続・相対性理論への疑念(16)〜Poincaré〜
前項およびここで、私は、色々と隠されて来た歴史を調べた結果として、
"Einstein's Special Relativity"はEsintein's fellowsの
『作為』によりmain streamに仕立て上げられた『虚構』
であることを示しました。すなわち、決して、正しい派の方達が主張されるような
「多くの物理学者の反論・反証に耐えてきたもの」だから、
現代物理学の基本理論になれたわけではない
ということを示しました。
ただ、前項では触れませんでしたが、実は私の中に一つだけわだかまりが残っていました。
再度、調べた中に、私にとって、一つの回答が示されている記事を発見しました。それは、
Poincaréに係ることでした。
またも、ちょくちょく引用させていただいてきた"the general science journal"に沢山投稿され
ているR.J.Andertonという方のscience essayです。
実は、これまでは、他のサイトからのリンクで見つけて読んでいたのですが、今回、投稿リ
ストを見つけましたので、とりあえず関心のある分(pdf)をいくつかプリントアウトして、読んで
いるところです(⇒Papers wrtten by Roger Anderton)。
ちなみに、これまで読んだところを総合しますと、この方は、"Einstein's" Special Relativity"
批判者というスタンスのようです。そして、多くの、"Einstenian"および"Anti-Relativity"の方
達の言説を引用して分析され批評されてています。
その中に、The different theories of Special Relativity: Poincare's theory
というのがありま
す。このessayでのこの方の主張は、
the real difference might be that both Poincaré and Einstein had
the same theory, but Einstein had lots more of the mistake
(事実上の差は、PoincaréとEinsteinは同じ理論であるが、Einsteinは
多くの過ちをしていることであろう)
ということです(下線は私が勝手につけました)。
で、これまで、肝心のPoincaréが直接示した概念が見つからなかったのですが、ここでそれ
が示されていました。「Poincaréの哲学」が伺える言葉です。"Science and Hypothesis"とし
て、次のように述べているようです(長いですが、そのままcoppy&pasteしましたm(__)m。
但し、下線は私が勝手につけたものです。尚、下手な和訳をつけておきましたのでご参考
まで)。
"Space is another framework which we impose on the world.
Whence are the first principles of geometry derived? Are they
imposed on us by logic?
Lobatschewsky, by inventing non-Euclidean geometries, has
shown that this is not the case. Is space revealed to us
by our senses? NO ; for the space revealed to us by our
senses is absolutlely different from the space of geometry.
Is geometry derived from experence ? Careful discussion
will give the answer no ! We therefore conclude that
the principles of geometry are only conventions ; but these
conventions are not arbitrary, and if transported into
another world(which I shall call the non-Euclidean world,
and which I shall endeavour to describe), we shall find
ourselves compelled to adopt more of them . In mechanics
we shall be led to analogous conclusions, and we shall
see that the princples of this science, although more
directly based on experience, still share the conventional
character of the geometrical postulates."
(空間は我々が世界の上に重ねた他の枠組みである。この最初
の幾何学原理はどこから導き出されたのであろうか?それらは
論理によって、我々に乗じているのだろうか?
非ユークリッド幾何学を考え出したobatschewskyは、これはそ
のケースではないことを示した。空間は、我々に、我々の感覚
によって現れているのであろうか?ノー;なぜなら、我々の感
覚によって我々に現れている空間は幾何学空間とは絶対的
に異なっているからである。
幾何学は実験によって導き出されたのであろうか?注意深く
議論すると、答えはノーである。我々は、それゆえ、幾何学原
理はただ、慣習的なものだということである;
しかしながら、これらの慣習は恣意的なものではなく、もし、他
の世界(私は非ユークリッド世界と呼称するつもりであり、そう
記述することにつとめる)に変換されるなら、我々は、我々自身
にそれら以上のものを採用することを強いることを見るだろう。
力学において、我々は類似の結論に導かれるであろうし、ずっ
と直接的に実験にもとづいているけれども、この科学原理は幾
何学的仮定の習慣的な性質を共有するであろう)
そして、その後で、次のように述べているようです。
"1.There is no absolute space, and we only conceive of
relative motion ; and yet in most cases mechanical facts
are ebuciated as if there is an absolute space to which
they can be referred."
