熱力学の第二法則についてB(’17/3)

熱力学の第二法則についてAの続きです。

さて、ここでやっと、1850年に『熱力学の第二法則(The Second Law of Tehrmodyanamics)』を発
表したクラウジウス(Clausius)のことに入ります。

 Rudolf Clausius

英語版Wikipediaによれば、クラウジウスは「エネルギー保存」に関するJames Prescott Jouleの仕
事の重要性をよく理解し、Carnotの仕事の修正と発展を行ったようです。
で、年代的に不案内でしたので調べて見ましたら、仕事と熱量の等価性(英語版Wikipediaでは
"mechanical equivalent of heat−mechanical equivalence principle"とありました)については、
1842年にJulius Robert von Mayerが最初に提言し、続いて1843年にJames Prescott Jouleが
一連の実験の中でそれを発見したようです。エネルギー保存則自体は大昔から経験則として知ら
れていたようですが、カルノーの頃はまだ、「仕事と熱量の等価性」が確定しておらず、それゆえカ
ルノーは"caloric"を理論の中心に置いていたのですが、このジュールの実験研究により、"caloric"
という概念が終焉を迎えたのではないかと思います。

 James Prescott Joule

クラウジウスの有名な1850年の論文"Ueber die bewegende Kraft der Wärme"については残念
ながら英語訳版PDFを見つけられませんでしたが、前書きの部分?だけの写しがウェブ上にあり
ました(⇒ここ)。
その中で、

 The most important of the researches here referred to was that
 of S. Carnot, and the ideas of this author were afterwards given
 analytical form in a very skillful way by Clapeyron.

 (ここで言及されている最も重要な研究はS.Carnotのものであり、この
 著者のideaはその後、Clapeyronにより大変巧みな形で解析の形を与
 えられた。)


として、カルノー(Carnot)ばかりか、ちゃんとクラペイロン(Clapeyron)にも言及しています。なぜ英
語版Wikipediaの熱力学第二法則の項にはこの名が出ていないのか不思議ですが・・・

このクラウジウスの著書の一部写しからの抜粋引用を続けます。

まず、"caloric"に基づいたカルノー理論に対して、

 He says expressly that no heat is lost in the process, but that
 the quantity of heat remains unchanged, and adds: "The fact is
 not doubted; it was assumed at first without investigation, and
 then established in many cases by calorimetric measurements.
 To deny it would overthrow the whole theory of heat, of which
 it is the foundation."I am not aware, however, that it has been
 sufficiently proved by experiment that no loss of heat occurs
 when work is done; it may perhaps, on the contrary, be asserted
 with more correctness that even if such a loss has not been
 proved directly, it has yet been shown by other facts to be not
 only admissible, but even highly probable.(..)

 (彼は、明示的に、そのプロセスでは熱は失わないが、熱量は変化
 せずに残ると述べ、次のように付け加えた:「その事実は疑いもな
 いことである;それは、まず最初に、調査なしで仮定され、その後、
 カロリーメータにより、多くの場合において確立した。それを否定す
 ることは、それが基本としている全熱理論を投げ出すことになろう」と。
 しかしながら、私は、仕事がなされたとき、熱損失が起きないことが
 実験で十分証明されて来たとは承知していない;反対に、恐らく、た
 とえこのような損失が直接証明されなくても、許容されるばかりか、
 高度に確実でさえあることが他の事実によって示されて来た。)


と否定的見解を示した上で、

 The careful investigations of Joule, in which heat is produced
 in several different ways by the application of mechanical work,
 have almost certainly proved not only the possibility of
 increasing the quantity of heat in any circumstances but also
 the law that the quantity of heat developed is proportional to
 the work expanded in the operation. To this it must be added
 that other facts have lately become known which support the
 view, that heat is not a substance, but consists in a motion
 of the least parts of bodies. If this view is correct, it is
 admissible to apply to heat the general mechanical principle
 that a motion may be transformed into work, and in such a
 manner that the loss of kinetic energy is proportional to the
 work accomplished.

