続・相対性理論への疑念(21)
〜説明の「おかしさ」〜/(追)(’15/9)
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誤った説明があり、見え消ししましたm(__)m
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本コーナーの多くは、その名がタイトルにないものも合わせて「相対性理論(Relativity)」に関するもの
ですが、特に相対性理論への疑念(前面改定版1)〜相対性理論への疑念(前面改定版7)
は、まだ十
分調査・考察をしないうちに、思いつくままだらだらと書き殴っていたものを、それぞれの項の冒頭で
注釈をつけているように、その後に得たきちんとした情報に従って私自身の思い誤り等の修正を含
めて整理し全面改訂したものです。で、そのとき、実は、当初、本当に「素朴」に考えて「おかしい」と
思って書いたことで消してしまったものも実はありました。一部は他の項目の中にちょろっと入れたり
してはいますが、本項は、この当初に、「素朴」に「おかしい」考えた中で、色々と情報知見を得た今
でもやはり「おかしい」と感じていることについて少し触れておきたいと思います。勿論、そんな風に
感じたのは私だけなのかもしれません。
ですから、本項で書くことは、あくまで「私」が「素朴」に感じた、説明についての「おかしさ」ですし、思
い違いもあるかもしれませんのでご容赦の程m(__)m
まずは、Michelson-Morley experimentの説明についてです。
Michelson-Morley experimentに関しては、Michelsonのoriginal Paperを読み、自分なりに考えた解釈
も盛り込んで相対性理論への疑念(前面改定版2)で詳細に論じ、更には最近入手した1920年代に米
国物理学会長を歴任されたDayton Miller博士の論文にあった歴史的なものについて、
続・相対性理論への疑念(18)〜Dayton Millerの論文@〜で引用紹介しました。
私自身、このMichelson-Morley experimentの科学者等の説明に一つの素朴な疑念を持っていたか
らです。
ま、既に散々書いてきていますが、結局うやむやにされてしまった(これも既に書きましたが1990年
代にそれを厳しく批判された学者がおられます)このDayton Millerの膨大な実験検証による主張に
全面同意していて、相対性理論で必ず取り上げられるこのMichelson-Morley experimentの結果に
ついての解釈には重大な齟齬がある(誰がどういう目的でそういう本質的には間違っている解
釈を喧伝したかも既に批判的に示してきました)したがって、この実験結果の真の解釈は、現在の
relativistsがそれを根拠として語る"Special Relativity"の崩壊になる−間違っている仮説−と考
えていますので、今の私にはある意味「どうでもいい」ことなんですけど・・・。
皆さんは、Michelson-Morley experimentのことを聞いた・目にしたとき、その解説者の言葉に疑念
を感じられなかったでしょうか?「Michelson-Morley experimentを不思議な結果」みたいな説明を
目にしませんでしたでしょうか?
