マックスウェルはどう考えたのだろうか?D

 〜1855〜1861年頃の論文から(2)〜

マックスウェルはどう考えたのだろうか?C〜1855年頃の最初の論文から(1)研究姿勢〜という
記事を書いた時、(2)で詳細に概要に触れるつもりでしたが、改めて読んでみて、とてもそれを詳
細に纏めて述べるような能力が私にはない−理解しきれていないのと内容が膨大ゆえ−ことに
気が付いたのと、そもそも論文のpdfをケンブリッジ大学サイトから入手したのが3年以上前だっ
たので、すっかり忘れて思い違いをしていたのですが、Maxwellが最初に、私が「Maxwellのオリ
ジナル方程式」と称している、そして彼が「電磁界の一般方程式(general equaitons of
electromagnetic field)
」と称したものを示した1865年の論文"A DynamicalTheory of
Electromagnetic Field
"の前に1856年頃の"ON FARADAY LINES"(マックスウェルはどう
考えたのだろうか?C〜1855年頃の最初の論文から(1)研究姿勢〜
で前書きから引用抜粋した
ものの後、1861年に、"On Physical Lines of Force"というのを出していて(この表題の論文
は順にばらばらと出ています。ネット上に和訳がアップされていたのはこの"On Physical Lines
of Force"です[リンク省略])余計にそれは無謀なことであることを悟りました。

私が元々、1865年以前の論文(それがあることは海外サイト検索で先に知っていましたが)を求
めた理由は、最初に今の「マックスウェルの方程式」と称せられている物はMaxwellの構築したオ
リジナルのものではないことをそれが書かれていた国内のウェブ論文で初めて知ったのですが、
その中に、Maxwellは「ヘルムホルツの非圧縮性流体の完全渦流理論」からのアナロジーで理論
化したと書かれていたのですけど、1865年の前述の論文ではそれには直接触れられていなかっ
たためそれについて詳細を知りたいと思ったからでした。で、勝手にそう思い込んで、それは一番
古い前述の1856年頃の論文に書かれていると思ったのですが、これがまた膨大な論文で、結局
途中で読むのをやめてしまっていたのでした(^_^;)

で、今回、意を決して、少しずつ読んでいたのですが、その最初の論文ではこれについては触れ
られていないことを今更知りました。どうやら、それについては1861年論文でまとめられたもので
あることに今更気が付いたわけです。

この1861年の論文の第一章は"The Theory of Molecular Vortices applied to Magnetic
Phenomena
(磁気現象に適用された分子渦の理論)"となっています。
彼は、当時まだなされていなかったFaradayの発見した電磁誘導現象等の数学理論化を抽象的
なものではなく、物理的に意味をなし、その理論が次の実験観測のヒントになることを目指して
数学理論化を試みた(マックスウェルはどう考えたのだろうか?C〜1855年頃の最初の論文から
(1)研究姿勢〜
で触れたように1856年の論文の前書きで述べています)のでしたが、その数学理
論化に置いては、確立している既存の物理理論からのアナロジー(analogy)を使いました。
当時確立していた「物理学理論」というのは、所謂「力学(Mechanics)」であり、これをベースとし
ての「物理的アナロジー」で数学理論化を図ったのでした。これは既に、ケルビン卿(W.Thomson)
が熱流理論に適用した手法でした。Maxwellの論文のそこかしこに、Professor Faradayとこの
Professor W.Thomosonの名前・引用が出てきていますので、この二人から大きく影響を受け
ていたことは間違いないでしょう。

そもそも、電磁気学の基になっている発見は、例えば「クーロンの法則」のように働く「力」であり、
「クーロンの法則」の数式自体、ニュートンの万有引力の法則(距離の二乗に反比例する)からの
物理学的アナロジーで数式化されたいきさつがあるくらいで、これは明らかに「遠隔作用説」に
よる式であり、19世紀初頭まではWeberがこの遠隔作用説で電磁気学の理論化を図っていたこ
とがMaxwellの1856年の論文で示されていますから、電磁気学を力学からのアナロジーで数学
理論化するような素地は元々あったわけです(Professor Thomsonの熱流への適用ほどは突飛
な−我々凡人にはまるで思いつかない−発想ではなかったと思われます)。