 (熱は機械的仕事の適用による種々の異なる方法で生ずるという
 Jouleの注意深い研究は、ある環境下での熱量増大の可能性ばか
 りか生じた熱量がそのオペレーションにおいて大きくなった仕事[量]
 に比例するという法則さえほとんど確かに証明してきた。これに対し
 ては、他の事実が最近、熱は物質ではなく物体の最低限の部分の
 運動からなるという見解をささえるものとして知られてきている。もし、
 この見解が正しいのなら、熱に対して、運動は仕事に変換され、運
 動エネルギーは成し遂げられた仕事に比例するというような一般機
 械的原理を適用することは許容できる。)


と述べ、更に、

 These facts, with which Carnot also was well acquainted and
 the importance of which he has expressly recognized, almost
 compel us to accept the equivalence between heat and work,
 on the modified hypothesis that the accomplishment of work
 requires not merely a change in the distribution of heat,
 but also an actual consumption of heat, and that, conversely,
 heat can be developed again by the expenditure of work.

 (Carnotがまた、よくそれに精通していて、明確にその重要性を理解
 していたこれらの事実は、ほとんど我々に熱と仕事の間の等価性を
 受け入れることと仕事の完遂が単に熱分布における変化ばかりか、
 実際の熱消費を要求していることと、逆に、熱は仕事の消費によっ
 て再び生ずるという修正された仮説を受け入れるざるをえなくして
 いる。)


と言明しています。そして、

 If any body changes its volume, mechanical work will in
 general be either produced or expended. It is, however,
 in most cases impossible to determine this exactly, since
 besides the external work there is generally an unknown
 amount of internal work done. To avoid this difficulty,
 Carnot employed the ingenious method already referred
 to of allowing the body to undergo its various changes
 in succession, which are so arranged that it returns at
 last exactly to its original condition. In this case,
 if internal work is done in some of the changes, it is
 exactly compensated for in the others, and we may be
 sure that the external work, which remains over after
 the changes are completed, is all the work that has been
 done. Clapeyron has represented this process graphically
 in a very clear way, and we shall follow his presentation
 now for the permanent gases, with a slight alteration
 rendered necessary by our principle.

 (もし、任意の物体がその体積を変えるなら、機械的仕事が一般
 的に生成されるか消費されるかのいずれかであろう。しかしな
 がら、大部分の場合、これを厳密に決定することは不可能であ
 る、なぜならば、外部仕事に加え、一般的には知られていない
 なされた内部仕事量があるから。この困難性を避けるため、
 Carnotは既に言及した物体が連続してその種々の変化、最後
 には元の条件に正確に戻るようにお膳立てしたもの、を遂行す
 ることを認める独創的な手法を使った。この場合、もし内部仕
 事が変化のいくつかにおいてなされるなら、他方では正確にそ
 れが消費され、我々はその変化が完遂した後に残っている外
 部仕事は全てなされた仕事であることを確信してよい。
 Clapeyronはこのプロセスを大変明確な方法で図的に表示し、
 我々は現在、我々の原理により必要性が与えられているわ
 ずかな変化をする永久気体に対して
彼のプレゼンに従うだろ
 う。)


と述べています。以上、最初の方で、カルノー及びクラペイロンの研究に対する彼の立場に言及
していましたので詳細に引用しました。

また、後の方で、更に"Caronot's Theory"に触れ、

 Carnot assumed, as has already been mentioned,
 that the equivalent of the work done by heat
 is found in the mere transfer of heat from a hotter
 to a colder body, while the quantity of heat remains
 undiminished
.
 The latter part of this assumption-namely, that
 the quantity of heat remains undiminished-contradicts
 our former principle, and must therefore be rejected
 if we are to retain that principle.On the other hand,
 the first part may still obtain in all its essentials.

