続・相対性理論への疑念(37)(’20/11)

〜相対性理論は宗教にまで押し上げられた〜

このコーナーも2年ぶりです。もう言いたいことは書き尽くした気がしてましたし、私の琴線に触れるような新たな話題に
接することが出来ず−というか最近はあまり調べたりもせず何かこのコーナー放置したみたいになっていました。

ま、大した話題でもありませんが・・・

もう欧米の一般のAnti-Relativityの方たちはネット上で、Relativity−Special Relativity(SRT)とGeneral Relativity(GRT)
のことを"Holy Theory"(神聖なる理論)と揶揄していることはずっと前から紹介してきていて、その様相は世界的にま
さに「相対性理論真理教」「Einstein教」ともいうべき「新興宗教」そのものだと私は批判してきました。Einsteinians[*]
の主張はまさに千差万別、互いに矛盾することまで主張していて、「自分だけが正しい解釈だ」とばかり、まるで宗教の
分派闘争的様相も見受けられたからです。

 * Einsteinians;私は、相対性理論学者、相対性理論正しい派・信者、大学で教えている標準科学定説には疑問を抱いていない科学界権威
   にとってはありがたい人々、Einstein信者を含めて、海外サイトで使われているこの用語を用いています


で、私が時々眺めているGeneral Science Journalというサイトが運営しているGSJ Physics Forum(最近日本からも参加
されていらっしゃる方もおられます)に、"Relativity raised to status of a relision"というarticleがアップされていました。
記事をアップされていらっしゃる方は、Roger Andertonという方で、もう前世紀からずっとAnti-Relativityで論陣を張り、
本も出版されていらっしゃる英国人でどうやらElectorical Engeneerの方のようで、そのGeneral Science Journalに沢山
のweb science essayをアップされ、そのscience essayとここGSJ Forumで、色々とネット記事とか出版本から引用され
て批判または同意記事をアップされていて、私は大変重宝していつも注目し、本コーナーでも孫引用させていただいてき
ました。

さて、そのarticleですが、米国の雑誌"INFINITE ENERGY"のウェブ版に掲載された、Ph.D.のWilliam H. Cantellという
方の書かれた記事"A Dissident View of Relativity Theory"を引用されてのものです。ネットで調べたところ、この方は
Alasaka大学の教授のようです。
記事の冒頭で、"This year marks the 100th anniversary of Albert Einstein’s famous paper on special relativity"
とありますので、記事自体は古いかもしれませんが(相対性理論生誕百年祭は確か2005年)・・・。
Mr.Rogerの前述のarticleはその記事の中のA Properly Defined Theoryから引用されていました。元記事を引用しておきま
す。

 Before we explore alternatives to relativity theory, let’s agree on exactly what is a proper scientific theory.
 Surprisingly, the answer to this question is not as settled as it once was. We believe that a theory should
 describe nature as it really works. It should be testable and make accurate predictions of experimental
 outcomes not yet put to the test. A proper theory must not be continually patched and modified with ad
  hoc "band aids" to explain new observations
. It must be refutable, that is, it must not be protected from
 refutation by way of its own construction.

 (我々が相対性理論の代替を探る前に、適切な科学理論とは何かについてきちんと合意しておこう。驚くことに、
 この質問に対する答えは、それが一旦なされたようには固定されていないようである。我々は、理論は、それが
 実際に働いているように自然を記述していると信じている。それは、検証可能であるべきで、まだ、テストに供
 されていない実験結果の厳密な予測をなすべきである。
  適切な論文は、新しい観測を説明するに、継続的にad hocな『バンドエイド』でパッチを当てたり修正した
  りしてはいけない

 それは、反論可能でなければならない、すなわち、それは、自身の構成の仕方によって反論から防衛してはなら
 ない)


Mr.Rogerのarticleの冒頭には、前述の黄色蛍光ペンで裏塗したセンテンスが引用されていました。
私は、ad hoc"band aids"という言葉から、以前言及したPopperに叛旗を翻した弟子のLakktosがした分類:

 その基本的な仮定(または公式的かつ明示的に設定されるときは原理)を含むその"Hard core"と、(その時のために
 作り出された)"ad hoc"な周囲防衛セットである"protective belt"


を思い出しました。

で、William H. Cantell教授は、続けて、

 This is by no means a universally held view.
 (このことは、決して普遍的に維持された見解ではない。)

とされ、Caltech Professor David L. Goodsteinがmafinficent video lectureの中で言っていることを、jaw-dropping
statement(開いた口が塞がらないステートメント)
として批判的紹介をされています−

  . . .As a matter of fact there’s a point of view that says, that the only way that science can make
  progress is by showing that theories are wrong. The argument goes like this: It’s impossible to
  prove that a theory is right, no matter how many experiments agree with it. But if one single
  experiment disagrees with it, then the theory must be wrong.

 Correct. So far so good, but then he goes on to say:
  Well, that itself is a theory of knowledge, which is wrong, because there are theories in science,
  which are so well verified by experience that they become promoted to the status of fact. One
  example is the Special Theory of Relativity. It’s still called a theory for historical reasons, but it
  is in reality a simple, engineering fact, routinely used in the design of giant machines like nuclear
  particle accelerators, which always work perfectly. . .

