現代物理学に感ずる違和感
〜Einsteinが種を撒き魅せられた人たちが育てた混迷〜(’16/4)
以前、「物理学の終焉」などという本が出たりしましたが、「物理学は行き詰っている」という主張
が海外でなされたりし、一方、ネット上では「行き詰ってなどいない」と否定する方もいます。
しかしながら、私らのような、科学好きの市井の一般下々から見れば、間違いなく、物理学は混
迷していると思われます(確かに、物理学者ははっきりとは言っていませんが)。
で、いくら取り繕うと、そういう意見が出てきたり、アマチュアがそう感じたりするのはなぜなのか
ということを考えてみる必要があるのですが、多くの科学者は「その根本要因」について考えたく
ないというか、考えないように目をそらしているのではないかと思います。
しかしながら、習い覚えたことに執着せず、フリーで自然な気持ちで考える方達はそれに気が付
いておられるようです。それは、
相対性理論が間違っているからではないか?(※1)
ということです。このことは、私たちのようにしがらみのない市井の科学好きの人達だけでなく
勇気ある科学者(物理学者の中にも)の中にも、明確にまたは、遠慮がちに主張されている方達
がおられることが表面化してきています。本当に素直に考えれば、(※1)という考えを排除してし
まう絶対的理由はないわけです。
しかしながら、多くの物理学者が、(※1)という可能性を考えない・考えたくない最大の理由はご
存知のように、20世紀物理学(現代物理学)が、「相対性理論」を基本パラダイムとして、それを
ベースに研究され発展してきたゆえであることは間違いないでしょう。
クーンの科学哲学のパラダイム論において、科学者は、全て、「基本パラダイム」に沿って考え
その考えを基本にした実証観測を行うことが示されていますが、まさに、その通りで、現代物理
学におけるその基本パラダイムはEinsteinの産み出した「相対性理論(Relativity)」なのです。
したがって、もし「相対性理論が間違いであった」となってしまうと、20世紀以降、物理学者らが
綿々と築いて来た研究の多くが崩壊してしまうことになります。だからこそ、
一旦、基本パラダイムになってしまったものは容易に捨て去られない(※2)
ことは必然的なのです。
そこに深い問題の根があり、単に、それが専門の"relativists"、は原理とまで信じておられ考え
たこともないのでしょうが、それが適用されている多くの物理学に携わられている「物理学者」は、
(※1)という可能性を考えたくない−未だ、気が付いていないだけでうまい解決法があるだろうと
考えておられるのかもしれませんが−のだろうと思うのです。
前にも書きましたが、「2000年も続いた『天動説』から『地動説』への劇的なパラダイムシフト」が
起きたのは、次々と出てきた観測結果を『天動説』ではどうしても説明できなくなり、一方、地動
説の理論が次第に確立してきて、当時の科学者らに対して説得力がどんどん増して来たゆえ
だったわけです。『地動説』が出てきた当初は、まだ理論がきちんと確立しておらず、周転円な
どの直接観測されたわけではないpostulateにより「科学的に」固められていた天動説の方が理
論的にはうまく説明できたそうです。興味深いのは、もう当時の科学者の大勢が「地動説」に代
わってもなお70年間もの間、「天動説」を信じ、こだわり続けて研究していた科学者もいたそう
です。このことを意識したのかどうか不案内ですが、科学者が好んで引用する科学哲学家Popper
の「科学が科学であること」の条件として提示した概念の「反証可能性」ということに対して、「実
際の科学の歩みにおいては金輪際そんなものではなされてこなかった」と反論した物理学の出
身で科学史授業担当になったことから科学史を深く研究し、「パラダイム」と「パラダイムシフト」
という概念を示したThomas Kuhnは、私にとっては衝撃的な言葉でしたが
定説になっている理論を覆すのは、それに反する観測結果ではなく
新しい別の理論である(※3)
と主張しています。ピンク色で強調したところに留意していただきたいのです。
で、「相対性理論」は真の歴史を調べて見ると、クーンは触れてはいませんが、まさにクーンの指
摘した通りになっていることは、本コーナーで散々、引用紹介してきました。
