続・相対性理論への疑念(29)(’17/5)
〜G.O.Mueller調査報告紹介再び@〜
以前(2017/4)に、続・相対性理論への疑念(6)〜3789件ものCriticism〜という項で、今世紀初
頭の1decadesに出て来たドイツの「反相対性理論」匿名チームによる理論生誕の1905年からの
綿々と続いて来たこの理論に対する"criticism"に関する調査報告記事について一部紹介しま
した。たまたま、海外オープン科学論文サイトにあったある"ANTI-Relativity"のscience essay
のAPPENDIX(ドイツ語そのまま転記)を見て「あれ?これってひょっとしてあれかな?」と思い出
し調べなおしましたらまさにそうでした。で、ふと気が付いて検索してみましたが、なぜかあま
り話題になっていない(勿論日本では知られていないと思い、調べたのは海外サイトだけですが)
感がしました。それで、再度きちんと読み返しましたので、追加補足的ですが、是非その存在
を知ってもらいたくて再度取り上げることにしました。
ちなみに、本項は、煩わしさを避けるべく、下手な和訳のみ示します。一部の抜粋引用ですし、
誤訳の恐れも十分ありえますので、興味のある方は下記に示す原文をご参照くださいm(__)m
前にも触れたのですが、実際の調査結果報告書は出版物が1200ページもある膨大なものだそ
うでそれを読んでのことではなく、その匿名プロジェクトが2006年に自らアップしている概要紹介
PDF[⇒95 Years of Criticism of the Special Theory of Relativity(1908-2003)文を読んでのも
のです(本論は最初ドイツ語だけで、2001年に、その後追加補充して2004年に改定版が出て、
かつ英語版が出ているようです。この概要紹介は英語版です)。検索しなおして知りましたが、
これとは別に、"Open letter about the freedom of science"というのも同じく2006年に出ていま
した。もう11年も前のものであり、英語版が出ているのに、不都合は悉く無視するEinsteinians(
相対性理論学者[rerativsts]/relativity's supporters & believers/Einstein's supporters & believers
を私はそう総称しています−海外サイトの受け売りです(^^;)が無視するのはわかりますが、な
ぜかAnti-relativityの方々もご存知ない気もしています(私の検索不十分なのかもしれませんが)。
報告書の名前は"The G. O. Mueller Research Project[GOM-Project Relativity]"と
なっています。で、その著者は、G. O. Mueller & Karl Kneckebrodtとなっていますが、実は、共に
「偽名」であることを明言しています。前書きの中でわざわざ、"Anonymity of the project(プ
ロジェクトの匿名性)"という項を設けていて、
研究プロジェクトは、一般大衆に対して、人でなく調査結果を通して、それ自体を
提供することに決めた。文献考証と進捗報告は偽名"G. O. Mueller"の元で出版
され、インターネットにおいては、そのプロジェクトはまた、頭字語"OM-Projekt"
または"GOM-project"で提供されている。"Karl Kneckebrodt"はこの出版物に
おける共著者の偽名である。
と述べ、プロジェクトへの外部からのコミュニケーションは、"German Representative of the
Research Project"の役割をEkkehard Friebe(Munich)氏が引き受けてくれたとしてHPとEmail
adressが紹介されています(省略します)。
そして、その理由について以下のように述べています。まず、ずばり
なぜ、厳格な匿名性が必要か?その理由は、アカデミア物理学による彼らの
「神聖な理論(holy theory)」特殊相対性理論の任意の批判に対する非民主的
で不法で野蛮なふるまいの中に見られる。
世界中で同じなんですね。
私は海外サイトでANTI-Relativityの方々が使っている"holy theory"というtermを批判的に流
