熱力学の第二法則について@(’17/1)
この件、エントロピー増大の法則は自然の要請のものなどではないAで終わるつもりでした。な
ぜ、そんな主張をしているかですが、そもそもは、『時間』について調べていた時、『エントロピー増
大』の法則から『時間の矢』の説明をする方がいるのを知り、更には「進化論の間違いの理由」に
するネット上の主張を目にした一方で、それらの主張に反対する方達がいたため、単に感性で前
者の主張に懐疑的な気持ちを感じた故、そういう意見の真偽性は「エントロピー増大の法則」をき
ちんと学ばないと自分的には何も判断できないなという思いがあって、それならと「熱力学」の基
礎の再勉強をした結果による自分なりの判断だったわけです。
ただ、熱力学の基礎を学んできた過程において、「なぜなの?」という理解しきれていないもやも
やが残っていたこともあり、また、私のような主張をほとんど目にしていないことなどから、自分が
知らないだけの何かがあるのかもという一抹の不安も心の中には残ったままでした。
そうしましたら、ネットサーフィンしている中で、「化学の広場ホームページ」というところの、Sの導
入の意義という場所での議論の中で
「熱力学第二法則を、数式を使って「断熱条件で不可逆過程が含まれると
エントロピーと言う状態量は増える」と言い換えているに過ぎないと理解さ
れるとよろしいかと思います。
そして、エントロピー増大則には、きっちり条件があると言うことです。」
という主張を目にしました(色付、アンダーラーンは私が勝手に施しました)。
まさに、私の主張の、
エントロピー増大の法則は自然の要請のものなどではない(※1)
の根拠としての、
エントロピー増大則には、きっちり条件がある(※2)
ということにずばり言及されられていたのでした。
もう一度、この辺の事情を簡単に示しておきます。本来、クラウジウスの不等式からの結論は
| ・・・(1)
|
であり、断熱系および孤立系の場合は熱の出入りがないため
| ・・・(2)
|
となりますので、(1)、(2)より
| ・・・(3)
|
となるわけです。そして、(1)(3)式の不等号は不可逆プロセスがサイクル中にあるときであり、可
逆サイクルの場合は(1)(3)式の等号になるのです。したがって、
孤立系および断熱系でかつサイクル中に不可逆プロセスがある場合(※3)
というのが、エントロピー増大を示す
| ・・・(4)
|
の条件であるわけです。ですから、私は「(※3)という条件のあるものをどうして『自然の要請(また
は摂理)』みたいに言うのか?おかしいではないか?」と主張してきたのでした。特に私が拘って
いるのは、
「孤立系・断熱系で」(※4)
という条件でした。なぜなら、d'Qは正、負、0値のいずれかを取りますから、孤立系・断熱系でな
いときは(1)式から(3)式はただちに出てこないのです。すなわち、d'Qが正か0であれば(3)式は成
立しますが、d'Qが負のときは、0>dS≧(負値のd'Q/T)もありうるからです(そのときは当然dSは
負ですから、エントロピーは減少します)。
ところが、ちゃんと(※3)を書いているのにも係らず
熱力学の第二法則はエントロピー増大の法則である(※5)
と言われ、
エントロピー増大の法則は経験則である(※6)
とか、更には
エントロピー増大の法則は自然の要請(または摂理)である(※7)
ような説明(主張)が多々見られるのはなぜか?おかしいではないか?というのが私の素朴な主
張でした。簡単に言えば、自然が断熱系ないしは孤立系でない限り、(※5)〜(※7)のような主張
はできないという趣旨の主張だったわけです。
ただ、この方はその後のところで、
「宇宙全体は断熱系での不可逆過程との条件を満たしているので、宇宙全体の
エントロピーは増大する筈です」(※8)
と書かれていました。そして、さらに続けて、