 (カルノーは、既に述べたように、熱によりなされた仕事の
 等価性は、ただ、熱い物体から冷たい物体への熱の移
 動の中に見出される一方、熱量は減少しないで残る

 この仮定の後者の部分-熱量は減少しないで残る-は、
 我々の前の原理に反し、それゆえ、もしその原理を残す
 なら、リジェクトされなければならない。一方、最初の部
 分はその本質性の全てにおいて受け入れてよい)


と述べています。
"the former"は"the equivalent of the work done by heat is found in the mere transfer of heat
from a hotter to a colder body"の部分であり、"the latter"は"the quantity of heat remains"の部
分です。"

そして、

 A transfer of heat from a hotter to a colder body always
 occurs in those cases in which work is done by heat, and
 in which also the condition is fulfilled that the working
 substance is in the same state at the end as at the
 beginning of the operation. Yet, in order to establish a
 relation between the heat transferred and the work done,
 a certain restriction is necessary. For since a transfer
 of heat can take place without mechanical effect if a
 hotter and a colder body are immediately in contact and
 heat passes from one to the other by conduction, the way
 in which the transfer of a certain quantity of heat between
 two bodies at the temperatures t and τ can be made to
 do the maximum of work is so to carry out the process,
 as was done in the above cases, that two bodies of
 different temperatures never come in contact.

 (熱い物体から冷たい物体への熱の移動は、熱により仕事
 がなされ、また、その条件が、仕事をする物質がオペレー
 ションの最後で、最初と同じ状態にあることを完全に満た
 している場合に起きる。しかし、運ばれた熱となされた仕
 事の間の関係を確立するため、ある制約が必要である。
 熱の移動は、もし熱い物体と冷たい物体が直接接触してい
 て、熱が一方から他方に伝導により渡されるなら、機械的
 効果なしで起きるので、温度tとτの二つの物体間のある
 熱量の移動が最大仕事をするのになされる方法は、二つ
 の温度の異なる物体は決して接触しない
という上記の場
 合になされるようなプロセスを実行するようにすることであ
 る。)


として、ここは、カルノーの考えを踏襲しています。

上記に引き続き、

 It is this maximum of work which must be compared with
 the fact heat transferred. When this is done it appears
 that there is in ground for asserting, with Carnot, that
 it depends only on the quantity of the heat transferred
 and on the temperatures t and tau of the two bodies A
 and B, but not on the nature of the substance by means
 of which the work is done.

 (それは、熱が移動するという事実と比較されなければなら
 ない
この最大の仕事である。これがなされるとき、それが、
 移動した熱量と二つの物体A,Bの温度tとτにのみ依存し、
 その仕事がそれによってなされる物体の性質には依存しな
 い
ということをカルノーと共に断言する立脚点にいることは明
 らかである。)


と述べ、その理由として、省略しますが、カルノーと同じような説明をしています。そして、

 It seems, therefore, to be theoretically admissible to
 retain the first and the really essential part of Carnot's
 assumptions, and to apply it as a second principle in
 conjunction with the first; and the correctness of this
 method is, as we shall soon see, established already in
 many cases by its consequences.

 (それは、それゆえ、カルノーの仮定の最初と実際に本質的
 な部分は理論的に認められ、それに最初の部分と結合した
 第二の原理に答えているように見える;そして、この方法
 の正しさは、すぐ見えるように、その結果により既に多く
 の場合に確立されている。)


と述べています。以上、クラウジウスが、「熱力学の第二法則のプロトタイプ」たるカルノーの理論
をどのように踏襲し、その後のジュールの実験研究結果を受けて修正しようとしたかを明確に述
べている部分を引用紹介しました。私は、確立した理論については、やはり、その歴史をよく学ぶ
ことが理解を深めていくのに重要だと近年思っていますので、冗長的になりましたが、ネット上に
掲載がされていた、カルノーの原著(PDF)とクラウジウスの著書からの抜粋からの引用を綿々と
してきました。