で、私は、「なぜ不思議と言うのか」がさっぱり理解できませんでした。というのは、車でも電車でも
ボールでも方向で速度が異なる−かかる時間が異なる−(勿論、風の影響とか地形上の話は無
しとしてですが)などということはないのに、なぜ、光だけはそういうことになるのを不思議だと当然
みたいに述べているのが不思議でならなかったのです。私自身は、当初、「こんなもの不思議でも
なんもないではないか?」と素朴に思ったんです。というのは、既に、喧伝されてきたように、19世
紀まで考えられてきた「静止エーテル」は否定されているんでしょ?」という先入観がもう私にあり
ましたから。ですから、当時、私自身は、
不思議だと衝撃を受けたのは静止エーテルの存在を信じていたLorentzら
1887年の実験当時の主流派科学者だけでしょ?(※1)
と思ったのでした(勿論、今もそうです)。
大抵の解説本は冒頭の方でこの実験について述べ、光と言うものについて先に詳しく説明せずに、
「この実験結果がいかにも不思議な結果である」と学習者に思わせるような説明になっているので
す。しかし、出てくる説明図は、古典力学の「ガリレイの相対性原理」からの図なのです。
これが私にこの理論の説明に「おかしさ」を感じた発端でした。(当時、国内ネットを漁っている中で、
同じように「不思議でも何でもない」というようなことをおっしゃっていた方がいたような覚えも
あります−記憶違いかな?−)。
ですから、実は相当悩みました。「過去に習った物理学知見で、『光だけはそういう物体の運動と
は異なるはず』というものがなかったが、俺が知らなかっただけなのか?」と。勿論、「相対性理論」
の説明に対する疑念ですから、当然ながら、そこに「相対性理論を是」とするようなものは入れず
(私は循環論を是としません)にという話です。
結局、そんなものは見つけられず、相対性理論解説のおけるMichelson-Morley experimentの説
明というのは、初学者を最初から洗脳しよという意図が強く現れている(そういう意識はなく、先学
者から習ったことを鵜呑みにしてそのままstudentsに教えたり、ネット上でとくとくと語っているだけ
かもしれませんが)極めて「欺瞞的説明」と私は感じています。
既に書いているように、そもそもMichelson-Morley experimentは2回なされ、有名な1887年のもの
は二回目のものですが、「エーテル」の存在を見出すためになされたものではなく、Stokesの説
「エーテル完全引きずり説」を支持していたMichelsonが「静止エーテル説(部分引きずり説)」を正
しいとするLorentzらの主流派との議論の決着をつけるべく行ったものであり、
・その実験理論自体はLorentzが「静止エーテル」を条件とし、
古典的な"wave-motion-through-a-medium"から作り出した
もの
・実験結果は、その理論値と異なり大幅に小さい値であった
というだけのことなのです。そして、Michelson自身はそのconclusionでは、Lorentzらの主張(静止
エーテル説=部分引きずり説)はこの実験結果に反していることを強調しているだけあり、決して
"NULL"結果などとは明言していないのはoriginal paperを読んでいただければ一目瞭然です。
だからこそ、私は、自分自身の当初から思っていた(※1)という思いをより強く感じたのです。
すなわち、1905年のEinsteinの主張に従って「エーテル」を否定しているなら、この実験結果を不思
議だという根本的な物理的根拠はないということです。
なぜなら、単に「ガリレイの相対性原理」だけで考えるなら、そういう結論など出てこないからなの
です。"Special Relativity"抜きで、光だけは違うのだというなら、それを示してもらいたいものです
が、ネット上には皆無でした。ですから、「欺瞞的いんちき説明」ではないかと言っているわけです。
既に少しだけ触れたのですが、これに関して興味深い指摘がありました。実は、私自身、なぜか
理由がないまま、以前は「電磁波なら真空中でも伝達できる」と思い込んでいたのですが、よくよく
考えてみたら、「電磁波は真空中を伝搬できる」という根拠はほとんど誰も示していないようです。
要するに、確固たる根拠を示さない・気にしないまま「電磁波なら真空中でも伝達できる」と前の私
みたいに思い込んでいるのではないでしょうか?