(絶対空間はなく、我々はただ相対運動を理解しているだけである。
しかし、大部分の場合、力学的事実はあたかも参照できる絶対
空間があるかのように宣言している)
"2.There is no absolute time. When we say two periods
are equal, the statement has no meaning, and can only
acquire a meaning by a convention."
(絶対時間はない。我々が二つの時間間隔が等しいというとき、
その言説は意味がなく、ただ習慣による意味を得ているに過ぎ
ない
"3.Not only have we no direct intuition of the equality
of two periods. but we have not even direct intuition of
the simultaneity of two events occurring in two different
places. I have explained this in an article entilted
" Mesure du Temps." "
(我々は二つの時間間隔が等しいという直接的直観をもって
いないばかりか、二つの異なる場所における二つのイベント
の同時性の直接的な直観も持っていない。
私はこれを"Mesure du Temps"と名付けた項で説明した)
"4.Finally, is not our Euclidean geometry in itself only
a kind of convention of language?"
(最後に、我々のユークリッド幾何学はそれ自身、単に、一種
の言語的慣習ではないだろうか?)
"Mechanical facts might be enunciated with reference to
a non-Eucreadean space which would be less convenient
but quite as legitimate as our ordinary space ; the
enunciation would become more complicated, but it still
would be possible.
Thus, absolute space, absolute time, and even geometry
are not conditions which are imposed on mechanics. All
these things no more existed before the truths which are
expressed in French. We might endeavour to enunciate
the fundamental law of mechanics in a language
independent of all these conventions; and no doubt we
should in this way get a clearer idea of those laws in
themselves."
(力学的事実は慣習的ではない、しかしながら、我々の普通の
空間と全く同様に正しい非ユークリッド空間を参照して宣言
できるかもしれない;その宣言はずっと面倒なものとなるで
あろうが、それでもそれは可能であろう。
このように、絶対空間、絶対時間そして幾何学さえ力学にし
いる条件ではないのである。これら全てのことは、フランス
語では、述べられる真実の前には存在しないと。
我々は、これら全ての条件に独立な言語で力学の基本法則を
発表するよう努めるであろう;そして、疑いなく、我々はこ
の方法でそれら自身の中にあるそれらの法則のより明らかな
ideaを得るであろう)
驚きました。現在、"Einstein's" Special Relativityとして教えられている「独創的概念」の大半
じゃないですか?
だからこそ、前項でちょっと触れたのですが(但し、その時の資料では年代が不明でしたが、
わかりました)、イギリスの数学者E.T.Whittakerという方が、"A History of the Theories of
Aether and Electricity"の1953年の第二巻で、
the British mathematician strongly argued against Einstein's "paternity"
of relativity, which he christended the "Poincaré-Lorentz theory"
(イギリスの数学者は(彼が)「ポアンカレ-ローレンツ理論」と名前を付けた"relativity"
がEinsteinの「作のもの」であるとすることに強く反対論を出していた)
と書いていますけど、別項でも触れていますが、具体的な中身が記録がないらしく詳細な言
及したものを目にしていないので推測ですけど、別項で触れたように、当時ドイツ派vsフラン
ス派の激しい論争があったのは事実のようですし、Einsteinはドイツ国内で評価されたようで、
前項で触れたように、早くも1909年にアカデミズム科学界に招かれ、1912年には母校の教授
職についてRelativityの講義をしていたようですから、恐らく、特にフランス側では"relativity"
の名誉はPoincaréのものだという主張(1905〜1910年代の論争時からか1920代にフランス
で復活した論議のときのものか不明ですけど)があったものと思われますが、そんなことが
あったことさえ一般下々には隠されてしまっていたんですねぇ。それを、今世紀になって暴き
