やはり完全に「おかしい」

本コーナーで、色々と現代科学のあり方への批判をしてきていますが、それは、
根本的な所で、今のアカデミズム科学者の思考に大きな疑念が湧いて来たこと
からでした。そのため、本コーナーのあちこちで同じようなことばかり繰り返し書
き散らしているのですが、google検索でリストに出ているアブストラクトを眺めて
いて私の抱いて来た違和感の元がわかりました。

現代のアカデミズム科学界特に物理学者が信じている物理学のあり方の
王道
』というのが

 まず論証があって、それを実証検証していく   (※)

という、『理論至上主義』であることがよくわかりました。要するに、彼らにとっ
てそれが共通の根本的なアイデンティティになっているわけです。そして、それ
だけが唯一『自然を解明する方策』であると共通に固く信じているようです。

したがって、現代のアカデミズム物理界に流れている基本認識は、

  理論−主  実験観測−従   (※※)

となってしまっているようです。
ここによく聞くような、「理論物理学者は実験物理学者を下に見ている」というよ
うな大変おかしな根本的に誤った風潮が出てくる基本的要因があるわけです。
若き日のハイゼンベルグはそういう意識が強くあったそうで、それに不快感を抱
いた実験物理学の教授が博士課程進学試験で彼の答えられないような問題を
出して対抗し、あやうく不合格になりかけたという逸話を目にしました。
しかし、アカデミズム物理界の根本的な共通意識が上記(※※)であれば、そう
いう意識が理論物理学者に生まれてくるのは必然的ではないかと思うのです。

しかしながら、そんなあり方が本当に正しいのでしょうか?そんなあり方で真に
自然が解明できるのでしょうか?
私は

 現代の物理学の(※※)のような分業体制は誤ったいびつな体制

だと思います。それが、地球の科学の真の発展を阻害している根本的要因だと
思うのです。そういうと「そんなことはない。色々と解明されてきている」と言う反
論が出てきますが、それは「ほんとう」でしょうか?
海外の科学ジャーナリストは冷静に見ていて、例えば、ここで示した『宇宙論の
危機』という本が出ています。最高頭脳が30年以上も取り組んでいるにも係わ
らず一つも実証されずまた何も予測しない「超弦理論」には身内の理論物理学
者からさえ批判が出ているのです。

そういう意識が、ここで触れた『背信の科学者達』の遠因になっているのです。

既に本コーナーでは散々紹介して来ているように、過去には一部の心ある学者
さんは科学者のあり方に警告を発しられてきました。
例えば、寺田寅彦さんは、ここで示したように

 頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思い利口だと思う人は
 先生にはなれても科学者にはなれない。
 人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の
 自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴
 する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。


と「科学者とあたま」という本で書いておられますが、上記の(※)、(※※)の
意識は全くそれには反している気がします。
私は「物理学」が「自然科学」であるというのなら、「物理学者」はこの寺田寅彦さ
んの言にあるべきであると思うのですが、上記(※)、(※※)が共通基本思考で
あることから、現代の「物理学者」のやっている「物理学」は「自然科学」には程
遠い感がしてなりません。

彼らは、

 人間の頭が自然を克服できる   (※※※)

と強く信じているようです。だからこそ、

 人間の頭から生み出された『理論

を何にもまして尊び、逆に理論に反する実証観測結果を否定・無視する傾向に
あるのです。全くの『本末転倒』ではないでしょうか?
前にもどこかで書きましたけど、真偽は不明ですが、かつてDiracが「こんな美し
い理論に合わない観測結果は間違っている」と言ったその意識、また、前述の
(⇒ここ)で触れましたように、『宇宙論の危機』にあった、現在のmain streamの
宇宙論である「ビッグバン宇宙論」の理論構築に一役買った素粒子学者の、

 事実を素直に認めよう。・・しかし、こんなに美しい理論がかって間違いで
 あったことなど決してないことも考えるべきだ


という言にまさにそういう現代物理学者の意識が表出しているのです。

ともすれば、「理論に合う都合のよい結果」だけ、ほとんど追加検証実験なしで
「理論の正しさを示す証拠」扱いされてきたのです。そこに、「論文捏造」が出
てくる一つの根本要因なわけです。しかも、特にmain streamとか基本になって
しまっているものについては、そういう捏造論文での「証拠」がいつまでも教科
書に掲載され続け(不都合は情報が拡散されず隠匿されたり無視されてしまう)
一方で反する実験観測結果はあじゃこじゃ「けちつけて」うやむやにされてしまっ
ている傾向が強く見られるのです。

これらは全て、上記の(※)、(※※)、(※※※)が共通基本思考がなせる必然
的な結果なのです。

結局のところ、特に20世紀以降の「現代物理学」は最早、ここで触れた数学者
の故・岡潔博士の言とおり、「自然科学では無い」と強く思っています。
私は、「自然科学」というのは、まさしく寺田寅彦さんのご指摘の通りのものだと
思っています。ですから、

 「自然科学では無い物理学」って一体全体何なの?