で、海外ネット上で、おかしな説明をする方がいて、逆につっこみが入っているのを目にしました。
そのおかしな説明とは、「光は光子であるから、真空中でも伝搬できるのだ」というもので、Antiの
方のそれに対する鋭いつっこみは、「それなら、ガリレイの相対性原理そのものであり、なんで
"Special Relativity"みたいな余計なものを考える必要があるのだ」というものでした。思わず笑っ
てしまいました。
そもそも、光が電磁波だと示唆したのは、Faradayの実験結果と思想を考察して自ら編み出した
方程式(Maxwell's Equations)から電磁波の存在を最初に示唆したMaxwellでしたが、彼は真空
というのを何もないとせず、当時の科学界の定説に従って「エーテル」の存在を条件にして方
程式を作り出したということを知らない(知っていても無視している)方が多いと思います。、
ですから、ましてや、現在"Maxwell's Equations"と称せられているものは、Maxwellが導き出した
originalのものではなく、後年(Maxwellの死後)Heavisideが、悪く言えば「改ざんした」いわば、
"Maxwell-Heaviside Eqations"だということを知っている方は物理学科出身者以外では少ないだ
ろうと思います。私も知りませんでした(⇒Maxwell方程式を考える等参照)。
ですから、「エーテルが否定されてしまっている」ために、電磁気学は結構苦しい説明で逃げて
いるのがよく教科書を読めばわかります。
「何もない」所でも電磁波したがって光は通るというのは、宇宙の星が見える、電波が届くという
事実からそう言っているだけではないでしょうか?そして、それは、宇宙の星間は真空であり何も
ないのだという本当は根拠がない(Einsteinの1905年の言説で「エーテル」などないと言っている
だけ)んですね。
いずれにしろ、「光だからMichelson-Morley experimentは不思議なんだ」という論拠は19世紀に
考えられていたものも含めてエーテルを否定する限り、どこにもないわけです。
ただ、よ〜く考えてみれば、Michelson-Morley experiment結果から
LorentzがMichelson-Morley experimentのために作った実験理論が
間違っていた
という推定もありうるわけで、これを排除する絶対的根拠などありません。私はこれが真相だと
考えています。こんなことはド素人の私でも容易に思いつくのに、19世紀ならいざしらず、21世
紀になっても誰も考えようとしないことが不思議でなりません。「思い込み」が未だ科学界を支配
してるのではないでしょうか?どうやらそれに気が付いている方も海外にはおられるようです。
さて、次は「光の三角形光路」です。
相対性理論の説明では、必ず「太陽静止系から見たらこうなる」と当然であるかのように断
定してあの図を出していますが、
過去に誰か本当にそうなると実証観測した方はいますか?
そんな話は聞いたことも目にしたこともありません。それなのに、皆、当然のように断定している
のです。私が当初からこの理論に疑念を抱いた二番目のことはここにありました。
間違いなくその根拠にしているのは、質点系の運動に関するガリレイの相対性原理なんですね。
それ以外に考えられません。しかしながら、理論では結果では、ガリレイの相対性原理から出て
くるガリレイ変換を否定してあのLorentz変換を出しているのです。素朴に考えれば、「おかしい」
と思いませんか?論理的に考えれば、ガリレイ変換を否定するなら、あの図になるという根拠は
消失するのです。そういう指摘は過去から散々されてきているのに、relativistsは根拠を示してい
ません。勝手に「不思議だけどどうなるのだ」と嘯いているだけなのです。だからこそ、私はそこに
全く「科学性」を感じられず、"Special Rlativity"こそまさしく"Quasi-Science"そのものではないか
と主張してきたのです。誰もあの「光の三角形」など見ていないのです。見てもいないものをそうな
るのだと言い張っているだけなんですね。なぜでしょうか?私は海外ネット調べていて「はは〜ん」
とわかりました。単に、Einsteinが「ガリレイ変換」は確立した古典力学の「真実」だと考えていて
それを使ったというだけだからなのです。創始者自身がそれくらいしか触れていないらしい上に、
当時のsuppoters(Einstenians)の誰も辻褄わせ的でももっともらしい説明をしてこなかったために
そのままになっているだけというのが真相でしょう。
根拠なく、Eisnteinの思い込みのみで、論理的に矛盾しているpostulateTとposutulateUを実験
無しで成立するとした上で、従来の知見を使って脳内からだけで、言うならば「でっちあげた」も
のですから、誰も根拠を示すことができないのは当然でしょう。「答えない」のではなく「答えられ
ない」というのが真相ではないでしょうか?ですから、ただ単に「信じろ」と言っているだけなのです。
♪We all believe in Relativity,Relativity,Relativityというわけです。
私は、
ガリレイ変換を否定するような結論を出すなら、ガリレイ変換を使うのは
おかしい。0からやるべきだ。そして、そんなのは「太陽静止系から実際
に見た」実証実験でしか出てこない
と全面改定前に書いていました。そして、今でもこの主張は取り下げません。
何も根拠なく、後で否定するガリレイ変換を途中に使っておいて、V<<cではガリレイ変換になる
などと主張するのは最初からそうなるように根拠なくやっているのですから当たり前であり、「欺瞞
的ないんちき」以外なにものでもありません。
再度強調しておきます。
"Special Relativity"の主張に基ずくなら、あの光の三角形は根拠は全く
ありません。nonsence以外の無いものでもないのです。
更にこれに関連して、続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜で、私は
"Special Relativity"と古典力学の『物理的連続性』はどこにあるのか?
