続・相対性理論への疑念(15)〜
(少し詳しい情報も得ましたので、「まずは偶像の破壊から」についてタイトルも変えて書き
直ししました。お見苦しいですがご容赦のほどm(__)m)
とりあえずこれをご覧ください。これは、
"Albert Einstein: Plagiarist of the Century?"(a)とい
うサイトからの引用です。
Einstein spelled out his view on plagiarism:
"It appears to me that it is the nature of the business that
what follows has already been partly solved by other authors.
Despite that the fact, since the isuses of concern are here
addressed from a new point of view, I am entitled to leave out
a throughly pedantic survey of the literature..."
(Einsteinは盗作についての彼の見解を綴っている:
「私にとって、従うものが既に部分的に他の著者によって解かれて
きたということはビジネスの性質であることは明らかである。
その事実にもかかわらず、関連する論文は、ここでは新しい
見地から提出されたものであるので、私は十分に知られた文献を
見渡すのを省く権利がある」)(◆)
これは1905年の"Special Relativity"の論文発表の2年後の1907年の論文の中でEinstein
が書いているものだそうです。私の和訳が下手でわかりにくいかもしれませんが・・・
私はEinsteinの原論文(但し英語版)"ON THE ELECTRODYNAMICS OF MOVING BODIES"
を見たとき、まず二つ気になったことがありました。一つは図が一切ないこと、そして、もう
一つはreferenceの記載が全くないことでした。
ま、前者については、その後、19世紀中旬以降に出たMaxwellの種々の論文でもほとんど
図がないことを知って、それ自体は特に問題にはされないようだと、あまり納得はできてはい
ませんですが、それ以上いちゃもんをつけるのはやめておきます。
しかしながら、前に特殊相対性理論への疑念(全面改定版3)でも触れましけど、後者はだめ
ではないかと強く感じました。こんな論文が許されるのかと・・
で、それは私一人の思いではなく、そこの追記でも引用しましたが、後年、Max Bornが
Physics in My Generation(1956)というscience essayの中で
"Another curious feature of the now famous paper, Einstein, 1905,
is the absence of any reference to Poincaré or anyone else"
(今や有名な1905年のEinstein論文の他の奇妙な様相は、ポアンカレーら
への参照の欠如である)(●)
と述べており、やはり特異なことであったことは間違いないでしょう。
ま、こういう指摘をすると、中には、「当時は問題にされなかったのではないの?」という人
がいると思いますし、確かに、調べた限りでは、その当時、「誰々がそれを批判した」という
ような直接記録はないようですが、Einstein自らの前述の(◆)のような弁明記録があるとい
うことは、間違いなく、批判があったということでしょう。実は、英語版の原論文の脚注にも
弁解もどきの「Lorentzのものは知らなかった」というような記述があります。
これはどういういきさつでなされたものか−ドイツ語の原論文からあるものか、それとも英
語版で出てきたものかも含めて−言及されたもの(さらっとその事実だけ触れているものは
目にしたことがありますが)を目にしていませんので不明ですが(ひょっとして論文査読者の
指摘か?・・・この論文は博士論文として提出されたものだそうです)。
でも、そんな証明もできない一方的な弁明に納得されなかった方達がいたのは間違いなく、
だからこそ、後から前述の(◆)のような弁明を重ねてしたものと思われます。
しかしながら、(◆)を読んでみなさん、どう思われますでしょうか?驚くべき『詭弁』ではな
いでしょうか?
私がこれらを参照した前述の(a)文責者は、
"Webster's new Internatinal Dictionary of the English Language,Second
Edition, Unabridged, 1947. p.1878"にある"plagiarise"の定義、
To steal or purloin and pass off as one's own (the ideas, words,
artistic productions, etc of one another); to use without due
credit the ideas, expressions or productions of another.To commit
plagiarism
((他人のアイデア、用語、芸術品その他を)自分自身のものとして盗む
またはつかませる;他人のアイデア、表現、製造物を正当な債権なし
で使う)
を引用して、それこそまさに"plagiarise"ということだと批判されています。
前述の(●)の中に、Poincaréの名前が出ていますね。この文責者も"Special Relativity"は
Poincaréのideaの盗作(plagiarism)だと非難されています。
不思議なことに、あまり気にしていない人が多い気がするのですが、なぜ、γを「ローレン
ツ変換(Lorentz Transformation)」と称しているのでしょうか?決して「アインシュタイン変
換」などと称せられませんよね?あまり知られていないようですけど、そもそも、「ローレンツ
変換」というのは Poincaréが導出し、時の物理学権威のLorentzに敬意を表して命名したも
のだそうです。1904年に提出されたLorentzの"Lorentz Ether Theory"は Poincaréの協
力の元で構築されており、その時点ですでに、Poincaréは「相対性理論」なる名称も使用し
ていたそうです。ですから、Bornはそういう事実を知っていたという事でしょう。
また、上記サイト記事によれば、G.Burniston Brownという方も、1957年に
"It will be seen that ,contrary to popular belief, Einstein played
only a minor part in the derivation of the useful formulae in the
restricted or special relativity theory, and Whittaker called it the
relativity theory of Poincaré and Lorentz..."
