私を悩ますもの、それは光/(補)

(1/3にupしたものは少し言い足りなかったり誤りが多々あったりしましたので、upしたばか
りなのにタイトルも変え、不要なものをばっさり削り、全面書き直したものですm(__)m)

これは私の思い込みかもしれませんが、何か、既に「光とはなんぞや」については解明
された感で、現在の研究は「応用物理」としての"optics(光学)"となっているようです。
しかしながら、"Anti-Relativity"の立場、すなわち"Relativity"に疑念を抱いてしまって以
来、色々調べ、浅学菲才にも係らず熟考する中で、「ほんとう」に人類は「光」そのものの
解明ができているのかという疑念が湧いてきてしまって私の心を悩ませています。

現在、『光(light)』は、狭義には、人間の目が捉えられる『可視光線』(波長:400nm〜
700nm)とされ、この範囲より波長が長いものを赤外線、短いものを紫外線と称していま
す。一方、物理学的には「見える見えないに係らず、任意の波長の電磁波」と定義され
ているようで、γ線、X線、マイクロウェーブ、電波なども広義では光とされています。

1905年にEinsteinが『光量子仮説』を所謂"Special Relativity"のhypothesis等とともに
ひっさげて登場し、この「光量子仮説」がノーベル賞を受賞したこともあって、現在の物
理学では、

 光は波の性質と粒子の性質を有するもの

ということになっています。そして、後者の理由で、『光子(photon)』という用語・概念が
用いられ、いわば、

 光は電磁波であり(質量の無い粒子としての)光子photonである

として教えられ、皆、「そういうものなんだ」と疑うこともなく、『知識』として頭の中に刷り
込まれて来たのではないでしょうか?実は私もそうで、長年、何も疑問も感じなくてその
『知識』を自然に空気のように記憶され受け入れていました(^^;。

しかしながら、"Special Relativity"に疑念を抱いてしまって以来、Maxwellの方程式を含
む電磁気学や量子力学などについても再勉強して色々と調べ、自分でも無い知恵絞っ
て色々と考える中で、これまで教えられ疑問に感じたこともなかった上記の光の説明に
対して不信感というか疑念が湧いてきてしまい、一方で、詳しく知らない自分がいること
にも気が付いてしまいました。私の中で、この説明は、本質的な「何か」ではなく

 『数式』と『言葉』でごまかされてしまっている

という思いが急速に募って来たこともあったんです。どこかで目にしたのですけど、あの
Einsteinも光はよくわかっていない云々と述べていたそうです。要するに、これまで再三
疑念を呈してきていますが、現代物理学は小学生でも納得するような「本質的な何か」と
いうことには触れないで、「"How"の追及だけで事足れり」としているものの一つが『光』
ではないのかと思ってしまっているところです。

ただ、ネット検索しても、ほとんどの方が、前述の説明で納得されているのか、疑問を呈
しているようなものは本の少しくらいしか見つけられていません。しかしながら、その一
つに書かれていたことは、私がそもそも「あれっ?これってなんで?きちんとした説明な
いかな」と探してみて見当たらなかったものずばりの指摘でした。それは、

 電磁波であるなら(何もない)真空中でも伝えられるのはなぜなのか?
 科学者はこれについてきちんと説明していない


ということです。

そして、もう一つの疑念は、海外サイトにおけるAnti-Relativityの方達の発言から知った
それにも結果的には関連することになるのですが、、前述の『光子(photon)』という概念
についてです。

ちなみに、私がすごく気になっているのは、『光子(photon)』という用語です。ネット上に
いかにもこれをEinsteinが示した用語のように書いている方を見ましたけど、Einstein自
身は、そういう「粒子」というものを示すような『光子(photon)』などと直接述べたわけで
はなく、「粒子のようなもの」(すなわち、粒子のような作用をする)として『光量子』とい
う説明をしたのが事実ですから、明らかに『光子(photon)』などという用語は、別の後世
の学者が言い出したものに過ぎないわけです。そこに前々から私がすごく気にしていて
反発心が湧いていること、すなわち、多くの科学者、理系の方達は

 量子=波の性質を有する粒子(※)

