解していると説得することを目的としたらし
い公式の議論の場が開催されたそうですが、主催学者の思惑とは異なり、それまでほとんど繋がり
の無かった"Anti-relativity"の方々が沢山出席して互いに知り合うようになり、肝心の説得自体不調
に終わったらしいという・・・そういう少しずつ変わって来た時代の趨勢の中で、このような本が出版さ
れたのだろうと思うわけです。そして、Amazonではこの本に五つ星評価しているものがいくつもありま
した。読む前はネタ本みたいに思っていた方が読んですっかり考えを変えたという方もおられました。
私が2009年になって、初めて"relativity"に関してネット検索したとき、2005年頃でも、日本サイトで
は"Anti"に対しては「嘲笑罵倒の嵐」状態であったことを目にしていた日本は、如何に欧米から遅れ
ているかを改めて知りましたね。
日本語サイトと異なり、英語サイトでは、"Einstein is a liar, plagiarist"というようなsentenceが多数あ
りますね。ま、欧米では、特に今世紀になって、子供の頃から綿々と教えられてきた"Einstein is genius
and hero of physics"という「伝説」「神話」には陰りが出てきたのは事実でしょう。
ま、それでも日本は特にそうですが、「日本人は世界中で一番英語が苦手である」という指摘をする
方がおられるように(私がその「苦手」な一人です。hearingが駄目で英会話習得で挫折しました(^^;)
気楽に欧米サイトにアクセスできない上、日本のマスコミ・メディアはそういうのに触れませんので
未だ「知らない」のか、「Einsteinは天才物理学者だ」と思い込んでそれをネットで書き込む方々も多く
「天才Einsteinが生み出した相対性理論は素晴らしい」とその真偽に一切疑念など抱いていない方達
が沢山見られますね。いやはやなんですが。

で、私が本項をしたためたのは、"Einstein was not genius, but plagiarist"であったことは、その本が
出版されるより35年も前の1967年に既に指摘する論文が出ていたのに無視され隠されていたとい
う極めてけしからんことがなされてきたことを強調しておきたいと思ったからでした。

古い分、当時を知る同時代の方がまだおられたのですから、その信憑性は高く、したがって、既に、
そういう昔に指摘する論文があったということは、著者はアマチュアの方かもしれませんが、この
2002年本の信憑性の傍証になると思うのです。

ただ、誤解を招かないように言明しておきますが、"Einstein was a liar and plagiarist"だったから
"relativity is wrong"だと言っているわけではありません。そうではなくて、世に蔓延っている「『相対性
理論』は天才Einsteinが生み出した天才的理論である」という誤った信仰をまずは打破しておきたい
がためです。なぜなら、どうも「真摯に科学を考え論じる前に、Einsteinians(relativists/supporters/
believers)によって作り出されたEinstein偶像がそれを歪めてしまっていると強く感じているからです。
要するに「Einstein教」という一種の"religion"が蔓延っているゆえです。「公正」ではないのです。

「勝者が書いた科学史」においては矮小化されてしまっていますけど、"Lorentz Ether theory"が捨てら
れて"Special Relativity"が生き残ったのは、決して"Lorentz Ether theory"の誤りが見出されたからで
はありません!!続・相対性理論への疑念(18)〜SRTとLorentz Theoryについて〜で言及しましたが
Eddingtonら当時のEinstein's supporterらの陰湿な暗躍、時代背景そしてここでも「売らんかな」のマス
コミ(press)らによりなされた結果でしかないのです。

したがって、"relativity"の是非は1887年の"Michelson-Moreley experiment"発表時代に戻って練り直す
べきだと思うのです。"Eistein's Supporters"によるバイアスがかかったもので判断するのは間違ってい
るといいたいのです。

日本では知られていませんが、欧米では"ether"は"Aether"の名で復活して、論文が出されたり議論が
されています(⇒エーテルの復権?)。日本人が知らないだけです。
日本は欧米より遅れているだけです。なんせ、この国の最高学府が「欧米科学界の権威筋」がやってい
るものだけが正統科学だと考え、それしかしないゆえに、それに右倣えの日本科学ジャーナリストはそ
れしか報道しない(最高学府が否定的なのものは速攻で否定的に攻撃側に回る)からでしょうね。
彼らは「なぜその最高学府内からノーベル賞受賞者がほとんど出てこないのか」真の理由を考えたこと
ないのでしょうね。
                           ('15/10)



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