科学哲学者の言再び考察

『科学』についてネットサーフィンしてますと『反証可能性』という語彙が沢山出てきます。
何か、いかにもそれが「科学の本質」の当たり前のことのように使われている感がします。
しかしながら、この言葉はギリシャ時代から綿々とあった普遍的なものではありませんよね?
はっきり言うなら、科学哲学者のPopperが自分の科学哲学論の中で述べただけ言葉です。
大変失礼なことを言うならば、恐らく、それが、「科学者」にとっては「耳触りのよい」言葉として受
け入れられたものと思うのですけれども、前に『反証可能性』ってで批判的に述べたのですが、
この言葉だけが一人歩きしている気がしてなりません。すなわち、なぜPopperがこのような用語
を提起する気になったかが触れられず(知らない?)、都合のよいこの用語だけ都合のよいよ
うな意味で使われているのが多い感がしています。というのは、Popperが否定的に示したもの
は、未だ、否定されずにアカデミアで教えられているからです。Popperが言及していた「狂信的
反証回避策」はそのままで・・・。だ〜か〜ら〜、これをアカデミアで教えている科学とは異なる
「異端」のものを「疑似科学」として排除する根拠に使うのはおかしいと言いたいのです。「宗教
批判」に使うのはおかしいと言いたいのです。

しつこく繰り返しますが、

 『反証可能性』というのは、科学哲学家のPopperが言い出したもので
 あり、ギリシャ時代からの科学の真髄として意識されて来たものでは
 ない。
(※)

わけで、ご都合主義的に、アカデミアで教えている定説科学を除外しておいて、それ以外の
「異端」のものを排除しようという意図で、極めて「恣意的・意図的」に決めつけ使用しているだ
けでしょ?と主張しておきたいのです。

(※)は、元々はハーバード大学の物理学出身で、科学史を教えることになり科学史に造詣が
深かったThomas Kuhnや、Popperの弟子のLakatos Imreが批判したことからも明白です。

Thomas Kuhnは「パラダイム論」(paradigm[パラダイム]はKuhnの造語)の中で、科学は決して
「反証」で揉まれて連続的に発展などしてきていないとし、その時基本になっているパラダイム
は反する実験観測結果が出てきてもすぐには否定されないという歴史的事実を主張したわけ
で、だからこそ「ほんとう」のことを言われてしまった科学者からの猛反発を受けたのです。
Thomas Kuhnの主張は誤解されているなどと言っている人がいましたが、誤解も何も、彼は、
事実』を述べているだけ」であり、よくあるように、「ほんとう」のことを指摘されると、取り
繕うかのように猛反発するというパターンそのものだったと思うのです。
なぜなら、大変失礼なことを言いますが、それを認めると『自己崩壊』に繋がってしまうから
です。勿論、私が考えている「真の科学者」であるなら、そうはならないでしょう。

私がいう所の「真の科学者」というのは、「科学者というステータスを自己のidentityにしてい
る人」ではなく、「純粋に科学の真相追及をidentityにしている人」という意味です。
「有名になりたい、えらくなりたい」というのが第一にある方は前者であり、大変失礼ながら、
そういう科学者が多い気がします。中部大学の武田邦彦教授が沢山ある音声ブログの中で
日本科学コミュニティ体質を暴露して批判されていますが、そういう人が多いことを批判され
ています。ま、大変失礼ながら、得てして、そういう方達に共通するのは、前に引用したこと
がありますけど、日本人の気質・自己知識の全能化という記事で批判的に使用されている
ように「自分が持つ知識や知見、それもいわゆる学会や知識人の常識とよばれる本来いび
つな偏った知識を、まるでそれがすべてであるかのように感じている」ことです。だからこそ、
日本人の誰かが全く新規な発見をしても、最初から「NO!」で始まるわけで、場合によって
は科学コミュニティにおける地位的な面で不利益を被るこもあるわけです(実例は暴露されて
います)。欧米の「おおおかみ」すなわち権威筋が一旦認めると手のひら返ししていますけど
ね。それが許されているのは日本人気質なのでしょうが。前にも触れましたけど、前述の武
田教授は、国内で全く新規の研究(「暗闇の中を手探りで歩くようなもの」と揶揄されたこと
があるらしいですが)をやっている科学者は1%にも満たないと指摘されていましたが、日本
人に独創性がないからではなく、そういう日本人気質と日本科学コミュニティ体質によるもの
と思われますね。ですから、少なくとも日本科学コミュニティ気質はThomas Coonの指摘通り
で事がなされてきていると思うのです(部外者の勝手な思いですけどね(^^;)。

勿論、それは別に日本に限ったことではなく、世界的に似たようなものでしょう。ただ、特に
欧米では、気質・制度の違いもあって、「おおおかみ」(権威)に従わず自分の発見したも
のや考えた結論を大切にする骨太の科学者がいるといて、それを認める資金提供団体が
あるということだけでしょう。決してフリーではないことは、科学史の真相や現状が海外サイ
トで暴露され批判されていることからも明白です。国からだけでなく、科学コミュニティ内に
おける"Supressed Science"などという記事も多々ありますから。おまけに、米国などでは
「懐疑主義(Skepticism)」に関する海外サイトからで述べたように、科学者でない学者・魔術
師が議長・リーダとなっているCSICOPという雑誌まで発行している「懐疑主義者」団体まで
あって(辞任した初代議長は"Pseudoskeptic"だと批判していますが)科学コミュニティの権
威筋の防波堤もどきの活動をしていて、「異端派」攻撃・潰しをやってきたようです。