と問いたいのです。いくら「自然科学だ」と強弁しても、現代科学特に現代物理
学は本質的に「自然科学」には程遠い代物になってしまっている感がします。
そしてそれは全て、現代物理学者の(※)、(※※)、(※※※)という誤った共通
思考に源を発しているのです。

科学界には昔から、それまでの理論に合わない、物理常識と異なるような観測
結果報告には「拒否反応」が強い傾向にあったようです。特に、学界の権威で
ない実験家はそういう目にあってきたようです。
別項で触れましたが、19世紀でさえ、電磁気学の基礎に大きな貢献をしたファ
ラデーが電気と磁気の関係についての実験結果を報告した時、彼は当時の学
者らから「ペテン師・詐欺師」呼ばわりまでされたようです。

しかしながら、曲がりなりにも、そういう実験学者の数々の先駆的な実験観測
結果が先にあって、それで古典物理学が構築された
のです。そして、それが今
に至る製品化技術の基礎になっているのです。

要するに、古典物理学はそのあり方が、曲りなりにも、まさに寺田寅彦さんの言
通りの、

 大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ
 大自然の直接の教えにのみ傾聴する


言わば、"bottom-up"の形で築かれたもので、物理的に細かい所までは問わ
れない製品化技術では、未だ、十分役に立っているのです。

しかるに、20世紀以降の現代物理学はどうでしょうか?

(非相対論的)量子力学だけは、まだ、そもそもが製鉄の溶鉱炉の温度を調べ
るために行った黒体による理想状態での実験観測で得られたデータが従来の
理論では説明できないことから始まったものであり、言わば"bottom-up"の形
で構築されたものです。だからこそ、工学部でも学び、真の意味での「工業応用」
がされているのです。言わば、古典物理学と同じような形で構築されたものです。

しかしながら、それ以外はどうでしょうか?
20世紀の初頭に、Einsteinが完全に演繹法だけの数学的解析のみによる「特殊
相対性理論」「一般相対性理論」を発表して以来、たちまちのうちにそれが「理
論」を尊ぶ学者を魅了し、物理学界の意識が完全に(※)のように変革してしま
いました。要するに、

 古典物理学、(非相対論的)量子力学    :実験観測⇒理論化
                              ("bottom-up")
   ↓

 現代物理学(相対論的量子力学=量子論含む):理論⇒実験検証
                              ("up-down")


と変わってしまったのです。結局、(※)など、大昔からの根本的な思考ではなく
20世紀になってからのものということです。
そして、そういう風になってしまった張本人はEinsteinと考えます。
ネット見ていても、Einsteinを「天才」扱いする「Einstein信者」が如何に多いこと
か・・・。御自分で公言している方までいます。そして、20世紀以降、多くの科学
者の意識の底流にそれがあり、だからこそ、(※)が王道みたいな、私に言わせ
て貰えば「間違った意識」が蔓延してしまったものと思います。

しかしながら、私がなぜそれを「間違った意識」というのかですが、こういう思考
は真の科学にとって深刻な問題を抱えているからです。それは、

 大切な重要な大発見となる観測結果を逃す恐れがある

気がしてならないからです。そして、現にそうですが、「自然科学」でなく再三批
判してきたように、「数学世界の脳内科学」化してしまっている感がしている
のです。
私は、上記の(※※※)が大間違いのこんこんちきだと思うのです。何度も書い
ていますけど、「地球人類の知恵など大したことはない」と考えているからです。
上記の(※※※)などというのは思いあがりの極めて傲慢な思考であり、理論と
いうのは要するに

 過去の知見だけをベースに脳内であれこれ考えた

ものでしかないのです。過去の知見には、現代物理学で最重要視されている、
数学』がツールとなっているのです。
そんなもので本当に自然が克服できるのでしょうか?『自然』というのはそうい
う傲慢な人類の思惑などてんで気にしていないのは、例えば東日本大震災が
証明しているのです。毎年膨大な研究費を貰いながら地震学者は誰一人予測
さえできませんでしたね。

その意味から、真の科学の王道は

 実験・観測結果⇒論理的合理的仮説理論構築⇒確実な直接
 実証検証⇒仮説理論の破棄で別の仮説理論策定または合理
 的論理的修正⇒確実な直接実証検証・・・


であるべきなのです。

矛盾するpostulateや空想でのpostulateをベースに数学的解析して「解明した」
つもりになっているのは、私に言わせてもらえば、それこそ典型的な『擬似科
』です。アカデミズムはアカデミズム科学以外を「擬似科学」と攻撃しています
がそれは大間違いで五十歩百歩なのです。
しかし、Einsteinがその悪しき先鞭をつけたのです。

ここで紹介したように

 Physics still had de jure authority over mathematics:it was
 Einstein,who had no qualms about abolishing the æther and
 still retaining light waves whose properties were expressed
 by formulae that were meaningless without it,who was the
 first to discard physics altogether and propose a wholly
 mathematical theory
...”

