宇宙論のこと(2)〜わからず調べてみたら〜
ものすごく初歩的なことがわからなくなってしまいました。
地球からある星までの距離は、今は「パーセク」という単位が使われているそうで
すが、まだ、我々は昔から使われてきてなじみの深い「光年」という単位で考えて
います。で、この「光年」ですが、1光年というのは「光が1年かかって届く距離」
と理解しています。
で、「例えば、今現在地球で観測している200万光年にある星Aは200万年前の星」
Aである」と説明されています。
この説明で今の今まで、深く考えもせず、特に疑問を感じたりしなかったのですが
ふと、おかしな疑問が湧いて来てしまいました。というか、あまりにも自分が何も
わかっていないなとがっくりきているというのが実態ですが(^_^;)。
●その存在を実に確かめる手段は「観測」だけである
●「地球で観測できた」ということは、「その星から発せられた光(又は
電波など)が地球にある観測装置に届いて初めてできた」のであって、
「届く前の時点では決して観測できない」
という基本的認識をベースに考えるなら、当然の帰結として、
今現在、地球で観測している宇宙の星々というのは、別々の時間軸上
の位置にある星
ということになり、したがって、
同時の時点の全宇宙を同時空間上に直接見ることはできない
ということになります。今この時点で観測している地球から200万光年にある星A
は200万年前に星Aから出発した光が今この時点で地球に到着したのであり、同
時に今この時点で観測している地球から1億光年にある星Bは1億年前に星Bか
ら出発した光が今この時点で地球に到着したものであるからです。
いずれにしろ、
現時点の地球と同時に存在している宇宙の星々を今時点では観測す
ることはできない
わけなんですね。私的には実に不思議な気持ちです。
おっと、「疑問が湧いて来た」というのはこのことではありません。
例えば、「星Aは地球から200万光年の位置にある」という意味についてです。
単純にこの説明によるなら、「星Aから出て地球につく光はいつも地球に届くのに
200万年かかる」ということになりますよね?ま、周期的変動がありますが、そうい
う厳密な話をしているのではなく、大雑把な話をしているのですが。
ですから、もし今地球で観測している星Aが消えずにそのまま現時点、地球と同
時に存在しているのなら、この時点の星Aから出た光は200万年後の地球に届い
て、200万年後の地球で観測されるということになるはずです。
ところが、現在、main streamになっている「ビッグバン宇宙論」によれば、宇宙は
膨張を続け、遠方ほど高速で膨張していると説明されています。ビッグバンはそ
の「爆発」の中心はないと説明していますから、星Aと地球、星Aと星B、星Bと
地球などの間の距離が拡大続けているということになりますよね?
そうなると、その影響が大きく現れると思われる非情に地球から遠い例えば100
億光年とかにある星との距離としての100億光年というのはどういうことなのか
ということがわからなくなりました。これは、今現在、地球で観測している星Bは、
100億年前に星Bを出発した光が今届いて観測しているという意味だと定義から
思うのですが、だったら、今現在の地球と同時に存在する星Bから今この時点に
出発した光は一体全体、いつ地球に届いて地球で観測されるのかということで
す。素朴に考えると、現時点、地球と同時に存在している星Bと地球の間の距離
は既に100億光年より遠くなっているから、100億年後にはまだ地球には届かな
いのではないかと思えます。そうなると、「星Bは地球から100億光年の位置」に
ある」というのは一体全体「いつのときのことなのか?」という疑問です。
で、ネットを漁ってみました。そうしたら、現在の「ビッグバン宇宙論」を元にした
標準宇宙論の考え方が下記にありました(大阪市立科学館学芸員の方のもの)。
宇宙の果てが137億光年でない理由
ちまたでよく誤解があることへの警鐘になっています。
これによりますと、よくある誤解に対して、