用使用していますが、ここでも出てきていることに留意すべきです。「不磨の大典」扱いをしてい
るという批判について否定する方がいますが、それは対外的に相対性理論批判を堂々とする
科学者(特に物理学者)がほとんどいない日本だけみていて世界の科学コミュニティの情況を知
らない「井の中の蛙」でしかない戯言であり、ここからも、間違いなく、「特殊相対性理論(Special
Relativity)」は、世界的に何か「聖書」のような扱いをされてきたということです。何度も何度も
言ってきましたけど、決して「真摯な純粋な科学論議」の中でmain stream/基本パラダイムにな
りかつ今まで生き残って来たのではない、前に、なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜
エディントンのやったこと〜、続・相対性理論への疑念(22)〜更なる虚像の証拠〜等で言及し
たようにその出自も含め、「正当性」さえ疑わしい理論だと私は強く思っています。
話がずれてしまいましたが、ここから匿名性をとった強い動機として次の五つを上げています。
(1)匿名性を保つことは、外部からのプロジェクトへのどんな影響も妨害も阻止する
(2)どんな法的市民も相対性理論学者により批判に対して投げかけられる、彼らの
単なる批判に対する答えを意味するような中傷と冤罪に自身を晒すべきではない
(3)相対性理論学者は、大衆の注意を理論の批判から批判する人々にそらそうとす
る。我々は人々を提供するのではなので、大衆はただ批判の文献考証を見るべき
である。
(4) 我々の文献考証において、我々が自由な公開論議を待っている多くの活きた批
判を提供する。彼らは明確な言葉を言うべきである。批判の匿名性はない−ただ、
文献考察組織の匿名性のみである。)
(5)プロジェクトの裏にいる人々はただ、批判の偉大な歴史的成果の研究と報告を
しているだけである。)
このプロジェクトが匿名プロジェクトとされたことの正当性は十分納得できるものです。特に、(3)
にある、"the public only has to look at the documentation of criticism(大衆はただ
批判の文献考証を見るべき)"はしごくもっともなことです。人は往々にしてその言ではなく、
「その人」で判断しがちです。私は「科学」に関する限り、それが(私は本コーナーで散々現実に
はそうなっていないこと−それは単なる「信仰」でしかないこと−を批判的に書いてきていますけ
れども)「合理的だ」というなら、「人」でなく「言」で判断すべきだと思っています。
さて、前回の項で、五つの主張を示しましたが、これは、"Which are these problems brought
to light?(どちらがこれらの問題に照明を齎すか?)"という小題のついたところで示され
ていたものでした(再掲しませんので具体的にはそちらの項を参照くださいm(__)m)。
その後に、"How can these problems be solved?(これらの問題はどのようにして解く
ことができるか?)"という小題をつけて述べられていて、
アカデミア物理学が批判に対する彼らの非民主的で不法なふるまいを結局は
理解し、自らを正すことができる可能性は、今日まで彼らの強力で上手くいった
大衆の意見の検閲に基づいて除外できる。
それゆえ、我々の研究プロジェクトはこれらの問題を民主的方法で解くために
なしてきている。もっともよい方法は科学的調査と教示の自由の保障のための
アカデミア物理学に対する合法的活動を開始すべきことであろう。
我々の知る限り、不幸にも、我々は我々の裁判所に持っていく権利を持ってい
ない。結果的に、アカデミア物理学における規律は、我々の民主的法律を処罰
なく任意の制限なく変更するかもしれない。
次善策は文献記録の存在についての大衆の最も重要な代表的意見を知らしめ、
彼らに調査の自由を回復させることと理論物理学における教育の必要性につ
いて一般大衆に知らしめ、自由な公開議論を開始することである。
として、それを2001年に始めたと書かれています。
地球における「科学界」が、真に公正・公平無私で運営されて来たなら、このような「匿名性」を
