熱力学の第二法則についてA(’17/3)

これまで、「熱力学の第二法則」に関して、ちょこっとだけ勉強しなおしてわかったようなことを書い
てきましたが、実は、ある意味「テスト勉強」的な意味合いではわかった気にはなっていたのです
けど本質的なところではわからないままというか「なぜ?」「なに?」という疑問が漫画にある頭の
上に「?」が沢山並んでいる状況でした(^^;。そういう私の疑問にはウェブ上のテキストや解説では
答えが見いだせずに悶々としていたのでした。ま、以前の私なら、「俺が理解できないだけ」と自分
の非才を嘆いて諦めてしまったりしていたのでしが、こんなコーナーを設けて内外のサイトを当たり
色々と事実を知った今、「そうではないのではないか?」という思い、すなわち、自分自身が抱いた
疑問等は決して浅学菲才ゆえではないのではないかという思いが強くなっていて、なんとしても自
分の疑問を解消したいという風に変わってきました。

私が理解できなかったことの基本は何といっても「カルノーサイクル」でした。
どうやらこれが、「熱力学の第二法則」の理論体系の元になっているようですから、結局のところ、
私は「熱力学の第二法則」を真に理解できていなかったのでした。カルノーサイクルは普通、図1
で示されています。

   図1 カルノーサイクル

で、そもそもの疑問は「なぜ、『カルノーサイクル』なのか?」ということにありました。すなわち、

 なぜ、『等温プロセス』と『断熱プロセス』の組み合わせなのか?

ということでした。最初に当たったいくつかのブログテキスト&解説ではそれを明示的に説明して
くれているものを見つけられず悶々としていました。ただ、そんな中で、あるサイトの図を見たとき、
「なるほど」と、一旦はわかった気になったんですが・・・。その図というのは、

            図2 カルノーサイクル(2)

でした。で、この図を目にした時、カルノーサイクルは「理想的な思考実験のもの」というような解
説を目にしていたことを思い出し、「あっ、そうか、二つの異なる温度の等温曲線に二つの異なる
断熱曲線を組み合わせると一つの閉曲線になる。それだったのか?」と思ったのでした。で、大変
失礼なことを言うのですが、多くの方々はそういう理解で納得されているのではないかと思うので
すがどうでしょうか?。しかしながら、それでも尚、私の中では「本当にそうなの?」というもやもや
したものがしつこく残っていました。というのは、近年、「物理」と「物理学」の相違に気が付いて関
連の主張もちょこちょこしてきた私ゆえですが、そういう私にとって前述の説明は、「物理的説明」
ではなく「物理的説明」のにおいを感じてしまった
からかもしれません。

そこで、件の方(@参照)の主張に触発されて(その主張自体は同意していませんが)綿密に検索し
直した結果、不案内だったこと、最近私がとみに気にしている歴史て経緯を知るとこころとなり又
なんといっても、カルノー及びクラウジウスの著書のPDFがウェブ上にありましたので、そういう
オリジナル著を読んだことでかなりの理解ができました。以下、引用が多くなりますが、私がポイ
ントと考えたところを引用紹介しながら私の意見もしたためておこうと思います。ちなみに浅学菲
才の上、英語読解力に劣る私ですので誤訳などもあるかと思いますが、引用には下手な和訳も
参考までにつけておきます。

まず、件の方は、カルノーのなした公式化を「熱力学の第二法則のプロトタイプ」と称して少
し言及されていて、カルノーは

 Heat is an indestructible substance (caloric) that cannot be converted
 into work by the heat engine.

 熱は熱機関によって仕事に変換されない不滅のもの(カロリック)である(※1)

