ファラデー vs マックスウェル(1)(’17/10)
本コーナーでは、いくつかの記事に渡って、一般的に語られていて大半の人がそう思っている現
在「マックスウェルの方程式」と称せられている4つの方程式群は、ネット上でそのように書い
ている人までいますけど、それは学校/media&pressが真相がきちんと話してきていないことから
の大きな誤解であり、事実は、
決してMaxwellがまとめた
方程式群などではない(※1)
ということを強調し、実際のMaxwellが出したオリジナル理論と彼の提示した方程式群について
示してきました。
この事実が特に日本においてはいかに一般に知られていないかは、私が検索した限りでは国
内サイト・ブログ等でこれに言及しているのは私のこのコーナー記事を含めて未だ4〜5件程度
であることからも十分伺えます(むしろ前述のように、「Maxwellがまとめた」と事実とは異なること
を恐らく事実を知らないまま書かれている方がおられるくらいです)が、私がこの話をたまたま国
内のウェブ論文で目にして、その時、大変驚いて真相を知るべく海外サイトを検索した時、
"Maxwell-Heaviside equations"というarticleがいくつもヒットして、それが事実であったことを確
証できたゆえに記事をしたためたのでした(勿論、そういう海外サイト記事でも、皆一様に、一般
的にはこの事実が知らされていない−アカデミア科学界が欧米に右に倣えの日本で教えられず、
一般に知られていないのは当たり前ですね−ことを強調していますので、日本だけでなく、世界
中の多くの方達が知らない事実であることは間違いありません。具体的なことは何度も書いてき
ましたのでここでは省略しますけど、この4つの方程式群ができたとき、Maxwellは既に亡くなっ、
ていて当時(19世紀末頃)、"Heaviside-Hertz equaitons"と称されていたことを強調しておき
ます。
これはまだ私はきちんとした真相を発見していませんけど、それがなぜ・そしていつごろから
「マックスウェルの方程式」と称せられるようになったのかについては、海外記事で推察を目にし、
多分にそれが正解かなと思っているのですが、Einsteinが1905年に出したSRT(特殊相対性理
論)に関する論文の中で"Maxwell-HevisideHertz eqautions"と称したことから次第にそのように称
せられるようになったのではないかと思っています(20世紀物理学にはEinsteinの影響がこうい
うところにまで現れているわけです)。
ただ、私は別にMaxwellのオリジナル論文を信奉して書いてきたわけではなく、ただただ、歴史
的事実が捻じ曲げられ、現在の電磁気学におけるMaxwellの功績が彼がまとめたものでもなく、
うち二つの式はMaxwellのまるで預かり知らない式群だけに矮小化し、その他の式はまるで
Maxwellとは無関係に全て示されている−それでいてMaxwellのオリジナル論文にはまるで言及
していない(否定さえせず完全無視)−という奇妙で理不尽な形になっている科学の実態を示す
好例として示しておきたい意図からのものでした。
さて、ここからが本稿の本題です。
私は、まだ前述の事実を知らなかった頃、Maxwellについて調べたとき、
MaxwellはFaradayの画期的な多くの電磁気に関する実験結果を全て
数学理論化した(※2)
というような解説を目にしていました。確かにFaradayは実験物理学者として歴史的に名を残し
た優れた方でしたが、製本見習い工から身を挙げた方で、高等教育を受けておらず数学を知ら
ないという残念な面がありました。で、Maxwellがこれの数学理論化に取り組むきっかけは、当
時まだ科学界ではそれがなされておらず、研究テーマに関して相談した彼の師たるW.Thomson
教授(グラスゴー大学/後の有名なKelvin卿)から薦められたのことだったようです。
James Clerk Maxwellはケンブリッジ大学を卒業し後に母校の教授や設立されたCavendish
Laboratoryの初代所長を務めていますが、kelvin卿も出身はケンブリッジ大学ですから先輩・後
輩の繋がりが深かったと思われ、MaxwellはかなりKelvin卿の影響を受けていて、論文中にも
Prof. W. Thomsonの名がしばしば出てきています。そして、数学はクラスで1〜2番を競う程得意
だったそうですから、その得意とする数学を駆使して理論化したのでした。その理論化に当たっ
ては1855年頃の最初の論文でも述べていますが、先にProf. W.Thomsonが熱流理論に適用した
ニュートン力学とのアナロジーを念頭においてなされています。ただ、Maxwellは抽象的数学理論
というのを好まず、前述のようにCavendish Laboratryの初代所長に自ら希望して就任したそうで
すし、実験物理学の教授も歴任していて、実験観測という"reality"を重視していてそういう基本
的哲学の上で理論化にとりくんだことは既に紹介していますが、1855年頃の論文の前書きで述
べていますし、物理的イメージを描くことに秀でていたという話も目にしています。
しかしながら、そういうことを知っている上で(これまではそちらを強調して書いてきましたが、実
は、私が前述で「私は別にMaxwellのオリジナル論文を信奉して書いてきたわけではなく」と書い
たことに通じますけど)、
本当にMaxwellはFaradayのなしてきた数々の実験とFaradayがそこからの深い