(一般に信じられていることに反し、Einsteinは特殊相対性理論の有益な
公式の導入において単にわすかの役割を果たしただけに見える、そして
WhittakerはそれをPoincaréとLorentzの相対性理論と呼んでいた)
と述べられているそうです。ちなみに、ここに記されたWhittakerという方は、前に
Maxwellの方程式(6)で紹介した1905年当時は既に英国では有名な数学者だった方でしょ
う。
尚、これ以上の説明がないのですが、"Einstein played only a minor part ..."というのは、前
に、Lorentz Ether Theory?で述べましたように、"Lorentz Ether Theory"における考え方
「光の進行速度もそれを測る物差しも同じ尺度で短縮するので測定結果としての光速が同
じだった」というのを、"Special Relativity"ではpostulateU「全ての慣性系で光速一定」と再
解釈しただけということではないかと思います。
そして、前に、続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜で述べましたように、当時
Einsteinらのドイツ派とPoincaré、Lorentzらのフランス派での間での激しい論争があったそ
うですから、多分にPoincaréらは、この論文において、「Einsteinがreferenceなしで全て
自分の独創みたいに書いている」ことに対して怒り心頭だったのではないかと思います。
論文が最初にドイツで博士論文としてドイツ語で出されたこと−当然、査読者・論文編集者
はドイツ人でしょうから、Poincaréらフランス科学者らは国の名誉もかけて非難攻撃したの
ではないかと思われます。(記録は見つかっていないそうですが、前述の両国科学者の対
立については、科学史の専門家が調べた結果だそうですから、Anti-Relativityの方の一方
的な主張ではなく事実と考えてよいと思います。ちなみに、そこにはドイツ側陣営科学者の
名前は出てきていませんが、"Special Relativity"とEinsteinを支持したPlankはドイツ人で
したからこの論争時のドイツ陣営の有力な一人だったと思われます)。
だからこそ、Einsteinは冒頭の(◆)のような驚くべき弁明反論をせざるを得なかったんだろ
うと思います。記録がないそうなので、ドイツ陣営側はどう主張したのかわかりませんが、
結局、前述のここで引用したように、当時は、とりあえず、"Einstein-Lorentz Theory"と呼
称されていたと他のサイトにありましたから、それで"peace treaty"を図ったようですね。
そういう決着がいつついたかは不明ですが、Einsteinは論文発表から4年後の1909年に早
くもチューリッヒ大学の助教授に迎えられ、念願のアカデミズム物理学界に入り、翌年プラ
ハ大学の教授、そして、1912年に母校チューリッヒ工科大学の教授になっているそうです。
一方、Poincaréは1912年に亡くなっているんですねぇ・・・。
続・相対性理論への疑念(11)〜Einsteinians〜で言及しましたが、
なぜ、Einsteinは"General Relativity"については考察の過程について
しっかりと明言しているのに、"Special Relativity"については黙して語
らずだったのか?
の背景はこういう裏事情があったためなんでしょうね。
本人は白を切っていたようですけど、問題は、
What did Einstein know, and when did he know it?
(Einsteinは何を知っていたのか、そして、それをいつ知ったのか?)