「反している実証観測結果」の多くはがん無視されるか、強引に論文・発表がrejectされるかはた
またうやむやにされてきたのです。驚くことに、すぐに米国物理学会会長になったDayton Miller
の膨大な実験結果(米国の公式文書保管所に保管されているそうです)さえうやむやにされてし
まったという事実があることは既に言及しました。勿論、こういうことは、「勝者が書いた科学史」
ではほとんど触れられず隠されてきていますのでご存知ない方が大半だろうと思います。
さて、再三書いてきましたが、特に解説本も多い特殊相対性理論に疑念を抱いてしまった私は、
なぜこれが「基本パラダイム」になりえたのかに疑問を感じ、海外サイトを当たる中で、多くのこ
れまで決して表面化してこなかった隠されて来た、この理論にまつわる真の歴史を知り、本コー
ナーでも紹介してきました。
まさに、前に、ネットに見られる強い「科学者信奉」@
で引用した「背信の科学者たち」の中の一
節である
「『科学とは通常考えられている姿とはほとんど似ても似つかない
もの』であり、『新しい知識を獲得するとき、科学者は論理と客観
性だけによって導かれるのではなく、レトリック・宣伝・個人的偏
見といった非合理的な要因にも左右されている』というものであ
った。」(※4)
の通りのものだったのでした。
皆さんは不思議に思われないでしょうか?"Einsteinが"Special Relativity"を発表したとき、彼は
アカデミア科学界の一員ではなく、しがないスイス特許局事務所の一介の職員に過ぎませんで
した。しかるに、もうすでに1920年1910年代初めには大学教授としてアカデミア科学界の一員となり、彼
の"Special Relativity"はもうすでに当時の科学界において、"Holy Theory"として歩き始めてい
たのです。今でもそうですが、その時代の「科学常識」からはずれたものは「異端」扱いでなかな
か科学アカデミアには受け入れられません。これも前に触れましたが、かのFaradayの実験観測
による電磁現象も当初は「ペテン師扱い」されたそうです。ガリレイも望遠鏡で星を見せたのに、
それを見た当時の学者はその「見たもの」を否定した(望遠鏡を疑った)という話もあるくらいで
す。そんな科学アカデミアの状況から考えると、Einsteinはものすごく幸運だったと言えませんか?
そうなんです。すでにこれまで示してきましたが、それには理由があったのです。そしてそれは、
決して、
「科学は厳密に論理的な過程であり、客観性こそ科学研究に対する
基本的な態度である。科学者の主張は同僚科学者による審査や追
試を通じて厳しくチェックされ、あらゆる種類の誤りはこの自己
検証的な科学の体系から容赦なく排除される」という伝統
的科学観(※5)
などとは程遠いものだったのです。これまで主張してきたことを再度示しますと、
@その基本的概念は悉く先にPoincaréが示したものであったこと
(⇒続・相対性理論への疑念(22)〜更なる虚像の証拠〜)
A先にPoincaréの協力の元、Lorentzが"Lorentz Ether Teory"を提示
し、そこで(Michelson-Moreley実験結果を"NULL"として−Fitzgerald
が先に示した概念をヒントにして、私に言わせてもらえばad-hocな
postulateを入れて−数学解析で導出した)Lorentz変換なるものを示
していたこと
BEinsteinは、Lorentzが示したような、"ether"に奇妙な性質を入れる
ということをせず、「数学的に」Lorentz変換を導出し、それがPauliな
どの(今も変わらぬ−というよりそういう方が大半になってきた感がし
ているのですが−)当時の「数学的心を有する」(数学理論を好む)科
学者の心を捉えたこと(もっともらしく見えたのでしょう)
CEinsteinと思想的同胞であった権威のEddingtonが「科学」には直接
関係のない「人間的野心」により1915年にEinsteinが発表した"General
relativity"の証拠だとして観測結果を都合よく捻じ曲げて発表し、こ
れに当時のpressが飛びつき大々的に発表して、たちまちのうちに、
"Einstein is genious & hero"として一般下々にEinstein信仰が始まっ