と考えているだろう・そう考えることで納得されているのではないかということが見て取ら
れてならないのです。前にも書いたことがありくどいのですけど、量子の説明において、
ある人は「波であって粒子である」と言い、別のある人は「波でもなく粒子でもない」と言
い、統一されてはいませんけど、それらは単なる『建前論』としての『言葉』でしかなく、
大変失礼ながら、本音のところでは皆、(※)くらいにしか考えていないのではないかと
思うのです。どういう解釈をしようが、示されている理論的結果は同じでしかないからで
す。結局、「西欧的唯物思考」が支配している(それが合理『科学』だという、いわば『信
仰』−そういうと「信仰ではない!真理なのだよ!」と怒る方達も多くおられるとは思いま
すが、私は「西欧的唯物思考」が客観的・合理的だとは思わない・絶対そうなんだという
証拠はありますか?とだけ申し上げておきます−にどっぷり浸かっている感がしていま
す)ゆえそれが"photon"などという「粒子」そのものを示す用語が出てくる所以なんだろ
うと思うわけです。


ま、以上については後で考察を進めることにして、とにかく、まずは、現代物理学を決定
づけた(私はこれの「正しさ」に大いに疑念を抱いてはいますがそれはそれとして)1905
すなわちEinsteinの登場以前の19世紀まで戻ってこの「光」に関する研究がどのよう
であったのかのわかっている正確な歴史について調べてみました。

私が持っている知識は、早くから光の速度は有限であることが科学界の物理常識になっ
ていたこと、光というものはどういう状態のものかについては、先にニュートンが微粒子
説を唱えていたこと、それに対して、波動説が出され、各種の試験の結果、19世紀には
科学界は波動説で確定したことくらい、19世紀のその後については既にここで示してい
ます。
ちなみに、科学史をひも解いてみるとわかるのですが、19世紀頃はまだ、『自然科学
というのが完全に独立した部門になっていなくて、『自然哲学』の範疇であったわけで
すけど、科学者の意識としてはもう、「自然哲学」的なものは薄れていたのではないかと
いう感を、歴史を調べる中でしている私がいます。

で、調べてみて、知らなかったことも多々あり、事実に驚きました。以下は主として英語
版Wikipediaの"light"の記事(⇒ここ)からの引用です。

光が直進すること』『反射の法則』というのはなんと、BC300頃、Euclidにより発見され
ているそうです。しかし、屈折の法則や回折現象の発見は17世紀まで待たねばなりま
せんでした(1615年Snell屈折の法則を発見、1660年Grimaldi光の回折現象を発見)。

自分の知見に、「回折」が発見されて「波動説」になったというのがありましたけど、これ
は正確ではないことを知りました。驚いたのは、既に「回折」は1660年に発見されていた
のに、Newtonが「光微粒子説」を唱え始めたのはその後の1669年だった(最終論文は
1675年に出している)ということでした。
更に驚いたことは、Newtonが光微粒子説を唱える以前に、Descartesという方が既に
1637年に出した光の屈折理論の中で、光が波であることを示唆していたということです
(より濃い媒質の方が光速は早くなるという間違った判断こそしていたようですが)。
彼は、光は光学体(luminous body)の機械的属性であるとも主張をしていたようです。

ニュートンが微粒子説を出すよりずっと以前に「波動説」を出していた人がいたとは(@_@;)

もう一つ、これも知らなかったのですが、ニュートンより先に「粒子説」を唱えた人がいた
のですねぇ。原子論のGassendiという方の1660年代のその死後に発行された光粒子論
というのがあり、Newtonはこれを精査した結果として、Descartesの「波動説」を取らず、
この「粒子説」を採用したようです。
どうやら、それは「光の直進性」からの判断で、「波では直進しないだろう」と考えたよう
で、私が「あれれっ?」と思った「回折」については、

 wave nature of light was that waves were known to bend around obstacles,
 while light travelled only in straight lines.

 (光の波の性質は、波は障害の周りで曲げられることは知られている一方、
  光は直線的に進む)

と述べ、

 He did, however, explain the phenomenon of the diffraction of light
 (which had been observed by Francesco Grimaldi) by allowing that a light
 particle could create a localised wave in the aether.

