エントロピー増大の法則は自然の要請のものなどではないA(’16/10)

しつこいのですけど、やはりこの件、気になっています。そして、前に理解した気になって書い
熱力学とエントロピー(補足・修正)という項、どうも一部に誤解というか、自分自身の検討不
足のところがあることに気が付いてしまいましたので、合わせて追記で再度書き連ねておこう
と思います(比較のためもあり、前の項はそのまま注意書き追記で残します)。

ネット探索してましたら、やっぱり「熱力学の第二法則」を「エントロピー増大の法則」だと書い
ている方がおられました。私はそういうのを目にして誤解していたわけです。
なぜそういうのだろうか?と不思議にに思ったのですが、というか、ある想定をしたのですが、
ネット上にあるWebテキスト(先生による学生用pdf教科書、ボランティア的な一般向けテキスト
等)の一つにあった主張を目にして、私の推定は当たっているというか、その方はむしろそれ
を積極的に正しいことのように書かれていたのを目にして、私が本コーナーを維持している原
動力になっている批判的心の対象であるところの現代科学を積極的に維持している科学者
の考え方そのものを目の当たりにした気がしました。

そういう私が批判的に見るようなところが薄く、また、ただ天下り式に教科書記述を並べるの
ではなく、ご自分が疑問を抱かれたところを突っ込んで書かれておられるので、比較的わかり
安く時々参照させていただいているWebテキストサイトにEMANの物理学というところがあり、
熱力学は主としてそのサイト記事で再勉強しましたけれども、ただ一つ不満なのは、EMAN
さんも「定説派」なんですね。基本的なところには疑念を持たれているのではなくて、それに
対する学者の解釈の違いに突っ込みを入れられ、ご自分の最も納得できる説明をする形と
なっています。ま、学者により解釈の相違がみられるものは多々あるなということを示してい
ただいていて、そういう点でも参考になる(というか、アカデミアで教えている科学って、結構
教官の独自解釈が入っている−私が時々批判的に書いて来た「金太郎飴になっていない」
ところが多々あるなと考えさせられる)サイトだと思っています。
で、勿論、このサイトでは「熱力学の第二法則」を「エントロピー増大則」などと書かれていま
せん。そして、異端派ではなく「定説派」ですが、表題のようなことを再三言及されています。
ただ、勿論ですが、私の言い分のそれとはニュアンスに差がありますけれども。

私の場合における表題の主張は、

 「エントロピー」という概念は科学者が創造しただけのものであり、「自然の物」などで
 はない
(※1)

というのがまず独自主張の第一にあり、第二に

 熱力学に置いて必ず「エントロピーが増大する」のは、『断熱系』(『孤立系』も
 含む)のときである
(※2)

ということを重視してのものです。気になって調べたのですが、この『断熱系』という条件につ
いて、きちんと説明されているものをまだ見つけられていません。もう一つの条件である『
可逆
』これが経験則であり、一番元になる「熱力学の第の法則」のはずです(EMANの熱
力学にもそう明記されていました。最も身近で分かりやすい説明は「沸騰後放置したやかん
の湯は何もせずに自然に再度沸騰することはなく周囲の温度になるまで冷めて行くだけ」と
いう誰も否定できない経験則です)。

で、前にエントロピーって?という項で示しましたように、クラウジウスという科学者が、カル
ノーサイクルという理想的熱サイクルモデルを考慮して、『クラジウスの不等式
・・・(1)
というのを提示しました。実に巧妙な考え方であり、ぼんくらの私には完全に理解しきっては
おりませんが(^^;Tは系の温度[k]、d'Qは系の熱の出入りです。微分の形が出てきますが、
既にエントロピー増大の法則は自然の要請のものなどではないという項で述べたように、

 熱力学と言うのは、その無限小の変化の極限を理想とした理論(※3)

ゆえなんですね。一つにはこれが重要なのに忘れて論議されているのではないかと私は考
えているのです。ちなみに、(1)式の中の"d"が"d'"とダッシュ"'"がついているのは、熱量Q
は「状態量」ではない(同じ状態でもそこに至る経路により値が異なり一定値ではない)ゆえ、
全微分ができなくて「不完全微分」であることを示すためにつけられています(仕事量Wも同
様です)。このd'Q/Tというのがどこから出て来たものかは省略しますが理解できました。