@『宇宙は137億年に始まった(宇宙年齢は137億年である)』(ビッグバ
ン宇宙論の標準的説明)ということから『宇宙の観測限界は137億年』
というのは誤解。最大470億光年先まで「見る」ことができる。
A宇宙論的赤方偏移は天体の後退速度によって生じるドプラー効果で
はない
B『光年』は光速に1年と言う時間をかけただけの目安にすぎず、『光
が1年に進む距離』という、実際には測定できない量を、距離を表す
単位に使うと、宇宙論的距離では齟齬・誤解を招いていしまう。
(『光年』は学術用語というより、歴史的な慣用句)
と述べられています。
Aは「膨張しているのは『空間』であり、天体は空間に対して止まっている」からだ
そうです。
Bについては、実は予測していたのですが、上で述べた「100億光年の星Bは100
億年前に星Bから出発した光が地球に届くのに100億年かかる」という私の理解が
誤りだというわけです。要するに「宇宙論的距離を考えるときは違う」というのが、
アカデミズム科学者の考え方だというわけです。
ちなみに、現代の標準アカデミズム宇宙論である「ビッグバン宇宙論」は一般相対
性理論がベースになっていますから、それによる、ある赤方偏移zに対する、その
天体の現在位置x(億光年単位)、光が(その天体を出発して)地球に届いた時間t
(億年)、t億年前のその天体位置x0(億光年)の公式が示されており、計算
結果も示されています。そして、(tの値)≠(x0の値)になっています。
例えば、100億年かけて光が地球に届くような銀河(z≒1.8)の場合、元々は57億
光年のところにあり、現在は160億光年のところにあるとなるようです。
尚、ビッグバン宇宙論がベースになっていますから、計算表では、z=∞でt=137
億年、x0=0億光年、x=463億光年となっています。
『赤方偏移』というのは「その天体が光を発してから現在までの宇宙膨張の割合
を表す指標」であり、「1+zが現在までの宇宙膨張率」だそうです。ちなみに別の
サイトで調べた結果、
だそうです。スペクトル分析して、そのうちのどれか一つの線について、地球上の
で実験室測られるもともとの波長 (静止波長)からのずれ(偏移)を測るという方法
で求めているようです。尚、現在はz=0だそうです。
さて、これが、基本的な、現時点のアカデミズム宇宙物理学・天文学のmain stream
の概念だろうと思いますが、宇宙物理学者・天文学者及びその部門の学徒の方又
は直接学生時代に習っている方以外の方、この説明で納得されますでしょうか?
何か「うまく丸めこまれている」ような気がしませんか?
私は、極めて、人為的つじつま合わせ的ではないかという印象を受けたのですが。
気になる点がいくつかあります。
まず、一つは、「じゃぁ、光年って何なの?」ということです。単なる数値の大小を示
すだけの「物理的意義」の薄い単位に過ぎないの?という疑問です。
しかも、前述のように、「実際に測定できない量」とおっしゃっています。しかし、で
はtは測定できるのでしょうか?
どうやら、宇宙論サイズのtもx0もxも、単に、一般相対性理論の数式から求めただ
けのものにすぎないということになります。測定されているのは、赤方偏移だけなの
ですから。
次にAの説明です。ビッグバン宇宙論はそもそもハッブルがスペクトル分析で赤方
偏移を発見し、それを光のドプラー効果だと断定し、だから「宇宙は膨張している」
ということになったのではないでしょうか?驚いてしまいました。
そして、「「膨張しているのは『空間』であり、天体は空間に対して止まっている」と
いう説明。そもそも、赤方偏移は天体に対してやっているのではないのですか?
そして、一番気になるのは、「空間の膨張」という概念です。「空間」って「もの」なの
でしょうか?何なんでしょうか?「空間」というもののきちんとした物理的定義(私が
言っているのは抽象的・数学的なことではなく、具体的なもののこと)はされている
のでしょうか?されていないものが「膨張する」ってどういうことなんでしょうか?