という当初すぐに思った疑問を再度挙げていました。実は、relativistsは誰一人、これについて言及
していないようです。
私は過去の記憶をたどり、また、色々と調べた結果、
ガリレイ変換は、実験的に求められたものではなく、時間の刻み、
空間(距離)の尺度は普遍的・不変的であるというそもそも昔の科
学者が決めた概念を基本的条件としたユークリッド幾何学からの
結論である
という考えに至りました。ですから、結論が「時間の刻み、空間(距離)の尺度はLocal」という
"Special Relativity"とはどこで物理的につながるのかという疑念を強く感じたのです。
数学的近似は単に「数値的」な話に過ぎず、物理的連続性とは基本的に関係ないと思います。
だからこそ、あの光の三角形の根拠が私には全然見えてこないわけです。
で、こんなこと考えたのは私だけかと思っていましたら、海外に同様なことを主張されている方
がおられました(⇒続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜参照)。
引用しているので読んでもらえればわかりますので再掲しませんが、おどろくべき事実が暴露
されています。当初抱いた私の直観的疑念は私だけの勝手なものではないということを確信
できています。
ま、だからこそ、私は、「理解する・しない」以前の話であり、解説に「説得性がない」と主張して
いるわけです。要するに、どう取り繕おうと、「理解する以前にまず『信じろ』」と言っているだけ
なのです。
いくら「そうではない」と否定しようと、こういう基本的なことに対する十分論理的で説得力のあ
る説明ができない限り、"believer"以外の何者でもないのです。
「信じないと先に進められない」のです。そして、「信じなければならない」ような根拠は極めて
薄いのです。
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(追記)
ネット見てましたら、「実証結果のないpostulateを立てて理論構築し、その結果を実証すること
でその理論の可否を判定する」ようなやり方が科学の普通のようなやり方というような説明を
目にしました。
しかしながら、私は本コーナーでPopperの思考について取り上げたのは、彼の「反証可能性」
という主張ばかりをご都合主義的に使っているのが多いが、そもそもなぜPopperがそのような
主張をするに至ったのかには触れられていなかったゆえに、それを明確化したいためだったの
でした。Popperは、科学は「帰納法」だけでは正しいと判定できない−いくら証拠をかき
集めてもそれだけでは絶対正しいと断定できない−というそもそもの考えがあったからです。
で、そういう観点から見たらrelativistsが過去にしてきたことはどうでしたか?