と考えたと述べていました。恥ずかしながら、この文を読んだとき、実は"caloric"なるものについ
ては昔、そういう考え方がなされていたことさえ知らず、どう訳すのかと悩んだくらいでした(^^;
で、偶々、カルノーサイクルで調べていたら、工業高専の先生が『カルノーサイクル仕事の最大
(最小)性証明について』と題して、学内報?に投稿されているPDF論文(⇒ここ/ 論文自体はカル
ノーサイクルが効率最大であるとされていることの(真の)証明がなされていない−これまでの熱
力学においてなされてきた証明は実際には証明にはなっていない−という批判的見解論文で、
私自身は理解できていないのでそれには触れません(^^;)の中で、私が不案内だったカルノーサ
イクルの歴史的経緯に少し触れられていて、そこに"caloric(カロリック)"というtermが出ていまし
たので、更に検索してみて、やっとこさわかりました(^^;
"caloric"というのは日本語では「熱素」とされていて、18世紀〜19世紀前半の科学界において
は「熱量は消えなくて保存するもの」という共通概念があってそれに対応する元素みたいな物質
的存在として信じられていたものであることを知りました(「燃素」という概念が昔あったことは知っ
てましたけど「熱素」というのは名前さえ知りませんでした(^^;)。
したがって、ネット上で、「カルノー(Carnot)は"caloric"を信じて」という説明をされているのを目に
したりしていますけど、「不滅のものとしての"caloric"」というのは当時の科学界の一般的概念で
あったわけで、「カルノー(Carnot)は"caloric"を信じて」などというのは、昔の科学者を下に見るよ
うな後世の人間による不遜な言葉ではないかと思います。

それはともかく、前述の工業高専の先生の論文では、カルノーは、

 サイクル仕事の最大(等温膨張過程)、最小(等温圧縮過程)性を「理想的な
 Caloric等温移動
」によるもの
(※2)

としたと書かれていました。

 Nicolas Léonard Sadi Carnot

英語版Wikipediaの"Nicolas Léonard Sadi Carnot"項によれば、カルノーは、

 ・"Is the work available from a heat source potentially unbounded?"
  「熱源からの有効な仕事は潜在的には無限のものなのか?」
 ・ "Can heat engines in principle be improved by replacing the steam
   with some other working fluid or gas?"

  「原理的に熱機関は、蒸気を、何らかの他の作動流体または気体で
   置き換えることによって改良できるか?」


という熱機関に関する二つの疑問について考え、その回答を、わずか28歳のときに、1924年
ポピュラーな仕事として出版された回想録の中で、Réflexions sur la Puissance Motrice du Feu
("Reflections on the Motive Power of Fire")と題して示したとありました。

しかしながら、当時科学界から無視されていたようです。その辺の事情について、前述の高専の
先生は

 我々の事実認知能はカルノーの等温物体間カロリック熱移動という主張を、
 確かに経験から観念的、極限的世界理解は可能であると認めはするが、
 そのことが即、その観念的世界の存在を肯定するものではない
(※3)

ということだろうと推測されていました。「推測」ですから、多分にこの先生もそれに関する歴史的
資料は目にされていないだろうと思われ、この推測が真相かどうかは不明です。他のところでも触
れましたが、「真実かどうか不明」で誰かが「好意的推測」したものがともすると「真実」であるかの
ように学校でも教えられている例が多々あるようですから(海外サイトでの指摘)、注意しておく必
要があります。これについても、何か他で言及されていないか調べたのですが、どうやら国内では
それ−無視されたこと−の理由を調べて書いてある本があるらしいことを知りましたけど、その本
を所有していません。で、上記英語版Wikipediaではそういうことについては触れられていませんで
した。少なくともカルノーがこの著書を出した当時はまだ、"Caloric"が一般的には普通の概念だっ
た(どうやら、疑問を持つ科学者も出てきていたようですが)わけですから、(※3)のような高尚な話
ではなく、勝手な想像ですけど、若き軍人出身のカルノーの出したものだったから無視されただけ
ではないかなと思います。それまでは、熱機関に関しては原理的なものの追求というより、いわば
"Cut & Try"による技術開発的研究が主だったこともあるのかもしれません。カルノー自身が当時
のそんな状況に触れていますから。『共通の原理』に目を向けたのはカルノーが最初だったようで
す。ちなみに、先人で有名はJames Wattは『蒸気機関』の改良研究で名を成した方であり原理の
追及をしたわけではありません。

ただ、これも知らなかったのですが、そして英語版Wikipediaでは全然触れられていませんが、件
の工業高専の先生の論文の中には、クラペイロン(Clapeyron)という方の名前が出ていて、