とる必要もなく、当然ながら前述のbestの方法が最も望ましいのは当然ですけど、現実の科学
界というのは、そうではなかったことが既に一般大衆に暴露されてきている(モチベがあればす
ぐにわかる情報がどんどん出てきている、この日本でもつい最近、-ingの形でそれらが露呈して
きています−そう、STAP細胞騒動での日本科学界と科学ジャーナリスムがなしたことが明白に
それを物語っています)今、この匿名プロジェクトの主張は正当性があります。事実と違う「ため
にする」ある意味、一般大衆を馬鹿にした理想論に誑かされてはなりません。「相対性理論」に
対するcritcismに対して20世紀に科学コミュニティで何がなされて来たかはNew Inquisition(新し
い異端審問)等で引用紹介しました。まさしく「非民主的」な所業がなされ、それを一般大衆に対
して隠匿してきたのでした。直接被害に会った方達の証言は重いです。くどいですが、もういい
加減、「真摯な科学論議の中で生き残って来たのだ」などという真実も知らない自己信奉だけか
らの「真っ赤な嘘」をネットでばらまくのはやめていただきたい。我々一般大衆が知らないことを
いいことにしてのあまりにも馬鹿にした、ご自分たちのidentityと地位を守るためになされてきた
学徒を洗脳する「虚言」でしかないことがすっかりばれてしまっているのです。
そして、その典型的かつ最もひどい例が、"holy theory"扱いされて来た"Special Relativity"なの
です。それはこの報告書によるとドイツでは1922年以降のことだそうで、他の西洋諸国も大体同
時期にそうなったようです。既に、散々書いてきましたが、1919年になされた恐るべき科学事件
が引き金になったのです。それは、1919年に英国Royal SocietyのEddingtonがなした捏造観測
結果報告(なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜で明らか
に捏造であることや彼がそれをなした動機等事の真相に言及しました)、当時のメディアが理論
の理解もしないまま大々的に取り上げ、Einsteinを"Genius & hero of science"と祭り上げて(科
学界初の)"Popular Symbol"にしてしまったことにあります。まさに、「進化論」の出た頃になされ
「進化論」をmain streamにした「ピルトダウン人」捏造(事の真相が暴露されるまで、40年間も当
時の教科書に証拠扱いで掲載され続けていたそうです)と同じ類のことがなされ、こちらは未だ
に科学コミュニティはそれを公式に認め撤回していません。この報告書では、
相対性理論の明らかな最大の成功は1919年の、一般相対性理論の証拠と言われて
来た日食観測でもたらされた。この仮定された結果は異なる国々においていくつかの
重要な批判者(たとえば、イギリスのA. Fowler, Sir Joseph Larmor, Sir Oliver J. Lodge,
H. F. Newall, Ludwik Silberstein、米国のT. J. J. See、ドイツのPhilipp Lenard)により、
大衆をミスリードしているとただちに拒絶された。−しかし、相対性理論学者はそのと
きの印刷メディアに人類最大の成功だと情報を流した。大衆の意見は「相対性理論」
について熱狂的になり、今や両方の理論、特殊相対性理論と一般相対性理論は疑う
余地のない真実で、空間と時間、重力について我々の考えの革命以外のものはなに
もないと言われて来た。
と批判されています。
なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜で引用した暴露記事
の著者の言、
英雄崇拝はあることに対しては害がないように見えるが、Einsteinの
場合は、科学社会に対して大きな損害をもたらした
Eddingtonは科学者であることをやめ、代わりにEinsteinの擁護者と
なった。
はまさにい言えて妙です。
前に既に続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜で述べましたが、1919年以前はEinstein