で、ここで今更ながら気になりましたのは、この(1)式の左辺の『周回積分』なんです。
勿論、私がぼんくらで理解できないだけかもしれません。しかしながら、まずどこから(1)式
が出て来たかです。理想気体の関係式から2熱源に対して
・・・(2)
となります。これから、多熱源の時、熱の出入りは熱量に±を付けることで表すと、
・・・(3)
となるだろうという推定がまずはされるでしょう。ところがクラウジウスは熟考し、不可逆過
程があるなら、(3)は成立しないとし、そのときは
・・・(4)
となると主張したわけです。したがって、可逆過程のみのときを含めて、
・・・(5)
であるとしました。これが元々の『クラジウスの不等式』です。
で、まずここでぼんくらな私は理解が十分できていません。というのは、説明に出て来たモ
デルが「えっ、なんでそれを考えたの?」と私をわけわかめにしたためでした。
すなわち、下図で考えるというものです。
私が「ひゃぁ」と驚いたのは、この図にはT⇒T1、・・・、Tiまでの過程が含まれていることで
した。(2)、(3)式だけ眺めていてもこんな図は思いもつきませんよね。C1〜Ciは可逆サイク
ルだそうです。共通熱源Tからそれぞれ熱を貰ってこの可逆サイクル(カルノーサイクル)が
なされ、それぞれ仕事W1〜Wiをするとともに熱を各熱源T1〜Tiに放出するということだそ
うです。で、
・・・(6)
とおくと、導出は省略しますが、
・・・(7)
となります。
この(7)式の右辺が「きも」であり、上図を見て考察されているわけです。
実は、まったくお恥ずかしい話ですが、私はぼけかましていて、「えっ?式の中には熱と温度
しか入っていないのに仕事って?」なんて考え込んでしまったのですが、よくよく考えて見て、
カルノーサイクルでの「等温膨張」「断熱膨張」「等温圧縮」「断熱圧縮」というのは「仕事」だっ
て気が付いた次第でした(^^;。
で、この図の右から左方向を見ると、この時は、仕事がなされて熱を貰うのですから。あたり
前の話ですけど、その時は、明らかに
・・・(8)
ということになりますので、(4)式となります。
一方、左から右方向を見るとき、もし、
とすると、Tからの熱がW1〜Wi、Wという仕事に全部変わるということになり、熱力学の第二法
則(クラウジウスの原理、トムソンの原理)したがってオストワルドの原理(第二種永久機関は不
可能)に抵触するゆえ、結局、左から右の過程では、
・・・(9)
であらねばならず、このときは(3)式となるわけです。

この説明はわかるのですが、私の疑問というかひっかかっているは「なぜこういうモデルで考
えたのか?」という点なんです。そんなことを考えてしまうのは私だけかもしれませんが、何
か誑かされてしまっているような気がして、「な〜るほど」と腑に落ちたりできないのですが。
誤解されないように言っておきますが、別に「間違っている」などと大それたこと主張している
わけではありません。確かに上図の場合はこの通りですから、矛盾もしていませんし。ま、何
か、巧妙すぎるという感が感情的な面でひっかかるというだけのことなので、これ以上、これ
についてはとやかく言うのはやめておきます。

で、クラウジウスは、上記の考察から求めたこの(5)式を更に発展させて(1)式を提示しました。
実は、ぼんくらな私はここでもぼけかましまして、「えっ、なんで『周回積分』なの?」と考え込ん
でしまいました(^^;。で、思い違いがあったことに気が付きました。(5)式の複数の熱源というの
は一つの熱サイクルにおいて、飛び飛びに熱源から熱の出入りがあるという意味だと気が付
いて、やっと理解できたというわけです。

で、私が誤解をしていたというのは、この(1)式の展開でした。前に書いたのは、ある先生によ
るWeb上にあったpdf教科書を参考にしました(EMANさんの熱力学既述の物ではありません)。
実はよく考えて「わけわからなくなってしまった(^^;」状態です。

その前に、議論を再度きちんとするため、もう一度ポイント的におさらいをしておこうと思いま
す。いずれのテキストでも、(1)式を展開するに、説明では、一つのサイクルを考え

 往路は「準静定的過程ではない」、復路は「準静的過程である」(※4)

場合を考えています。ここには、「準静的過程」というtermが入っています。これは

 熱平衡を保ちながら変化させる過程(※5)

と説明されているものです。完全静的なら変化しないことから、このように称するようです。
で、ちょっと常識的に考えると、「えっ、そんなんよほどゆっくり動かさないと無理ではないの?」
って気がしますよね?「カルノーサイクル」は理想的な場合としてカルノーが思考から生み出
したものですが、実は近似的には実証実験がなされているそうですけど、やはりすごく時間を
かけてゆっくりと行うものだそうです。ま、そういうと怒られてしまうでしょうが、そこが熱力学の
「こっすからい所」であり、基本は(※3)なんですねぇ・・・。で、この「準静的過程」というのと「不
可逆過程」「可逆過程」との関係が考察されていて、理由は省略して結論だけ述べますと、