 イ)クラペイロンの理想気体によるカルノーサイクル提案が歴史的価値を持つものに
  なった
 ロ)クラペイロンによって初めて、等温物体間の熱移動は準静的過程として物理学的
  に、すなわち、状態変数で記述されるものとして捉えられた


と書かれていたので、"クラペイロン" "カルノーサイクル"でネット検索して見ましたら、カルノー
の死後、物理学者のクラペイロンという方が、熱力学に興味を抱いての調査の中で、無視されて
いたカルノーの熱理論の価値を初めて認め、これに数学的裏付けを行ったという歴史を目にしま
した。そして、カルノーサイクルの模式図としてよく出てくる図1のP-V図はカルノー自身によるも
のではなく、クラペイロンが初めて示したもの
だそうです(P-V線図とい物自体はWattが使い始め
たものだそうですが)。確かにこの後で引用するカルノーの原著には図1とか図2はでてきません。
この事実こそ、冒頭の方で述べた、カルノーサイクルに関して図2を元にした推察は誤っているこ
とを示していると思います。なぜなら、カルノーサイクルの図1とか図2はCarnotが描いた図ではな
く、Carnotが若死した後で、その"Carnot's Theory"の重要性に目を付けたClapeyronが描いた
図であったからです。ちなみに、私がいくつかの国内のウェブテキスト&解説をあたったときこの
Clapeyronの名前を全く目にしませんでしたから、意外に知られていないのかもしれません。
但し、Clapeyronの原著を見ているわけではありませんけど、前述の高専の先生のロ)については
「本当にそうかな?」という疑問があります。といいますのは、他のところで目にしたのですが、
ClapeyronはCarnotの"Caloric"概念はそのまま引き継いでいたそうですから、『準静的過程』とい
う概念とは一緒にはならない感がしますので。

さて、英語版Wikipediaによれば、カルノーが熱力学に対して行った最も重要な貢献は、

 蒸気機関の、ずっと一般的で理想化された熱機関への本質的な特徴の理論化

であり、特に注目すべきことは、

 この理想機関の効率はそれがその間で働いている二つのreservoirの温度のみ
 の関数である
(※4)

ことを示したことでした("reservoir"とはうまい和訳が見つけられずにいるのですが、『蓄熱池』とで
も言うものです−元々の意味は「貯水池」ですので「熱を貯めておく所」という意味−。以後、英語
をそのまま使うことにします)。まさに、後で、クラウジウスが確立した「熱力学の第二法則」の「プ
ロトタイプ」というのにふさわしい重要なことをカルノーが最初に提起していたということです。

英語版Wikipediaには、もう一つ、カルノーサイクルが理論的な最高効率の熱サイクルということに
ついては、「カルノーは直観的にそう考えた」と書かれていますけど、この原著英語版を読んだ限
りにおいてはそれが事実かどうかよくわかりませんでした(それの直接的言及は見落としているか
もしれませんけど見当たりませんでしたから)。

いずれにしろ、やはり一番は自分自身で原著を読むことです。で、幸いにも、ウェブ上にその原著
(1824年著)の英訳本のPDF版がありました(⇒ここ) どうやら当時の英訳本ではなく、後で見直
す機運があって(と言っても昔です)再編集新規発行したもののようです。関連部分の表題は、
"REFLECTIONS ON THE MOTIVE-POWER OF HEAT, AND ON MACINES FITTED
TO DEVELOPE THAT POWER
"となっています。Wikipediaは"HEAT"の所が"FIRE"とあって
和訳がしにくかったのですが、こちらは"HEAT(熱)"とありました。これならわかりやすいですね。
そして、原著(英訳版)を読みましたのでおかげさまでカルノーがどのように考えたかが概略わかり
ました。

本当は多く引用したいのですが、長くなりすぎますので絞り込んでのエッセッスだけ引用紹介して
行きたいと思います(それでもかなりになりますが(^^;)。

冒頭で、

 Every one knows that heat can produce motion.
 (誰もが熱が運動を生成できることを知っている。)

と述べ、「蒸気機関」が齎した恩恵について述べた後で、

 Notwithstanding the work of all kinds done by steam-engines,
 notwithstanding the satisfactory condition to which they have
 been brought to-day, their theory is very little understood,
 and the attempts to improve them are still directed almost by
 chance.