ということでしょうな。
上記のような話は、現代の『科学史』では一切語られていません。前述の科学史の専門家
自身、前述のところで示したように、今世紀初めにアマチュア?の方が「"Special Relativity"
はPoincaréのパクリ」というような本を出版したため、Poincaréの母国フランスで議論が湧き
上がったことから今更調べたらしいですからねぇ( 一一)
ここに、一般的に伝えられる科学史というのがどういうものなのかがよくわかる重大な問題
が如実に表れています。
『科学史』も一般の歴史と全く同様で『勝者側が書いた
歴史』である
ということです。すなわち、「不都合は消され、都合よくストーリを作る」・・・。
日本語版WikipediaでEnsteinについて見てみたらそれがよ〜くわかりました(-_-メ)
実は前述の(a)にはもう一つ驚くべき話が書かれています。
Anti-Relativityの方達がもう一つ批判しているEinsteinの有名な論文の式"E=mc2"につい
ても"plagiarise"と非難されています。彼の主張では、その証拠を以下としています。
1875年:S Tolver Plestonの数値計算結果がずばり表している
1900年:Poincaréの言及
1904年:Olint De Pretto(イタリアの科学者)の論文にずばりこの式あり
だそうです。当時の科学界のメジャーはドイツ、フランス、イギリス等であり、多分イタリアで
イタリア語で発行された1904年の論文など知られてはいなかったでしょう。但し、イタリアの
隣国スイスの特許局職員だったEinsteinはイタリア人の友人もいたそうで、イタリア語を解し
たらしいですので、この文責者の主張通り、その論文を目にしたかもしれませんね。Einstein
のこの論文自体、極めて短い2ページのものだったそうですから書くのも時間は不要だった
はずですしね。
どうですか、上記引用元の方は、"Special Relativity"も"E=mc2"も"plagiarise"だと非難され
ています。二つも、そうだということ(Einsteinの独創ではないということ)なら、これまで言い
広められてきた伝聞である
『Einsteinは科学の天才』というのは『虚像』であり
『真っ赤なウソ』
ということになります。多くの人々は、騙されて来たという事です!!
しかしながら、なぜ、このようなことが起きたのでしょうか?
すなわち、なぜこういう歴史的事実が頬かむりされ、Einsteinが「天才(genious) & 英雄(hero)」
になったのでしょうか?
実は
意図的にそれをやった人々がいた
からということなのです。真の科学とは異なる面での驚くべき暗黒史があったのです!!
History of the Unitary/Unified Filed Theory(b)というサイト記事
にその辺の事情が書かれ
ていました。年代も考慮して、やっと事情が理解できました。以下にその辺についてまとめ
ておきます。
Einsteinはドイツ国民であり、ドイツでまずはその理論は、例えば量子力学の楚となるエネ
ルギー量子の発見者である高名の、同じドイツ人科学者のPlankなどに高く評価・支持され
ました。
しかるに、Einsteinは1914年にドイツが開戦した第一次世界大戦(1914年〜1918年/ドイツ
・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアが中心の中央同盟国とイギリス・フランス・ロシアが
中心の連合国との間の戦争)に対してドイツを非難する平和主義者団体の一人だったそう
です。その意味では、良否は別として、Einsteinはドイツに背を向けたことになり、ドイツ側か
ら見れば愛国者(patriotic)ではなく裏切り者(traitor)ということになります。
Einsteinはロマンローランとも親交があり、The Einstein Fileによれば、
Einstein was a fervent pacifist, socialist, internationalist
(Einsteinは熱狂的平和主義者、社会主義者、国際主義者だった)
ようです。
実は、そのことがEinsteinに幸いしたようですね。連合国側の科学者達にそれで多くの仲間
(fellows)ができ、その一人が、同じく「平和主義」を信奉していたイギリスのEddingtonだった
というわけです。Einsteinはその戦争中の1915年に"General Relativity"を発表しています。
そこで、Eddingtonはこれを実証観測で証明することで、Einsteinを「平和主義の象徴」として
の『科学の英雄』にしようとしたわけです。それが熱帯地方での皆既日食観測の決行だった
わけですが・・・なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜
で述べましたように、結局は、第一次世界大戦終戦のあくる年1919年に、その結果だとして
当時も20世紀後半に複数の科学者から非難されたように「これこそ"General Relativity"の
実証観測結果だ」とした「いんちき観測結果」の発表を行いました。
そして、これは昔も今も変わらないのですが、Press(米国)が大々的に発表し、Time誌はそ
れで多大の売り上げを見せ、人々の間で、それまでは無名だった若き物理学者Einsteinは
「科学の英雄・天才」として一挙に有名科学者に躍り出たわけです。ドイツと戦争をしたイギ
リス・フランスでなく、アメリカだったというのもわかる気がしますね。