 @可逆過程ならば、必ず、準静的過程である
 A準静的過程でないなら、必ず、不可逆過程である


ということになろうかと思います。
実は(※3)ゆえに、準静的過程でも不可逆過程のこともあります(系全体としては準静的では
ないが、理論的考察の対象としている微視的なところでは準静的過程とみなすことができる
場合があるということです)ので、@Aの逆は必ずしも成立しないということです。ちなみに@
とAは対偶の関係ですよね。

したがって、(※4)ということは、上記Aより往路は不可逆過程の場合を考えていると言えます
ね。ちなみに、この往路を「一般的な過程」として、準静的過程も含むような説明をされている
個人Webテキストがありました(冒頭でその主張に対して感情的な反発を覚えている所ですが)
けど、以下の展開を考えると、私も勘違いをしていた点で、一種のごまかしの気がしています。

熱力学ではもう一つ「状態量」というtermがあります。これは

 同じ状態なら、経路が異なっていても必ず同じ値になる量(※6)

と定義されているものです。で、

 状態量ではないものは全微分はできなくて、不完全微分となる(※7)

のです。熱量Q、仕事量Wは状態量ではないとされています。ですから、その微分は不完全
微分とされています。それゆえ、全微分可能な完全微分のときと区別して、"d'"とdにダッシュ
を付けて表示することがよくあるそうです。(1)式に置いてd'Qと記載しているのはそういうこと
です。

さ、準備が整いましたので、先を薦めます。前に論じた項同様、サイクルをA⇒B⇒Aとし、往
路A⇒Bを準静的ではない過程(必ず不可逆過程)、復路B⇒Aを準静的過程とします。

準静的過程ではその定義から考えると、d'Q/Tは状態量とみなすことができるでしょう(*)。で、
そのとき、
・・・(10)
とおきます。「準静的過程」なら、d'Q/Tは状態量だと見なしていますから、当然そのときSは
全微分可能ですので、(10)式の左辺ではdにダッシュ"'"はついていません。
したがって、「準静的過程」においては、その経路上における基準点から経路上のある1点ま
での積分値は一意に決まるはずで、これを熱力学における「エントロピー」と称しています。
ここで注意すべきことは、

 「準静的過程ではない」経路部分では(10)式は成立せず、したがってそこでは
 エントロピーは定義できない
(※8)

ということです。ここの議論では(※4)ですから、往路はエントロピーを定義できず(10)式が使
えない、エントロピーが定義出来て(10)式が成立するのは復路だけということになります。

したがって、(1)式左辺は
・・・(11)
となり、不可逆過程が入っているので、
・・・(12)
であるので、(11)(12)式より
・・・(13)
となるわけです。

ちなみに、往路も準静的過程ならば、明らかに
・・・(14)
となります。したがって、(1)式の等号は全域が準静的過程であるときであり、決して
・・・(15)
のときではありません。

で、問題は(13)式です。皆、この(13)式から
・・・(16)
としています。「EMANの熱力学」では、S(B)-S(A)が小さいとき、(16)となるとしていました。
その説明にひっかかりがあって、他のpdfテキストにあったものから出したのが前に書いてい
たものですが、あれはおかしいことに気が付きました。(11)式各項の前項側はあくまで
であって、
ではないからです。よくよく原点に戻って考えて見るなら、往路A⇒Bにおいてはd'Q/Tは状態
量ではないのですから、
という積分自体が意味をなさないのではないかと思うのです。本来は一意に決まらないはず
ですから。ですから、私は(13)式から(16)式を出したのは、(13)式の左辺を微小差dSとしたと
き、右辺は積分ではなく、微小値d'Q/Tとみなしたのだろうという理解をしました。

ただ、私はここで、二つの疑問が湧いてきました。
一つは、そもそも、エントロピーは定義からすると、
・・・(17)
であるので、
・・・(18)
としたんだよねということです。要するに、基準点はどこどこだという規定はないわけで、Sの
値そのものには意味がないことになるわけです。相対値だとしてもどこに対するものかという
のが決められていないわけです。ということは、(13)式に置いては、
・・・(19)
・・・(20)
・・・(21)
のいずれも可能性はあります。右辺は不明なのですから。
一方、(16)式の場合は、d'Qが±値、0値をとる可能性がありますので、
・・・(22)
であれば、確かに
・・・(23)
となりますが、
・・・(23)
のときはどうでしょうか?この場合、dSは正値、0、負値のいずれも可能性があります。
従って、(※4)のサイクルでクラウジウスの不等式から論理的に導出されることは、
 断熱系()において、不可逆過程があるなら、
・・・(24)
となるということだけです。