Maxwellの研究においては、19世紀前半における草創期の電磁気学の状況を知っておく必要が
あると思います。電気の研究は古くからされていたのですが、磁気そして電磁気としての研究は
かなり遅れてやっと18世紀の終わり頃から本格化し、一旦はWeberが「遠隔作用説」に基づいて
構築を図ったのですが、Weber自身がそれでは説明が困難な事実に気が付いてしまい、一方、
19世紀初めごろに、1850年代にW.Thomoson(ケルビン卿)が喝破したように、1820年代にまず先
にpoissonが今でいう「H」に基づく概念を示し、翌年、Ampèreが自らの実験観察結果をもとに今
でいう「B」に基づく概念を示しました。また、Michel Faradayが画期的な電磁誘導現象を実験的
に発見しその多くの実験の過程からの深い洞察で、Field、力線、更には彼が「電気緊張状態」
と名付けた概念を提起しました。その幅広い科学への貢献により後年、"Sir"の称号を授与して
「ケルビン卿」を名乗ったW.Thomson教授はFaradayを高く評価し、彼の研究に着目していました
けれども、自らは完全な数学物理学理論化までには至っていなかったのが1850年頃の状況で
す。どうやら、Maxwellによれば、当時は、断片的な、抽象的数学理論しかなかったようです(
在とは大違いで、そういうものは当時の科学界ではもてはやされたりしなかった
のは、今にそれ
が全く伝えられていないことからも明白でしょう。また、当時、そういう抽象的数学理論をやって
いた連中がFaradayを「ペテン師」などと中傷していた
ことも知っておくべきです)。

  
    学生時代(20歳頃)のMaxwell  30歳頃(1865年の論文発表時)のMaxwell
    晩年のMaxwell(48歳で病死)

さて、この1861年の論文でも述べられていますが、1856年の最初の論文は、

@幾何学的心の前に、力線とそれらがトレースされている空間の関係の明白な概念を
 置くことに努めた。流体中の流れの概念を使うことにより、私は、それらの数により、
 各々の線が単位力線(unit lines of force)(Faradayの’Research’参照)
 と称せられてよい力の量を指し示す力線の描き方をした;そして私はそれらが一つの
 媒体からもう一つの[媒体]に渡る線の経路について探求した。

 [注]力線を方向だけでなく大きさも示すため仮想流体が流れる"unit tube of fulid"とし、周
   囲媒体をその「流れ」に対する「抵抗」としている

A同じ論文の中で、私は「電気緊張状態」の幾何学的意義を見出し、想定を助
 ける力学的説明を用いることで電気緊張状態、磁気、電流、起電力の間の数学的関
 係の推論を示した

 [注]「電気緊張状態」というのはFaradayが示したもので、"Electrotonic State"とありまし
   たものを和訳しました。この1861年の論文のウェブ上の和訳論文も同じ訳がつけら
   れていましたのでそのまま書いています。尚、現在の「電磁気学」の教科書ではこれ
   については全く触れられていませんので、この概念の理論化を試みたのはMaxwell
   ただ一人のみだったようで、現在では完全に無視されているようです。Maxwellは現
   在「ベクトルポテンシャル」と称せられている"A"をこれに相当するものとしていて、
   その物理的イメージまで示していました(⇒マックスウェル、マックスウェル方程式、
   電磁波、ファラデー、æther
のarticleにて図8で示しました)。

と纏められ、ただしAについては、「しかし、その現象の説明はしていなかった。」としてこの論
文でそれを示すことを示唆しています。

この1861年論文の冒頭で、

 物体の引力または反発力ないしは相対的運動に依存する任意の力を含む全ての
 現象に置いて、我々は、もし[それが]与えられた位置に置かれるなら、与えられた
 物体に、働く力の大きさと方向を決定しなければならない


と述べ、続いて、

 電気的磁気的現象において、任意の点の合成力の大きさと方向が研究の主題

とし、「力線(line of force)」に言及しています。
彼のいう「力線(line of force)」は「磁力線(line of magnetic force)」であり、今でいう「磁界
の強さH」の値に相当する概念を「磁力(magnetic force)」と称しています。
誰でも知っている磁石の近傍でのばらまかれた「鉄粉」が形成するあの形に言及し、