注目すべきは、前述のように、クラウジウスもはっきりと「カルノーサイクル」として教科書に掲載
されているPV線図はカルノーではなく後からクラペイロンがカルノー理論に基づいて描いたもの
である言明していますし、確かに前項でも触れましたが、カルノーの原著にはあの線図は出てき
ません。ということは、論理的に考えれば当然ですが、カルノーサイクルは前項の図2から思い
ついたようなものではないこと(ウェブ上に示されていた前項の図2を見て私は思い違いしてま
したが)を強調しておきたいと思います。すなわち、カルノーサイクルというものの根拠をあの
線図を元にしての説明−あそこにできる閉曲線を思考実験の産物みたいに理解されているなら、
それは大間違いのこんこんちきだということです。カルノーの著書を読んでわかりましたが、カル
ノーは決してそんな素人的思い付きみたいなものであのサイクルを考えたわけではなく、ちゃん
と「物理的」思考の中で考えたという事です。だからこそ、埋もれていたカルノー理論(科学論文で
はなく、回顧録と訳されるジャンルの本の中の一分野)の重要性に「物理学者」だったクラペイロ
ンが気づき検討した上で、あのPV線図を描き、更に数学理論的味付けをした(カルノーの原著を
読めばわかりますが、数学理論的なことはあまりでてきません)わけで、そして、そのクラペイロン
の仕事があったからこそ、時の権威のケルビン卿(トムソン)の注目をひき、また、クラウジウスが
修正発展させたというわけです。

残念ながら、前述のようにクラウジウスの1850年の有名な原論文は入手できていませんが、実
はもっとよいものをウェブ上で発見しました。実はクラウジウスは1850年に有名な論文を出した
後、1865年までにその後検討したことを含めた「回顧録?」を9件出していたそうで、なんとそれ
らを盛り込んで集大成した「熱力学」の教科書を1865年に出版していました。検索していて、そ
の著の全文PDF版を発見したのでした(米国?の大学の蔵書からのもののようです)(^◇^)
(⇒ここ)

かなり詳しく説明がなされていて、また、当時の熱力学に関する科学界の情況も垣間見れて実に
興味深く楽しい、私が出会った「良い本」の一つです。私のようにいまいち熱力学が理解できずに
いた方や興味のある方は是非読まれるとよいと思います。
ちなみに熱力学が確立した草創期の頃のものですから、現代とは名称とか単位とか異なるもの
もあります。単位でいえば、まだ、当然ですが当時は現役だったJouleの名にちなんだ現在使用さ
れている熱単位の[J](ジュール)なんてものはなく、力学単位(当時は[kgm]と熱単位(当時、想定
装置があったカロリーとの単位換算として、Heat Equivalent of Work(仕事の熱当量)"E"、Work
Equivalent of Heat(熱の仕事当量)"1/E"などというのも出てきます。
また、「運動エネルギー」は、この概念自体でてきた初期の頃にラテン語から名付けられたという
"Vis Viva"(活力)というtermで示され、面白いのは、「ポテンシャルエネルギー」というのは、この
著によれば、Rankineという方の命名だそうですが、クラウジウスはこの名前は長すぎるからとい
う理由で独自名"Ergal"なんて名前を付けて、セクション名に"On the Ergal"などと書き、その後の
ところでちょくちょく使われていたりします。ですから、もし興味があって読まれるとき、途中から読
まれるなら、"Vis Viva"=「運動エネルギー」、"Ergal"=「ポテンシャルエネルギー」と読み替えが
必要です。