結局のところ、一番無難なのは、現在の「基本パラダイム」に沿って考え実験をしていくこ
となのでしょう。お金を出す国側は、ローリスク(欧米権威筋で認められている)・ハイリター
ン(と科学権威からのプレゼンを信じて)と思うものに資金を出すわけですし。

だからこそ、Thomas kuhnが述べたことは「事実」を言ったまでです。ちなみに聞くところに
よると科学者側は"Special Relativity"も19世紀までの考えとの断絶はないと主張したそう
ですが、Thomas kuhnから「時間・空間の概念が全く一新している」と反撃を受けたそうで
す("Special Relativity"が出た当時の賛成派学者が巧妙なごまかしをしていることについ
ては、続・相対性理論への疑念(7)〜奇妙な側面D〜で述べました)。

さて、もう一つ、私などまさに「ビッグバン宇宙論」がそれに当てはまると思っているので
すが、Popperの弟子のLakatos Imreの主張です。前に、続・相対性理論への疑念(3)〜
奇妙な側面A〜
で紹介しましたが、再掲しますと、

 "Lakatos distinguished between two parts of a scientific theory:
 its "hard core" which contains its basic assumptions (or axioms,
 when set out formally and explicitly), and its "protective belt",
 a surrounding defensive set of "ad hoc" (produced for the occasion)
 hypotheses. (...) In Lakatos' model, we have to explicitly take
 into account the "ad hoc hypotheses" which serve as the protective
 belt.The protective belt serves to deflect "refuting" propositions
 from the core assumptions..."

 (Lalatosは科学理論を二つの部分に分類した:
 その基本的な仮定(または公式的かつ明示的に設定されるときは原理)を含むその
 "Hard core"と、(その時のために作り出された)"ad hoc"な周囲防衛セットである
 "protective belt"。(中略)
 「Lalatosモデル」では、我々は"protective belt"として支えるad hocな仮説を明示的
 に考慮すべきである。protective beltはコアな仮定から「反論する」主張をそらすため
 に役立つ・・・)
 (〜Imre Lakatos: Scientific Research Programs

前にも指摘しましたけど、ネット上で、「科学理論は、100のうち99実験観測結果と一致して
いても一つでも不一致があれば捨てられる」などと宣っている方がおられますが、それは
全然「嘘っぱち」であり、末端の末端のauthorizeされていない"ad hoc"な"protective belt"
の一つくらいなものであり、"ad hoc"な""protective belt"でもauthorizeされたものは簡単
に棄却されていませんね。ましてや、"hard core"は安泰なままです。

Popperの主張など、現実的には、対外的にご都合主義的に使われているいわば「お念仏」
でしかなく、実際には、

 Lakatosのいう方法で、Thomas Coonが主張した通りで科学は
 進められてきた


のではないでしょうか?ブロードバンドの発展により、特に今世紀になって欧米では真の
「科学史」が次々に暴露されてきています。その都度、的確な指摘がなされてきたのに、
無視されて来たことが発掘されてきているのです。
大変失礼ながら、ネット上にある「綺麗ごと」は「勝者の書いた科学史」しか知らない連中
の戯言でしかないのです。繰り返し引用指摘してきましたが、まさに「背信の科学者たち」
で書かれている通りです。


私は本コーナーで何度も同じ主張を手変え品変えしてきていますが、市井の科学好きの
下々の一人として、今なされている科学は、本当に「自然の本質」の解明になっているの
かどうか、それに気が付いたものが基本パラダイム・科学の常識に反するとして見捨てら
れていて本当の解明という意味で余分な時間を費やしてしまっているのではないかという
疑念を強く感じているからです。それらを説明できると言われた学説が無視されてきてい
るのです。

実際、「多くのことがわかってきた」と嘯く方達がいますが、ちょっと調べるだけで、それが
いかに欺瞞的言説であるかはすぐにわかります。全然解明されずめどもなく放置されて
いる身近な現象が多々あるのです。
そんなものは私のようなド素人でもすぐにわかることなのに、マスコミ・メディアそして科
学に関してそれを取り仕切る科学記者・科学ジャーナリスト(兼務含む)は権威筋の情
報を垂れ流して、我々一般には不都合を隠して科学者のステータス維持に協力してい
る方々が多く、「科学」という分野一般にモチベのない一般大衆をある意味洗脳してきた
というのは言いすぎでしょうか?


ま、そういう私だって、還暦までそこまで批判的な目でみたことはなかったのは事実です
し、こんなおこがましいコーナー作って言いたい放題書いているのも全て、インターネット
によるところが多いのは事実です。私自身の心の片隅にあった思いを見事に大きく爆発
させてしまった不快な言説を多く目にし、それらへの反撃となるような情報・言説を沢山
入手できたからです。
ま、私のような一介の無名のド素人が喚いて見ても無意味かもしれませんけどね(^^;
 ('16/9)

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