 (彼は、しかしながら、光の回折現象(Francesco Grimaldiにより観測されて
  いた)を光粒子はエーテル内で局所的波を形成することが可能とすること
  により説明をした)

私はこれ読んで「う〜ん」とうなりました。確かに、じっくり考えてみるとき、この解釈には
その当時の知見では、矛盾・飛躍はないようですねぇ。
ただし、彼の微粒子論は、屈折に関して誤っているDescartesの説明の場合にだけ成立
するため、Descartes同様、「濃いmediumに入ると速度が速くなる」としていました。

一方、『光波動説』は前述のように先にDescartesが示唆していましたが、1665年Hooks
が色の原理の説明のためにパルス理論を発展させて、"Micrographia"という彼の30年
間のレンズに関する観察の歴史をまとめたものの中で水中との光の伝達の比較観測結
果を示し、また、1672年には光の振動が伝達方向に垂直であることを示し、更に、
Huygens1678年に数学的波動理論研究を完成し、1690年にそれをTreatise on light
として発行しています。また、彼はNewtonと逆の主張、すなわち「濃いmiedimでは光の
速度はゆっくりになる」と主張したそうです。
ちなみに、このHuygensはこのとき、「光学エーテル(Luminiferous ether)」という概念
を提示したようです。

しかしながら、なぜか「波動説」が有利になった−主流説−になったのは約1世紀以上も
たった1801年Youngによる光の干渉実験の結果によるようです。
な、なんと、この19世紀の初めまでの約125年間という1世紀強もの間はNewtonの名声
と威光により
、粒子説が科学界の主流を占め、波動説は陰を潜めていたそうです。
何か、「あ〜あ」という気がしません?

ちょっと余談ですけど、色々悪評が聞こえてくるNewtonについて調べてみました。
日本語版Wikipediaに詳しい逸話なども掲載されています。彼は、17世紀である1642年
生まれで1727年に84歳の生涯を閉じられているようです。1661年にケンブリッジ大学ト
リニティ・カレッジに入学、ここで、1663年に開講されたルーカス数学講座初代教授で
あったアイザック・ハローにその才能を見出されたことが彼のその後の人生を決定づけ
たようですね。このハローの強い推薦で1669年に、Newtonは早くもルーカス教授職に
就任したそうです。かの有名な、古典力学の金字塔であるニュートン力学を提示した著
名な著作(3巻)であるプリンキピアは1687年に出しているそうです。
そして、1705年に自然哲学者(当時はまだ科学という分野が独立していなかった)で初
めて「ナイト」の称号を獲得していて、最後は王立科学協会の会長職についているよう
ですが・・・噂に聞いているように、性格的にはちょっとという方だったそうですね。
その講義は難解すぎて学生には不評だったそうですし、色々な学者と相当対立してき
たようですね。知らなかったのは、ニュートンが構築したと伝聞されている例の微分で
すけど、どちらが先に発見したかで、ライプニッツと25年も法廷闘争したとか。
Hooksとの感情的対立と会長職についた後、徹底的にそのHooksの功績等を消し去ろ
うとさえしたようですなぁ(「重力」についてはどうやらHooksのideaを自分のものにした
ということだったそうですが。過去の超有名科学者にはそういう逸話がよくありますよ
ね。アボガドロの法則で有名なアボガドロという人もそんな悪評があります。以前少し
だけ触れたことがありますが、キャベンディッシュが折角の各種の実験的発見を外部
に発表しなかった裏にはこのアボガドロからの仕打ちに嫌気をさしたからという話を
目にしたことがあります)。

さて、話を戻します。
粒子説に係る研究の続きです。
Newtonは自らの粒子説により、「偏光(polarization of light)」が起きうることを予測説
明していたようで、19世紀になっても、1810年Malusという方が数学的偏光粒子理論を
提示し、1812年Biotという方がこの理論が当時知られていた全ての偏光を説明できる
ことを示したとか。
また、Laplaceは(後で、波動説がmain streamとして確立後持論撤回したそうですが)、
この粒子論により、「物体の質量が過大になると、光はそこから逃げられない」という今
の「ブラックホール」に相当するような概念を示していたそうです。