考察で示した考え・概念を正しく理解し全て理論化できたのだろうか?(※2)
というようなことを私に考えさせているような主張を海外サイトで目にていました。
勿論、前述のように歴史が捻じ曲げられてはいますけど、Maxwellが示した方程式は悉く現在の
電磁気学に出てきていますし、工学応用もされていることは十分承知していての上での疑問で
すから、単なる無味ないちゃもんをつけているわけではありませんし、私の中でのMaxwellの科
学の取り組み方に対する敬意はそれによっていささかも減じたりはしていません。
私は、Einsteinが「発明した」"reality"を軽視ないしは無視して、「思考実験」と「数学的概念」で
物理学理論を構築する手法−それは19世紀までの伝統的な手法(@観察A仮説B予測C実験
検証)とは一線を画すものであり、それに魅せられたFeynmanが「科学の手法は一つだけではな
い」と述べて追従した手法、私に言わせてもらうなら現代物理学に悪影響を及ぼしてしまった考
え方−には極めて批判的で本コーナーでも批判してきました(単なるANTI-RELATIVITYではあり
ません)。Maxwellの理論はそういう匂いが薄いと考えているからです。
実は、これも最初に前述の国内ウェブ論文の著者がブログか何かで示されていて、再び驚いて
真偽のほどを確かめるべく海外サイトを当たった結果として、二年前にMaxwell/Faradayという記
事をしたため、あまり語られてこなかったのですが、FaradayはMaxwellの最初の1855年頃の論文
を見たとき、自分の意図してきたものとは異なることに大いに不満を抱いて1857年に論文を出す
とともにそれをMaxwellに送り付け、その結果、それまで友好的であった二人は決定的に対立し
たという事実を示しました。おかしな話ですが、少なくとも日本サイトではこのことに触れていて私
を本当に驚かせた(「ええっ?!ほんとうかい?」とびっくりした覚えがあります)ところ以外、こうい
う事実を明確化している記事は目にしていませんでした。ま、海外サイトでもFaraday vs Maxwell
で検索して出てくるくらい(これに関する議論フォーラムもありましたが)で、"Maxwell's equations"
の真実と同様、欧米でもあまり知られていない−多分に科学コミニティが殊更隠してきたのだろう
と思いますが−事実です。「事実」と書いたのは、FaradayとMaxwellの間で交わされた書簡が公
開されているからです。前回のMaxwell/Faradayのarticleではその一部(Faradayの分)だけ示しま
したが・・・
今回、これについてもう少し深堀してみよう、すなわち既にMaxwell側については一般的にはあ
まり知られていないと思われることについていくつか記事をしたためてきたのですが、Faraday
側について調べてみようという気になり、海外サイトを漁ってみました。本稿ではそこから私が
知ったことなどを紹介したいと思います。
まず、Michael Faradayの人となりを紹介しておきます。彼は、1791年生まれで1867年に亡くなら
れています。彼の父親は彼が生まれたとき、鍛冶屋に弟子入りしていたそうです。で、Faraday
は14歳の時、製本業者の見習い工になりました。ですから、彼は初等教育しか受けておらず、
全て独学で学んだのでした。上級学校には進めなかったものの向学心の旺盛なFaradayは、そ
の日の製本の仕事の後、自分が製本したばかりの本を読みふけり、また、しばしば街の図書館
にも出向いたそうです。
1812年、20歳の時に、王立協会(Royal Institute)の市民講座があり、彼はHumphry Davyという
人の化学の講座のうちの最初の放射物質(radiant matter)の講座に出席し、紙と鉛筆を借りて
熱心にメモを取ったそうです。どうやら、このことが彼が科学界に入るきっかけ、彼の運命を開く
出来事になったようですね。この市民講座に出席したことで、若き日のFaradayは生涯の友とな
る同じ若者3人と友人仲間になりました。その一人は、出版者として、Faradayの論文の出版に
当たったそうです。
いきさつまでは調べ切れていませんが、1813年3月に、そのSir Humphry DavyのRoyal Society
での催しでの実験助手として雇われ、その年の10月から1815年までSir Humphry Davy夫妻が
フランス、イタリアの著名な化学者を訪問するさい、秘書として同行したとのことです。明らかに
Sir Humphry Davyのお気に入りになったものだろう−Faradayの優れた点を見抜いたんだろう−
と推測しています。
そして、驚いたのですが、Faradayはなんと1819年には、今度はもうご自分が市民講座の講師
をされているようです。題目は、「物質の形について(On the Forms of Matter)」というものだった
ようです。これについては後述します。
さて、前回のMaxwell/FaradayのarticleではFaradayがMaxwellに出した書簡を二つほど引用しま
したがMaxwellの書簡は省略していました。で、今回、ちょっと長いのですが引用します(例によっ
て下手な和訳をつけておきます)
Dear Sir,
I have to acknowledge receipt of your papers on the Relations of