の「特殊相対性理論(Special relativity)」(以後、STR[Special Theory of Relativity]と略称します)
はmain streamになっておらず、フランスのLorentz、Poincaré派との対立があって、一時はpeace
treatyがなされて"Lorentz-Einstein Theory"と称せられていたそうで、この1919年のEinstein支
持派のEddingtonによるGTR(一般相対性理論[General Theory of Rerativity])の欺瞞的「成功」
によって、「STRはGTRの特別な場合であるすなわちGTRはSTRを拡張した一般的な理論で
ある」として、Einstein派すなわちSTR支持派は一挙にそれまでの論争に終止符を打つ「勝利」を
得たというわけでした。くどいですが、決して「真摯な科学論議」の中での「勝利」でもなんでもな
い、科学とは無縁な、Eddingtonの政治的信条と野望が生み出した「捏造論文発表」と、一般大
衆の「ヒーロー願望」につけこんだ「売らんかな精神」のメディアの支援により一気にmain stream
にされたに過ぎない代物でしかないというのが真実なのです!Einsteiniansはこういう真実を隠
しておいて、
・特殊相対性理論と一般相対性理論は疑う余地のない真実
・相対性理論は人類最大の成功
などという戯言を平気で吐き続けてきたのです。
ところで、この報告書では、Chapter2"The Documentaiton"のintroductionで更に強烈な批判が
なされています。まさに私の言いたいことばかりですのでそのまま引用紹介しておきます。
相対性理論の教科書とAlbert Einsteinの原論文について、普通に懐疑的で批判的な
読者は直ちに理論の多くの疑問点を見つけ、相対性理論学者もAlbert Einstein自身
ないしは彼の門弟の誰も、あらゆる簡単な論理的解析からすでに生じているこれらの
明白な批判的疑問と焦燥感を扱う用意がないかできないことにいら立っている。
(中略)批判的疑問を持つ全ての人々は、彼自身、相対性理論学者(relativists)によっ
て、オープンで明確な答えをするに望ましくない、価値がない人間として扱われている
ことを目にする。この扱いは、ただ、その理論に何か間違いがあるのだろうという疑念
を促進するだけである。
とまず書いています。どんなに詭弁屁理屈をこねて逃げようともまさにその通りです。私をどん
どん懐疑派に追いやった根本的理由の一つはまさにここにありました。要するに「うさん臭さ」を
彼らの態度から感じてしまったわけです。何一つ説得力のある反論を見出せませんでした。不
都合は無視するないしは根拠も示さず(又は根拠にもならない理由を上げたりして)「そうなるん
だ」と言い張っているだけ・・・。続けて、
文献を更にチェックするのを好む読者は、すぐに、1908年以来、すでに彼らが自分自
身が見出した、いくつかの簡単な質問や種々の疑念を表現さえするに十分な批判が
あったことを発見するだろう。もし彼が、相対性理論の教科書の中で批判的質問に関
する議論を探すなら、適切なものは何もないことを発見する。
と述べ、
批判的読者は、特殊相対性理論は、あらゆる批判の抑圧とともに、アカデミアと高校
において、もっとも偉大な成果であると教えて、大衆に広めた不合理な理論であると
結論付ける。
と続けています。隠され続けて来た歴史の真相を知るなら「もっとも偉大な成果である」などとい
うのは噴飯物の「プロパガンダ」でしかなく私が何よりも許せないことは、「真摯な科学論議」"な
どではなく、あまりにも悪辣なwith suppression of any criticism"で生き延びて来ただけと
いうことです。
本プロジェクトはドイツのそういう思いをしていた方々が集まってなされたものだそうです。
もう少しこのintroductionの引用を続けます。
現代物理学について次の大きなミステリーに直面していると述べています。
(1)なぜ、「科学コミュニティ」によって、伝統の破壊が黙認されたのか?
(2)なぜ、それは一般大衆によって気が付かれなかったのか?
(3)アカデミア物理学者はどのようにして、一度もそれらの行動を説明を求められな
いで永久に続くことを望んでるのか?
(4)アカデミア物理学者の真意は何か?