さて、本項で紹介する関係部分は、長い(全19頁)"Intoroduction"、"CHAPTERT: FIRST MAIN
PRINCIPLE OF THE MECHANICAL THEORY OF HEAT, OR PRINCIPLE OF THE EQUIVALENCE
OF HEAT AND WORK
"、"CHAPTREU:ON PERFECT GASES"、"CHAPTERV:SECOND MAIN
PRINCIPLE OF THE MECHANICAL THEORY OF HEAT
"、"CHAPTER]:ON NON-REVERSIBLE
PROCESSES
"あたりからです。特に調べたかったのはCHAPTREVとCHAPTRE]ですが、最初
から読まないと理解できそうになかったので、先にINTRODUCTION〜CHAPTERUを熟読しました。
おかげさまで、熱力学に関していまいち心の中でもやもやしていたことがかなり理解できました。
特に、後述しますが、「カルノーサイクル」については、先に前項で示したようにカルノーの原著を
読み、そしてクラウジウスのこの著を読みましたのでほんとんど疑問が解消できたと思っています。

以下、少し私自身の中ではっきりできたポイントについて内容を引用しながら見解を綴っていこうと
思います。

やはり、「熱力学」というのは、「理想的状態の微小部分を扱った理論」というのはこの著でも明確
です。そこかしこで、"infinite small"(無限小)というtermが出てきて、微分(differential)というterm
が出てきます。そして、"finite value"はそれを「積分する(integrate)」して求めるという形で論じて
います。

それに関連するINTRODUCTIONで述べられていることに関しては後で補足的に示すことにして、
私が実はもやもやしていた一つ、熱力学の第一法則」の式的表現に関して、クラウジウスは
どのように考えたかがCHAPTERTで詳細に述べられています。彼は"first main principle of the
mechanical theory of heat
"と呼称しています。
現在テキストの多くは、これを式で
・・・(1)
と書いて、Uを「内部エネルギー」と呼称しているのですが、これが一体全体何なのか説明が曖昧
であり、なぜ(1)式が「熱力学の第一法則=エネルギー保存則」なのかよくわかりませんでした。
で、この"U"という記号は最初にクラウジウスが用い、当時の他の科学者が従ったそうですが、そ
の概念は人により異なったりしていたようで、例を挙げて批判的見解が示されていました。クラウ
ジウスはこれを「エネルギー(Energy)」と呼称しています。
そして、(1)ではなく、
・・・(2)
と書いています。それに至る説明がありましたが、私にとってはクラウジウスの説明の方がずっと
わかりやすく説得力を感じました。なるほど、これなら「エネルギー保存則」だと。

彼の考え方を示しておきます。

熱の無限小量dQがこの物体に与えられるなら、一部は、実際に物体内に存在する熱量を増加
他の残りは、もし、この熱を与えた結果、その物体がその条件を変え、その変化がある力の克服
を含んでいるなら、それは、それによりなされた仕事に吸収されるだろうと考え、物体内に存在す
る全熱、またはもっと簡潔には物体の熱量をH、この無限小増分をdHで示し、なされた無限小仕
事量をdLと置くと、
・・・(3)
としています。誤解を招かないように先に述べておきますと、クラウジウスは前述のように少し前
まで物理界の一般概念であった「熱は製造も消滅もしない元素みたいな存在(caloric)」否定の立
場ですから、この「物体の熱量H」というのはそれとは一線を画すものです。
次に彼は、「仕事(work)」を「内部仕事(internal work)"」 と「外部仕事(external work)
""」からなるとし、
・・・(4)
と置きました。彼は、「物体の分子が自分自身の中で励起し、それゆえ、物体の性質自身に依存
するもの」を「内部仕事」とし、「物体が条件としている外部影響から生ずるもの」を「外部仕事」と
しています。そして、この二つはその性質に大きな相違があるとし、「内部仕事」については「なん
であれ初期条件から始めて、物体が1サイクルの変化を行い、最終的に再び、元の条件に戻るな
ら、その全プロセスでなされた内部仕事はそれ自身と正確に打ち消し合わねばならない」とし、
「内部力は、どのようにしてその条件に到達するかを我々が知る必要が無くて、任意の時に存在
する条件により完全に決まる「ポテンシャルエネルギー」(彼は前述の様の独自名称の"Ergal"
と書いています)を持つと仮定しなければならない。」と述べています。一方、「外部仕事」について
は、「物体の初期と最後の条件が与えられた時でさえ、外部仕事は大変異なる形をとることができ
る。」と述べ、更に、元々が圧力と反作用がそれぞれ瞬間的に等しい場合、「その気体は、膨張時
に打ち勝ってきたのと正確に同じ力により再び圧縮される」=「可逆である」かもしれないが、「打
ち勝つ抵抗が膨張力より劣っているならば、気体は同じ量の力では再び圧縮しなおすことはでき
ない」=「不可逆である」かもしれないとし、