Gold &c. to Light 25 and on the Conservation of Force.
Last spring you were so kind as to send me a copy of the latter
paper and to ask what I thought of it. That question silenced me
at that time, but I have since heard and read various opinions on
the subject which render it both easy and right for me to say what
I think.And first I pass over some who have never understood the
known doctrine of conservation of force and who suppose it to
have something to do with the equality of action and reaction.
Now first I am sorry that we do not keep our words for distinct
things more distinct and speak of the 'Conservation of Work or of
Energy' as applied to the relations between the amount of 'vis viva'
[living force] and of 'tension' in the world; and of the 'Duality of
Force' as referring to the equality of action and reaction. Energy
is the power a thing has of doing work arising either from its own
motion or from the 'tension' subsisting between it and other things.
Force is the tendency of a body to pass from one place to
another and depends upon the amount of change of 'tension'
which that passage would produce.
Now as far as I know you are the first person in whom the
idea of bodies acting at a distance by throwing the surrounding
medium into a state of constraint has arisen, as a principle
to be actually believed in. We have had streams of hooks
and eyes flying around magnets, and even pictures of them
so beset, but nothing is clearer than your descriptions of all
sources of force keeping up a state of energy in all that
surrounds them, which state by its increase or diminution
measures the work done by any change in the system. You
seem to see the lines of force curving round obstacles and
driving plumb at conductors and swerving towards certain
directions in crystals, and carrying with them everywhere
the same amount of attractive power spread wider or denser
as the lines widen or contract.
You have also seen that the great mystery is not how like
bodies repel and unlike attract but how like bodies attract
(by gravitation). But if you can get over that difficulty, either
by making gravity the residual of the two electricities or by
simply admitting it, then your lines of force can 'weave a web
across the sky' and lead the stars in their courses without
any necessarily immediate connection with the objects of
their attraction.