このプロジェクトでは数年間の調査の結果として、少なくとも考えるヒントにはなるだろうと次の
ようにそれらの答えに関する指摘をしています(下記は、一部省略しています)。
@アカデミア物理学は、新聞、雑誌、出版者、集会に対して、特殊相対性理論に対
するどんな主張も受け入れないよう強い圧力をかけて来た。批判的論文は抑圧さ
れ、批判者は科学対話のどんな参加も排除されてきた。
Aアカデミア物理学は、一般大衆は前世紀における自然科学の偉大な成就ゆえに
それら科学者の知力を疑うことは決してないだろうという理由で、誰も彼らが一般大
衆に対してなした行動についての真実を暴露できないと信じている。
B恐らく、最も強い動機は、物理学者が「エーテルを必要としない」理論を歓迎して
いることにある。これは、1905年のAlbert Einsteinの論文の中で表現された立場で
ある。しかし、わずか15年後の1920年,Leidenにおいて開催されたコンフェランスに
おいて彼はエーテルの必要性を発見した。相対性理論学者は、彼らの主である
このコンフェランスについて愉快ではなかった。この1920年の考えの変更は論理
的結果として、特殊相対性理論の再構築に導かれるものであったが、今日までな
されていない。この非再構築の特筆すべき事実は、エーテルが少なくとも一つの
基本的動機であるかもしれないという強い論拠に見える。
@の出版圧力については、最近の国内で起きたSTAP細胞騒動に関して、講談社が小保方さ
んの手記である「あの日」を極秘プロジェクトで進めて出版したことに対して、ウェブ上でなされ
たあからさまに講談社に対する圧力をかけるような発言をした科学者らしき輩の行動を見ても
過去隠されて来ただけで綿々となされてきたことは、反ビッグバン本の著者(故人)も書かれてい
たことで明々白々なことです。そして科学会議等での発言妨害についてはNew Inquisition(新し
い異端審問)で引用紹介しました。
要するに、「科学界の外」すなわち一般大衆に真相を隠そうという意識が強く働いて来たという
ことです。何度もくどいですけど、本当に「真摯な科学論議」の中で生き残ってきたものである
なら、こんなことをする必要性など全くないはずですよね?そうではなかったゆえに一般大衆に
知られたくなかったというのは当然の論理的帰結です!
Aは、まさにいかに彼らはエリート意識が強くて、アカデミア科学コミュニティ外の一般大衆を低
く見ているかを象徴していますね(怒)。ネットを見ていると、もうあからさまにそれをむき出しにし
ている輩が多々見受けられます。如何にそういう意識が科学コミュニティに蔓延しているか、決
して一部の輩だけではないことは、STAP細胞騒動においてメディア、ウェブ上などでなされた
言動(私がSTAP細胞事件が勃発したとき速攻で不快感を感じたのはそれでした)や「素人が科
学を語るのはけしからん」と宣った権威学者がいることや、米国議会を怒らせて米国で新たな加
速器の予算拒否を招いた関係物理学者の言動等からも一目瞭然です。
B、実はこれを「科学」ということに関して私は一番重要視しています。確かに還暦前まで私は
寡聞にして「エーテル」に関する真相を知りませんでした。そして、ANTI-Relativityの方達さえ多
くの方がご存知ないこと、それは、
19世紀まで科学界で信じられてきたエーテル(ether/Aether)の存在を否定する
実証観測結果は存在しない
ということです。マイケルソン=モーリー実験(以後、MM実験と略します)は決してエーテル否定
実験ではありません(⇒続・相対性理論への疑念(26)〜マイケルソン=モーリー実験 & Dayton
Miller再び〜で述べました)。事の真相は、
Einsteinが1905年にSTRの論文を発表したときに理論には不要であると主張
したのが否定の始まりであり、エーテルが存在しているとEinsteinのSTRが否
定されるゆえに、科学コミュニティが「エーテル」という語彙をタブー扱いしてき
ただけ
ということです。実証観測の中で完全否定された燃素とかcaloric(熱素)とか天動説とかとは完全
に一線を画したものであることを知って虚心坦懐で捉えなおしていただきたいものです。私は相
対性理論に疑念が生じて内外サイトをあたりはじめた中でこの事実を知り、2014/3にエーテルの
復権?という記事をしたためています。
前にも指摘しましたが、考えてみてください。「なぜ電磁波が真空中でも伝搬するのか」について