だして本を出した方がおられるて特にフランスなどでは物議をかましたということですなぁ。
ただ、上のPoincaréの言説をよ〜く読んで考えてみました。そして、多くの人が思い違いし
ていると思うのは、
現在、"Special Relativity"と称して教えられているものは、決して
"Einstein's only and original theory"ではない
ということです。このessayの方の主張は、他のessayも読んでいますが、
EinsteinはPoincaréの主張を間違って理解し、Einsteinians
(Relativists/Einstein's fellows/beleivers)がそれを更に間違って
理解して教えて来た
というものです。私もこの意見に賛成です。ですから、その意味では
『特殊相対性理論(Special relativity)』は、Poincaré theoryとは
異なるのだ
というEinsteinianの主張はその通りですけど、私の主張は
現在、『特殊相対性理論(Special relativity)』と称せられている
ものは、Poincaré's "principle of physics relativity"とは異なる
ということです。結局のところ、彼らは
そもそもの"only Einstein's original hypothesis"の概念の大半
はEinsteinの独創的なものではなく、Poincaréのものであり、
結論のLorentz変換式は"Poincaré-Lorentz theory"のもので
ある
ことに気が付いていないというか、そういう結論を望まず、「両者は違うのだ」と反論している
ようですなぁ。どこかで同じようなことを主張している人がいてちょろっと批判したことがあり
ましたけど、例えば、EinsteinianであるKatzirという人は、
"Although Poincaré's aim and theory were similar to
those of Albert Einstein(1879-1955) in creating his
special theory of relativity, Poincaré's relativistic
physics should not be seen as an attempt to achieve
Einstein's theory but as am independent endeavor."
(Poincaréの狙いと理論は彼の相対性理論を作った
Albert Einstein(1879-1955)のそれらとは類似しているが
Poincaré'の相対論物理学はEinsteinの理論を達成
したもの、そして環境に独立したものとは見えない)
と反論し、前述のWittakerの指摘に対しては、
"A decade later, Gerald Holton analyzed Poincaré's theory,
pointing out the thematic differences between Poincaré's
and Einstein's work that had prevented Poincaré from
creating special relativity."
(10年後、Gerald HoltonがPoincaré理論を解析し、
Poincaréをspecial relativityを作れなかったと
いうPoincaréのものとEinsteinのものの間の語幹
差を指摘している)
"Stanley Goldberg and Camillo Cuvaj followed Holton in
identifying differences between Poincaré's and Einstein's
concepts and advancing further reasons for Poincaré's
failure to create special relativity."
(Stanley GoldbergとCamillo CuvajはHoltonに従い、Poincaréと
Einsteinの間の違いを検証し、Poincaréのはspecial
relativityの創設に失敗しているという更なる理由を広めた)
と述べています。いやはやですなぁ・・・
で、このessayの文責者の方は、
Those "difference" most likely being the things that
Einstein got wrong.So Holton is looking at Einstein's
theory as SR with Poincaré not achieving SR,
but what Einstein did to get to SR was just make mistake.
(これらの「違い」は大部分、Einsteinが間違っているもの
である。それで、HoltonはSRを達成していないPoincaré
とSRとしてのEinstein理論を見ているが、EinsteinがSRに
対して得たものは丁度、間違ったものであった)
と批判されています。私も全く同じ意見です。こういう事実があったそうです。
これは、Univercity of NancyのScott Walterという方が書かれているそうですが、1907年に、
彼の数学の先生であるMinkowskiが、1905年のEinstein論文に使われている数学に問題が
あるとして、イースタン休暇の間、彼の講義を聞くように要請し、Einsteinがそれに従ったと。
essayの文責者の方は、
Einstein's mistake are mainly mathmatical.