The lines of Force from the Sun spread out from him and
when they come near a planet curve out from it so that every
planet diverts a number depending on its mass from their
course and substitutes a system of its own so as to become
something like a comet, if lines of force were visible.
|
Now conceive every one of these lines (which never
interfere but proceed from sun & planet to infinity) to have
a pushing force, instead of a pulling one and then sun and
planet will be pushed together with a force which comes
out as it ought proportional to the product of the masses
& the inverse square of the distance.
The difference between this case and that of the dipolar
forces is, that instead of each body catching the lines
of force from the rest all the lines keep as clear of other
bodies as they can and go off to the infinite sphere against
which I have supposed them to push.
Here then we have conservation of energy (actual & potential)
as every student of dynamics learns, and besides this we
have conservation of 'lines of force' as to their number and
total strength for every body always sends out a number
proportional to its own mass, and the pushing effect of each
is the same.
All that is altered when bodies approach is the direction in
which these lines push. When the bodies are distant the
distribution of lines near each is little disturbed. When they
approach, the lines march round from between them, and
come to push behind each so that their resultant action is
to bring the bodies together with a resultant force increasing
as they approach.
Now the mode of looking at Nature which belongs to those
who can see the lines of force deals very little with 'resultant
forces' but with a network of lines of action of which these
are the final results. So that I for my part cannot realise your
dissatisfaction with the law of gravitation provided you conceive
it according to your own principles. It may seem very different
when stated by the believers in 'forces at a distance' but there
can be only differences in form and conception not in quantity
or mechanical effect between them and those who trace force
by its lines. But when we face the great questions about
gravitation, Does it require time? Is it polar to the 'outside of
the universe' or to anything? Has it any reference to electricity?
or does it stand on the very foundation of matter-mass or
inertia? then we feel the need of tests whether they be comets
or nebulae or laboratory experiments or bold questions as to
the truth of received opinions.
I have now merely tried to show you why I do not think
gravitation a dangerous subject to apply your method to and
that it may be possible to throw light on it also by the embodiment
of the same ideas which are expressed mathematically in the
functions of Laplace and of Sir W. R. Hamilton in Planetary
Theory.
But these are questions relating to the connexion between
magneto-electricity and certain mechanical effects which