 (蒸気機関によりなされる全ての種類の仕事にも係らず、それらが今日、
 それに対して齎されて来た満足に行く条件にも係らず、それらの理論は
 ほとんど理解されておらず、それらを改良する試みは、まだ、ほとんど
 偶然に導き出されているだけである。)


と当時の「熱機関」の物理学的研究の現状を指摘し、カルノーの研究の動機・目的を示唆してい
ます。要するに、これは『熱機関(heat-engine)』 に関する著書であり、前述のように、当時は
まだ、「一般的知見」であった"caloric"(カロリック)を熱の基本に置いて−すなわち、熱は「元素」
のような存在の「物」であり、生成も破壊もできないものという考え方を基本にして−、当時一般
的に使われるようになっていた『蒸気機関(steam-engine』 の熱力学的分析から、一般熱機
関に共通な熱力学的原理と、所謂「カルノーサイクル」の概念を示しています。

そのポイントとして

 the re-establishing of equilibrium in the caloric(※5)
 (カロリックにおける均衡の回復)

というフレーズ("in"の代りに"of"も使われていますが)が沢山でてきます。これについては、

 (its passage from a body in which the temperature is more or less
 elevated, to another in which it is lower

 (その中での温度がその中でより低い他のものに対して多かれ少なかれ
 上昇する物体からの、それ[caloric]の移動のこと)

 [注]以後、[ ]内は私がつけた補足です

と説明があります。ちなみに、彼は「加熱されて温度が上がる」ことを『カロリックの均衡の破壊
(destroying the equilibrium of the caloric)』と捉えています。

まず、最初に、当時、広く使われていた「蒸気機関(steam-engine)」の動作に関して、この『カロ
リックにおける均衡の回復』に焦点を当て、

 The caloric developed in the furnace by the effect of the combustion
 traverses the walls of the boiler, produces steam, and in some way
 incorporates itself with it. The latter carrying it away, takes it first
 into the cylinder, where it performs some function, and from thence
 into the condenser, where it is liquefied by contact with the cold
 water which it encounters there. Then, as a final results, the cold
 water of the condenser takes possession of the caloric developed
 by the combustion. It is heated by the intervention of the steam as
 if it had been placed directly over the furnace. The steam is here
 only a means of transporting the caloric.

 (燃焼の結果により加熱炉[furnace]の中で生成したcaloricはボイラの壁を横切り、
 蒸気を発生させ、何らかの方法でそれ[蒸気]と自身[caloric]を合体させる。それ
 [caloric]を運びさる後者[蒸気]はそれ[caloric]をまず、なんらかの働きを行うシリ
 ンダ
に持っていき、そこから、そこで出会う冷たい水との接触により液化する凝
 縮器[condenser]
に持ってくる。それで、結果的に、凝縮器の冷水は燃焼により
 生じたcaloricを入手する
。それは、あたかも、直接、加熱炉の上に置かれている
 かのように、蒸気の介在で加熱される。蒸気は、ただcaloricを運ぶ手段に過ぎ
 ない
。)


と分析解説しています。。
そして、「蒸気機関(steam-engine)」が生成する『動力(motive-power)』 と絡めて、

 The production of motive power is then due in steam-engines not to
 an actual consumption of caloric, but to its transportation from a warm
 body to a cold body
, that is, to its re-establishment of equilibrium-
 an equilibrium considered as destroyed by any cause whatever, by
 chemical action such as combustion, or by any other.

 (動力生成はそのとき、蒸気機関では実際のcaloric消費ではなく温かい物体
 から冷たい物体へ
その[caloric]の移動すなわち、均衡−何か燃焼あるいは
 その他のような化学作用によるような原因で破壊されると考えられる均衡−
 回復
による。)


 と述べ、

 According to this principle, the production of heat alone is not
 sufficient to give birth to the impelling power: it is necessary that
 there should also be cold; without it, the heat would be useless.