 with a given change of condition the external work may differ in
 amount, according as the change takes place in a reversible or a
 non-reversible manner.

 (条件の与えられた変化と共に外部仕事は、可逆または不可逆の様相で起
 きる変化に応じて、量が変わる)


と述べています(この一文は原著も「イタリック体」表記で強調されています)。

(3)、(4)式より、
・・・(5)
となります。
ここで彼は"H"に関して、「その物体がその条件に到達する方法を知る必要がなくてその物体の
条件が与えられるや否やわかっている特質、またそれは、J(内部仕事)に属しているとして述べ
られたものを有している。」とし、「物体内に存在する熱と内部仕事は上記の最も重要な特性に関
して同じ土台にあり、更に、我々の内部仕事に関する知見のため、我々は一般的に、これら二つ
の量の種々の値はわからなくても、それらの和のみを一つの呼称で呼ぶ」ことを1850年の論文
で提案したとし、それを彼は"U"とおき、前述のように「エネルギー(Energy)」と呼称しています。す
なわち、
・・・(6)
としています。これがクラウジウスが作り出した"U"のオリジナルの定義です。そしてこれより、
・・・(7)
となりますので、(5)、(7)より前述の(2)式が導出されています。どうですか?そもそも"U"という概
念自体、クラウジウス自身が最初に示したものであり、その彼が上記のような説明をしているわけ
です。私的には、これなら「エネルギー保存則」として説得力を感じました。(1)式では論理性が私
には理解不能だったが、クラウジウスの説明付の(2)式なら十分論理的で説得性があると感じて
います。尚、クラウジウスがこの自分が提案した"U"を前述のように"Energy"と呼称しているの
は、ケルビン卿(トムソン)が1851年の著書で示した"the mechanical energy of a body in
a given state
(与えられた状態における力学的エネルギー)"に賛同してのものと書いています。
また、この"U"は前述から、「その瞬間の物体の条件のみに依存し、それがその条件に到達する
方法には依存しない」ゆえに、有限値として得られる積分値は、初期値(initial value)を
最終値(final value)をとすると
・・・(8)
としてただちに求められることになります。よくある説明で「Uは完全微分」とあるのは実にここに
その根拠があったということです。よくあるテキストではUを曖昧なものにしているのが多い気がし
ます。あれでは私がそうであったみたいに「なんで?」という疑問を持たれる方もおられると思いま
す。

まだ、これで終わりでなく、この件、もう少し、続きます。それまでは「全熱量」というのは「自由熱
(free heat)」と「潜熱(latent heat)」の合計で得られると理解され、もし、物体の初期条件がわかっ
ていたなら、その条件が到達する道を考慮せずに、その現在の条件から完全に決定できるとさ
れていたようで、彼はそれを全面的否定し、その根拠をまさに(2)式に求めています。すなわち、
(2)式によれば

 we must conclude that this quantity of heat, like the external work,
 depends not only on the initial and final conditions, but also on the
 way in which the body passed from the one to the other.