「それを、「宇宙のエントロピーは増大するのだ!」と、まるで宇宙を作り給うた
神のご意志であるかのように大げさに言ってしまうのは科学啓蒙書の常かも
知れませんね。」
と批判的な揶揄されていました。やっと、なぜ、(※3)という条件を明示しているにも係らず、(※5)
〜(※7)のように声高に喧伝されてきたのかの事情の一端を知ったのでした。
私は、啓蒙書の在り方に疑問を感じてきているのですが、啓蒙書の類はなるべく数式を使わない
で(一般下々には数式嫌いの方達も多くいるというやむおえない事情があることはわかるのです
が)著者の「主観的理解」を入れた言葉だけで説明しようとする傾向にありますから、上記の条件
など提示せずに結果だけを言葉だけで示したりしますので、元を知らないまま、啓蒙書の記述か
らそのように信じて言っている方が大変失礼ながら多いのではないかと思うのですけどね。
しかしながら、それよりもなによりも、私はこの方が当然であるかのように言っておられる(※8)の
文中の
「宇宙全体は断熱系での不可逆過程との条件を満たしている」(※9)
という説明がとても気になりました。すなわち、
(※9)というのは実証観測証明されているものなのか?(※10)
という疑問でした。科学者はわかったようなことを嘯いていますけど、宇宙についてなどほとんど
解明されつくしていないではないかという思いが私に強くあるからです。観測するたびに合わなく
て科学者を混乱させてきたhypothesisばかりじゃないかと。
ただ、実は、そういう話ではないかという疑念は私の中にはありました。それは統計力学も熱力
学に続いて再勉強していたからでした。前に書いたのですが、数式展開の結果として、多分に科
学者を魅了しているだろうと思われる「確率だけで決まる」美しい式
| ・・(5)
|
の導出過程において、まるで当然であるかのごとく
外界=「孤立系」(※11)
としているからです。
しかも、情報工学において、(係数はボルツマン定数ではないのですが)(5)式と同じ形の式が利
用できることがわかり、そこから卑近の例として「乱雑さ」が持ち出され、それゆえにエントロピー
を「乱雑さの目安」みたいに言う方々まで出てきて、数式と相まって科学者を魅了して、あたかも
「エントロピー増大の法則」を自然の摂理みたいに考える方々が出てきたのだろうと思います。
しかしながら、前に述べたように、(5)式というのは、直接、熱力学から論理的に導かれたわけで
なく、ボルツマンが数式の形からのひらめきで作り出した「統計力学のエントロピー」の式、
| ・・・(6)
|
ここで、
| :エントロピー |
| :ボルツマン定数 |
| :微視的状態の数
|
から、(※11)の「条件」や近似的操作で導出した式であるのは間違いないのです。すなわち、
熱力学の第二法則の公式化の中で出て来た「エントロピー」の概念と、
(6)式及び数式展開から求められた(5)式は、「物理的」には直接関係が
なく数学的操作で関連付けられたものだ
ということです。
そして、この(5)式は、(係数は異なりますが)情報工学でも適用できることがわかり、それがよく言
われている「乱雑さ」という経験則と相まって、「自然の摂理だ」などという思いを科学者を抱かせ
て「エントロピー増大則」が科学者を魅了させたのではないかと考えています。そういうことが、私
の疑問(※9)への確実な答えがなくても、(※6)とか(※7)という主張に繋がり、結果的に(※5)と言
う主張に繋がっているのだろうと思うのです。
ここで、ふと気が付いたのですが、多分に、(※5)と言う方達は「熱力学の第一法則」が簡潔に「エ
ネルギー保存の法則」と言われるのに対応して、簡潔な言葉「エントロピー増大の法則」と言いた
いという思いが込められていると読み取れるのですがいかがでしょうか?