 So here we have a fundamental metaphysical disagreement concerning the rules of the game-an
 enormous philosophical disconnect. The mainstream elevates some theories to a higher plane,
 to the status of unquestionable religion.

 ( ・・・実際のところ、科学が進歩できる唯一の方法は、理論が誤っていることを示すことによるという
  見解がある。その議論はこのようである:たとえ沢山の実験がそれに同意しても、理論が正しいことを証
  明するのは不可能である。しかし、もしひとつの実験がそれに不一致であるなら、その時、その理論は間
  違っている。
 正しい。それまでのところは大変よいが、彼はそれから[次のように]言う:
  さあ、それ自身は、誤っている知的理論である。なずならば、それらが事実の地位に進ませた実験によっ
  て大変うまく確かめられた科学の理論があるからである。ひとつの例は、特殊相対性理論である。それは、
  まだ歴史的理由で理論と呼ばれているが、それは、現実には、いつも完全に働いている核粒子加速器のよ
  うな巨大機械の設計にルーチン的に使用されている、簡単な工学的事実である・・・
 そう、ここに我々は、ゲームのルールに関する基本的、形而上学的不同意−大きな哲学的断絶−を有している
 メインストリームは、ある理論を、より高い地位、疑う余地のない宗教的地位にまで高めている。)


ま、この投稿されている雑誌"INFINITY ENERGY"の発行者は、元MIT NewsのチーフライタだったEugene F. Mallove氏
という方で、この方は、20世紀の終り頃、初めて"Cold fusion"の論文が発表されて物議を醸した際、否定的実験結果を発
表した−それゆえ、Cold fusionは科学界では否定的存在にされてしまった訳ですが−MITの、従来からの"hot fusion"学
者におもねた「ごまかし」に抗議して辞任されたcold fusion支持の方です。それゆえか、この雑誌は、以前ここで引用し
た記事"Alvert Einstein:Plagiarist of the Century?"というのを掲載したりしていますので、所謂、異端科学雑誌だと思わ
れます。したがって、そのような雑誌だから掲載されたのだろうとは思いますけど、アカデミアの教授の投稿と言うのが私
の眼を惹いた訳です。そして、冒頭に示したように、この教授は、"Before we explore alternatives to relativity theory"
と書かれているように、Anti-Relativity派であるのは間違いないでしょう。

確かに前世紀は、私のここでの過去記事であるここや、ここでも言及したように、西洋でもANTI-Reverty論は「抑圧」(発
表妨害・論文のreject)、不都合な観測結果論文の「無視」、一般下々へのそれらの「隠蔽」、反対論者への"cranke""fool"
ることなく続いてきていて、前世紀の終り頃から少しづつ風向きが変わってきているようです。恐らくインターネットの発
展・定着というのも大きいと思いますし、Relativityではいくら"ad hoc"な"protective belt"で維持を図ろうとしても困難
な観測事実も現れ、未だ矛盾している量子力学との統一が出来ていないことも理由の一つだと思われます。近年では、主流
科学界の中でさえ、EinsteinのRelativityの「時空」への疑念が出て来ている−"space-time"などないという意見も出て来
ています−ようです。

一方、我が国はどうでしょうか?私が遅れてインターネット上の議論を始めて見た2009年ごろの状況は、欧米ではまさに
前述の前世紀時代の状況下そのものであり、アカデミア科学界は勿論のこと、一般市民社会においても、Anti-Relativity
論者を低能・馬鹿扱いすることが未だに続いており、大変遅れている感がしています。ま、それは、大変失礼ながら、日
本アカデミア物理学界そして科学マスコミ/メディア界には、「おおおかみ」に従っていれば間違いないというような風潮
が昔からずっと続いているからではないかと思います。

SRTが欧米の物理学界で標準理論=基本パラダイム化された1921年ごろ、日本科学界の招きでEinsteinが来日しています
が、当時、反相対論でEinsteinと議論した東京帝国大学の大学院生で、母校一高の講師をしていた土井という方がおられ
たそうですけど、それゆえ、指導教官の長岡半太郎からは「国賊」と罵倒され、当時の学会からははばにされたそうです。
我が国の科学界はそういう風土ゆえ未だにそういう状況にあるのでしょう。ま、「変わり者」扱いされていた方だったそ
うですから、そういう行動をなされたのかもしれませんが、日本の風土からしてなかなかできることではなかっただろう
と思います(尤も、その土井という方は突然出て来て反論した訳ではなく、あらかじめEinsteinに手紙を出して反対論の
主張をしていて、Einstein自身、来日時に会うのを楽しみにしてきて、長岡に紹介を迫ったことだったらしく、決して欠
礼になるような行動をしたわけではなかったそうですが)。

日本では、そういう教科書に記載され大学などで授業になっている定説理論に疑問を感じる人が少ないという感がして
いますが、欧米では相当様相が異なっているようです(例えば、「ダーウィンの進化論」支持者−疑っていない人含め
ると日本人は90%以上だそうですが、欧米では50%前後以下だとか)。

