Maxwellのphilosophy(改定)

(また、早とちりの間違いがありましたので、改正しましたm(__)m)

前に、ここここで「Maxwellの方程式について」、 ここで「Maxwellという人」というタイトル
のarticleをしたためました。それは、元々、「電磁波」というものをよく知りたいという思いが
あって、元になっている「Maxwellの方程式」をどのようにして創設したのかという基本を知
りたいという思いからでした。

しかしながら、読んでみると、どうもまだ、私が望んでいたものの記述がそこには十分見ら
れず、私的には「う〜ん」という感じでよく理解できずもんもんとしていたのですが、引用
から、彼の書いたそれ以前の論文があることを知りました。そして、海外サイトをあたって
それを見つけ(彼の母校のCambridgeが提示)、ダウンロードしました。
それは、[From the Transactions of the Cambridge Philosophical Society,Vol.x.Part1]と上
段に小さく書かれている、1856年の"On Faraday's Line of Force"という論文です。
その長い前置きのところに、Maxwellの研究姿勢が明白に示されていました。

1850年代当時、電磁気学に関して、磁気については、数学的には理論化され、一方では
実験科学者Faradayによる数々の実験結果が示されていたものの、未だ解明されなけれ
ばならない事項が残っていたというようなことを述べています。
ですから、若きMaxwellは野心に燃えてそれに取り組んだようですが、彼の基本的見解と
して、純粋に数学理論追及では実際との乖離していく恐れがあること、一方、単に物理
仮説を出すだけでも事実に盲目的になりやすいとし、新たな研究方法の道を探ったよう
です。その根本として、"physical analogy"(物理的類似性)を置いたようで、

 In order to obtain physical ideas without adopting a physical theory
 we must make ourselves familar with the existence of physical analogies.

 (物理理論を採用せずに物理的ideaを得るためには、我々は自ら物理的類似性に
  親しまなければならない)

と書いています。

ちなみに、彼の言う"physical analogy"とは、

 partial similarity between the laws of one science and those of
 another which makes each of them illustrate the other.

 (それらの各々が他方の説明を与える、一つの科学法則と他の科学法則
  との間の部分的類似性)

を意味していると述べています。

そして、Maxwellはその考察の根本に、当時物理学で広く認知されていた『引力』を置いた
ようです。それについては、

 Ther is no formula in applied mathematics more consistent with
 nature than the formula of attractions...

 (引力公式に勝る自然に一致した数学公式はない)

という認識からのものだったようです。

しかしながら、ちょっと考えたとき、前述の"physical analogy"と「引力」とは一見結びつかな
い感がしてしまいますが、一見無関係に思える「熱」に関しては、既に当時、Thomson(科学
の多くの分野で活躍して有名なケルビン卿)が両者のpartial similarityについての論文を出
していたことに言及しており、また、光の屈折でも彼は類似性を主張しています。

いずれにしろ、数学が得意でもありましたけど、Maxwellは、

 By the method which I adopt, I hope to render it evident that I am
 not attempting to establish any physical theory of a science in
 which I have hardly made a single experiment, and that the limit
 of my design is to shew how, by a strict application of the ideas
 and method of Faraday, the connexion of the very different orders
 of phenomena which he has discovered many be clealy placed before
 the mathematical mind.
 I shall therefore avoid as much as I can the induction of anything
 which dose not serve as a direct illustration of Faraday's methods,
 or of the mathematical deductions which may be made from them.

 (私が採用した方法によれば、私は、それにおいて、かろうじて一つの実験
  をなした科学の物理理論を確立しようと試みているのではなく、私の
  designの限界が、そのideaの厳格な適用とFaradayの方法により、いかに
  して、彼が発見した大変異なった一連の現象の組み合わせを明確に数学的
  心の前に置けるかを示すことであることのあかしになることを望んでいる。
  私は、それゆえ、Faradayの方法の直接的例証の助けとはならない何か、
  または、それらから導き出されるかもしれない数学的演繹法の導入は
  できる限り避けるであろう。)

とのべています。

前に書きましたが、Faradayはこの姿勢を喜んでmaxwellに感謝の手紙を出したそうです。
私も、Maxwellの取り組んだこの姿勢は高く評価したいと思います。
まだ科学技術も未発達でよくわかっていない時代に、知恵と工夫で手探りで優れた数々の
先駆的な実験観測をなしたFaradayという方を高く買っているのですが、彼は高等教育を受
けていなかったゆえに自らは理論化まではできなかったのですけど、Maxwellはその実力
を高く評価した上で、より多くの実験観測発見をしてもらえるような道筋を示す方向での
Faradayのそれまでの先駆的な実験観測結果の理論化を目論んだという・・・こういう素晴
らしい科学者らにより現代の科学技術の元が作られ、世界の人々がその恩恵に預かって
いるわけですからもっともっと高く評価されてもいいのではないかと思っています。

