熱力学とエントロピー(補足・修正)/(追)

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以下、前回と輻輳しているところも多々ありますが、再度自分なりに理解しなおして書いてい
ます(余計間違いだと言われるかもしれませんが(^^;)。
('16/10/7)どうもすっきりしないクラウジウスの不等式からエントロピー増大則を求める過程
について重要な疑義が出てきましたので、本項は参考とします。この部分については、エン
トロピー増大の法則は自然の要請のものなどではないA
で論じなおししましたm(__)m

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前項でエントロピーについて、ちょこっと熱力学・統計力学を独習した結果の私の主観を論じ
ました。すなわち、巷で言われているのと異なり

 エントロピー増大の法則は決して自然の法則でも
 自然の摂理でもない
(※1)

という主張をしました。

この主張自体は変えるつもりはありませんが、ただ、そこで触れた熱力学関係事項について、
一部誤解していたことや触れなかったことがありましたので、補足と修正をしておこうと思い
ますm(__)m(前回のはそのまま恥さらしで残しておきます(^^;)
というのは、何か私の中でまだもやもやしたところがあり、再度じっくりと前に参照したサイト
(EMANの熱力学)を考えながら一字一句はしょらずに読み返した結果、誤解していたらしい
点が判明したということです。

まず、理論を見ていたのに、気がつかなかったというか、ぼんやり眺めていただけという肝心
な観点が私に欠如していました。それはまず、

 熱力学はその無限小の変化の極限を理想とした理論(※2)

であるということです。全微分・偏微分が多々出てくるのは、そういう理由によるもので、単な
る計算の手段ではなく、それ自体が理論の本質的なものであるということです。ですから、
他のサイトに記載があったのですが、例えば、内部エネルギーUはその値自身にはあまり
意味がなく変化分dUに意味があるという訳です。そして、それゆえに「理想的」な話ができ
るというわけですね。マクロの値自体を考えていると「あれれ?」と思ってしまって頭が混乱
してしまう(私がそうでしたが(^^;)のは、そういう「熱力学」の本質を理解していなかったゆえ
だったということです。

このことをしっかり悟った今、やっと、

 熱力学は、熱平衡状態での理論である(※3)

ということの本質を理解できたと思います(「非平衡熱力学」というのもあるそうですが、解
析的には解けなくて一般的な熱力学は「熱平衡状態」を扱ったものということです)。
その上で、前にはいまいち理解できていなかった「準静的過程」というのがやっとしっか
りと理解できました。「静的」というなら、完全に熱平衡状態ということで変化などないとい
うことになりますが、熱力学自体は(※2)ですから、準静的過程というのは

 ほとんど熱平衡を保ちながらの微小変化過程

ということで、「準」という接頭語が付いているわけですね。
ちなみに「熱平衡状態」というのは「温度Tがほぼ一定になっている」ということです。

もう一つ、私が混乱していたことは、熱力学を学んでいると、この「準静的過程」というのと
可逆過程」「不可逆過程」 という用語が混然一体になってあちこちに出てきているこ
とでした。実は、それに関して、一つ誤解していたことは、そもそもの「熱力学の第二法則」
でした。何を思い違いしたかと言いますと、なぜか私は

 熱力学の第二法則はエントロピー増大則のことである(※4)

と思い込んでしまっていたことでした。ただ、これは現にそういうようなことを言う主張を目
にしていたためでした。ですから、「経験則」だと言われて「はぁ?どこが??」と疑問ばか
りで混乱していたわけでした(^^;

違うんですね。そもそもの、「熱力学の第二法則」というのは、

 沸騰したお湯は熱の供給をやめた後、自然に冷めていき、何もしない
 で自然に再び沸騰するということはない
(※5)

というもので、だからこそ「経験則」なんですね。そしてこれは、「不可逆過程」そのもの
なんですね。したがって、「不可逆過程」というのはごく自然にあるものだということです。

(※5)をもう少し学問的に表現したのが、「クラウジウスの原理」とか「トムソンの原理
とか称せられているもので、

クラウジウスの原理:低温側から高温側に熱を移せば、それだけ
            では済まず、必ず何らかの影響が残る
トムソンの原理  :受け取った熱を全て仕事に変換すると、熱
            や仕事の変化の他にも必ず影響が残る


というもので、両者は等価です。トムソンの原理の方は「熱機関」を意識した表現になって
いるだけでしょう。

この「不可逆過程」に対応して、「可逆過程」というのがあります。留意すべきことは、

 「可逆過程」というのは、外部への影響を含めて完全に元の過程を逆に
 辿ることができるもの
(※6)