一方、結局、19世紀に大どんでん返しで一挙にmain streamになった波動説についてで
す。
実は、前述のような18世紀において、あのEulerは「波動説」支持者だったようで、1746年
Nova theoria lucis et colorumにて、「回折」は波動理論でより容易に説明できることを
示していたそうです。
しかしながら、前述でちょろっと触れたように、Young1801年に一連の回折に関する試
験を行い、光も音波のように干渉しあうこと、異なる色は波長の違いであることなどを示
したそうで、更に、1815年FresnelAmpereから"光が横波なら偏光は波動説で容易に
説明できる"と示唆を受け、その後独自に研究し、1817年Academie des Sciencesで発
表、1821年にPoissonが更に洗練した波動説の補強理論を提示したそうです。
どうやら、決定的だったのは、

 Newton's corpuscular theory implied that light would travel
 faster in a denser medium, while the wave theory of Huygens
 and others implied the opposite

 (ニュートンの微粒子説は光が"denser medium"(より濃い媒体)で
  早く進むことを暗示していて、一方、Huygens他の波動理論は逆
  のことを示していた)

ことですが、十分精度良い光速度測定が、1850年Foucultにより最初になされ、その
結果、やっとNewtonの微粒子説は実証観測に不一致、Huygens他の波動理論の方が
妥当だったことから完全に1675年に時の権威学者のNewtonが提示し、1世紀以上
main streamだった粒子説が完全に潰えたようです。
おお、19世紀に入って次第に「波動説」が主流になったのに、まだなお「粒子説」に拘り
続けた科学者がいたということですねぇ・・・。
ま、もっとも19世紀は既に、『波動説』が主流になりましたが、今度はここ で述べたよう
に、前述のようにHuygensの示した「光学エーテル(Luminiferous ether)」の性状につい
ての議論が19世紀を通してなされていたようです。
もっともFizeauの実験結果の解釈で「エーテル部分引きずり説(静止エーテル)」が主流
になった後も、少数派の「完全引きずり説」派はいて、それが有名なMichelson-Molley
Experimentに繋がったわけですが(Michelsonは最初は1881年、次に有名な1887年
もの、その後にも再試験をやっているそうです)、これが科学界に大衝撃を与え、それが
Lorentz ether theoryそして1905年Special Relativityという理論へと至ったわけです。


以上の19世紀までの歴史を眺めた時、そして、前述の現在の説明を眺めた時、一つ、
大変私が気になったことがあります。あまりよい言葉が見つからないため、ニュアンス的
に、「お前は何をおかしないちゃもんつけてるのか」と言われそうではありますが。
それは、その議論の中に

 一体全体、光自身の『真の正体』は何か

という「観点」のものが欠けていた・いるのでないかということなんです。
ニュートンの『微粒子説』ですけど、これは私が調べきっていないだけかもしれませんが)
"どういうものの微粒子なのか"ということが示されていない気がします。
一方、「波動説」ですが、「何の波動なのか」ということより、波動であることを光の現象
の観察からの性質追及で既存の「波動」のそれとの合致が重要課題として研究の力点
が置かれてきた気がします。