seem to me opening up quite a new road to the establishment
of principles in electricity and a possible confirmation of the
physical nature of magnetic lines of force. Professor W.
Thomson seems to have some new lights on this subject.
Yours Sincerely
JAMES CLERK MAXWELL
(拝啓
私は光と黄金等(the Relations of Gold &c. to Light)と力の保存(Conservation
of Force)についてのあなたの論文を受け取ったことを認めなければなりません。
昨年春、あなたは私に親切に最新の論文のコピーを送り私がそれについて
考えたことを尋ねられました。その質問はそのときは私を黙らせましたが、そ
れ以来、私は私にとって、私が思うことを言うことを簡単で正しく表す主題につ
いてのいろいろな意見を聞き読みました。そして、まず私は、知られている力
の保存の学説を理解せず、作用・反作用の等価性を扱う何かを持つべきだと
仮定するような人は除外しています。
さて、まず、残念ですが、我々は異なる物に対する我々の言葉をより明瞭に
維持できていなくて、「エネルギー保存」について、世界における「vis viva(活
力)」と「張力」の量の間の関係に適用するものとして、そして、「力の二重性」
については、作用・反作用の等価性に言及して話しをしています。エネルギー
は、物がそれ自身の運動またはそれと他の物との間に介在する「張力」のい
ずれかに起因して働くパワーです。
力は一つの場所からもう一つへ移る物体の趨勢であり、通過によって生ず
る「張力」の変化量に依存しています。
さて、私の知る限り、あなたは実際に信じられてきた原理のように、周囲
媒体を束縛状態に投げ込むことによって物体が離れた距離で作用すると
いう考えが生まれた最初の人です。我々は磁石周りを舞うホックと留め金
の流れとそれらを囲む絵さえ持っていたが、その増大または減少による状
態が系の任意の変化によりなされた仕事を測る、それらの周囲の全てにお
けるエネルギー状態を維持する力の全ての源泉についてのあなたの記述
以上に明確なものは何もありません。あなたは力線が、障害物の周りで曲
がり、導体で錘を動かし、結晶である方向にそらし、それらと共に、力線が
広げられたり収縮されるように、同じ量の引力パワーがより広くあるいは
より濃く分散されているすべての場所でそれらを運ぶのを見られると思わ
れます。
あなたは、また、大きな謎は、類似物体はどのように反発し、類似して
いないものはどのように引き合うかではなく、(重力によって)類似した物
質がどのようにして引き合うかであると見てきました。しかし、もしあなた
が、重力を二つの電気の合成とするかまたは、単にそれを認めることで
その困難性を克服できるなら、あなたの力線は「空を横切って織物を織
る」ことができ、そられの引き合う物体との必然的な直接の結びつきな
しで星をそれらのコースに導くことができます。
太陽からの力線はそれから分散され、一つの惑星の近くにくるとき、
全ての天体がその質量に依存している分それらのコースからはずされ、
もし力線が可視であるなら、彗星のような何かになるように自身の系
を置き換えるかのようにそれから、曲げられます。
これらの線(決して干渉しないが太陽と天体から無限に進行している)の
どれか一つが引く代わりに押す力を持つと考え、太陽と天体は互いに、
質量の積と距離の逆二乗に比例するとすべきようにして出てくる力を押
し合っていると考えましょう。
この場合と双極子力の間の相違は、各々の物体が力線を残りの物か
ら受ける代わりに、全ての線は、それらが可能なのと同様に他の物体
で明らかなように保持し、私がそれらを押すように仮定したものに対抗
して無限球面に逃れます。
ここで、我々はエネルギー(実際またはポテンシャル)保存を動力学
を学ぶ全ての学生のように有していて、これに加えて、我々は「力線」
の保存をそれらの数値に関して有しています。そして、全ての物体は
いつも自身の質量に比例する数を生じていて、おのおのの押している
効果は同じです。
物体が接近するとき変化する全てのものはこれらの線が押す方向で
す。物体が離れているとき、各々の近傍の線の分布はほとんど乱され
ません。それらが接近すると、先はそれらの間から回って進行し、それ
らの合成運動が接近に連れて増大する合成力と一緒になって物体を
運ぶように各々の後ろに押すように来るのです。
さて、力線を見ることができる人に属している自然で見られる方式は
「合成力」にはほとんど関与しないがこれらが最終結果となる運動線の
ネットワークに関与します。私は私の役割に置いて、もしあなたがあな
た自身の原理に応じてそれを受容するなら、あなたの重力の法則とと
もにある不満を理解することはできません。「ある距離における力」に
ついて信者によって述べられるとき大変異なっているように見えるかも
しれませんが、彼らとその線によって力をトレースする人との間の量的
または力学的効果ではない形と概念の差のみがあるでしょう。しかし、
我々が重力の大きな問題に直面するとき、時間を要求するか?それは
「宇宙の外側」またはその他何かに対する極なのか?それは電気への
参照を持つのか?また、物質の究極の基本−質量または慣性に基づ
いているのか?そのとき、我々は、受け取った意見の真実としてそ
れらが彗星なのか星雲なのか実験室実験なのか大胆な疑問なのか、
試験の必要性を感じています。
私は今、あなたに、私がなぜ重力をあなたの方法に適用することを
危険な問題と考えてはないことと天体理論におけるLaplaceやSir W.
R. Hamiltonの関数で数学的に表現されている同じ考えの具体化に
よってそれに光を当てることが可能かもしれないことを示すことだけ
しておくつもりです。
しかし、これらは磁気電気と、電気における原理の確立の新しい
道と磁力線の物理的性質の可能な確定を開いていると私には見え
るある力学的効果との間の関係に関する問題です。
W. Thomson教授はこの主題についての新しいいくつかの光明をもっ
ているように見えます。
敬具
JAMES CLERK MAXWELL)
このMaxwellのFaradayへの返信に対するFaradayの返信が前回のMaxwell/Faradayのarticleで
引用紹介したもので、再掲しておきますと、
Your letter is to me the first intercommunication on the subject
with one of your mode and habit of thinking. ...