ということです。
前述の「クラウジウスの原理」を見ると、「高温側から低温側に熱を移すとき」については
何も言っていません。これはまさに(※5)であり、自然な経験則です。ですから、「可逆過
程」というと、それを逆に辿るときを考えているわけですから、何らかの処置を要するわけ
ですね。
「準静的過程」と「不可逆過程」「可逆過程」の関係は次のようになります。

 ・「可逆過程」ならば必ず「準静的過程」である
 ・「準静的過程でない」ならば必ず「不可逆過程」である。


留意すべきは、(※3)であり、そういうところで考えると、

 「準静的過程」は必ずしも「可逆過程」とは限らず、「不可逆過程」と
 なることもある。


ということです。本来は、「熱平衡」というのは系全体がそうなっていることですが、部分的
に「熱平衡」になっている場合もあり、「準静的過程」をそういう場合にも拡張して広義に見
る場合もあるのです(ジュールトムソン効果という実験結果解析に対するものです)。

そもそも、熱力学と言う学問は、産業革命のときの蒸気機関の熱効率を上げようという
要求からスタートしていることであり、熱機関したがって「サイクル」運動が基本になって
います。そして、その一番の元になったのは、カルノーという方が思考実験で考案した
カルノーサイクル」(実験室的には近似的な装置が実用化されているそうです)という
ものであり、熱力学はこのカルノーサイクルを研究する中で発展したのだそうです。

実は情けないことに当初しばらくはこのカルノーサイクルが十分理解できませんでした(^^;
カルノーサイクルというのは、下図に示すようなものであり、逆方向に辿ることも可能です
(逆カルノーサイクルと称します)。したがって、「可逆サイクル」となります。
熱源が一つでは、前述のクラウジウスの原理、トムソンの原理に抵触してこれは不可能
ですから、このカルノーサイクルは高熱源と低熱源の2熱源で、等温膨張では高熱源か
ら熱をもらうことで、膨張による温度低下を防止し、等温圧縮では低熱源に圧縮により
発生する熱を捨てることで温度上昇を防止しています。その間は「断熱過程」であり、膨
張時は温度低下、圧縮時は温度上昇があって元に戻る熱サイクルとなるわけです。

このカルノーサイクルで、熱量と温度の間には
・・・(1)
が成立します(理想気体の場合ですが、ケルビン卿[トムソン]の発案で、この式の温度を
熱力学的温度」と称して、この(1)式を一般の気体にまで適用しているようです)。
(1)式を変形すると、
・・・(2)
となります。これより、二熱源の場合、熱量の出入りを考えて符号をつけて区別するなら、
・・・(3)
となりますので、複数熱源なら、
・・・(4)
となるはずです。

このことから敷衍して、温度がわずかに違う無数の熱源があると考えるとき、1サイクル
においては
・・・(5)
となるはずです。
ここで留意すべきことは、この(5)式は「可逆過程」の場合であり、それは1サイクル中
全てのところで、「準静的過程」(系全体が熱的平衡を保ちながら変化する)である
場合の式です。すなわち、「準静的過程」であるなら、d'Q/Tを一周、周回積分すると
き0になるということです。そのようなところでは、
・・・(6)
とおけば、どこかを基準としてあるところまで積分した値は一定になります。これをS
とおくと、Sは「状態量」(経路にかかわらず同じ状態なら同じ値となる量)となります。
そして、このSを「エントロピー」と名付けられたのです。

しかしながら、前述で、(5)式は全行程が「準静的過程」の場合と断ったように、そうで
ないすなわち途中に「準静的過程でない」部分を含む場合は十分ありえ、そのときは
必ず「不可逆サイクル」となります(前述の熱力学の第二法則から)。これは前回も書
きましたが、「準静的過程でない」すなわち「熱平衡でない」ところではd'Q/Tは状態量
ではなく、この過程部分ではエントロピーというのを定義できないのです(すなわち(6)
式とはできません)。
こういう不可逆過程も含めると、証明は省略しますが、
・・・(7)
となります。これをクラウジウスの不等式と称しています。等号は可逆サイクルの
ときであり、全行程が準静的過程であるときです。
そこで、今、A→B→Aというサイクルを考え、例えばA→B(行程C1)は不可逆過程の
ときもあるとし、B→A(行程C2)は可逆過程であるとすると、
・・・(8)
となります。ここで、行程C2は可逆過程であるので、
・・・(9)
となりますから、
・・・(10)
となります。
これってどう解釈するのでしょうか?
等号"="の場合は、全行程が準静的過程であるときであり、
・・・(11)
となりますので、(10)式は
・・・(12)
となります。
尚、この場合は、常に(6)式が成立し、が正(熱が外界から系内に入り
込む)、負(熱が系から外界に出ていく)、0(断熱系)のいずれかですので、
はそれに従って、正(エントロピーは増大する)・負(エントロピーは
減少する)・0(エントロピーは一定値)のいずれかとなります。
(10)式の等号"="は決してが0だからではありません。
ここに私の誤解がありました。