              Herbert Dingle, Science at the Cross-Roads.


という科学者の意見があるのです。「物理学を全て放棄して、完全に数学
的理論を提示したEinstein
」と痛烈な批判です。また、Anti-Relativityだった
テスラもここで紹介したように

 Today's scientists have substituted mathematics for
 experiments, and they wander off through equation
 after equation, and eventually build a structure which
 has no relation to reality


と科学界について嘆いています。「真実には無関係な構造を構成した」と
これまた痛烈な批判をしています。

20世紀以降、

 本来は科学の僕であった数式が、今日では科学を僕にしている

のです。即ち、今日の科学界では「数学が神の地位までに上っている」の
です。そして、それを駆使したものがmain streamに祭り上げられ

 神聖にして犯すべからずの『教義』化

しており、それらのmain streamの専門学者はまさに『神官』になっているので
す。何のことはない、「昔、『教会』、今、『科学界』」で同じ構図なんです。
そして、少しでも異議を唱えようものなら、科学界にいる人は"New Inquisition"
(⇒ここ )を受け、 一般下々はネットで『信者』からの罵倒攻撃を受けているわけ
です。

本当に「こんな今日の科学世界はどこかおかしい」と思いませんか?

Einsteinの「特殊相対性理論」「一般相対性理論」を「不磨の大典」と祭り上げ、
「妄想」を数学を駆使して「科学もどき」に仕立て上げ、合致しない部分は実証も
されていない仮想のものをどんどん盛り込み、また、具体的なイメージをまとも
に説明もできない言葉だけの『観念物理学』。
おまけに「つじつま合わせ」のために盛り込んだ物理的根拠のない仮想的なも
のを「存在自体が真実」かのように吹聴し、「それはなんだろう?」とまた、「妄
想」に浸る、Einsteinの擬似科学をそのまま受け継いで悪用しただけの「脳内宇
宙理論」・・・「科学者は正しいのだ」と洗脳教育され、それを、アカデミズム権威
の従順なしもべである科学ジャーナリズムが煽っている・・・まさに、cult以外の
何物でもないですね(-_-メ)

本当にそんなのでいいのですか?情けなくないですか?恥ずかしくないですか?

早く、20世紀以降のこういう『まやかしの科学』信仰からめざめて『真の自然
科学
』に戻ってもらいたいものです。

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(追記’14/4)

この3月にUPされたばかりの、ロシアの科学アカデミー研究所所属の若手研究
者の方らしい方の「特殊相対性理論」「一般相対性理論」「相対的運動学」批判
論文の和訳pdfを発見しました。その前書きはまさに私が本コーナーで現在の科
界に対して抱き批判してきたことの内部告発的なものでした。ま、あとがき見まし
たら、やばいかもしれないのに本当に「勇気ある姿勢」だなと思いました。少なく
ともそこに真の科学者の意気込みが見てとれました。
場所は⇒相対性理論の基礎に対する批判です。
特にこれだけ引用させていただきますm(__)m

 数学が任意の対象(実在するものであれ,実在しないものであれ)
 について研究することが可能であるのに対して,
 物理学が取り組んでいるのは,現実に測定可能な物理量の間に
 おける相互関係の探求のみ

 である。もちろん,現実の物理量をいくつかの関数の組み合わせ
 に分解したり,あるいは何らかの複雑な関数に代入したり,これ
 らの組み合わせの意味を「でっち上げ」たりすることは可能
である。
 しかし,それは学校の数学でやる代入の練習以上のものではなく,
 その練習は難しさの度合いにかかわりなく,物理学とは何の関係
 も持たない


 残念ながら,20世紀は科学的態度の文化に著しい劣化をもたらし
 た。−中略−
 過去の時代の概念,方法,アイデアに対する高慢な態度が現れた。
 −中略−
 実際には,「我々の足元や身の回り」の問題の大部分は,100年前
 と同じレベルにとどまっている
のである

 研究者たちが,見せかけの科学性の陰に隠れるのではなく,複雑
 な現象をより分かりやすいものにするために努力する姿を見たい

 研究者たちには,自らの誤りをいさぎよく認める心構えを持ち(誤
 りにも,誤りを認めることにも,身の破滅となることは何もない),
 科学によって得られる自らの名声のために闘うのではなく,科学
 における真理の探究のために仕事をしてほしい


                                   (’14/3)


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