一生懸命証拠を集めて(実は、大半が他の観測結果をこれだけで解釈して「証拠だ」と主張し
てきているものばかりですが。繰り返しつこく指摘してきましたが、とうとうやり過ぎて、GPSま
でご都合主義的に解釈して、一般下々に"Relativity"の応用機器などという、開発エンジニア
リーダー自体に明確にその利用を否定されてしまっている「嘘八百」を吹聴するような勇み足
までやらかしていますが。)「沢山の証拠があり正しいのだ」と嘯いて来たのが実態です。
結局、Einsteinians(=Eisntein's supoorters)の方達は、万人が「なるほど」と納得できるような
代物ではないのに、「証拠」だとしてきたrelativistsの言をそのまま信じて、それゆえこの仮説
を正しいと信じこんでしまっているからこそ、本当はad-hocでnonsenceでしかない「とんでも」
postulateといんちき数式(*)説明過程を「それでいいのだ」と思い込んでおられるようです。
だからこそ、疑念派との議論自体が完全に最初からすれ違っているのです。
彼らは、頭から「疑念派」が「ここがおかしい」という指摘をしっかり聞こうとも見ようともしてい
ないのは明白ですね。だから疑念派の指摘に「答えない・答えられない」のです。
どう考えても、カルトの信者との議論が成立しないのと全く同じでしかないのです。
また、彼らは、「Anti-relativityはrelativityを理解できていないからだ」と嘯きますが、一体全
体、彼らは「何を理解した」と思っているのでしょうか?彼らは、Lorentz変換で色々なことを
うまく説明できるからと考えているのではないでしょうか(本当は矛盾が出てきているにも係
らずです)?しかしながら、彼らに聞きたいのは、なぜ、Einstein変換と言わないでLorentz変
換というのかということです。Lorentz変換自体、先に実質、Poincaréの協力の元で、Lorentz
が"Lorentz Ether Theory"で示したものであり、Local Timeなどは先にPoincaréらがその概
念を出しているもですから、Lorentz変換もLocal timeの概念もは別に"Special relativity"の
専売特許ではないわけです。そして、再三指摘してきましたが、Lorentz Ether Theoryには
Lorentz Ether Teory?で述べたようにad-hocなpostulateが入っていますけど、理論過程自
体は"nonsence"ではない(論理矛盾・論理飛躍などない/当時の著名な数学者であった
Poincaréが全面協力している。だからこそ、この理論からはspecial relativityのようなパラ
ドックスは出てこない)のです。
要するに、Einsteinians(relativists,Einstein's Supporter)は本質的には"Special relativity"の
専売特許でもなんでもない部分をEinstein's Special relativityだと思い込んでいて、その
postulateと理論過程における"nonsence"を単に循環論的に「それで正しいのだ」と「信じ込
んで」いるにすぎないと私には思えるのです。
しかも、既にこれもこれまで書いてきましたが、本来のPoincaréのphilosophyそしてその影響
を受けたらしいLorentzは彼らの理論を"real world"のものではなく、"conventions"のもので
あるという考え方をしていたのに対し、Eisnteinは"Special Relativity"発表当時はそれを"real
world"のものと考えていて、後年(遅くとも1921年頃までに)考えを変えてPoincaréの思考を
受け入れているようです。しかしながら、他のrelativists/Einsteiniansは今になっても1905年
当時のEinsteinの思考を金科玉条に引き継いでいるようですなぁ。
(注*)
きちんと数式を考えていくなら、v=0でしか成り立たないものを根拠なくv≠0に拡張してます
ね。こういうおかしなやり方は、空間〜とりあえず〜で述べましたように「四次元時空」の基
本概念でも発揮されています。常に=0であるのもをなぜかSとおいて、x,y,z,tを独立変数
などという取り扱いをしていますよ。fictionだとしているSFとは違い、極めておかしな
「空想科学」でしかないのですから、私はこれこそほんものの"Quasi-science"だと思います
ね。その実は、relativistsは勿論、過去から現在までの多くのscientists自体が草創期の頃
のEddingtonの陰謀にまんまとはまってしまって、"Einstein教"という新興宗教信者になって
しまっているのでしょうね。いくら"believer"ではないと否定しても、事実が証明してます。
そうでないというなら、簡単なことです。きちんと疑念派の出しているものに論理的に納得で
きる反論をすればいいだけなのですから。
ちなみに、ネット見てましたら、anti-relativityの主張者を彼らがquasi-scienceだと決めつけ
ているものを主張されている方々ともども「困ったちゃん」とラベリングして罵倒している方
がおられましたが、私はその方に聞いてみたいことは、「誰がなぜ困るのですか?」
ということです。で、私は「困るのは、relativityとそれを元にした物理学を教えている方だけ
でしょう?」と思うのです。どこかで本音を漏らしていた方を目にしたこともあります。
('15/9)
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