わかりにくいのは、途中に「準静的過程ではない」したがって不可逆過程を含む場合
でしょう。このときは、
・・・(13)
ということになります。(13)の左辺のd'Q/Tは変化状態が不明ですので(準静的過程で
はないため)積分値は決まらないのですが、その区間はA点から始まりB点で終わっ
ています。したがって、(13)式が常に成り立つのは、
・・・(14)
のときです。そして、断熱系では、ですので、
・・・(15)
となるのです。これはまさしく

 エントロピーが増大する

ことを表しています。
ただ、d'Qが負の時は必ずしも(15)とはなりませんよね。
(6)と(14)を合わせれば、
・・・(16)
となります。そして、(16)より断熱系では、
・・・(17)
となります。

以上より、

 エントロピーが増大するのは断熱系で不可逆過程を含むとき(※7)

ということになります。
くどくしつこいですが、

 「エントロピーが増大する」のであれば、「不可逆系」を含むとき
 ですから、元々の「熱力学の第二法則」が成立しますが、逆は
 必ずしも真ならず、また、1サイクル全行程が「可逆系」のとき
 はエントロピー増大則は必ずしも成立しない


ということです。(※2)で「断熱系」と明記しているのは私の独断ではありません。
結局、「エントロピーが増大する」のは(※2)という条件付きであるので、私
は(※1)と主張しているのです。

以上、「熱力学のエントロピー」に関して、前回の説明に一部誤謬があると感じま
したので、独自の考察により修正しました。


さて、前項でも示しましたが、多分に巷で「エントロピー増大の法則」と呼ばれて
いるのは、「統計力学的エントロピー」が念頭に置かれているのだろうと思います。
それは一重に、ボルツマンが統計力学の構築過程で「ひらめき」で定義した(熱
力学のエントロピーから論理的に導出されたものではありません)
・・・(18)
ここで、
:エントロピー
:ボルツマン定数
:微視的状態の数
が基本になっていて、これから、導出された確率の概念を入れた
・・・(19)
という式が元になっているということです。

ただ、私はこの式の導出の過程におけるいくつもの「仮定」というか考察の妥当
性がいまいち理解できていません。
参考にしたサイト(EMANの統計力学)では4つの場合について(18)式を算定して
いて、いずれも結果的には(19)式に帰着できるというのが統計力学での結論に
なっているのですが・・・。

実は、ネット上に気になっていた論がありました。異論があって議論されたりして
いたからです。それは、「開放系ではエントロピー増大則は成立しない」という意
見と、「いや、開放系でも成立するのだ」という対立です。一体全体、どちらの言
い分の方が理に適うかということでした。
そういう思いで調べたのですが、どうも未だに理解できていません。というのは、
統計力学における「系」というものをよく理解できていないからです。
いくつかのサイトを調べた結果では、系を次のように分類しています。
この表の「出入り」というのは、系の外部(「外界」と称せられています)とのもの
です。「外界」は特に熱の出入りを念頭に置くとき、「熱浴系」と称しています。
どうやら、熱力学との対応で、開放系における内部エネルギーは
・・・(20)
としているようですね。これは、