これについてですが、同様に、SRT批判で対抗paper"Falsification of Einstein Theories of Relativity"をwebで公開さ
れているPacific Institute of Physics and Space Technology, PIPS, MH96960 MAJURO, RMIのdirectorである Lutz
Kayser教授
は、前書きで、

 We who sat in the first year physics lectures remember the astonishment and exclamations of disbelief
 of our classmates when Einstein’s Special Theory of Relativity was introduced: Postulates of constancy
 of velocity of light c relative to the observer and the Galilean Principle independent of velocity. It first
 seemed easy to understand, but the weird consequences of time dilation, length contraction, velocity
 and acceleration transformation, and the twin paradox were hard to believe. Then followed the
 explanation by the lecturer that all these consequences are counterintuitive and “this is an example
 why physicists should not follow intuition”! However, SR and GR are not only counterintuitive but also
 illogical and false. Nature is intuitive!

 (一年生で物理学の講義で座っていた我々は、Einsteinの特殊相対性理論:観測者に対して光速一定のpostulate
 と速度に独立なガリレイ原理、が紹介されたとき、我々のクラスメートの驚きと信じられないという絶叫を憶え
 ている。それは最初は理解するのに簡単に見えたが、時間の遅れ、長さの短縮、速度・加速度変換、双子のパラ
 ドックスの異様な結果は信じ難かった。そのとき、講師による説明は、全てこの結果は直観に反していて、「
 これは物理学が直観に従うべきではない例である」と続いた!。しかしながら、SRとGRは直観に反しているば
 かりか、非論理的で誤っている。自然は直観的だ!
)
と書かれており、ずいぶん欧米の学徒は違っていて、物理学者の中にもずっと最初の抱いた感性を大切にしてきた方がいる
んだなぁと、国内との差を感じました。

ですから私は、それで飯を食っていらっしゃるrilativistsとか、「rilativity真理教/Einstein教」といういわば「宗教」化し
てしまっているもののbelieversの方々−大変失礼ながら、最先端で「科学権威」の防衛を手弁当でしてくれる「物理学コ
ミュニティ」にとってはありがたい存在−への反論のつもりでこのコーナー記事をしたためて来たのではなく、大変僭越
ながら、「今のところは正しい」と思われている方たちとか、まだ白紙状態の理系studentsや「なにかおかしい」と心の
中で思われている方たちに、日本ではほとんど知られていないと思われる歴史的事実を含めた事の真相を示して、それで
もEinsteniansになるのかという警告とその再生産を少しでも防止したいという意図でやってきただけのつもりです。
私は、そもそもEinsteniansの言が「金太郎飴になっていないどころか、人により正反対の解釈をしていて、それでも
『相対性理論は正しいのだ』というところだけ一致して反対論者を嘲笑罵倒している」ことに不快感と不信感を感じて
調べ始めたのでした。その結果、1905年に発表されたSRTは、その誕生以来現在に至るまで、一般大衆どころか、世
界の科学界、それも物理学界で綿々と反対論/反証実験結果報告が続いているという事実を知ったのでした。

そして、EinsteiniansとAnti-Rilevity者の議論がかみ合わない理由は、まさに、上記William H. Cantell氏が指摘され
ているように、両者の間には、形而上学的信条での大きな断絶があるからです。すでに本コーナーで触れたように、相
対性理論がノーベル科学賞を受賞しなかった理由は、多分に科学が自然哲学部門の下におかれていた19世紀からの状況
だとは思いますけど、当時の有名哲学者との公開議論がなされたように、「哲学」の対象で「科学」と扱われなかった
ためであり、相対性理論に反対したNikola Teslaの言の中にも「その解釈者は大変立派な人であるが、彼らは科学者よ
りむしろ形而上学者である」というのがあり、まだSRTが議論の対象になっていて基本パラダイムとして確立する前
Einsteinに代わって、SRTを支持して議論をしたのは哲学者が多かったそうで、当時、哲学者によるSRTの教科書
が沢山出ていて、その内容は著者により千差万別だったということが、調べて科学哲学の博士論文を書いた方の論文で
暴露されていることも過去に言及しました。

@「自分の直観を大切にするとおかしいと思う」かそれともA「直観に反しているけど、アカデミアや科学書で教えられ、
科学権威が正しいのだというからそれでいいのだ」と思うかどうかですね。私はかつてはAに近い輩でした。もっとも、
そもそも私は、所謂「とんでも」と蔑視されているものにも興味があった輩であり、単に物理常識に反しているヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽという理
由だけで一笑に付す科学者の態度には不快感は持っていましたから、単に習い覚えた科学常識だけで「直観に反する」−
それは人間としての本質的な「直観」ではなく、科学教育の中で洗脳学習したものでしかないバイアスのかかった意味付
けのもの−とまでは思ったりしませんでしたけどね。ですから、正直な話、SRTで云われている「時間の遅れ」「距離
の短縮」に対して、「おかしい、嘘だ」などとは思いませんでしたし、むしろ、魅せられたりもせず−ですからEinstein
を天才などと思ったことすらなく−、そういう理論が定説理論になっているんだ、くらいにしか感じませんでしたが・・

 ('20/11)

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