以上のように、基本理念として『引力』と"physical analogy"を置いてMaxwellが考え出した
基本的・独創的発想は、Faradayの"lines of force(力線)"の概念を"tube of force(力
管)
"に拡張し、そこを『非圧縮性流体(incompressible fluid)』が流れている−実際の
流体ではなく、物理的類似性に絞った特性を有する仮想流体−とし、それが力線の方向
に流れることを"lines of fluid motion"と呼称しています。
"lines of force"は力の『方向』は示されるが、『大きさ』が示されない欠点に鑑みてなされ
たものです。
この基本的想定から出発し、一般化のために、単位流量が流れ、力線のある全空間を隙
間なく埋める四角形断面の"unit tube"(速度はこのunit tubeの断面積に比例する)、更
には圧力を考えて"unit cell"という概念を考案し、周囲媒体からの抵抗を考慮に入れた
"theory of the uniform motion of an imponderable incompressible fluid through
a resiting medium(抵抗媒体を通る重さの無い非圧縮性流体の均一運動の理
論)
"について詳細に語っています。
このように、彼は、電磁気学の「力線」に対して、仮想的な非圧縮性流体の仮想的なunit
tube内の運動というものを想定し、それとの「物理的類似性」を考えるという独創的手法
により、Faradayが実験で見出し、そこから彼が想定した力線などの概念をMaxwellは数
学を用いて忠実に理論化を図ろうとしたわけで、それが、現代の電磁気学の基本になっ
ている「Maxwellの方程式」の「オリジナル式」が示された1865年の"A Dynamical Theory
of Electromagnetic Field," (Royal Society Transactions, Vol. CLV, 1865, p 459)として
結実したわけです(論文記載のオリジナル式はここ参照)
尚、そこでは、Faradayが最初に"Electronic State"という概念で示していたものをこの論
文では、"Electromagnetic Momentum"と呼称して示していた、所謂「ベクトルポテンシャ
ル」を「非圧縮性完全流体の渦」としての物理的類似性から求めています。そして彼は、
そこから、既にこの「ベクトルポテンシャル」の実在性を確信していて、上記の1865年の
論文の中で下図の物理的イメージを示しています(ちなみに、この論文では、まだ、電場
[電界]、磁場[磁界]という用語が一般化されていなかったのか、磁場Hを"Magnetic
Force"、電場Eを"Electromotive Force"と呼称しています)。



いずれにしろ、Faradayが実験的に見出した電磁的現象を、この独創的な、仮想的「非
圧縮性流体の運動」との1:1対応での類似性で解析していて、そこには一貫性がありま
す。前述のように、「媒体」はその運動の抵抗として想定しているわけです。

何が言いたいかと言いますと、当時の科学界では、まだ、"æther(ether)"は普通の共通
概念だったわけで、その物性については解明されてはいませんでしたけど、「真空」と
いうのは、"empty"ではなく、"æther(ether)"という「媒体」が充満していると言う発想は
「普通のこと」だったはずですから、今の電磁気学などの本に書かれているような、
「Maxwellはこれは"真空"でも成り立つと主張した」というのはニュアンス的には少しお
かしい「苦しい」説明ではないかと思うのです。すなわち、Maxwell的には何もとんでもな
い空想をして言っているわけではなく、ごく「当たり前」のように言っているだけではない
かと思うのです。

結局、現代の電磁気学の説明において、「なぜ誰もMaxwellのやった方法に言及しない
のか?」については、1905年のEinsteinの"Special Relativity"の発表以降、etherがいわ
ば禁句みたいな扱いになり(存在しないことになって)、「今の言葉」ではそのままをきち
んと説明できないゆえに、こういう穿った説明をしたり、色々と奥歯にものをはさんだよう
な歯切れの悪い説明でお茶を濁しているのではないかと思うのです。用語概念からすれ
ば、「Maxwellの応力」なんて、もし真空が完全なemptyならおかしなものになってしまうは
ずではないでしょうか?ですから、しっかり教科書に記載されているにも係らず、なぜ真
空でも成立するのかについては触れてはいないのです(そういうときだけMaxwellに責任
を負わせる形で「Maxwellはこれは"真空"でも成り立つと主張した」とだけ言っているん
ですよね。

ま、1873年のクオータニアンで拡張した式なのか、この1865年のオリジナル式を含めて
なのかそこはまだ私的には不案内なんですが、当時の科学者には理解されず、Maxwell
が早くも式から予測していた「電磁波」も、ですから、光は電磁波の一種だという予測
もMaxwellの死後の1890年代になって、Hertzが電磁波の存在を実験的実証するまで認
知されなかったことは歴史的に見て不幸だった気がします。そして一番の問題は、ベクト
ルポテンシャルを仮想的なものとして嫌ったHeavisideにより、1880年代Gibsによって提
案され、Heavisideがその確立に全協力した「ベクトル解析法」を用いてMaxwellのオリジ
ナル方程式が改変され、それが「マックスウェルの方程式」の名前で公式に認知されて
しまった(そのときはすでにMaxwellは48歳という若さで病死してしまっていたわけで、そ
の改変された現代の方程式のことは彼の全く預からないものだったのです!)こと、そし
て、それからわずかの期間を経た1905年に出たEinsteinの衝撃的な論文が出されてしま
い科学界の関心はそちらに集中したと思いますから、余計に、元々の"Maxwell's theory"
の本質の追及ということがなされなくなったのではないか、要するに、Heavisideにより改
変された"Maxwell-Heaviside equations"と「電磁波」、「光は電磁波」ということのみが公
式に認知されただけ・・・と私には思われるのです。

もし、Maxwellが早死にしたりせず、また、Maxwellのオリジナルのtheory/equationsがずっ
と早くに科学界で受け入れらていて、Special Relativityが出てくるのがもう少し遅かった
ら多分、違う展開になっていたのではないかと思うのですが。

ちなみに、本項で紹介した論文、なかなか読みこなせていません(^^;。途中まで読んでか
ら面倒くさくなって途中放棄していて、また、再度最初に戻って読み直しているところです(^^;
                                   (’15/1)

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