結局のところ、私は、
「熱力学の第一法則」−「エネルギー保存の法則」−「経験則」
という構図は納得できますが、
「熱力学の第二法則」−「エントロピー増大の法則」−「経験則」
という主張には納得しがたいという思いをますます強くしているとこころです。
どんなに「美辞麗句」を並べて「もっともらしさ」を強調されても、「そんなものは単に魅入られた方
達の『主観的見解』にすぎないでしょ?でも、私はそうは感じられない」というところです。
実は、前には触れませんでしたが、まだ心の中にもやもやしたわだかまりが残っています。
で、偶々、ときどき覗いている海外サイトのGSJ Physics Forumというところで熱力学の第二法則
(the seond law of thermodynamics)及びエントロピー概念についてのarticleを複数たてていちゃも
んをつけている方の意見を目にしました。"Entropy is Not a State Funcrion"、"Sadi Carnot
Against the Second Law of Thermodynamics"などのタイトルのものです。スペースが狭いために
記事は短く断片的であり、断定口調のためその説明自体は十分理解できてはおらず賛同してい
るわけではないのですけど、知らなかった情報がいくつか書かれていたため、それを元に検索し
て、色々不案内だったことを知りましたので、現時点での私の所感などを少ししたためたいと思い
ます。(尚、件の方の記事は複数のarticleに渡って書かれているため、そこからの引用元の個別
のarticleのアドレスは省略いたします)。
今回、読んでみた件の方の記事の中に下記がありました。
"It's well-known that the time dimension is related to the second
law of thermodynamics: time has one direction (forward) because
entropy (a measure of disorder) never decreases in a closed system
such as the universe."(※11)
「時間の次元は熱力学第二法則に関係していることはよく知られている:
時間は一つの方向(前に)を持つ、なぜならば、エントロピー(無次元尺度)
は宇宙のような閉鎖系では決して減少しないから」
(〜ここより)
という、(まさにそれに私が抱いた疑問そのまんまの)論述を紹介し、これに対して、
How does the author know that "entropy never decreases in a closed
system such as the universe"? Most probably she just repeats what
everybody else says.(※12)
(著者は、どのようにして「エントロピーは宇宙のような閉鎖系では決して
減少しないから」ということを知ったのか?ほとんど恐らく彼女は他の誰
もが言うことを繰り返えしているだけである。)
いう、私が言いたいそのまんまの批判をされていました。
ただ、実は、これを読んだとき、「あれっ?!」と思ったことがあります。それは"closed system"
とあるからです。"closed system"は日本語では「閉鎖系」と訳されています。前にも示しましたが、
系(system)は、開放系・断熱系・閉鎖系・孤立系の四つに分類されていて、それぞれは、下表1の
意味づけとなっています。
表1 系の分類 |
|
前述のように(3)(4)式は(2)式の条件下のときであるわけで、それは表1より、断熱系と孤立系の場
合であって、閉鎖系(closed system)ではありません(closed systemでは外界との熱の出入りがあ
りますから、d'Q≠0)。だから「あれっ?」と思ったわけです。ですから、ここは、閉鎖系ではなく、
「孤立系("isolated system")」の間違いではないかと思うのです。もしくは、"closed" system(「閉
じた」系の意味で書いているのではないかと・・・
それでこれが気になってネット検索したら、偶々冒頭の方で引用した記述を見つけ、これまで主張
してきたことが的外れなものではないという確信が得られましたので、最初に引用紹介しました。
いちゃもんかもしれませんが、往々にしてこのように定義が曖昧にされて使われたりしてそれが混
乱を招く一因になっている気がするので特に触れておきました。
さて、件の方は、上記に続いて、
Few people know that the version of the second law stated as
"Entropy always increases" (which, according to A. Eddington,
holds "the supreme position among the laws of Nature") is in fact
a theorem deduced by Clausius in 1865(※13)
ほんの少しの人たちだけが、「エントロピーは増大する(これは、エディ
ントンによって「自然の法則の中の最高位の位置」に置かれた)」は実