 この実験によって得られた磁力線の存在の美しい図は、我々に力線を何か現実
 のもの、その作用の中心が離れている単なる二つの力以上の何か、そしてそれ
 は磁石がその場におかれるまでは全く存在していないものを指し示すものとして
 考えさせる。


と書いています。前に息子に、素朴に考えて「磁力線」は仮想的なものではないのではないかと
言って馬鹿にされてしまったことがあるのですが、AB効果したがってベクトルポテンシャルの実
在性を実証証明された(数値データからの解釈論ではなく、ビジアルな写真での証明)故・外村博
士のその実験に関するWeb science essayの中に「磁力線」の写真と称されているものが記載さ
れていて、当時、ネット検索したとき、これが何であるかについては触れられているものが見つ
からずよくわからなかったんですが、ある大学の先生が授業のアンケートをまとめ回答している
サイトがあって、そこでこの写真に触れ、「磁力線は実在するのかどうか」という問題を投げかけ
られていたのを目にしています(答えは見いだせていなかった)。

そして、

 磁極に向かう引き合い反発しあう力に基づく説明では満足しておらず、この力線
 が見いだされる全ての点において、ある作用している物理的状態は実際の現象
 を生ずる十分なエネルギー下に存在しなければならないことを考える助けにで
 きない。


とし、

 私のこの論文における目的は、この方向での推論の方法を、媒体における張力
 と運動についてのある状態の力学的結果を探求し、これらを磁気と電気の観測
 された現象と比較することによって明確化することである


と述べています。

再三、言及してきましたが、MaxwellはFaradayが示した「近接作用説」の立場に立ち、その「作用」
が働くものとして、「媒体(medium)」の存在を基本にしています。そしてその媒体としては、古く
くから実態は解明されてはいませんでしたが真空中も含め、宇宙にあまねく存在すると信じられ
ていた「エーテル(Aether)」(Maxwellは'æther'と書いています)を想定(師・ケルビン卿も同じ考え)
しています。

そういう背景の上で、

 磁気的影響下にある媒体の力学的状況は、電流、脈動、変位の状態または応力
 歪ないしは応力としてさまざまにとらえられてきた。


と述べ、

 電流、磁石のN極から出てS極に入ること、電流周りの計算は、もし我々が引力
 現象または電流自身の力学的原理を考慮できるまたはそれらの連続した存在を
 説明できるなら、力線の幾何学的配置を正確に表現するのに役に立つ。


 中心から出てくる波動は、Challis教授の計算により、中心方向での引力と同様
 の効果を生ずる;しかし、これを真実だと認めると、我々は同じ空間を伝搬する
 二つの連続した波動は二つの引力がなすようには一つの合成に結び付けられ
 ないが、強さと同様、位相関係に依存する効果を生じ、もし、先に進めることが
 許されるなら、それらは任意の相互作用なしで互いに分岐する。実際、引力の
 数学法則は波動のそれ関しては類似性がないが一方、それらは流れと電気の
 伝導、弾性体のそれとは明確に類似性がある。


と続け、

 1847年のCambridge and Dublin Mathematical Journalにおいて、William Thomson
 教授は、歪状態における弾性体の粒子の変位による「電気、磁気、ガルバニッ
 ク力の数学的表現」を与えた。この表現において、我々は固体の全ての点にお
 ける各変位を磁界の相当する点における磁力に比例するとし、変位の回転軸の
 方向を磁力方向としなければならない。任意の点の絶対変位はその
 とき、大きさと方向に置いて、私が「電気緊張状態」と同一とみなしている
 もののそれに相当する;そして、すぐ近傍の粒子に対して考えられる任意の
 粒子の相対変位
は、大きさと方向において、電磁界の相当する点を通
 る電流量に相当するであろう。
 この表現の著者は、弾性体におけるこれらの歪に基づく効果による観測された
 力の源の説明を試みてはいないが、二つの問題の数学的アナロジーを、両方
 の研究における想定を助けるために利用している。