明快な説明を見たことありません(ネット上でまさにそういう指摘をされている方がおられましたの
で、そう思っているのは私だけではないと言う事です)。18世紀には信じられていて、19世紀初
頭のヤングの実験で実証観測的に否定されたNewtonの「光微粒子」説なら「粒子」ですから真
空中でも進むことが可能でしょうが、れなら「ニュートン力学」で十分であり、STRなど不要です。
やはり「波」である限り、音のような粗密波でなくても伝搬するための「媒体」は必須なのです。
なぜ、1世紀以上もNewtonの威光で信じられていた「光微粒子説」が否定されたかの理由を知る
べきです。啓蒙書の類や伝聞で言われて来た干渉現象によるものではありません。粒子では矛
盾が出てくる決定的実験結果が出たためなのです。物理学者は明確に説明できないままごまか
してきただけなのです。エーテルをタブー扱いにしてしまったために。
私がMaxwellのオリジナル理論とオリジナル式についてわざわざ複数のarticleをアップした真意
は、この「エーテルをタブー扱いしてしまった」ことが、物理学界をしてMaxwellのオリジナル式へ
の言及をさけさせ、「マックスウェルの応力」などで苦しい説明をせざるをえない理由であるだろ
うことを広く知らしめたいと考えているからです。
1865年の彼の論文"A dynamical Theory of the Electromagnetic Field"には前書きの中で明確
に、媒体=エーテルの存在を基本にしていることを述べています。それを言えないものですか
ら、「天才的ひらめきで」などと科学者はごまかして説明しているのです。彼の時代にはエーテ
ル自体は科学界における標準的概念だったことを忘れてはなりません。
一番けしからんことは、そうやって、「エーテル」という語彙をタブー化しておいて、平気で、ビッ
グバン宇宙論+GTR論拠の宇宙物理学において、「ダークマター」などという辻褄わせ的仮説
を持ち出していることです。ちょっと気が利く人達は、「エーテル」を別名で復活させただけだと
指摘されています。
そして、前述の中にあった"Leiden"ですが、これについては既に本コーナーで引用紹介しまし
たのですけど、" Walter Isaacson, Einstein: His Life & Universe, New York: Simon & Schuster,
2007, p. 318"と言う本の中で
1920年、Leiden大学における、「相対性理論のエーテルと理論」についての講演で、
Einsteinは、波のような性質を持つからエーテルは存在し、伝達媒質として必要であ
ると公然と述べた。彼はLorentzにこの点を明らかにすることさえ書いた。
と暴露されているそうです。但し、Einsteinはそれでも自分のSTRを公式に否定しなかったよう
ですが。どんな詭弁・屁理屈をこねようとも、「エーテル」とSTRは論理的に両立しません。
私が、「幻想(illusion)」だとしているLorentz Ether Theoryの方はまだそんなことはありません。
後もう一つだけこのintorductionから抜粋引用しておきます。
ほぼ1914年、特殊相対性理論は既に直接的には種々の実験結果と間接的には
実験確証の欠如により既に論駁されていた。MM実験とその繰り返しは、今日
まで代数的ヌル結果だという相対性理論学者のプロパガンダに反して肯定的結
果*であった:これらの実験は約6km/sec(1887)、10km/sec(1902)、7.5km/sec
(1904)、8.7km/sec(1905)の地球の速度を発見し、1913年にはサニャックが彼
の回転干渉計でまた、彼の装置の回転率に依存する干渉縞の運動を発見した。
一方、距離の短縮と時間遅れの実験的確証はなかった。
(注*:NULLではなくエーテルの存在を証拠立てているという意味)
前にも書きましたが、当時、いろんなところで、MM実験結果を"NULL"だったと言いまくったのは
「科学を捨てて、自分の政治信条と野望からEinsteinが"popular symbol"化し彼の"relativity"が
main streamになるよう悪辣な謀略を行った」Eddingtonです!そして、「エントロピー増大」を自然
の摂理みたいに言ったのもこのEddingtonです。
あまりにも私の思いそのものだったため、intoroductionの引用だけで長くなってしまいましたので
項を分けます。
(続く) ('17/5)
目次に戻る
次へ