際には1865年、クラウジウスによって導出された定理であることを
知っている。
と書かれていました。私は、(※12)という批判には完全同意しているのですが、(※13)とは知りま
せんでした。私は、「エントロピー増大の法則」を自然の摂理みたいに言う方達の多くは大変失礼
ながら、熱力学の基礎を知らずに、(※11)の中の「ほとんど恐らく彼女は他の誰もが言うことを繰
り返えしているだけ」−皆が言うからそう言っているのだろう、そしてそれは後世の誰かが言い出
したのだろう−と思っていたのですが、「エントロピー増大の法則」までもクラウジウスの手による
ものだったということを今更知りました。
そこで今更ながらWikipediaを見ましたら、この1865年の論文の中でクラウジウス自身が「熱力学
の第二法則」の帰着として
The entropy of the universe tends to a maximum.(※14)
(宇宙のエントロピーは最大値に向かう傾向にある)
と述べていることが記載されていました。
ただ、(※13)の中の「エディントンによって「『自然の法則の中の最高位の位置』に置かれた」とい
う記述を見て、条件反射的に不快感がこみあげてしまいました。すなわち、殊更、『エントロピー増
大則』を自然の摂理みたいに言う人達がいるのは、
「なんだぁ、A. Eddingtonよ、これもお前の仕業なのかぁ(-_-メ)」
と怒り心頭です(ー_ー)!!(私のA. Eddingtonに対する悪感情理由はここ参照。そして、「これもお前
の仕業なのかぁ」と書いたのは、"Michelson-Morley Experiment"を"NULL"結果だったと本・マス
コミ・メディアで喧伝したのもこの人だったことが明らかになっているからです(-_-メ)。
ANTI-RELATIVITYである私は、私の生きているうちは困難でしょうが、海外サイトで紹介されてき
ている近年の欧米での科学者の言動を見てますと、いずれEinstein's "Relativity"は崩壊の途を
辿るものと信じており、その時、既に暴露されていて紹介したA.Eddingtonがなした所業が一般的
に「科学の道を誤らせたとんでも科学者」の代表的人物として書き立てられ知れ渡るものと思って
います−まだまだ、日本ではANTI-RELATIVITYの方でもご存知でない方もおられるようですが。
いずれにしろ、やっと私が「熱力学の第二法則」の公式化が全部クラウジウスの仕事であったこと
を知った今、件の方の言説に触発されて、十分理解できていなかったことや疑問に感じていたこと
等について再度ネット検索して、わかったことや気が付いたことなどがありましたので、以下続けた
いと思います(勿論、独断と偏見はあるかとは思いますが)。
ネット上に、「熱力学の第二法則(the Second Law of Thermodynamics)」というのはきち
んとした定義がなされていないという指摘がありました。調べてみますと、多くは、『クラウジウス
の原理』、『トムソン(ケルビン)の原理』(注:トムソンとケルビン卿は同じ人物)、
『オストワル
ドの原理』を総称して「熱力学の第二法則」としているようですが、中には、やはり『エントロピー
増大の法則』だという学者もいるようで、それゆえか、英語版Wikipediaの"The Second Law of
Thermodynamics"では冒頭記事にこれが明記されています。これについては、もう前述で私の考
えを示しましたので繰り返しません。
ただ、私が拘っていることは、「熱力学の第二法則」が『経験則』であるとされていることです。
前にも書きましたが、「熱力学の第二法則(the Second Law of Thermodynamics)」が「経
験則」だと言われる所以は、それがそもそも
・沸騰したお湯を加熱をやめて放置すると「自然に」冷えいていく
・一度冷えたお湯は、「自然には」再び沸騰することはない
という「経験的」事実、もう少し一般化した言葉で言うなら、
・熱は熱い所から冷たい所に『自然に』移行していく(※15)
・熱は決して『自然には』冷たい所から熱い所には移行できない(※16)
というものであり、合わせていうなら、経験でわかっている事実(fact)は、(※15)、(※16)から
熱は自然(非人為的)に熱い所から冷たい所に移るが、逆すなわち
熱を冷たい所から熱い所に移すには、非自然的(人為的)プロセス
が必須条件である(※17)
ということでしょう。
「クラウジウスの原理」とか「ケルビンの原理」とかはそれを(特に(※16)に着目して)もう少し高尚な
「科学的」な言葉で述べたものであり、本質的にはこれが底流にあるということです。
尚、勿論、非自然的(人為的)プロセスで熱を熱い所から冷たい所に移すことはできますが、それ
は本質的なものではなく、あくまで、「工学的な原動機効率・動作速度向上の手段」でしか
ないということは留意しておく必要があろうかと思います。したがって、くどいのですが、『経験則』
として誰もが納得できることは、
熱を熱い所からつめいたいところに移すのは自然的プロセスでも
非自然的(即ち、人為的)プロセスでも可能であるが、逆に熱を冷
たい所から熱い所に移すのは非自然的(即ち、人為的)プロセスで
のみ可能である(※18)