更に、ドイツではその後、antisemiticのHitlarとナチスの台頭があり、Einsteinはユダヤ人と
いうこともあって、迫害される側になり、それを嫌ったEinsteinはアメリカに行き、結局、
1933年に難民認定がされてアメリカ移民となったとのことです。そして、1938年、ドイツは、
今度はHitlarが第二次世界大戦を引き起こしました。そして、既にアメリカ市民になっていた
Einsteinは完全に連合国側についたということです。
前述の(b)の文責者の方は、それで、
He was on the winning side in both World Wars and history gets
written by the winners not the losers, so the winners' view of
him prevails − that of him being a hero, and the loser’s point
of view gets ignored; hence massive publicity of just what
a genius and hero Einstein is
(彼は両方の戦争で勝利側に位置した、そして、歴史は敗者側でなく
勝利者側によって書かれる、そう、彼についての勝利者の視点−彼
のそれは英雄であること−であり、敗者側の視点は無視される;
これより、Einsteinは英雄であり天才であるという大評判になった)
そして、
Taking the point-of-view that Einstein is wrong − well that's almost
like taking the view that Hitler was right; so its not something his
fans want to do
(Einsteinは間違っているという見解を取ること-それはほとんどHitlarが
正しいという見解をとることに似ており、それは彼のファンが望まない
ことである)
と結論付けられています。
実は、科学界においては、折角、Poincaré、Lorentzらフランス科学派とEinsteinらのドイツ
科学派の当初の論争は"peace treaty"で決着化していたはずでしたが、多分に、既に、
Poincaréは1912年に亡くなってしまっており、一方でEddingtonの発表以来、Einsteinの名声
が諸外国で高まり、更には、続・相対性理論への疑念(5)〜奇妙な側面C〜で言及しまし
たがEinstein支持派はEddingtonの観測結果で"General Relativity"の実証がなされたとして、
これを元に、"Special Relativity"の妥当性も一挙に証明しようという動きがありました。
多分にそのため(Einsteinの名前だけが残される)ではないかと思うのですが、1920年代に
フランスで反発する議論が再発したようです。その詳細(誰が参加し、どのような反発がな
されたのか)は見つけていないため、不案内ですが、どうやら、そういう反発する人の中に
不用意にも、antisemitic(反ユダヤ主義)の馬鹿な発言をした連中がいたらしいです。
結局、そういうこともあって、当時の科学界においては、
反relativity=anti-Einstein=antisemitic(反ユダヤ主義)
というあまりにも「政治的」で「非科学的」な風潮が広まり、"Anti-Relativity"すなわち、
"Einstein is wrong"という主張を出しにくくなったようです。
このようにして、20世紀前半において既に、Relativitists=Einstein's fellowsらは科学
界の中に残る"Anti-relativity"科学者たちの主張を抑圧しつつ、前述のようにpress等で
"Einstein is a genious and a hero"という意識づけ(洗脳)された若い方達が科学界を
次第に席巻するようになり、早くに、"relativity"は"Holy Theory"化されていったというわけ
です。
要するに、もう1938年の第二次世界大戦が始まる以前に、大勢は決着がつき、Relativists
が完全に科学界を制覇して権威になったというわけです。
ですから、第二次世界大戦が終わって、"Hitlar"という存在が無関係になっても、最早、
Anti-Relativistsは"Cranks""CrackPot"扱いにされ、論文は査読段階で完全にリジェクトさ
れ、発表さえも大声でさえぎられる(→New Inquisition参照)(当然、不都合な観測結果は
無視)という時代が戦後も綿々と続いて来たという事です。
どうですか?驚くべき歴史ではないでしょうか?"Relativity"が「神聖にして犯すべからず」
みたいな"Holy Theory"扱いの「現代物理学の基本パラダイム」とされて来たのは、決して、
『純粋な科学論争に打ち勝ったため』などではなく
(b)の方の主張を利用させていただければ、
What we have is the Corruption of Science −
science has become a political football
(我々が有しているものは、科学の腐敗である−
科学は政治的footballになってしまった)
以上を知れば、よく、「別にEinsteinが言い出さなくても誰かが発見した」などと言う主張がい
かに愚かなものかわかると思います。"Einstein"があの時代に主張したからそうなっただけ
で後ろ盾のない他の人が別の時代に言ってもダメだったんです。現に、Poincaréの主張な