と重要な視点が示されています。

そして、その上で、

 我々は今、磁気的影響をある種の圧力ないしは張力、ないしはずっと一般的
 には媒体内の応力の形で存在するものという考えに至っている。


という理論考察の要になっている観点を示しています。

それについて、

 応力の一般的な形は磁力の表現としてはふさわしくない、なぜならば、磁力線
 は方向と強さを持つが偏光で観測されたものとの類似の線の側面間の何らか
 の相違を示す第三の量を持たないからである。
 我々は、それゆえ、任意の点の磁力線を最大または最小の圧力で、この軸に
 直角な圧力全てが等しい単一軸を有する応力で表現しなければならない。
 それは本質的には双極子である力線を、必然的に等方的である応力軸により
 表現することと矛盾するという異議が唱えられるかもしれない;しかし、我々は、
 全ての作用・反作用の現象は結果的には等方的であることを知っている、なぜ
 なら、それが作用する物体間に働く力の効果は等しく方向反対であり、一方、
 その力の性質と源はN極とS極間の引力におけるように双極子的であるから。
 次に一つの軸に対称な応力状態の力学的影響を考えよう。我々はそれを全て
 の場合において、その軸に沿った単純な圧力または張力と結びついた単純な
 静水圧に変じてよい。その軸が最大圧力の軸とするとき、その軸に沿う力は一
 つの圧力になるだろう。その軸が最小圧力の軸の時、その軸に沿う力は一つ
 の張力となるであろう。


と述べています。

そして、

 もし、我々が二つの磁石間の力線を鉄くずによって示されるように観測するな
 ら、我々は、その力線が一つの極からもう一つの極に渡るとき、これらの極の
 間に引力があることを見るであろう;そして、極からの力線が互いに避け合っ
 て空間へ離れて行くところでは、極は互いに反発しあう[ことを見るであろう]、
 その結果、両方の場合においてそれらは力線の合成の方向に描かれる。
 それゆえ、磁力線の軸における応力はロープのそれと同様、張力となる


ここから、彼は次のような物理的アナロジーを示しています。

 今、磁気現象が、静水圧と結びついた力線の方向の張力の存在に依存する
 と仮定しよう;または言い換えると、圧力が軸方向においてより赤道方向
 においてより大きい[と仮定しよう]:次の問題は、どんな力学的説明が、
 流体または可動媒体におけるこの圧力の不均一性について与えることがで
 きるかである。大抵既に心に起きてくる説明は、赤道方向での圧力過多が
 力線に平行な方向の軸を持つ媒体の渦の遠心力から生ずるということであ
 る。
 この圧力の不均一性の説明は、ただちに、力線の双極子的性質を表現する
 方法を暗示している。全ての渦は本質的には双極子であり、その軸の両端
 はそれらの点から観測されたその回転の方向によって区別される。
 我々は、また、電気が導体内を周回するとき、それは、その回路を貫通す
 る、その線の方向が周回方向に依存する磁力線を生ずることを知っている。
 さあ、我々の渦の回転方向は、そこにおいて透明な電気が、回路内におけ
 るその方向が与えられた力線のそれと同じである力線を生ずるために回転
 しなければならないものと仮定しよう。


と述べ、

 我々は、現在、場の任意の点における渦は、ほぼ平行な軸周りと同じ方向
 で回転しているが、場の一つの点からもう一つの点に渡りにおいて、渦の
 軸の方向、回転速度、物質の密度が変化の対象と仮定する。


としています。以上、和訳がへたくそ(誤訳もあるかも)でわかりにくい−凡人の私には十分理解
できていませんが(^_^;)−かもしれませんが、彼が[多数の]「渦(vortices)」を想定した理由に関
してほぼ全文をアップしました。
引用はここまでとしておきます。


ところで、Maxwellという人は友人が歯がゆがるほど控えめな方だったそうで、この1861年の論
文でもこの後論を進める前に、ご自分の示したものを"hypothesis"と明記し、

 もし、同じ仮説によって、我々が磁気吸引力現象を電磁気現象と誘導電流現象
 と結びつけることができるなら、我々は、もし[これが]真実でないなら、ただ、
 この物理学の部分の我々の知見を大きく拡張するであろう実験によって「それ
 が]誤りであることが証明できるだけである理論を発見するだろう。