ということであろうと考えています。
件の方の記事の中に、「クラウジスの原理」への言及がありました。
前に、熱力学とエントロピー(補足・修正)で転記しましたが、日本語版Wikipediaによれば、『クラウ
ジウスの原理』は、
低温側から高温側に熱を移せば、それだけでは済まず、必ず何らかの
影響が残る(※19)
と書かかれています。私にとっては、これなら、、(※16)という経験則を裏を返して高尚な言葉で
述べたものだとして、その意味も十分理解できますから、全く気にもしておりませんでした。
しかるに、件の方のこれについての言及から、「クラウジウスの原理」のオリジナル文を改めて
知りました。専門家やモチベのある方はご存知かもしれませんが、
"Heat can never pass from a colder to a warmer body without
some other change connected therewith, occurring at the
same time."(※20)
「熱は、同時に起きるそれと共に結びついた何らかの他の変化なしでは
決して冷たい方から暖かい物体に渡ることはできない」
というものだそうで、これは英語版Wikipediaには、"Claudius statement"として記載されてい
ます。私の訳がまずいことは重々承知していますけれども、日本語Wikipediaにある(※15)とは随
分言い回しが異なるのではないかと思いますがいかがでしょうか?
なぜ、これを話題にしたかというと、オリジナル文の(※20)の言い回しに対してClifford Truesdellと
いう方が自著"The Tragicomical History of Thermodynamics(熱力学の滑稽な歴史)"という本の
中で次のような批判をされていることを件の方が引用されているからでした。
"Clausius' verbal statement of the "Second Law" makes no sense,
for "some other change connected therewith" introduces two new
and unexplained concepts: "other change" and "connection" of
changes. Neither of these finds any place in Clausius' formal
structure.All that remains is a Mosaic prohibition. A century
of philosophers and journalists have acclaimed this commandment;
a century of mathematicians have shuddered and averted their eyes
from the unclean."
「クラジウスの『第二法則』の口述は意味をなしていない、なぜならば、
『それと共に結びついた何らかの他の変化』は二つの新しい説明され
ていない概念を導き出す:『他の変化』と変化の『結合』。
これらはどちらも、クラウジウスの公式体系の中ではどこにも見つけら
れない。残っている全てはモーセの禁制である。20世紀の哲学者と
ジャーナリストはこの禁制に喝采を送って来た。20世紀の数学者は
身震いし彼らの目を汚れからそらしてきた。」
(〜Clifford Truesdell, The Tragicomical History of Thermodynamics[熱力学の滑稽な歴史])
と。私はクラウジウスの原著を読んでいたわけではありませんので、このClifford Truesdell氏の批
判の正否については断言できるわけではありませんが、そういわれれば、確かに、「他の変化」と
か「変化の結合」ということに具体的な言及がなされていない気もします。そして、確かにこの方の
指摘に誤謬がない−正当である−なら、「なぜ、これに言及されていないのか?」という疑問が出
てきてもおかしくないと思いますが・・・。これを受けて件の方は
Of all thermodynamicists living on Earth nowadays not one could
think of a reason why "some other change connected therewith"
should be discussed. (※21)
今日地球上に住んでいる全ての熱力学者のうちの誰一人、この
"some other change connected therewith"が議論される
べき理由について考えることができなかった
と主張され、"scientists love nonsensical statements"(科学者はナンセンスなステートメントを好
む)と揶揄されてているのですが・・・。
ちなみに、英語版Wikipediaを見ていただければ明らかですが、この"Clausius statement"のところ
にある補足説明では直接これには触れていません。そこにある文書を転記しますと、
he statement by Clausius uses the concept of 'passage of heat'.