 (この原理によれば、熱単独の生成では駆動力を生み出すには不十分である;
 また、冷たさがあることが必要である;それなしでは熱は有益ではない。)


と補足し、

 We have shown that in steam-engines the motive-power is due to a
 re-establishment of equilibrium in the caloric; this takes place
 not only for steam-engines, but also for every heat-engine-that is,
 for every machine of which caloric is the motor. Heat can evidently
 be a cause of motion only by virtue of the changes of volume or of
 form which it produces in bodies.

 我々は蒸気機関において動力はcaloricにおける均衡の回復によることを示し
 た;これは蒸気機関のみならず全ての熱機関−すなわち、そのcaloric[の機械]
 が原動機である全ての機械に対して起きる。熱は明らかに体積変化またはそ
 れが物体の中に生ずる形の変化の効力のみによる運動の要因とすることが
 できる。)


と主張しています。そして、そこから、(私は)一般の熱機関の原理を考える上でなされた重要な着
眼点であると思う『温度差』に言及し、

 wherever there exists a difference of temperature,
 motive-power can be produced
.

 (温度差が存在するときはいつでも動力が生ずる)(※6)

ということをまずは強調しています(原著もイタリック体表記)。

次に、この(※6)と、

 It is a fact proved by experience, that the temperature of gaseous
 fluids is raised by compression and lowered by rarefaction.
(※7)
 (気体流体の温度が圧縮で上昇し希薄化で低下することは実験で証明されて
 いる事実である。)


を元に、温度が一定の二つの物体A,B(物体Aの温度>物体Bの温度)を考え、「物体Aから物体
Bに熱量を運ぶことで動力生成を行う」ときの手順を次のように示しています(尚、物体AとBは温
度が変化しないようにしています)。
------------------------------------------------------------------------
 @蒸気を作るために物体Aからcaloricを借りてくる。
  (蒸気は物体Aの温度でできると仮定する)
 A蒸気は体積を増加するのでピストン付シリンダのようなものでそれを受け止める。
  (このとき、温度は自然に低下する)
 B蒸気を物体Bと接触させ、同時にその蒸気が完全に液体化するまで一定圧力を
  働かせることにより、蒸気を凝縮させる

------------------------------------------------------------------------

Bに関しては注意書きがあり、「蒸気と同じ温度になっている物体Bは蒸気を凝縮できると思うで
あろうが、これは厳密には可能ではない。但し、温度の最小限の差は、我々の推論の正当性を確
立するに十分な凝縮を決めるであろう」と言い、「微分法(the differential calculus)」に触れていま
す。ちなみに、物体Bは温度を一定に維持しているとし、(物体Aが蒸気にcaloricを渡すのに対応
して)物体Bはcaloricを運び去るものとしています。
尚、上記のオペレーションは逆方向・逆順でもなされてよいと述べ、全プロセスを総合して

 By our first operations there would have been at the same time
 production of motive power and transfer of caloric from the body
 A to the body B. By the inverse operations there is at the same
 time expenditure of motive power and return of caloric from the
 body B to the body A.
(※8)
 (我々の最初のオペレーションにより、同時に動力生成と、物体Aから物体B
 にcaloricの移動
がある。逆のオペレーションにより、同時に動力消費物体
 Bから物体Aへのcaloricの戻し
がある。


と述べています。蒸気機関における物体Aの温度に等しいとされた蒸気などの膨張は、外部に対
する仕事であるので「動力生成」であり、逆の圧縮プロセスはその動力を用いて行うので「動力消
費」と考えているわけです。

さて、少しの考察で、

 the maximum of motive power resulting from the employment of steam is
 also the maximum of motive power realizable by any means whatever
(※9)
 (蒸気の利用の結果の動力の最大値は、また、任意の何らかの手段
 により実現可能な動力の最大値である
)


と述べ、いよいよ論はカルノーサイクルのideaに入って入っていきます。まず、

 What is the sense of the word maximum here?
 By what sign can it be known that this maximum is attained?
 By what sign can it be known whether the steam is employed to greatest
 possible advantage in the production of motive power?

 (ここで最大値という用語の意味は何か?
 どんな兆しによって、この最大値が得られたことを知ることができるのか?
 どんな兆しによって、蒸気が動力生成において、最大可能な役割で働いている
 かどうかを知ることができるのか?)