(Einsteinの間違いは主に数学的なものである)
と主張されています。私は、Poincaréは数学者でもあったことに留意すべきだと思います。
ですから、"Poincaré could not achieve SR"というのはEinsteiniansのお間抜けな勝手な言
い分でしかなく、"Poincaré did not create SR that was mathematcally mistake"というのが
私の主張です。ここで"SR"は""Einstein's" Special Relativity"のことです。
但し、恐らく(違うかもしれませんが)、PoincaréはMicelson-Molley experiment以降、Lorentz
に協力する中で上記のようなphilosophyに至ったのではないかと思うのです。私自身は、ここ
で指摘しましたように、後のMIllerの結果も踏まえて、「あの実験結果をNullという判断をした
こと自体が間違いだった。Non-Nullという判断が正解である」と考えていますので、その意味
からも、"Poincaré-Lorentz theory"にも反対のスタンスです。
ただ、上記のPoincaréの主張は、正否は別ですけど、ある程度は理解できた気がします。
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以下は、私の理解ですので間違っているかもしれませんm(__)m
Poincaréの主張の中で、私が注目したのは、
・the principles of geometry are only conventions
・still share the conventional character of the geometrical postulates
というsentenceでした。
PoincaréはEinsteinの"SR(Special Relativity)"がしているような
『ユークリッド幾何学』系で、「『ユークリッド幾何学』に反する『数学トリック』」
など認めていたわけではない
のです。
だからこそ、私は上記で、"Poincaré did not create SR that was mathematcally mistake"
と主張したわけです。
『ニュートン力学』は、絶対空間・絶対時間を前提にしたに"conventional"な『ユークリッド幾
何学』という"languadge"で構築された『ユークリッド空間』に対してつくられた力学です。
ですから、『ニュートン力学』体系から『ユークリッド幾何学』で求めた
| @
|
において、『ユークリッド幾何学』に対応させるなら、当然、
| A |
| B
|
のはずです。ところが、Einstein's Special Relativityは
| C
|
としてしまったわけです。上記のEinsteiniansらが誤解しているのは、決して、PoincaréがC
を思いつかなかったのではなく、PoincaréのphilosophyではCはありえなかっただけなんで
す。そして、Minkowskiは純粋な数学者であって物理学者ではないのに対し、Poincaréは物
理学者でもあったのです。上記のMinkowskiの逸話は、Einsteinの論文の数式だけ見ての
話だったわけで、そのポイントは偏微分の話だったのです。ただ、Einsteinはアカデミーの
権威が評価をしてくれたと喜んだわけでした。上記のScottという方は、
"This frank assessment of Einstein's skill in mathematics,
Minkowski explained, was meant to establish his right to
evaluate Eisntein's work, since he did not know how much
his authority carried with respect to "the validity of
judgement in physical things,"which he wanted "now to
submit.""
(Minkowskiが説明した、このフランクな、Einsteinの数学における
スキルの評価は、Einsteinの仕事を評価する彼の正当性を確立
することを意味した、なぜならば、彼は、「彼が今や、ゆだねた
い」と望んだ「物理的事項での判断の妥当性」に関して、彼の
権威がどれだけ納得するかを知らなかった)
しかしながら、
"A pattern was established here, in which Minkowski
would first suggest that Einstein's work was mathematically
imcomplete, and then call upon his authority in mathematics
in order to validate his judgement in theoretical physics."
(ここで一つのパターンが確立した、そこで、Minkowskiは最初に
Einsteinの仕事は数学的に不完全であるという示唆をし、彼の
理論物理学における彼の判断を正当化するために彼の権威を
要求した)
"While Minkowski implicitly recognized Einstein's
competence in questions of physics, he did not
yet appreciate how much Europe's leading physicists
admired the work of his former student. Even in
his fief of Gottingen, Minkowski knew he could not
expect any authority to be accorded to him in
theoretical physics, yet this awareness of his
own lack of credentials in physics did not prevent
him from lecturing on the principle of relativity"
(Minkowskiが暗黙の裡に、Einsteinの物理学の問題における
能力を実証した一方、彼はまだ、どのようにして欧州の主導
物理学者は彼の前の学生の仕事を誉めるかについて認識して
はいなかった。彼のGottingenの範囲においてさえ、Minkowski
は彼が理論物理学において彼に応じる権威を期待できない
ことを知っていた。しかし、物理学における彼自身の信任状
が欠けていることの認識はrelativityの原理について講義す
ることを妨げなかった。)
と書いているそうです。その2年後の1909年には早くも助教授に就任し、1910年プラハ大
学、そして1912年には母校の教授に就任してるんですよねぇ。権威のPlankが魅入られた
めかも。「光量子仮説」が有効だったのかなぁ・・・
(’15/1)
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