I perceive that I do not use the word 'force' as you define it, 'the
tendency of a body to pass from one place to another.' What I mean
by the word is the source or sources of all possible actions of the
particles or materials of the universe, these being often called the
powers of nature when spoken of in respect of the different manners
in which their effects are shown.
(あなたの手紙は、私にとっては、あなたの流儀のひとつと考え方のくせを伴って
いる主題に関する最初の相互交信ですね・・
私は「力」という用語をあなたが定義した「物体が一つの場所からもう一つの場所
に渡る傾向」としては使っていないことを認めます。私がこの言葉により意味して
いることは、宇宙の粒子または物質のすべての可能な運動の源です。それらの効
果が示されている異なった方法に関して述べられるとき、これらはしばしば自然
パワーと称せられてきました。)
明らかに、先にFaradayが示した「力線(lines of force)」の『力(force)』という語彙の解釈が二人の
間で完全に異なっていたことがわかります。
私は長い間あまり考えたり気にしたりしたことがなかったのですが、相対性理論に疑念を抱いて
以後、色々と調べた中で、「物理学における語彙はその定義が曖昧のまま慣習的に使われてい
る」(そして、科学者により解釈が異なったりする場合が多々ある)ということに気が付きました。
「力」の定義さえそうであることは、前に力、質量・・・で言及しました。
これらの書簡は、Consciousness, Physics, and the Holographic Paradigmというサイト記事の中
の"Part I: Sneaking Up On Einstein Section 4: Faraday Versus Maxwell"で引用されていたもの
です。この記事の著者は、これらから、Maxwellの書簡の論点として、「Faradayを彼の非科学的
(すなわち、非力学的・非ニュートン的)な「force」という用語の利用に対して厳しくけん責してい
る」とし、「Maxwellは一方的に不当に、Faradayの何十年の実験結果に基づく直観的な電気力
線と磁力線の解釈を再解釈し、それを伝統的なニュートン力学力の概念に置き換えた。」として
かなりMaxwellに批判的に書いています。海外サイトでは、他にも、Faradayの基本概念を正とし
MaxwellはProfessor W.Thomsonの弟子でその影響を大きく受けている」とMaxwell/Thomson攻
撃をしている本の抜粋記事を目にしたこともありますけど、そういう攻撃のやり方には組できな
い私がいます。
ただ、一つ気になったのは、Faradayという方の科学遂行の手法が、常に「ご自分で思いつかれ
た概念の正当性を実験で確かめる」というものだったということでした。Faradayの論文は「数学
物理論文」ではなく、実験結果から彼が考えた概念の提示、そして次にそれに従ってその妥当
性を実験結果で確認ないしは先に提示した概念の修正」というようなものだったようです。
彼はこの解釈が「慣習的な(伝統的な)」Maxwellと異なる彼独自の解釈に基づいて実験を積み
重ねてきたようで、それが上記のMaxwellに対する再反論書簡となっているものと思われます。
FaradayはMaxwellよりも40歳以上年配であり、Maxwellのような物理学研究のあり方に疑問
を抱いていたようで、それをさとそうとしたのだろうと思うのですが、記事の著者の言葉を使う
なら、不幸にも「Faradayはこの重大なポイントについての明瞭な実験室試験結果を無視す
るMaxwellの一方的決断に影響を与えることはできませんでした」。MaxwellはFaradayとは袂
を分かち、Faradayが不満を抱いた1855年のころの論文を発展させ、1865年のオリジナル方
程式の提示、1873年のクオターニアンで書き換えてさらに拡張した論文にと繋がっていったの
でした。
そんなわけで、私の中にFaradayの考えをもう少し調べてみたいという要求が沸いていました。
ちょっと長くなりましたので記事を分けますm(__)m
('17/10)
(続く)
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