ど最近まで知られてもいなかったわけです。
繰り返し主張していますが、今世紀は20世紀とは大きな違いがあります。それは、
@インターネットの定着により、犯罪的でないのなら、誰でも自由に
世界に発信が可能になり、その結果、隠されて来た歴史的事実
が次第に暴きだされつつあること
A科学技術の進歩により、かつては思考実験でしかなかったことが
実証観測可能になったこと
です。
その結果、まだまだ少数派かもしれませんけど(日本では皆無?)、西洋では物理学者の
中にさえ「洗脳がとけてきている」方達=「"Relativity"に対する懐疑派・反対派」方達も出て
きて、ネット・本などで積極的発言をされるようになりつつあります。
洋の東西を問わず、Anti-Relativityの方の共通の主張通り、論理的・合理的に考えれば
Special Relativity theoryはナンセンス
なのです。それを、Relativistsやその説明をアカデミズム科学権威が言うから正しいと思い
こんでいるのではないかと思われるEinsteinians(beleivers)の方達は、前項で述べたように、
一見ナンセンスに見えるかもしれないが、実はナンセンスでなく
正しいのだ
と思い込まれていて、「ナンセンスだ」という方達をあざけり、自分自身をその人より利口で
あると信じるうぬぼれに浸っているとしか思えません。多分に秀才ほど、その傾向にある
のではないかと思います。大抵、秀才は学んだことに疑念など抱かず、それをベースにし
て考えられることが多いからです。そうやって、「理解できた」気になっている方が多々
ネット上に見受けられるのです。
しかして、彼らが疑念を持たない学んだことはと言えば、本項で述べたような、決して、多
くの人が信じているような「純粋な科学論議」で残ったものではないわけです。
すなわち、多くの人(現在のRelativistsの方も含めて)は二重に騙されてきているのです。
ま、"Relativity"は"Quantum Mechanicis"と一緒に現代物理の基本パラダイムになってい
てそこから派生したQED、量子論、SuperString理論、BigBang Universe理論などがmain
streamとなっており、Relativists以外の多くの物理学者の人生(名誉、地位、生活の糧など)
に直接かかわっているわけですから、そうは簡単に崩壊しないでしょうが、難攻不落だと思
われた東西ドイツの壁もあっというまに崩壊しましたから、未来永劫、安泰ではないと思いま
す。そもそもナンセンスなものを非「純粋科学」的にHoly Theoryにでっちあげた代物ですか
ら。
ちなみに、大変失礼ながら、基本パラダイム発祥の地から遠く離れた東洋にいて、全て「西
洋の権威のいう事を正しい」として、トランスファに努めて来た日本では、こういう話は出て
きていませんし、知らないことと思います(日本サイトではあまりこういうのはお目にかかっ
ていませんから)。だからこそ、大威張りで、「Special Relativityは原理だ」と断言まで
される有名Relativistがおられたり、「Special Relativityがなければこの世のものは存在でき
ない」などとまで公言するbeliever scientistの方がおられたりしています。まさに、前述の通
り、大変失礼ながら、「自分自身をその人より利口であると信じるうぬぼれに浸っている」方
達なんでしょうね。「裸の王様」でしょうな。
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閑話休題・・・
誤解されるといけないので、再三再四強調してきましたが、
私という人間は『常識に反している』などということは全く『それに疑念
を持つ』ということの『根拠』などにしない輩
です。すなわち、所謂『自称懐疑論者(self-appointed "skeptics")』とは正反対の人間
です。"self-appointed 'skeptics'"という英語はNew Inquisition(新しい異端審問)で紹介
しましたScience Mysteries/WORLD-MYSTERES.com からの引用です。日本でいえば、そ
のtypicalな存在は、『と学界』や『疑似科学批判』で有名な『K教授ブログ』に集う方達でしょ
うね。言動を見る限りでは、彼らは、「アカデミズム科学」の教えるところ、物理常識を絶対的
なものとして、それに反するもの(実験観測結果、目撃談、理論など)・反対論を悉く否定し、
それを述べる方々を−それが優れた科学者であろうかどうかとは無関係に(科学者の場合
は「とんでも」へと道を間違えたような言いがかりをつけて−冷笑・罵倒する方達のことです。
よく、「学問は全てを疑え」と言いますけど、彼らの「懐疑」というのは、「アカデミズム科学の
標準理論」の教えるところ、物理常識はその対象外(疑う必要がない)という恣意的な偏見
思考そのものです。
そもそも、教科書の記述や権威の説くところが、絶対的真実などという絶対的根拠などない
わけです。そして、「今のところはうまく説明できるから」という主張も、その主張の根拠をよ
く見れば、結局は、ご都合主義的・恣意的なものが多々目につくのです。
要するに「正しいのだ」というのは、その方が「正しいと信じているだけ」なのですね。極めて
主観的なものであり、決して「客観的」などというものではないのです。そういう主張をする方
はそう思い込んでいるだけにすぎないのです。
(’15/1)
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