と尋ね、考察を進め、

 Since every re-establishment of equilibrium in the caloric may be the cause
 of the production of motive power, every re-establishment of equilibrium
 which shall be accomplished without production of this power should be
 considered as an actual loss.

 (どんなcaloricの均衡の回復も動力生成の要因であってよいので、この動力
 の生成なしでなされるどんな均衡の回復も実損失
として考えるべきである)


とした上で、

 The necessary condition of the maximum is, then,
  that in the bodies temployed o realize the motive power of heat there
  should not occur any change of temperature which may not be due to
  a change of volume
(※10).
 (最大の必要条件は、
  熱動力を実現するのに用いられる物体においては、体積変化に
  よらなくてよい任意の温度変化は起きるべきではない。

 ということである)


と述べ、

 熱い物体からより冷たい物体へのcaloricの直接の移動は、主に、
異なった温度の物体との接触により起きるので、このような接触は
可能な限り避けるべき
(※11)

と結論付けています。そして、その観点で再度、蒸気機関について触れて

 When we just now supposed, in our demonstration, the caloric of the
 body A employed to form steam, this steam was considered as generated
 at the temperature of the body A; thus the contact took place only
 between bodies of equal temperatures; the change of temperature
 occurring afterwards in the steam was due to dilatation, consequently
 to a change of volume. Finally, condensation took place also without
 contact of bodies of different temperatures.It occurred while exerting
 a constant pressure on the steam brought in contact with the body B
 of the same temperature as itself.

 我々は今や、我々の説明において、物体Aのcaloricが蒸気を作るのに従事
 すると仮定したとき、この蒸気は物体Aの温度で発生すると考えた; このよ
 うに、接触は等しい温度の物体間のみで起きたその蒸気で、その後起き
 ている温度変化は膨張、結果的に体積変化によるもの
であった。最終的に、
 凝縮はまた、異なった温度の物体との接触無しで起きたのである。それ[凝
 縮]は自分自身の温度と同じ温度の物体Bとの接触に持ち込まれた蒸気
 に一定圧力を加えている間に起きた
のである。)


と述べています。但し、ここでも注意点が示されていて、

 In reality the operation cannot proceed exactly as we have assumed.
 To determine the passage of caloric from one body to another, it is
 necessary that there should be an excess of temperature in the first,
 but this excess may be supposed as slight as we please. We can regard
 it as insensible in theory, without theory destroying the exactness of
 the arguments.

 (現実には、そのオペレーションは我々が仮定したように厳密には遂行でき
 ない。一つの物体から別の物体へのcaloric移動を決めるためには、まず第
 一に温度超過があるべきであるが、この超過は望むだけのわずかなもので
 あると仮定してよい。我々は、理論がその論拠の厳密性を壊すことなく、理
 論ではそれを感知できないとみなすことができる。)


と述べていて、ここでも「理想的な微小世界」を示唆することが述べられています。
また、実は「蒸気」に関しては、以上の考察に対して、もう一つ重要な問題を示しています。こんな
ことを書いています。

 When we borrow caloric from the body A to produce steam, and when
 this steam is afterwards condensed by its contact with the body B,
 the water used to form it, and which we considered at first as being
 of the temperature of the body A, is found at the close of the
 operation at the temperature of the body B. It has become cool. If
 we wish to begin again an operation at the temperature of the body B.
 It has become cool. If we wish to begin again an operation similar to
 the first, if we wish to develop a new quantity of motive power with
 the same instrument, with the same steam, it is necessary first to
 re-establish the original condition-to restore the water to the original
 temperature.This can undoubtedly be done by at once putting it again
 in contact with the body A; but there is then contact between bodies
 of different temperatures, and loss of motive power*. It would be
 impossible to execute the inverse operation, that is, to return to
 the body A the caloric employed to raise the temperature of the liquid.)