どうも、「光速は越えられない」というのとの整合性を取るために作り上げた空想的
存在じゃないかと言う気がしてなりません。
はたと気が付きました。上記、@〜Bの誤解がされているという意味です。はっきり
言って、それは誤解でも何でもなく、そもそもが近隣宇宙での赤方偏移による宇宙
膨張説明をしていたのを、宇宙論的サイズにするときに、そのままではつじつまわ
が合わないために、つじつま合わせで拡大解釈したということです。言ってはなん
ですが、大変失礼ながら「実にこすっからい」気がしてなりません。
太陽までの距離という光年単位の数値と、宇宙論サイズの光年単位の数値は全く、
別物で所詮、比較にならないということです。
私が中学生の頃憧れていた天文学の今ってこんなんだったのかとすごくがっかりし
てしまいました(:_;)。見てもいないのに、宇宙は137億年前にビッグバンでできたのだ
といかにも真理見たく主張しています。そして、それを「神聖にして犯すべからず」
の数値として、これも、真理だと言う絶対的証拠などないのに原理・真理だと信じて
ている一般相対性理論を駆使して、それに矛盾しないよう・抵触しないよう具体的な
物理像が描けないような概念までつぎこんで、つじつま合わせして構築されている
世界になり下がってしまったんですね(:_;)
そりゃ、下々には絶対理解できないはずですわ。
質問の答えに納得できず、5年ほどの長期にわたって何度も国立天文台の先生に
質問を繰り返したものの最後まで納得できる説明が貰えなかったと書いておられる
サイト読ませていただいたのですが、こりゃ、無理だわと変に納得できてしまいまし
た。一般市井の国民の素朴な疑問に明確に答えられるような代物ではないと・・・。
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(追記:3/21・3/23)
思い違いがあり、上記で、(その天体を出発して)という私が付けた補足を見え消し
にしました。実は、この(その天体を出発して)というのは原文にはありません。
どうやら、ビッグバン宇宙論は、「説明できない」ためか、「発光点」を明示化してい
ないようです。だからこそ、「光年」で表した「距離」を「実測できない」などとぼかし
た説明で逃げているんですね。
それを如実に表しているのが前述のz=∞でt=137億年、x0=0光年なんですね。
どうやら、これは「137億年前ビッグバンが起きて光が出たのを今、地球で観測して
いる」ことを示すためのものようですが、光年を「発光点からの光の伝搬距離」とい
伝統的なものとしてしまうと、x0=0光年ということは、発光点から観測地球点迄の
実距離が0だということになってしまうので、それでは「じゃぁ、137億年って何か?」
となってしまうわけです。そういう「矛盾」を隠すため、発光点を示さないまま、「地
球に到着した時間」=137億年とし、「光年」をわけわからないものにしてごまかして
しまっているわけです。
「なんですか?これ」・・・驚き呆れ果ててます。こんな「詭弁」で納得できておられる
ことが、凡人の私には全く理解できません。大変失礼ながら、もう何か、カルト教信
者を見ているような気がしています。「科学」と言う名に洗脳されてしまっているの
ではないかって・・・
繰り返しますが、x、x0だけでなく、tも赤方偏移(redshift)zから計算で求めたもので
あり、直接測定したものでは無く、「直接測れない」とけちつけている「光年」で表し
た距離と何らそこに軽重の差はありません。測定できるのは赤方偏移のみなので
す。そして、z=∞など実際に測定されているのではなく、計算でz=∞とすると、
t=137億年が出てくるというだけにすぎないようです。誰も、ビッグバンの時を見に
いくことはできないのです。
くどいのですが、まず、「地球で観測できた」ということは、「光が今、地球の観測装
置に届いた」ということであり、「観測装置に光が届かない限り絶対観測できない」
わけです。伝搬中(進行中)の光は絶対観測できません。「外の視線」は所詮、「脳
内」で想像しているに過ぎない非現実的なものです。
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図1
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そして、「発光点で発光したからこそ、その光を観測できる」のが物の通りであり
どんなに違うと強弁しようと、「光の伝搬時間」というのは発光点があってそこで発
光してから受光点=観測装置にその光が届くまでの時間以外にありえません。
そして、「伝搬時間」があるなら、必ず、発光点から受光点=観測装置までの「隔
たり」すなわち「伝搬距離」は存在するのです。
「光の伝搬」という事象は、必ず『発光点』『受光点』『伝搬距離』『伝搬時間』の四
