実験事実こそ真実

あいも変わらず同じ主張の繰り返しばかりなんですが・・・(^_^;)

「宇宙論の危機」(ブルーバックス)という本の中にEdwin Turnerという天文学者の
この本の著者(Michael D.Lemonick)のインタビュー(この本は多くの米国学者への
インタビュー内容が網羅されている)への答えがあり、その中で、彼は
 『宇宙物理学の理論は、ときに証拠があるからでなく面白い計算ができるから
 いう理由で関心がもたれる。・・突然たくさんの論文が発表され、たくさんの論文
 ゆえ皆この理論は正しいのではないかと思い始めたのだ。このようなことは実際
 の観測上の証拠とは全く別に起こりうる。
 ただの推測が主流の理論へ非常に早く昇格さられるわけだ。
と風潮を揶揄し、
 今、本当に何が起こったか理解するに必要なことは一つだけだ。
 つまり観測だ。

と締めくくっている。これは私がずっと思い主張していることで、全く我が意を得た
りです。

一方、同じ本の中に上と同じ『理論』に反する観測事実がでてきたとき、この理論
をもっともらしい形にするのに貢献した素粒子物理学者の、
 『事実を素直に認めよう。・・しかし、こんなに美しい理論がかって間違いであった
 ことなど決してないことも考えるべきだ』
という言明がありました。どう思われますか?私は現代物理学界を見事に表して
いる言葉だと感じました。
前にも書きましたが、どこかで読んだのですけど、かつてディラックが、
 こんな美しい理論に合わないならその実験データの方が間違っている
というようなことを述べたとありました。全く同じ体質ですよね。

『事実は小説より奇なり』という格言があります。誰の言葉か忘れましたけど、前
にも書いた気がしますが『神は100の合理的説明を用意するがその全てをとらな
いかもしれない』。
理論と言うのはそれまでの知識をベースに脳内で組み立てた『つじつま合わせ』
なのです。その全てが実証されつくさない限り真実かどうか不明であり単なる
『仮説』にすぎないのです。ところが現代物理は実証されつくしていなくても美しく
エレガントと多くの学者が思えばそういう『仮説』を真理として更に、『仮説』の山
を築いている・・・何かうまくいかないデータが出て来ても無視するか、無視でき
ないと『ちょっと修正すればうまくいくだろう』と考えてしまう・・・
私には砂上の楼閣ではないかと思えてなりません。

学問と言うのは常に疑うことが大切だと言われます。もっと観測・実験データを
それまでの科学知識・理論と合わないからと言って疑ったり無視したりせず、
素直に事実として受け取って再度考え直すという本来の学問への取り組みをし
てもらいたいと思うのは素人ゆえでしょうか。

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