 (我々が、蒸気を生成するために物体Aからcaloricを借りるとき、そして、
 この蒸気が後で、物体Bとの接触によって凝縮されるとき、それ[蒸気]
 を作るのに使われ、我々が最初に物体Aの温度であると考えた水は、
 物体Bの温度でのオペレーションの終了時に見出される
。それは冷た
 くなる。もし、我々が再び、物体Bの温度でオペレーションを始めたいの
 なら。それは冷たくなる。もし我々が最初と同様のオペレーションを再
 び始めたいのなら、もし、我々が同じ道具、同じ蒸気で新たな動力量を
 生成したいのなら、最初に元の条件を回復すること−水を元の温度に
 保つこと−が必要である。このことは、疑いなく、それを再び、物体Aと
 ただちに接触させることでなされることができる。;しかし、そのとき、異
 なる温度の物体間の接触があり、動力損失*がある
逆オペレーショ
 ンを実行すること、すなわち、液体の温度を上昇させるのに使われる
 caloricを物体Aに戻すことは不可能
である。)

 [注]*この「動力損失は、全ての蒸気機関で見いだせるとしています

ただこれに関しても、

 This difficulty may be removed by supposing the difference of
 temperature between the body A and the body B indefinitely small.

 (この困難性は、物体Aと物体B間の温度差が無限に小さいと仮定する
 ことで取り去ってよい。)


としています(具体的な方法の引用は省略します)。
前に書きましたが、「熱力学」という理論を見ますと、頭から全微分が出てきて、「熱力学と言うの
は、その無限小の変化の極限を理想とした理論」ですけど、「熱力学の第二法則のプロトタイプ」と
称する方がいる「カルノー理論」でも、このようにすべてマクロ世界で考えると「あれっ?」という点
があって、それを既にカルノーはわかっていて折に触れてこうやって注意書きをしたということです。

カルノーは以上の考察を元に、「我々はここで、・・・基本的提案の第二の説明を与え、この提案を
既に与えたものよりずっと一般的な形の下で提示するだろう」として、いよいよ所謂、カルノーサイ
クルの説明に入っています。まず、

 If, when the temperature of a gas has been raised by compression,
 we wish to reduce it to its former temperature without subjecting
 its volume to new changes, some of its caloric must be removed.
 This caloric might have been removed in proportion as pressure
 was applied, so that the temperature of the gas would remain
 constant. Similarly, if the gas is rarefied we can avoid lowering
 the temperature by supplying it with a certain quantity of caloric.
 Let us call the caloric employed at such times, when no change of
 temperature occurs, caloric due to change of volume.
 This demonstration does not indicate that the caloric appertains
 to the volume
: it does not appertain to it any more than to pressure,
 and might as well be called caloric due to the change of pressure.

 (もし、気体の温度が圧縮により上昇したとき、その体積を新たな変化に
 合わせることなくそれを前の温度にまで減らしたいなら、そのcaloricの
 いくつかを取り去らねばならない。このcaloricは適用される圧力に比例
 してとりさられるかもしれない、それで気体の温度は一定で残る。同様
 に、もし気体が希薄化されるなら、我々はある量のcaloricを供給するこ
 とによって温度の低下を避けることができる。さあ、温度変化が起きな
 このようなときに用いられるcaloricを体積変化によるcaloricと呼ぼ
 う
。この説明はcaloricが体積に属していることをさし示してはいない: 
 それは、圧力に属する以上の何物にも属しておらず、圧力変化による
 caloric
と称するのがよいかもしれない。)


と述べ、「空気のような気体・弾性流体」を「仕事をする『介在物(agent)』」とし、二つの物体AとB
(物体Aの温度>物体Bの温度)を考え(カルノーはAを"caloric"を生成・供給するもの、Bを"caloric"
を吐き出して貯めておくものとし、両者を合わせて"reservoir"としています)、既に示した