た。その勢いで、まだ確実な地位を得ていなかった"Special Relativity"
も一挙に正しいものとしようというSpecial Relativity"派の色々な活動
があったこと
(⇒なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜/(追))
D故郷ドイツがWorld Wor T,Uと二度も世界大戦を引き起こし(Einstein
は平和主義者だったゆえに同じ思想のEddingtonの前述のような野望
には都合がよかった)、その中で故郷ドイツではヒットラーのナチの台
頭でユダヤ人迫害があり、ユダヤ人のEinsteinはその迫害を受けた側
であった。そのため、"Special Relativity"反対派・懐疑派は、
"antisemitism"(反ユダヤ)とされてしまい(フランスのLorentz理論支
持派の中にそれを出した愚かな連中がいたらしいゆえに余計にそう
みなされてしまったのでしょうが)"Special Relativity"に疑念を示すこ
とができにくくなっていた
(⇒続・相対性理論への疑念(6)〜3789件ものClaim〜
なぜこれが大きく問題化されないのでしょうか〜エディントンのやったこと〜/(追))
だったのです。特に、@、C、Dなどはほとんど知られていない歴史の真相です。
@は今世紀になってアマチュアが本を出して論争になりましたが、実はもう既に1960年代にもっ
と詳しく指摘した論文が出ていたのに無視されたようです
(⇒続・相対性理論への疑念(22)〜更なる虚像の証拠〜)
また、Cがあるまで、Einstein&Einstein's supporterの"Special relativity"派とフランスのLorentz,
Poincaréらの"Lorentz Ether Theory"派の科学論争は決着がつかず、結局、両者の間で
"peace treaty"が結ばれ、"Lorentz Einstein Theory"と称せられたりしていたようです。
(⇒続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜(補))
この争いは、所謂「理論学者」間のものでしたが、これとは別に、自ら実験観測研究を行われた
実験科学者には"Special relativity"疑念派が多かったようです。
有名なラザフォードはその一人であり、実験科学者の多くは彼の元に集まったそうです。
(⇒続・相対性理論への疑念(22)〜更なる虚像の証拠〜)
前述のDayton Millerは自ら大変な実験観測をされていますし、これも既に示しましたが、Michelson
さえ反対派だったそうで、自分の実験結果をああいう形で使われたことに対してEinsteinに直接、
不快感を表明していたそうです。また、Nikola Teslaも反対派の一人でした。しかしながら、どう
も昔も今もそうですが、ギリシャ以来の最初からの伝統なのか、科学界は「理論重視」であった
のか、そういう実験家の思惑・意見は重要視されなかったようですね。
結局、どうやら早くも1930年代には"Special Relativity"は"Holy Theory"の「基本パラダイム」に
昇格したようですね。
その結果として、早くも20世紀中旬前には、New Inquisition(新しい異端審問)で触れたように、
反対者は迫害され(公式に発表することは妨害され、論文はrejectされた)、本当は綿々とドイ
ツ国内のものでさえ、ほとんどは"antisemitism"などとは無関係なものであったのにも係らず
なされてきた"Aniti-Special relativity"論文・言説は、"antisemitism"またはなかったものとして
無視され続けてきたのでした。
(⇒続・相対性理論への疑念(6)〜3789件ものClaim〜)
こんな話もほとんど一般には知られていませんね。
いいですか?もし、本当に正しいのだという絶対的な証拠などがあるなら、こんなことをする必
要もなく、全会一致で「正しい理論」となったはずではないでしょうか?明らかに、そういう万人
が納得できるものなどなかったためにこのような「不正」がなされたのです。これはまさに「不正」
そのものではないでしょうか?