可逆系の場合は上記@より、必ず準静的過程でしたので、(10)式が成立しますから、
 断熱系()においては、
・・・(25)
となるわけです。
くどいのですが、ここまでの論理的考察においては、(24)式が必ず成立するのは(a)断熱系
であること
(b)不可逆過程があることという条件付き
ですから、
 すなわち「エントロピー増大」は自然の要請ではない
従って、

 熱力学の第二法則をエントロピー増大則であるというのは誤りである

という主張したのでした。

で、もう一つの疑問というのは、皆、なぜか、(※4)だけ考えているということです。
この逆、 

 往路は「準静定的過程である」、復路は「準静的過程ではない」

の場合について何も触れていないのかということです。これが排除される理由がわからない
のです。ですから、ちょっとこの場合について考えて見ます。このときは、
・・・(26)
となりますから、
・・・(27)
ですよね?で、(27)式って、左辺は(13)式とは逆になっていますよね。この場合だって、
・・・(28)
・・・(29)
・・・(30)
のいずれも可能性があります。この場合でも、(16)式と考えればいいのでしょうか?

この後者について疑問を持ったのは、実は内容を理解していないのですが、今の熱力学に
おけるクラウジウスの不等式からエントロピー増大則を求めているやり方は間違っていると
主張されている高専の先生の校内季報のPDF論文がネット上にあったこともありました。
この先生によれば、今の論法はFermiの論法であり、信者がいるという攻撃までされていま
した。どうやら、主張が学会で無視されて来たゆえらしいですが。

実は、私が悶々としているのは、どうも本家本元である熱力学に置いて、エントロピーにつ
いては何か曖昧さを残してお茶を濁している感が強くしているからです。古典的な熱力学だ
け見ていても、

 エントロピー増大則は自然の要請である

などという先生方の主張の理由は見えてこないのです。では、なぜか?
それは明らかに、皆が、ボルツマンが数式からの閃きで生み出した「統計力学的エントロ
ピー
」に魅せられてしまったゆえでしょう。
確かに、最終的な形は
・・・(19)
とされています。確率だけで表されています。わかりやすいし美しい式です。
確率Piは、
・・・(20)
ですから、
・・・(21)
したがって、
・・・(22)
ですから、エントロピーは
・・・(23)
であることは間違いありません。では確率Piの変化でSの値はどうなるでしょうか?結果は下
図となります。
これは、解析的にも
・・・(24)
から明らかなように、
・・・(25)
すなわち、
・・・(26)
のとき、
・・・(27)
となり、
・・・(28)
すなわち、
・・・(29)
のとき、
・・・(30)
となることでも明らかです。う〜ん・・・
確率がまで小さくなっていくとエントロピーSは確かに増加して
いきますけどそれ以下になると逆に減っていくんですよね。エントロピーには極大値があるこ
とは熱力学でも同じですが・・・

しかし、再三強調してきましたけど、ボルツマンが創造した「統計力学的エントロピー」というの
は、決して熱力学的エントロピーから論理的に導かれたものではないのです。
数学的につじつまがあうといっても、物理的に本当に同じものなのかを断定できないと思い
ます。しかも、(19)式は近似とか仮定とか色々と入って出て来た式です。

ちょっと気になっているのは、この(19)式の導出においてもそうなのですが、しきりに「外界」を
強調される方々がおられます。既にエントロピー増大の法則は自然の要請のものなどではない
でも触れましたが、この「外界」、"real world"のものではなく、何かご都合主義的な「観念的」
に感じてしまうのは私がぼんくらゆえでしょうか?
外界は対象系に比べて非常に大きい(ただし無限大ではない)系だとしているのに、温度Tが
一定だとしているのです。やれ、孤立系だ、閉鎖系だ、開放系だと系を区分しながら、(※3)
を持ち出して来て、前述のような「外界」を想定して皆、孤立系扱い(外界さえも)して数学展開
して(19)式を出していて、逆にその考え方を後づもで熱力学にも入れている・・・

なんだかなぁって気がしてなりません。いんちきではないかと・・・

色々と対立していて話が合わないのは、これでいいのだと思われている方と、多分そこまでご
存知でないかたとの議論のすれちがいではないかとさえ思われてしまっています。
それは、とにかく「エントロピーは増大するんだ。自然の摂理なんだ」と強く思い込んでおられ
る方達がそれに合うように話をぼるからだろうと思うのです。

私の場合、色々と学ばせてもらいましたが、タイトル通りの思いです。大変失礼なこというなら、
エントロピーなるものは自然にあるものではなく、科学者が数式から思いついた概念に過ぎな
いと思っているからです。私は、どんな美辞麗句を並べられても全然、魅せられません。

 ('16/10)

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