 (a)気体流体の温度が圧縮で上昇し希薄化で低下する(実験事実)
 (b)異温度の物体を接触させることは「熱損失」にしかならない


ということを前提条件として、ピストンの動きで、所謂「カルノーサイクル」を提案しています。

そのピストンを有する円筒シリンダのピストン位置間の説明をその図に私が追記したものを下図
に示します。

 図3 ピストン付円筒シリンダにおける順カルノーサイクル説明図

上図の各ステップ番号は原著に従っています。@Aが記入されていませんが、@はピストン位置
cdのところにおいて、まずabcdに密閉された気体を物体Aの接触で物体Aの温度にするという最
初の一度だけ、Aはそのまま物体Aを接触させて気体の温度を物体Aの温度に保持したまま位
置efまで膨張させるというプロセスです。で、原著では(7)として、ef位置を基準にして、ik→cd(E)
がAと同じ条件であるので、A+Eを改めてEとして書かれていますので、図3はそれを図示し
ています。ちなみに、ピストン位置ef→ghの間(B)は「断熱」になるので、膨張により、気体の温度
は、efの位置では物体Aの温度であったのが次第に下がっていき、ghの位置で物体Bの温度に
なるとしたとき、ここから物体Bを接触させて物体Bの温度に保ちながら、位置cdまで圧縮(C)、こ
こから物体Bを切り離すと、圧縮により温度は物体Bの温度から次第に上昇し、ikの位置で物体
Aの温度に達したとき(D)、ここで圧縮工程は終了、物体Aを接触させながら、位置efまで膨張さ
せる(E)というサイクルです。前述の(b)が守られていますので、無駄な「熱損失」はないということ
です。

で、カルノーは、このサイクルに対して、

 ・膨張過程:動力(motive powe)生成
 ・圧縮過程:動力消費


としており、図3に対する温度変遷の下図4(私が作った概念図であり、原著にはありません)から

わかると思いますが、同じ位置における温度は、膨張過程>圧縮過程であり、結局、

 膨張過程での動力生成量>圧縮過程での動力消費量

となります。

 図4 ピストン付円筒シリンダにおけるピストン位置と温度

尚、図1を順カルノーサイクルとすれば、逆回りの逆サルノーサイクルは次図5となると思います。

温度変遷は、図4を丁度逆に辿っていることになり、全く等価です。

 図5 ピストン付円筒シリンダにおける逆カルノーサイクル説明図


以上エッセンスだけを抜き書き引用してきましたが、やはり、カルノーは私の言葉で言えば「物理
的」に考えたことがわかりました。実際の熱機関の運動を一般理論に昇華した上で、カルノーが考
えた「無駄な熱損失」の排除(運動を伴わない接触プロセスの排除)をした「理想機関」を考えたと
いう事でした。そして、改めて、カルノーは、

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 ・現在のカルノーサイクルでは「高熱源」としている温度の高い方の「物体A」は決して
  「気体を加熱するため」のものではなく、気体が「高熱源」としている「物体A」と接触
  するときはその気体の温度が先に「物体A」の温度と等しい時
であって、膨張により
  気体の温度が低下しないよう
、その「物体A」の温度と等しい温度を維持するための
  もの

 ・現在のカルノーサイクルでは「低熱源」としている温度の低い方の「物体B」は決して
  「気体を冷却するため」のものではなく、気体が「低熱源」としている「物体B」と接触
  するときはその気体の温度が先に「物体B」の温度と等しい時
であって、圧縮により
  気体の温度が上昇しないよう
、その「物体B」の温度と等しい温度を維持するための
  もの

--------------------------------------------------------------------------(※12)

と考えたことがわかりました。

以上より、くどくどと繰り返しますが、そもそも、Carnotは、「温度の異なる物体間の熱移動は『仕事』
に寄与しない『無駄な熱移動』=『熱損失』」と考え、一定温度の"reservoir"としての物体Aと物体B
はCarnotが"Caloric"を運ぶものと考えた『仕事』をするための気体などの可変物体がその温度に
なってから接触させて「熱を供給するもの」としているわけですから、直観などではなく、最初から
「無駄な熱損失がない」=理想的な最高効率機関と考えたというのが事実ではないでしょうか?
私はそういう理解をしました。勿論、"Caloric"は既に否定されたものですが、その修正には「熱力
学の第二法則」理論体系を構築したクラウジウスの仕事があります。簡潔に言えば、クラウジウス
は"Caloric"概念部分を修正しましたが、カルノーサイクルに関して、カルノーのそれ以外の考え方
は引き継いでいます。それゆえ、私は自分の理解で間違ってはいないと考えており、また、それゆ
え「最高効率である」ことの余分な証明など不要ではないかと考えています。そして、現在の「証明」
とやらは何かまやかしてきなにおいを強く感じてしまっています。

尚、一番重要なクラウジウスに関しては、少し長くなりましたので、項を分けて、論じたいと思います。
 ('17/3)

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