Maxwell/Faraday(’15/9)/(追:'15/10)
私の検索もまだまだ甘いことを知らされました。思いもよらぬ話を目にしました。
数学の得意なMaxwellは実験科学者Faradayが実験的に発見した多くの優れた結果を理論化
すべく、Faradayにあらかじめそのことで仁義を切り、自分の基本的な手法を示し、Faradayは
それを大いに喜んでいたという話を目にして、ずっとそういう思いできました。
Maxwellは1864年にオリジナルのMaxell's Equationsを完成発表しているのですが、それ以前
から、その思考過程を論文として出していて、一番最初の物は1855年のものです(私は入手
しています−Cambridge大学のサイトにあります−)。その1855年論文の長い前書きの中で
彼の基本的な取り組みの態度、手法が示されており、それに、私的には好感を抱いたのでし
た。
しかしながら、どうやら、御大Faradayはその論文を読んで、大きな不満を抱いたようです。
そんな、私にとっては驚いた話を最初に国内のブログ(どこだったかadressが分からなくなっ
いますので引用できませんm(__)m)で目にし、「本当かい?」と海外サイトを当たったところ、
Maxwell versus Faraday
というのがヒットしました。
そこで引用されているMaxwellが1857年にFaradayに送った手紙、そして、Faradayの返事を
見ますと、この話はヨタ話ではなく本当のようです。
二人の根本的な対立は、Faradayの"lines of force"という概念にFaradayが込めた"force"
に対する考え方の決定的な相違であることがわかりました。
そのサイトのscience essayの中で示されているのですが、やはり、一介の製本見習いから
王立協会員のHumphry Davyの実験室助手として雇われて、高等教育を受けていない経歴
ながら、実験科学者の道を歩み始め、proffesorの地位まで上り詰めた(2回ほどsirの称号
授与の申し出があったそうですがご本人は辞退したそうです)Maxwellより40才も年長の
Faradayは、若き頃、興味を抱いて「放射性物質」に関する講演を聞いてから、既に直観的
に独自に抱いたnatural philosophyを持っていたようです。
ご存知のように、"field"という概念はFaradayの創設したものですよね。そして、Maxwellの
論文の中で示されているのですが、「ベクトルポテンシャル」という概念−Maxwell自身は
1864年の論文では、"Electromagnetic Momentum"と称していますが−について]彼は
Faradayの"Electrotonic state"という概念と同じであると述べています。
どこで目にしたのか忘れましたが、Faradayは自らの電磁誘導に関する一連の実験結果
から電場(電界)と磁場(磁界)を作り出す根本的な源があるはずという洞察をされたよう
でした。(⇒Maxwellの方程式(6)で示しました)
ただ、高等教育を受けていて、正統科学界の見識に従っていたMaxwellは当然ながら理
論化するに当たっては、それに基づいた思考概念で取り組んだというのはこれまた当然
だったと思います。けれども、どうやら、そもそも、Faraday自身のnatural philosophyまで
は思いが至らなかったというか知らなかったというのが事実のようですね。
自分自身の思いとは異なっていることを知ったFaradayは1857年に論文を出し、Maxwell
に送ったそうです。Maxwell自身はショックを受けたようですが、結局、1857年の手紙で
MaxwellがFaradayに示したように、尊敬していたFaradayとは袂を分かち、自分の信じる
道を歩んでMaxwell's Equaitons(Maxwell's Theory)を1864年に完成したということのよう
です。
このサイトのsicence essayの著者はどうやらFaradayの方を買っていてMaxwellに批判的
なようで、
Four decades later a falling out between Michael Faraday and
James Clerk Maxwell over a single word that produced the
essentially opposite concept in the mind of each participant
opened a chasm of misunderstanding that changed the course
of electromagnetism for at least a century and a half.
(40年後、Michael FaradayとJames Clerk Maxwellの間の、各々の関係者
の心の中に本質的には正反対の概念を生んだ一つの言葉に対する争い
は少なくとも1世紀半の電磁気学の進路を変えた誤解の隔たりを開いた)
というような指摘をされています。
この"a single word"というのは前述のように"force"ということです。
Maxwellは、当時既に、W.Thomson(有名なケルビン卿です)が熱と温度に関して、およそ
それとは無関係なニュートン力学の「引力」概念のanalogyで理論化していたのをヒント
にし、その時確立している科学理論はこの「引力」に関する物だけだとし、Faradayが出
していた"lines of force"を「引力」理論からのanalogyとして、完全流体が流れる仮想的
な"fluid tubes of force"という概念を導入してFaradayの電磁誘導に関する実験結果の
理論化をしています(この辺の考え方は最初の1855年論文で詳しく論じています)。
図らずしも、Maxwell自身が1855年の論文の長い前書きの中で自分の研究スタンスを
明確化する上で少し触れていますが、すでに当時、realiryとは無関係な純粋に数学的
に論じた理論が出たりして、「理論重視」の風潮は始まっていたことが伺えます。
ですから、当然ながら、科学界で既に認められた理論をベースに考えるということは
数学を知らなかったけど、優れた実験科学者としての地位を築いてたFaradayは別格
であって、普通の当時の一般的な科学者としての共通的なスタンスではなかったかと
思いますので、Maxwellのスタンスは批判されるようなものではないと私は思いますが
他のところで、「MaxwellはFaradayでなくThomsonに従った」という揶揄もありました。
ただ、また、べつのところで、ThomsonはFaradayを高く買っていたという話も目にして
いますが、貴族社会であった当時の英国では、得てしてFaradayを低く見る人たちもい
たようですね。磁気から起電力が発生するという実験など、彼を「ペテン師」呼ばわり
した科学者もいたらしいですから。
ちなみに、一次資料(Faradayの論文)を見ていないのですけど、FaradayはMaxwellに
出した返事の中で、
I perceive that I do not use the word 'force' as you define it,
'the tendency of a body to pass from one place to another.'