と書いています。

ただ、残念ながら、私は、1856年から1865年の最初のオリジナルの"Maxwell's equation"を示し
た論文までのものが当時の科学界でどのように議論され評価されたかについての事情は見つ
けられていません。私がこれまで海外サイトを当たって見出しているのは、

 ・研究の開始時に、1856年の最初の論文の冒頭で示されているような意気込みを
  Faradayに示し、その時は彼に喜ばれたが、出された論文を見たFaradayは自分
  の考えていた"force"の概念と異なる(*)ことでその論文まで出して大いに不満を
  示したこと

 ・1873年に出したクオターニアン表記にしかつ拡張した論文は編集者からさえわ
  かりにくさに対して批判を受けたくらいの不評で、独自切りつめを図っていたこ
  と(死後の1881年、1882年にそれぞれ第一版、第二版が出されている)

 ・既に1865年の論文で示されていた「電磁波」−1865年論文では「磁気擾乱
  (magnetic disturbance)」と書いていて、磁力(今のHの値に相当)の平面波を
  理論的に導出している−の存在(そしてMaxwellは既に先にFaradayが示唆し
  ていた光はその電磁波であるという推論)は1887年にHertzが実証実験で実
  在性を確認するまで当時の科学界からは支持されていなかったこと


くらいです(*:Faradayの抱いていた"force"の概念はニュートン力学的「力」ではなかったようで
そこにMaxwellとの決定的な対立があったようです。ただ、そんなFaraday独自の「力」概念という
のは本来ならFaraday自身でやるしかないわけですが、彼は数学を知らなかったため自らの概念
を数学理論化することができなかったし、ある意味、無理な注文ではなかったかと思います)。

しかるに、これらの1856〜1861年に示したMaxwellの概念・理論は無視されてしまっている−
Maxwellの名前が出ているのは、Maxwellの死後、ベクトルポテンシャルを毛嫌いしたHeaviside
により、Maxwellの死後の1880年代にGibsにより提案されその確立にHeavisideが全面協力した
「ベクトル解析法」で数学的に書き換えられた4つの方程式群(うち二つ、∇・B=0、∇×E=
−∂B/∂tはMaxwell自身があずかりしらない式、当時は"Heaviside-Hertz equations"と称せら
れていたもの)に権威付的に名を残すだけで、その功績が矮小化されてしまっている−にも係ら
1865年に示したオリジナルの「電磁界の一般方程式」は現在の電磁気学の教科書に全て出
てきている事実
に留意すべきだと思います。要するに、Maxwellが示した理論考察の結果として
の式自体には誤りがないということを。このことは、いくら、Maxwell論文を無視しても、そのオリ
ジナル方程式を無視して他の説明をしようとも、そもそもはMaxwellの導出した式があったから
こそのものだということにほかならないということです。
但し、そうやって無視している結果として、多くの式が、単なる「数式」でしかなく、真の意味での
「物理的説明」がなされていないことに留意していただきたいのです。
たとえば、オリジナル式のB=∇×Aから書き換えられた∇・B=0については物理的意味がな
されていますけど、E=−∂A/∂t−∇ΦとB=∇×Aとからベクトル演算公式で書き換えられ
た∇×E=−∂B/∂t(⇒マックスウェルはどう考えたのだろうか?@参照)って、物理的説明(物
理学的数式説明のことではありません)は見当たりません。B=∇×Aも単に∇・B=0からベク
トル演算公式で示しているだけで、これまた物理的意味は示されていないのです。
しかるにMaxwellは全てにきちんと説明をしていて、単に数学的公式で導出したのではないので
す。

結局、実際、このMaxwellの理論が誤りであったことを示すものなど誰も提示していないのです。
提示しないまま、結果的に理論自体そして彼が出した式が彼がオリジナルであることが無視さ
れているというか一切言及されていないだけです。もし、Maxwellが48歳で病死せず、80歳台ま
で生存していたらどうだったかと考えてしまいます。多分にHeavisideのなしたことには反論した
ものと思われますし、少なくともあの式が「マックスウェルの方程式」と称せられたりはしなかった
だろう−残されたとしても、当時そう称せられていたように"Heaviside-Hertz equaitons"の
ままで残っていただろう−と思います。
いずれにしろ、これは、当時の科学者が理解できなかったことと、1905年以来、エーテルの理論
研究が放棄され、タブー扱いになってしまったことによるものと考えています(それ以外に理由が
思いつきません)。こんなところにまでEinsteinの亡霊が入り込んでいるのです。