As is usual in thermodynamic discussions, this means 'net transfer
of energy as heat', and does not refer to contributory transfers
one way and the other.
Heat cannot spontaneously flow from cold regions to hot regions
without external work being performed on the system, which is
evident from ordinary experience of refrigeration, for example.
In a refrigerator, heat flows from cold to hot, but only when forced
by an external agent, the refrigeration system.
(このClausiusによる論述は、「熱の通路」という概念を用いている。熱
力学議論において常であるように、このことは「熱としての正味のエネ
ルギー伝送」を意味し、一方と他方の伝送の寄与に言及しているわけ
ではない。
熱は、系に働く外部の仕事なしでは、自然に冷たい領域から熱い領
域に流れることはできない。そのことは例えば、通常の冷却実験から
実証されている。冷凍庫において、熱は冷たいところから熱いところ
に流れるが、単に外部的仲介、冷凍システムにより強制されているだ
けである。)
とあるだけです。で、どうして、(※20)から「このClausiusによる論述は、「熱の通路」という概念を用
いている」などということがでてくるのでしょうか?明らかに、この"statement"から解釈したのでは
なく、クラウジウスの構築した一連の「熱力学の第二法則」という括りでの「公式化」からそういう説
明をしているにすぎないのではないかと思います。
一方、日本語版Wikipediaの(※19)は前述で指摘したように、このオリジナルの"Clausius statement"
とは随分、趣が異なりますが、本質的に(※16)を高尚な言葉で「科学的に表現した」という意味で
はずっとわかりやすい言い回しになっています。逆に言えば、(※20)ではなく(※19)のような言い
回しであるなら、上記のような「いちゃもん」などついたりしなかっただろうと考えるのです。しかし
ながら、現実に、"Clausius statement"というのは(※20)であり、(※19)ではないのです。ですから、
その意味では、「クラウジウスの原理」というのを(※15)とするのは、日本語で示した時、どういう
スタンスでそういう言い回しにしたのかわかりませんけど、ある意味、オリジナル文言の「改ざん」
ではないかと思うわけです。私の主張がわかりますでしょうか?
もう一度言います。オリジナルの"Clausius statement"はあくまで「いちゃもん」がついている(※20)
であり、「クラウジウスの原理」として日本語で書かれている(※19)ではないわけですから、なぜ、
(※19)の文言が「クラウジウスの原理」と呼称できるのかという指摘です。私は、(※19)は元になっ
ている(※16)から日本の科学者が高尚な文言で示したものであるのではないかと言いたいわけで
す。私は、「クラウジウスの原理」というなら、(※20)の文言に沿った和訳をし、前述のようないちゃ
もんが付けられるような、そのわかりにくい文言"some other change connected therewith"につ
いて補足説明を付け加えればいいのではないかと思うのです。
絶対に(※20)の文言だけからは(※19)などという解釈は出てきません!