What I mean by the word is the source or sources of all possible
actions of the particles or materials of the universe, these being
often called the powers of nature when spoken of in respect of
the different manners in which their effects are shown
(私は「力」という用語をあなたが定義した「物体が一つの場所から他の
場所に通過する傾向」というように使っていないと理解しています。私が
この言葉により意味していることは、宇宙の粒子または物質のすべ
ての可能な運動の源です。それらの効果が示されている別の様態に
関して述べられるとき、これらはしばしば自然パワーと称せられてきま
した。)
と書いています。すなわち、Faradayの概念の"force"はMaxwellが考えた「引力」とい
うものではなく、"the powers of nature"というものであったようです。
このessayの著者はそれを、「非ニュートン力学的、非物質的」なものとしているので
すが・・・。ここはちょっと理解できていません(^^;。
"force"というwordを我々が定義されて抱いている意味での「力」とするなら、それと
異なる意味で使っていたFaradayの概念は確かに「非ニュートン力学的」かもしれま
せんけどね。
ただ、私は、"force"というwordとは別にして、Faradayの"the powers of nature"
という概念・考え方には興味があります。Faradayの「悲劇」はご自分ではそれを理
論化できなかったということにあるでしょうね。novelな発想というのはなかなか他
人には理解されにくいものだからです。
Maxwellでさえ彼のtheoryは当時の科学界では理解されていなかったくらいですから
ねぇ。前項でも指摘しましたが、結局、死後、それほど遠くない時期に、書き換えら
れてしまった(悪く言うなら改ざんされてしまった)くらいですから。
いずれにしろ、こういう歴史的事実はあまり伝えられなくて、美談だけが拡散される
のはちょっと気になっています。再三、書いていますように、一般に話されるのは
「勝者の科学史」すなわち、「現在の正統科学」に合うように書かれた科学史だとい
うことです。
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(追記:'15/10)
別のサイト記事を読んでいたら、Faradayにとって、数学を知らなかったことは、彼が
自覚している以上に彼にとってハンディキャップになっていたとしながら、Faradayが
1857年にMaxwellに出した手紙(前述の返事の中かどうかは不明)で次のようなことを
書いていたそうです(下手な訳をつけておきます)。
There is one thing I would be glad to ask you.When a Mathematician
engaged in investigating physical actions and results has arrived at
his own conclusions, may they not be expressed in common language
as fully, cleary, and difinitely as in mathematical formula?
If so, would it not be a great boon to such as we to express so -
translating them out of their hieroglyphics that we might also work
upon them by experiment. I think it must be so, because I have
always found that you could convey to me perfectly clear idea of
your conclusions which, though they may give me no full understanding
of the steps of your process, gave me the results neither above nor
below the truth, and so clear in character that I can think and work
from them.
(あなたに是非尋ねたい一つのことがあります。物理的なふるまいと結果の研究に
従事する数学者は、自分の結論に到達するとき、数学公式の中と同様に完全に、
明確に、きっぱりとしたような共通の言葉で表現しようとしないのですか?
もし、そうであるなら、我々がそれらをそう表現する−実験によってそれらについて
従事した判読しがたい文書からそれらを翻訳する−ようには大きな恩恵とはならな
い。私は、それはそうであらねばならないと考える、なぜなら、私はいつも、あなた
方が私に、それらは、私にはあなた方のプロセスの段階についての十分な理解を
与えてくれていないけれども、真実の上でも下でもどちらでもなく、私がそこから考
え仕事をするという特性においてははっきりしているあなた方の、結論の全く明白
なideaを私に運ぶことができたことを見てきたからです)
多分にMaxwellには思いもしなかったショックな言葉だったのではないでしょうか?
ま、私から見ると、「FaradayさんがMaxwellさんの論文を理解できなかった」という
ところだろうと思います。期待していたのに、ふたを開けてみたら自分の概念とは異
なっていたゆえにFaradayのがっかり感が伺える言葉ですけど、結局のところ、自ら
理論化ができなかったということは、既に当時、高等数学を駆使した難解な理論を
尊ぶような雰囲気があったという話も別の処で目にしていますので、前述のように
「数学を知らなかった」ことはFaraday自身が思っていた以上に彼にとっては大きな
ハンディキャップになっていたようですね。
('15/9)
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