しかるに、唯一Maxwellだけが実在性を信じ、Faradayの提起した「電気緊張状態(Electrotonic-
State)」に相当するとして理論化し物理的イメージを明示した「ベクトルポテンシャル」は日本の
故・外村博士によって存在が実証証明されましたし、「エーテル」(かつては"ether"と呼称され、
Maxwellは前述のように"æther"と書いていますが、死語になったと思っていたら現在ではわざ
わざ新たな用語"Ather"が使われています−日本では知られていないようですが)についても、
その存在を1905年時には否定したとされている−否定までしたわけではないという意見もあり
ますが、少なくとも不要だと言っていた−当のEinstainが、不都合故、物理界は我々一般大衆
に隠して来ましたが、何度も触れてきたように、1920年に、Leiden大学での物理学コンフェラン
スにおける講演でエーテルの実在を明確に認める発言をしていますし、これは知らなかったの
で驚いて記事にしましたが(⇒エーテルに関する興味深いアカデミア物理学者の記事紹介
照)、アカデミア物理学界では「エーテル」を見直す物理学者も出てきてるようです。
ですから、私は、Maxwellが前述のように控えめに述べていたような彼の"hypothesis"理論とい
うのはその後の実験実証で否定されたものではなく、単に「タブー扱い」されただけと思います
ので、改めて検証すべきものだと思います。

そして、そのことは、私は間違いなく、「特殊相対性理論」にとって大打撃になると考えています。
従来知見に拘らない「バイアス」のかかった目で見ない思慮深い物理学者なら真にMaxwellの
1856年からのオリジナル論文を克明に探求するなら、Einsteinや相対性理論学者らの、Maxwell
のオリジナルでもなんでもないMaxwellのあずかり知らないところで(彼の死後ですから)Heaviside
によって数学的に書き換えられただけであるそもそもは"Heaviside-Hertz equaitons"と称せられ
たものなのに現在では多分にEinsteinの言及に従ったもの(彼は"Maxwell-Herta equaitons"と書
いています)だと思われる「マックスウェルの方程式」と称せられているものでの説明の誤謬に気
が付かれると思っています。確かにMaxwellは論文中には明記こそしていませんが、前述のよう
に「媒体(="Ather")」の運動として電磁気現象をとらえていましたから、彼が示した座標系は地球
などのような一つの慣性系のものではないことが十分伺える
のです。したがって、当のEinstein
自身が根本的に誤理解(misunderstand)し、相対性理論学者を含むEinsteiniansなどがその1905
年時のEinsteinのmisunderstandにそのまま追従しているだけだと思います。

先に、結論を出してしまいましたが、私がそもそも、電磁気学を再勉強する気になった理由の一
つは、「特殊相対性理論」に疑念を持って以来、「マックスウェルの方程式」と称せられているも
のを再度調べてみよう−本当に相対性理論学者らの説明が正しいのかを確認しよう−という意
図からのものでした。その過程で、Maxwellのオリジナル論文、オリジナル式の存在を知ったの
でした。
そして、反相対論ゆえに必然的に疑念を抱いたビッグバン宇宙論に対抗するプラズマ宇宙論の
海外サイト記事とそこからリンクが張られていた"ANTI-RELATIVITY"というサイト記事に触発さ
れて海外サイトをググった結果として、それまでは死語になっていると思い、また、Lorentzがな
したあまりにもad-hocな説明からまるで関心がなかった「エーテル」というものに興味が出てき
たところに、Nikola Teslaの隠されてきた理論及び概念を知り、そしてこのMaxwellの論文を読ん
だ結果として、私自身の中で「エーテル」は死語・タブーなものではなくなっていて、今では悉く
「反相対性理論者」(何一つ評価せず完全否定の立場)になりました。それゆえに、その一環とし
てこのMaxwellのオリジナル論文・方程式に関する記事をいくつもしたためたところです。

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