 (この熱量は、外部仕事と同様に、初期と最終条件ばかりかその物体が一方
 から他方に移行する過程にも依存していると結論付けなければならない。)


としています。
ここのところを補足説明しておきますと(ここまで触れてこなかったのですがクラウジウスの著書を
前から読めばそれが書かれています)、経路が決まれば、dWの積分ができるので、そのとき、(2)、
(8)式より
・・・(9)
となります。初期値(始点)と最終値(終点)が一致しているとき(彼は、"Cyclical Process"[周期
サイクル]と命名しています)は、
・・・(10)
となり、結局、決まった経路に対して
・・・(11)
となるからです。以上より、外部仕事Wしたがって熱量Qは「経路によりその微分値の積分値が
異なる=「不完全微分である」ことが証明されたということです。多くのテキストでは説明なく天
下り式に「dQ、dWは不完全微分であり全微分形式にはできない」と書かれているだけですけど
ね。

ちなみに多くの熱力学のテキストでは、dQ,dWを不完全微分であることで区別するためにd'Q
d'Wとしていますけど、有限値を求めるための「積分」をする前の微小変化分という位置づけでは
dUと同じです。そして、有限値を求めるための「積分」をするとき、WしたがってQは「経路が決ま
っておれば積分が可能」であり、解はあるわけです。単に「経路が決まっていないと無数の値にな
ってしまう=始点と終点だけでは一律に決まらない」というだけのことです。この点については
INTRODUCTIONで仕事dWについてニュートン力学的視点での一般的な説明がなされています。
「仕事は運動するときになされるもの」であり、その方向は一定ではないので、微小仕事を考える
必要があるとして「微分形」が最初から出てきます。熱力学が「微小単位を扱う」のはこんなところ
に根源があるわけです。そして、純粋にそういう微小変移を考えれば、ニュートン力学で二次元
空間であれば、二次元座標系(x,y)に対し、x方向の力の成分をX、y方向の力の成分をYとすると、
仕事は、当然ながら、
・・・(12)
となります(全微分と混同しないようご注意ください)。問題は有限値を求めるべく積分をしようとす
るときに現れてきます。彼はここでは、前述の結論を出す前の一般論で述べています。
今、XとYが共にxとyの関数として
・・・(13)
となるとします。そのとき、関数 の性質に従い二つの区分があり
ます。

その1
(x,y)が独立変数(independent variable)であるとき、
・・・(14)
(注:これはクラウジウスの本の式そのままを転記しましたが、現在では偏微分形式を使って
・・・(14')
と書かれているものです)。
が成立するとき、そのまま積分が可能で
・・・(15)
となります。

その2
(14)(あるいは(14')式)が成立しないときは、(x,y)が独立変数ではない すなわち、
・・・(16)
であるなら、積分ができて、
・・・(17)
となります。(16)式が成立するということは「経路がわかっているとき」ということです。
詳細は省略しますが、彼はこれを更に一般化して
その1の解は、
・・・(18)
その2の解は、
・・・(19)
の条件付きのときのみ、
・・・(20)
とした上で、「Wがxとyの関数として一般的に表現できる量であろうと、運動する点によって記述さ
れる経路の知識で決定できるだけのものであろうと、我々はいつも、Wの偏微分係数に対して普
通の知識を使ってよく、次のように書いてよい」と述べています。
(注:クラウジウスは偏微分も普通の微分同様"∂"でなく"d"を用いていますので、彼の著書に従
い、そのままとしますのでご留意くださいm(__)m)
・・・(21a)
・・・(21b)
したがって、(14)式は(21a),(21b)より
・・・(22)
となりますので、
このように、我々は、量Wに関連して描かれるべき区別が、差
がゼロに等しいか有限の値を持つかに依存すると言える
と述べています。すなわち、
がゼロに等しい時はその1となりそのまま積分可能であるが、ゼロ
でない場合は、(19)式が成立すれば積分は可能であるということです。(21a)(21b)とできないという
ことではないということを言っているわけです。勿論、前述のように仕事に関しては(22)式の条件は
満たされませんが・・・。
いずれにしろ、有限値を求める積分をする前の微小値での取り扱いとして、そのあと、彼はこの変
数(x,y)を一般変数として、p,v,Tを入れて色々と展開式を示しています(省略します)。

(続く)
 ('17/3)

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