今、「理解できた。正しいのだ」として、反対派・疑念派を嘲笑罵倒されておられる方々は、もし
1905年〜1920年代に欧米で科学アカデミアに属されていたとき、今されているようなことが言
えたかという事です。
私は、絶対にそうではないと思います。勿論、Pauliのように魅せられた方もおられると思います
が、現在ならさしずめ「疑似科学」扱いした連中も多いものと思います。
ですから、今、「理解できた。正しいのだ」として、反対派・疑念派を嘲笑罵倒されておられる方々
というのは、どんなに取り繕うと、学生時代に、アカデミズム正統科学として教えられ、「不思議
だ」などと思う事さえ抑制してしまって、また、大変失礼ながら、巧妙な説明に理解できたと思っ
ているか、「ま、よくわからんが正しいんだろう」とそういう基本パラダイムで構築されたものの
研究に従事されているかのいずれではないかと勝手に思っています。
ま、一つの大きな問題は、科学特に物理学者は、「理論」に重点を置いている(中には「理論至上
主義」の方も多いそうですが)ため、不幸にも、草創期に、対抗理論が"Lorentz Ether Teory"しか
なかったことでしょう。そして、一旦、基本パラダイムにまで祭りあげられてしまったものはなか
なか対抗理論と言うのは、組織的に出しにくい・研究しにくいわけです。前に引用したように、
相対性理論は現代物理学にがっちりと統合されているのだから,
その土台をほじくり返すべきではない,そんなことをするより
「建物の上階」を増築したほうがいい,この理論を批判しても
「コブをつくる」[失敗して痛い目にあう]だけだ
という意識が、大変失礼ながら物理学コミュニティ内に蔓延していると思うのです。
それは、結局は、クーンの主張通り、(※3)が実態だからです。要するに、"Special Relativity"に
対抗できる「基本パラダイム」になりうるような「理論」が出てきて、それが新たな実験観測でう
まく説明できるという事が無い限り、簡単には覆されないわけです。
私自身は、前にも書きましたが、"Special Relativity"に対抗するような「基本パラダイム」理論な
ど本当に必要なのかという疑問を感じています。あまりに、理論優先主義がそういう風潮を作っ
ているだけではないかと思うのです。
例えば、ニュートン力学は別にNewtonの「頭の中から出てきた」Top-down theoryではありません
よね?色々な学者によってなされた色々な現象に関する数々の実験観測とそれぞれに対して考
えられたものを後から総合してニュートンの法則として集大成したものであったわけです。
量子力学だってそうですね。ところが、"Relativity"だけは、Top-Downみたいになっているわけで
す。その結果、一歩ずつ実証観測で確認して次stepに進むのではなく、仮説の上に仮説を重ねて、
理論研究だけが先走りしているのです。だから行く先は「混迷」にならざるを得ないのです。
そこにあるのは、まさしく、「主観」「観念」の世界なんですね。
気が付いている勇気ある物理学者の中には、20世紀の初めから何も進んでいないと断言される
方もおられます。私もそう思います。20世紀物理学は、「自然科学」というものから明確にはなれ
てしまったのです。はっきり言うと、19世紀前半に、Faradayの電磁誘導実験結果をペテンだと
見下し、1955年のMaxwellの論文の冒頭で間接的に揶揄されている「数学理論重視」の科学者がよ
り幅を利かせてきたのです。ですから、本当は一切実証観測などされてこなかったpostulateU
(Lighert speed is constant)を実際にはそんな結果ではないのにMichelson-Morley実験結果を
証拠なのだと言わば強弁して綿々と教え続け、他人が他の目的でなした実験観測やシステムなど
を「これだけ」で解釈して「証拠」だとし、時には「論文捏造」(都合のよいデータだけ使う)、そして
実験観測結果なるものも確証バイアスで証拠扱い(反対学者の声は無視)にして、そういうもの
を集めて「証拠は沢山ある」と嘯いてきたことが順々に暴露されてきています。
そして、卑怯にも、そういう指摘に対しては、完全に「だんまり」でいるわけです。
悪い言葉でいうならば、1905年に出てきたEinsteinの"Special Relativity"は本質的な「物理」を考
えないで「数学世界」で処理できるそれを好む学者の「格好のエサ」だったわけです。
当のEinstein自身がそうだったからでしょう。これは私の独断的なものではありません。
前に、特殊相対性理論への疑念(全面改定版5)で、引用しましたが、
Einstein,who had no qualms about abolishing the æther and still retaining
light waves whose properties were expressed by formulae that were
meaningless without it,who was the first to discard physics altogether
and propose a wholly mathematical theory...
(エーテルを廃し、それを除いた無意味な式でその属性が表された光波をまだ
保持することになにもとがめを感じず、最初に物理学をすっかり捨て去り完全
な数学的理論を提示したEinstein)
Herbert Dingle, Science at the Cross-Roads.
という批判があります。「その属性が表された光波をまだ保持する」という批判に留意してください。
これは、同じ項で引用紹介したように、「その理論を理解できなかった誰かが言ったらしい
theory mathematically based upon ether's effect on light could
describe an etherless environment
(光へのエーテルの影響に基づいてなされた数学理論がエーテル
の無い環境を記述できた)
に通じるものです(こちらは、具体的な人名がなく、後でEisnteinがそのことを知って、当初言明して
いた「エーテル不要説」を撤回したと書かれていましたが真相は不明ですけど、どうもEinsteinがなし
た残されている発言を見ますと、誰かが言ったようにEinstein自身、あまりわかっていなかった可能
性はありますね)。
いずれにしろ、Nikola Teslaが批判していたように、物理学者の多くは数学が得意ゆえに、それを元
にして、
Today's scientists have substituted mathematics for experiments,
and they wander off through equation after equation, and eventually
build a structure which has no relation to reality.
