宇宙って・・・(’15/8)

私の心の中に、ずっと「宇宙とは何であろうか?」という「問い」がありますが
残念ながら、未だに「私的」な回答さえ見つけられていません。ですから、本
項はそういう「私的」な「答え」を披露するものではないことを最初にお断りし
ておきます。

私がなぜ、「宇宙とは何であろうか?」と言うことを気にしてきたのは、高校
生の頃、ある人から「宇宙」というtermを含むある言葉を聞いたことによりま
す。そして、その中のあるtermはその後に読んだある本の中で唐突に目に
しました。その両者が今になって私の頭の中でぐるぐる巡っているというと
ころです。

もっとも、それを高校生の時に聞いた時、実は、私自身、そういうことを深く
考えてみようというモチベーションもなく、どういう意味なのかを問うこともな
かった覚えがあります。今更になってすごく気になりだしたのですが、最早
物理的に答えをもらえることはできなくなっていますので自分で考えるしか
仕方がありません。かえすがえすも残念無念です(^^;

ちなみにネットで調べて見ましたが、私が聞いた意図にマッチするような説
明は発見できませんでした。それゆえ、誤解を招きかねないので本項では
あえてその言葉・用語は明示しないことにします。
私が求めているものは、所謂狭義の「哲学的な何か」「宗教的・形而上学的
な何か」ではありません。それは、

 もし、我々地球人より、精神的にも科学的にもずっと進んで
 優れている宇宙人がいるならば(*)、間違いなく彼らが理解
 認識しそれと融和しているであろうと考えられるもの
(※)

 (*:私はその存在を信じている一人です)
という意味合いでの「宇宙」そして、それに関連するあることです。

以前、若い頃、本屋で見つけて買ってはみたものの、その当時の私の興味と
は少し離れたものだったゆえ、ほとんど読まずに長いこと田舎の本棚に眠っ
ていたものを見つけ、じっくりと読んでみた結果、内容に衝撃を受けて、ほと
んど受け売り状態で本コーナーにアップしたことがありました。結局、私自身
十分咀嚼理解していなかったことに気が付き既に削除してしまいましたが。
内容は仏教経典の解釈と仏教中興の祖と言われている竜樹という方が語っ
た言葉というものでしたが、ネット見ても、前者のような解釈を目にしていま
せんので、多分にその著者の独自解釈だとは思います。
その解釈の中に出てきたtermの一つは「宇宙の意識」というものでした。こ
の言葉を見ると多分に誤解されてしまいそうですが、著者自身は宗教家で
はなくまた、その仏典を当たるまで仏教には不案内だったと書かれていまし
た。私自身、その著者の意識を十分把握できていませんし、自分自身でも
理解できたわけではないことに気が付いてしまいましたが、言葉だけが私
の頭の中にこびりついてしまっています。
そして、その著者は、これを竜樹が語ったとされる「顕現する」という言葉と
結び付けて説明されていました。私自身、この「顕現する」という用語を目に
したときから、気に入って、その後の私のボキャブラリの一つになりました。
ただ、私自身の解釈は少しずれているのかもしれません。ネット見ても違う
ような意義(何か、仏教を宗教的な面で扱ったような)で説明されているから
です。

勿論、これは私の勝手な思いでしかないのですが、そういうtermの「真相」
が私が求めている上記(※)の答えの形成に結びつくと考えています。
ただ、残念ながら、真剣味が足りないというか、私には無理だろうなという
諦めみたいなものが心を支配しているためか、「ひらめき」が未だ私には訪
れていません(^^;。

しかしながら、現代の世界における「宇宙」の捉え方自体には非常に不満を
感じている私がいます。なぜなら、そこには私が求めている(※)という発想
があまり見られないからです。大変失礼ながら、皆、それぞれの立ち位置で
「わかった気」になっているだけと思うのです。

特に、それを感じるのは「科学」的な世界感においてです。
relativityに疑念を感じたのを皮切りに、この6年間、実にネットを多々あたる
ようになり、自分自身でも色々と考えるようになりました。そこでたどりついた
ことは、物理と物理学物理学の空間・時間は"conventions"のarticleに書
いたことでした。
これは、科学特に物理が好きで、正直、科学に信頼性を感じ疑ったことなど
ほとんどなかった私にとっては、完全に「心変わり」を齎したepoch makingな
ことでした。私の思考遍歴は、単にrelativityにとどまらなかったわけです。

地球における科学においては、昔、学者が定義した空間・時間の概念・尺度
が基本的なベースになっていて、20世紀初頭に出現したEinsteinがそれを修
正したということになっています。そして、大半の科学者・理系の方は、そうい
う空間・時間を"real"世界のものと考えている感がしています。ですから、宇
宙というのをそういう独立に定義し、Einsteinのrelativityで修正した空間時間
の概念で解釈しようとしてきましたが、私は、そこに大きな疑問を感じるよう
になっているのです。
そして、一般下々には取り繕っている感もしますが、確実に新観測結果は科
学者に閉塞感を与えているようです。なぜでしょうか?それこそ、まさに多
くの科学者が抱いていると思われる大いなる勘違い

 地球に置ける空間時間の概念を"real world"のものと考える

ことにあると思うのです。

本質的には、それまでそれでうまく説明で来た"conventional"なものに過ぎ
ないということに気が付いていないのです。もし、真にそれに気が付くなら
根本的なところからやり直すというあり方が指向されるのではないかと思う
のです。

Einsteinは西欧的合理主義=決定論的思考から量子力学の結論に強く反
発されたようで、また、同じような気持ちを抱く方々もおられるとは思います
が、あれは、地球上における科学の"conventinal"な世界に基づいて、実験
観測結果に悉く合致するようにした究極の結果だと思います。そこには論
理飛躍も論理矛盾も観測結果との不整合も見られないわけです。
(そこが、論理矛盾・論理飛躍満載の数学的トリックでしかないものを循環
論で正しいのだと説明しているSpecial Relativityとの決定的な相違点だと
私は思っています)
したがって、納得できないというのなら、今の科学の"conventinal"世界の
方に疑念の目を向けるべきではないかと思うのです。

何か元のテーマである「宇宙とは何か」から内容が離れてしまったように
見えますが、勿論、私の中では完全に繋がっています。
私が求めている(※)は、現在の科学における"conventinal world"では、
未来永劫答えがでないだろうと確信しているからです。「ほんとう」の
宇宙と言うものには空間・時間というのは完全に融合したものだと思う
のです(Special Relativityから演繹した数学的虚構世界の現在の四次
元時空(→ここで言及しました)のことではありません)。
私は全ての「もの」「こと」は独立してあるのではなく、全てが関連し
あっている(仏教でいう「縁起」ですか)と考え、それは全て「宇宙」
が関係していると思っています。だからこそ、私はあてもなく(※)を
求めているところです。そして、誰かがそれに答えてくれないかという
他力本願的なむしのいい願いもあるのです(^^;
                           ('15/8)

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