19世紀になって、唯一提示されたのは、Maxwellによる『電磁波』という概念くらいではな
いでしょうか?Maxwellは1865年にオリジナル式、1873年にクオターニアンで拡張した
Maxwellの方程式を提示しました。そして、自身の方程式を精査するなかで、電磁波の
存在と光は電磁波であろうという予測を提示したわけですが、結局、1890年代初頭
(既にMaxwellは40代の若さで病死してしまった後です)にHertzによる実証観測まで当
時の科学者らには光が電磁波であるということどころか電磁波の存在自体広く受け入
れられるものではなかったようですし、そのMaxwell's equationsもMaxwellの死後に、
Heavisideにより書き換えられてしまった所謂"Maxwell-Heaviside equations"と欧米で
称せられている(というか英語版ではこの呼称が沢山ヒットします)ものが現在、それだ
とされています。しかし、それもここここ で示したように1990年代であり、それには
Maxwell自身の式を導出した基本的概念に対する十分な思索が欠けている気がしてい
ます。すなわち、Maxwellのオリジナル式は、あくまで、「空間はmediumで充満されてい
る」(私は少し誤解していたのですが、前述のように"Luminiferous ether"はHuygensが
言い出したもので、"medium"自体は19世紀までの科学界では「物理常識」だったようで
す)ということを大前提とし、ベクトルポテンシャルをその「渦」という形での物理的イメー
ジすなわち「実在するもの」ということで導出されたものだということが既に注視され
ていなかった(Maxwell-Heaviside equationだけが電磁気学で独り歩き始めた・・)。
で、科学界は、1887年のMichelson-Molley equatison結果で右往左往しているまさにそ
のとき、20世紀の初めの1905年に、Einsteinが革命的な"Special Relativity"と"光量子
仮説"をひっさげて登場し、19世紀に行われていたether自身の性状(部分引きずりか、
完全引きずりか)の議論どころか、一緒に「空間はmediumで充満されている」というそれ
までの科学界の共通認識みたいなものまでその時点で一挙に葬り去ってしまったわけ
で、結局、波については「電磁波」という名前と数式だけのような概念で説明され、補填
的にいわば17〜18世紀の約1世紀強もの間、Newtonの威光により主流説だった「粒子
説」が盛り込まれて、前述で私が説明に疑念を持つ(よく理解できない)として示した
「波と粒子の性質を有するもの」という何か、上滑り的で、決して本質の説明にはなって
いないんじゃないの?と言いたい、しかし、それは、結局は元はと言えば、16〜19世紀
の科学界の状況(Newtonの威光で微粒子説が1世紀強も続き、微粒子か波動かという
議論が主になっていた、それが20世紀初頭にふっとんでしまった)にあるのではないか
と思えてしまうんです。

そして、よくよく眺めますと、「空間=empty」では完全に疑念無く説明できていないこと
もあるのです。たとえば、Maxwellの応力とか。

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(追記)
いつもそうなんですが、書いているうちに私の中で焦点がぼけてきてしまい、本項もそ
うですが、何か尻切れトンボみたいになっていました。
で、ちょこっとだけですが、もう一つ私の中で疑問が出ていたことを追記しておきたいと
思います。それは、『光源』のことです。

電磁波に関する項(ここここ)の中で触れたのですが、 『電磁波』は電磁波源から放射
されているもので、単独でぽつんと存在するものではないはず、そして電磁波の周波数
というのは『電磁波』の周波数だろうというようなことを書いたのですが、前者はそうだと
思っていますけど、後者はちょっと言葉足らずというか、私の知見・思慮不足だということ
(少々浅はかな考えであること)に気が付いた次第です(当面前のものはそのままにして
おきますけどね)。実はあれは、電磁気の教科書に記載のあった「電磁波の放射」の項
に「アンテナ」の記載があったゆえでした。

しかしながら、電磁波の一種とされている光に関して『光源』について考えたときわから
なくなってしまいました。本当におまぬけそのものですけど、直流である乾電池に接続さ
れた豆電球の光って?とふと考え、交流100Vに接続された白熱電球だって、その光は
交流の50/60Hzなんかじゃないよなと気が付いたからでした。

電磁波の中で低周波の「電波」だけで「電磁波の放射」わかった気になっていたんです。
しかしながら、熱輻射も電磁波とされていますし、ですから、例えば光源も熱源もそんな
簡単な話ではないなと今更ながら気が付いたのでした。

ところが、ネットで「光源」で検索しても、私が知りたいことすなわち「光源」の本質とそこ
から放射される光との根源的な関係というのが意外に見つかりませんでした。応用物
理・工学的なそんなものばかりしかヒットしないんです。

結局、何か「光源」というのを一つの「光を出す存在」とだけの概念扱いし、後は、「この
光源からこういう色の光が出てくる」というそんな、いわば実用的な話だけで終わって
いる感がしているのです。

ネット上にRelativityの説明を読んで、私の思い(疑問)と似たような思いを表明されて
おられる方がおられました。やはり、私は今の科学では「光」については「うわべ」だけ
の説明でお茶を濁している気がしてなりません。
浅学菲才の私にはまだ、これについては確固とした自己認識意見がありませんが、
更に調べて無い知恵絞って考えみたいと思っています(疑問の投げかけだけで答が
なくすいませんm(__)m)

                             (’15/1)

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