(今日の科学者は実験を数学で置き換え、方程式のち方程式でさま
よっていて結果的に、現実と無関係な構造を構築している。)〜Nikola Tesla
情況が20世紀以来、綿々と続いてきているわけです。そして、"Diven Einstein"にぞっこんゆえ、彼
がなしたと同様、大変失礼ながら、
The scientists of today think deeply instead of clearly.
One must be sane to think clearly, but one can think deeply and be
quite insane.
(今日の科学者は明確の代わりに深く考える。
人は明確に考える分別があらねばならないが、深く考えて、全く
ばかげていることにもなれるのである。)〜Nikola Tesla
ではないでしょうか?だからこそ、(※1)などと考えない・考えたくない物理学者が多いのだろうと思
うのです。数学が得意の秀才の方程、そういうドツボに嵌りやすいのではないかと思います。
結局のところ、「数学が使える」ということから、「物理」そのものより、「数学操作」を好む方達が
ろくにきちんとした直接実証試験で完全実証されてもいない理論"relativity"に飛びつき、実証検証
そっちのけで、ただ単に「他の理論との整合性」のみに着目して理論だけの先走りをしてきているの
が現代物理学ではないでしょうか?だからこそ、確証バイアスで観測結果を都合よく解釈してきたわ
けです。大変失礼ながら、「アリバイ」程度ではないでしょうか?確立してしまうと、それの確認のた
めの実験観測結果の再現性確認などほとんどされないようです(しても得にならないからだそうです
し、反対派の観測結果の多くは無視されるかうやむやで放置されてきましたから)。
そういう本来の科学のあり方と異なる道を歩んでしまったゆえに、「科学の終焉」などと言われるよう
な状況を迎えているのではないかと思うのです。
いずれにしろ、20世紀物理学にはその理論のみならず物理学のあり方まで、曖昧な言葉でけむに巻
いてきたため気が付かれていないようですけど、実際には「何もわかっていなかった」Einsteinに物理
学界は惑わされて道を誤ってしまったのではないかと思います。
ま、前にも指摘しましたが、物理学特に基礎物理学部門では、とかく、実験物理学を低く見る傾向に
あるようで(若き日のハイゼンベルグはその典型だったそうですし、ネット上ではっきりそう書いている
のを目にしたことがありました。とても不愉快千万でした(-_-メ))、今のような状況になってしまったの
は必然的かもしれません。それが「優秀な人による」物理学なのだと思い込んでいる人たちがいるわ
けですから。
しかしながら、皆が皆そうではなく、そういうことのおかしさに気が付いておられる海外の若き科学者
もおられます。たとえば、特殊相対性理論への疑念(全面改定版6)で引用したようにロシアの若き物
理学者さんは、
数学が任意の対象(実在するものであれ,実在しないものであれ)について
研究することが可能であるのに対して,物理学が取り組んでいるのは,現
実に測定可能な物理量の間における相互関係の探求のみである。
もちろん,現実の物理量をいくつかの関数の組み合わせに分解したり,あ
るいは何らかの複雑な関数に代入したり,これらの組み合わせの意味を
「でっち上げ」たりすることは可能である。
しかし,それは学校の数学でやる代入の練習以上のものではなく、その練
習は難しさの度合いにかかわりなく、物理学とは何の関係も持たない
という強烈な批判をされています。
また、「数学が得意」でもそれだけで満足しなかった科学者もおられた・おられる(特に、全ての基本パ
ラダイムの発症も地である欧米では)ます。彼らは「自然科学」とは何かをきちんと把握されていた・
いらっしゃると思います。その論の正否は別ですが、そういう姿勢を私は高く買いたいのです。
それこそ、地についた確実な科学の道であり、そういうbottom-upが真の理論に進む王道ではないか
と思っています。あのNikola Teslaは高等教育を受けたれっきとした科学者ですが、数学は得意だっ
たそうです。Maxwellは数学が得意で学生時代、もう一人の同級生とトップ争いしていたそうですが、
実験物理の教授職になったそうですし、キャベンディシュ研究所が設立され初代所長に任命された後