 温度T、圧力p、化学ポテンシャルμが一定

としてのものです。TdSが熱の出入り、pdVが仕事のやりとり、μdNが粒子の
出入りに対応しています。尚、Sはエントロピー、Vは体積、Nは粒子数です。

実は私はここで混乱をしているのです。すなわち、ここでいう「外界」って実際
のところ何なのか?ということです。

「ミクロ・カノニカル・アンサンブル(小正準集団)」という手法があるのですが、
これは表にあるように外界と一切の出入りのない「孤立系」に対してなされる
ものであり、これ自体は特に混乱はしていないのですが、「カノニカル・アンサ
ンブル(正準集団)」、「グランド・カノニカル・アンサンブル(大正準集団)」、「等
圧集団」では混乱してしまっています。理論の中味ではなく、その理論を出し
ているそもそもの「仮定」みたいなところにおいてなのです。
これら三つの場合は外界を考えているのですが、前述のように「熱平衡」時を
考えていて系の温度が外界の温度に等しくなるところがそれであるとしていて
それゆえ、いずれも温度T一定時を考えています。
その上で、カノニカル・アンサンブルの計算モデルでは、熱の出入りのみあり、
グランドカノニカルアンサンブルでは熱の出入りの他、粒子の出入りもある場
合そして定圧集団では熱の出入りと系の体積の変化を考えたものになってい
ますから、表で云えば、カノニカルアンサンブルと定圧集団は「閉鎖系」に対
応して出入りを限定したもの、グランドカノニカルアンサンブルは「開放系」で
圧力一定の元で体積変化を伴う仕事の出入りを除いたものを計算対象として
いるわけです。ここまではそう理解しました。

ただ、私が混迷しているのは、系より非常に大である(但し無限大ではない)
としている「外界」についてです。仮定として、この外界の温度は一定とし
ています。「熱浴系」というのは、対象系の温度をその温度になるように熱の
出し入れをしている外界と言う意味です。
しかしながら、そんな大きな系だったら、現実では温度が均一一定などという
ことはありませんよね。ですから、ここでいう外界というのは現実ではない、
理論を簡易化するための理論的モデルだということです。
そして、「無限大ではない」という事から、有限な系であるということです。
そして、そんな大きな外界との間のヤリトリですから、両者全体で見ればそれ
は非常に小さいとして、影響が出ないようにそっと二つを引き離すなら、対象
系も外界も「孤立系」とみなすことができるとしているのです。
勿論、両者合わせた系も非常に大きな外界が有限の系であるゆえに「孤立
系」と考えています。

要するに、対象の系は、本来、上記の表にある閉鎖系とか開放系なのに、
このような外界を「仮定」することで、全体そして部分の系を「孤立系」とみな
し、「孤立系」に対して考えられているミクロカノニカルアンサンブル手法を
応用しているのです。

未だに何か騙されている感がして、感情的には納得できていません。
そして、(19)式と言うのはそういう「仮定」から最終的に導出されたものだと
いうことです。計算過程には証明できないので「原理」とされている「等重率
の原理」や、邪魔な項(dE/E)を小さいからとして−教科書によって多種多彩
な理由づけがなされているそうですが−ニグレクトしていわば近似的に求め
られたのが(19)式です。

いずれにしろ、これらの基本的な統計力学で見る限り、「開放系では成立し
ない」というような主張の根拠は出てきませんでした。なぜなら、完全な孤
立系ではないのに、仮定を入れて孤立系とみなす形で理論が進められて
いるからです。
そして「孤立系」は「断熱系」より厳しいですから(断熱系は熱の出入りが
ないだけ)熱力学のエントロピー増大と関連付けることができますね。

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[追記]8/13
何か騙されたような気になりました。もう一つ突っ込みというか学習不足で
した(^^;
どうも私は「系」ということを十分理解していなかったようですが・・・
「孤立系」というのは「外界も含めて」考えるのだそうです。
ある系とその外界は「熱平衡」状態では温度が同じになっていると考えるの
が(熱平衡)熱力学ですが、それゆえ、系の方がエントロピーが増大するとき
外界は逆に減少することになります。なぜなら、(16)式でd'Q>0のときは、
(15)式すなわちエントロピーが増大します。d'Q>0というのは、熱が外界か
ら系に入ってくるときです。ですから、このとき、外界の方は熱が出ていく
方向になりますから、d'Q<0となるわけです。
しかしながら、外界も含めた系を考えれば、この系と外界とのやりとりは打
ち消しあうわけです。で、外界と系を含めた全体を「孤立系」と考えていて
だからこそ、不可逆があればエントロピーは増大すると言っているようです。

そもそも、熱力学理論というのは、理想的な状態を考えたもので、前述の
(※2)の理論であるということを念頭に置いておく必要がありますね。
だから、マクロの現実世界の感覚で考えるとわからなくなりそうです。
それにしても「外界」(考えている系に対して非常に大きい−但し無限大で
はない−系)を含めて考えるなんて・・・そりゃないよっていう気持ちです。
ま、どうやら私は「中途半端」に理解していたようです(^^;が、やはり「理論
世界」じゃないかいという思いを強くしました。ですから、(※1)という私の
思いは撤回しません。「人間様が作った話」であることは間違いないのです
から。

                           ('16/8)

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