点セットからなっているのが「物の通り」であり、どれ一つ欠けることはないのです。
どれか一つでも欠けたら、「光の伝搬」という事象は存在しえないのです。
こんなことは小学生でもわかる素朴で簡単な基本的なことです。
そして、『観測した』というのは「現実世界の出来事」ですから、そのときは、これら
の四点セットは「物理的現実世界」に属するものであり、全て「具象的」な存在なの
です。
それなのに、どうして「ビッグバン宇宙論者」(前述の科学館の説明が現在のビッグ
バン宇宙論の説明という前提です)は「発光点」位置を明示せずに「伝搬時間」だ
けをいかにも真みたいに言い、一方、「伝搬距離」をなにかわけわからないような
ものに落し込める説明を平気でするのでしょうか?どこかの天文台の先生は、絶
対に御自分でも正確に具体的に説明などできない「概念の距離」などという「言葉」
で「伝搬距離」をぼかして逃げたらしいです。
結局、そこには、大昔から構築されてきた「天文学」での概念との矛盾を覆い隠そ
うという姑息な意図が見事に現れているのです。厳しく言えば、論理のかけらもみ
られない「詭弁」の世界がこんな所に露呈しているのです。
純論理的に見れば、伝搬時間も伝搬距離も共に「直接測定できない計算値」です
から、素朴に自然に考えれば、「時間は真で距離は単なる数値」などということは
ありえませんよね?そんな根拠は現実的にはないのです。では、どこにあるという
のでしょうか?それはまさしく、『ビッグバン宇宙論者の脳内』にだけあるのです。
すなわち、『ビッグバン宇宙論者』が信奉している「137億年前にビッグバンが起き
た」という未来永劫、直接実証観測などできもしない『根本原理』(基本的には少な
い観測結果からの単なる「思いつき」によるposutulate−素人の私に言わせてもら
うなら「空想」−に矛盾しないことが彼らの「真理」なのです。だからこそ、137億年
という時間の方を真のような存在にして強調しているだけなのです。それ以上でも
以下でもないわけです。「なぜだろう?」などと思うのはばかばかしいことです。
信仰の『教義』に「なぜもへったくれも」ありません。
私的には、こんな理論、詳細まで学ばなくても、もうこの1点だけでmain streamで
ありつづけられるような「まともな科学」じゃないわいと悟ってしまいました。
しかし、これの専門家や大学等で学んで疑念を持たず「なるほど」と思っている人
達が沢山いらっしゃるわけで、反対派に対しては、「学びもしないで反対するな」
とおっしゃっています。私は、そんなもん、これ以上学ばなくても、もうこの1点だけ
でどういう代物かを露呈していますので、むだなことをする気はなく、むしろ、大変
失礼ながら、なぜ、そこまで「正しい」と思い込めるのかの方が興味があります。
「ある科学理論」家にとって理系人間というのはありがたいことに、難しい『数式』が
並べられると、それだけでもう、すごい『科学理論』だという幻想を抱いてしまいま
す。
繰り返し批判基調でいますけど、特に20世紀以降、ともすると『自然科学』が「数学
世界」化してきてしまっているからです。
したがって、『ビッグバン宇宙論』は、そもそもが、ちょろっとした観測結果からの思
いつきで「空想」したものに過ぎないのに、一般相対性理論に基づく「高等数学世
界」の衣でカモフラージュされているので、理系の多くが「高級科学」だとすっかり
「たぶらかされて」しまっていて、その結果、単なる無意味な「言葉」にも疑念さえ抱
かないようになってしまっているのです。「自然科学」の「自然」というのが、頭から
すっぽり抜けてしまっているんですね。
なぜ、「ガモフが1947年に3Kという観測値に近い値を出した」という歴史捏造(実際
は28K)までやり、あたかも、ビッグバン宇宙論が宇宙背景輻射の専売特許(実際
にはガモフが数値を出す以前に定常宇宙論が3.2Kと近い値を出していた)みたい
に虚偽喧伝してまで、この理論にしがみつくのか、私にはもうすっかりわかってしま
った気がします。直接述べませんが、こことここ
で触れたようにEdwin Turnerという
天文学者の、
宇宙物理学の理論は、ときに証拠があるからでなく面白い計算ができる
からという理由で関心がもたれる。・・突然たくさんの論文が発表され、
たくさんの論文ゆえ皆この理論は正しいのではないかと思い始めたのだ。
このようなことは実際の観測上の証拠とは全く別に起こりうる。
ただの推測が主流の理論へ非常に早く昇格さられるわけだ。
という言を再度ここにもしつこく記しておきます。
ちなみに、別項で書いた記憶がありますが、ビッグバン宇宙論を初めて日本の学界
に紹介したしたのは「相対性理論学者」だったそうです。
('14/3)
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