では、なぜ、このようなある意味、オリジナル文言の「改ざん」を「クラウジウスの原理」と呼称して
いるのか?やっぱり、誰もこれについての的確な論理的な具体的解説がなされてこなかったゆえ
ではないかと思うわけです。日本は、そのまま、トランスファーしてきただけですから・・・
そういう視点で考えるなら、件の方の(※21)という批判は当たっているかもしれません。ま、私は、
(※20)はお題目程度の扱いはなかったのかという気がしていますが・・・
さて、これに触発されて、「まてよ」とばかり、「トムソン(ケルビン)の原理」についてもどうなのか調
べてみました。前に、熱力学とエントロピー(補足・修正)で
受け取った熱を全て仕事に変換すると、熱や仕事の変化の他にも
必ず影響が残る(※22)
と書いたのですが、これはどこから引用したか失念してしまいました。で、日本語Wikipediaを見ま
したら、
一つの熱源から正の熱を受け取り、これを全て仕事に変える以外に
他に何の変化もおこさないようにするサイクルは存在しない(※23)
とありました。「一つの熱源から正の熱を受け取り」という言い回しは(※22)にはありません。
日本語での説明でも随分異なっていることを知りました。
で、英語版Wikipedia見ましたら驚きました。オリジナルの"Kelvin statement"というのは
It is impossible, by means of inanimate material agency, to derive
mechanical effect from any portion of matter by cooling it below
the temperature of the coldest of the surrounding objects.(※24)
(不活発体作用を用いて、最も低い周囲の物体の温度以下に冷却
することによって物体の任意の位置から力学的効果を引き出すこ
とは不可能である)
というものです。和訳が下手過ぎてすいませんが、(※22)とも(※23)とも全然違いますね。ま、あま
りに違い過ぎるので気になったのですが、件の方は
"The Kelvin-Planck statement (or the heat engine statement) of
the second law of thermodynamics states that it is impossible
to devise a cyclically operating device, the sole effect of
which is to absorb energy in the form of heat from a single
thermal reservoir and to deliver an equivalent amount of work.
This implies that it is impossible to build a heat engine that
has 100% thermal efficiency."(※25)
「熱力学の第二法則のKelvin-Planck論は、その唯一の効果が、
熱の形で、単一熱源からのエネルギーを吸収し、等価な量の仕事
を行うものであるサイクル的に働く装置を工夫するのは不可能で
あると述べている。これは100%温度効率の熱エンジンの構築は
不可能であることを暗示している。」
(〜ここより)
というのを提示されていました。この(※25)には"Kelvin-Planck statement"とあります。それ
で英語版Wikipediaをよく読みましたら、"Plank's proposition"として、
It is impossible to construct an engine which will work in a
complete cycle, and produce no effect except the raising of a
weight and cooling of a heat reservoir.(※26)
(一つの完全なサイクルで働き、一つの重量物を持ち上げ、単一
熱源の冷却以外の影響を生じないエンジンを構築することは不
可能である)
と書かれていました。どうでしょうか?日本語Wikipediaの文言はニュアンスの差はありますけどこ
ちらに近いですね。で、その英語版Wikipediaには、更に
It is almost customary in textbooks to speak of the
"Kelvin-Planck statement" of the law
(教科書ではほとんど慣習的に「Kelvin-Planckステート
メント」について話すとしている)
とあります。要するに、元々Plankが後から提示したproposition(提案)に、熱力学分野にも関心を
深め、クラウジウスの(※20)とは別個に(※24)というstatementを出していた19世紀における科学
界の権威であるケルビン卿の名を冠したのが(※26)だということですね。
日本語Wikipediaでは単に「ケルビンの法則」とあるだけで、プランクには言及していませんが、こ
のように欧米では"Kelvin-Planck statement"と称している実質"Plank's proposition"であるもの
を「ケルビンの法則」と称しているわけです。
以上は、くだらないいちゃもん、言いがかりに過ぎないと思われるかもしれません。しかしながら、
自分が好きな物理学関連で色々と調べていると、実に解釈が科学者により異なっていたり、本当
に小学校でも習うような基本中の基本のことでも定義とか概念とかが現実には曖昧なままのもの
がいかに多いかに驚くばかりでした。私もそうでしたが、大変失礼ながら、科学者さえも含む多く
の人は「わかっている気になっているだけ」ではないかという疑いを強く抱くようになったのです。
したがって、私は、定義の文言も厳しく問題視しているわけです。
(続く)
('17/1)
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