キャベンディッシュの実験ノートにあった実験を一つ一つ再現実験したという話も聞いています(これ
らのことは既に別のartileで書きました)。
私は、根拠がそもそも薄い"Special Relativity"で支配された現代物理学の変革は、少ないながらもそ
ういう物理学者の中から生まれてくるだろうと思っています。残念ながら、日本からは生まれないで
しょうね。日本科学コミュニティは、日本人の気質:自己知識の全能化というサイト記事で指摘されて
いる傾向がみられると思うのです。「自己知識の全能化」というのは、そのサイト主さんによれば、
自分が持つ知識や知見、それもいわゆる学会や知識人の常識とよばれる
本来いびつな偏った知識を、まるでそれがすべてであるかのように感じて、
それを否定したり批判することを許さない態度である。まさに自分が保持
する知識こそ科学であり、全能の神であるかのように錯覚することをいう
ということだそうです。この方の独自造語かどうかわからないのですが、うまい表現だと思いました。
で、それは何も年長のシニア科学者だけでなく、若手科学者・学生にも蔓延している感がしています。
中部大学の武田先生の音声ブログだったと思うのですが、こんなエピソードを話されていました。
アメリカと日本の学生に、「エネルギー保存則を破るようなものを考えよ」という課題を課したそうで
アメリカの学生はなんと6割がその課題に取り組んだそうですが、日本の学生は誰一人やらなかった
そうです。「エネルギー保存則は確定している」からという理由だったそうです。
ま、ネットサーフィンしていればよくわかりますね。議論の対象の数、そして、レベルにかなりの差を感
じます。前にも書きましたが、日本と違い、"Anti-Relativity"は物理学者も含まれる組織的活動もある
ようですね。習い覚えたこと・偉い先生がいう事・教科書に書いてあることを100%疑わず従うことがな
い、すなわち「全てを疑え」というパイオニア的精神に溢れている方も多いという事です。
全く新規で、main stream、基本パラダイムになるような理論はそういう意識がない限り生まれるはず
はないでしょう。決して「頭の良しあし」ではないのです。
いくら「業績」があろうと、「新規性」がないと、その科学者にはノーベル賞は出ないのです。いくら、
創造性を叫ぼうと、「自己知識の全能化」情況では出てくるはずがないのです。
「多くの科学者が正しいと言っているから」などと思ったり発言するような方は、寺田寅彦さんの一節を
使わせていただくなら、「先生になれても科学者にはなれない」人でしょう(ここでいう「科学者」
というのは、単に科学アカデミアに属していて「科学的業務に従事している」人を意味してはいないと
思います。)。
ちょっと話は本articleのテーマからずれるのですが、ネットサーフィンしていましたら、「CO2地球温暖
化説」に反対の立場を鮮明にされている科学者の方が、その講演において、「CO2地球温暖化説」は
正しいという反論をした若手科学者がいたらしく、そこで「なぜ正しいのか」と聞いたら、「世界中の多く
の専門家が正しいと言っているから」と答えたと嘆かれていました。そんなこと言う輩はネット上だけで
はなかったんですねぇ。一言、「こりゃだめだ」ですなぁ。
聞くところによると、某東大教授が中心になって、若手科学者を使って「CO2地球温暖化説」に反対の
方達を「懐疑論者」と蔑称して、これを撲滅しようという動き(バスターズとか称しているらしい)がある
こともネット上で知りました。反対論者の論文はrejectされてしまったそうですし、「いやはや」ですなぁ・・・
いずれにしろ、欧米では「右へ倣え」という一筋縄ではなく、20世紀時代と異なり、ブロードバンドの発達
により、権威主流派の圧力で抑え込んだり、外部への一方的情報提示ということは困難になっています
から今のままで終わらないと思いますね。そんな時代なのに、今尚、「おかみ」に従順な日本の科学ジャー
ナリズムの一方的・近視眼的情報を鵜呑みにしない方がよいと思います。
私は、きっと、ある日、突然梯子をはずされて大混乱になるだろうと思っています。
"relativity"は崩壊すると・・・。そして、それでないと「物理学は終焉してしまう」だろうと・・・
('16/4)
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