論文捏造A
内容的に、もう一つのコーナーに書こうか迷いましたが、前にも同じタイトル記事を書いて
います(⇒論文捏造)し、タイトル違いですけど関連記事を書いたことがあります(⇒疑惑の
中で)のでこちらに書いておきたいと思います。
マスコミ・メディアはあまり大きくは騒いでいないようですが、何かまた、東大医学部で論文
捏造告発事件が発生しているようで東大側が発表したようです。先に11件の不正、あとか
ら2件の不正の匿名告発で、東大は予備調査に入ったとか(4つの研究室でのもので教授
の実名告発だそうです)。
今回は、そういう特定の論文捏造自体への批判を書くつもりはありません。
勿論、「確信的論文捏造」なら、「科学への冒涜」であることは間違いありませんが、そんな
のは昨今でてきた問題ではなく、隠されて来ただけで科学の歴史の中では珍しい話でもあ
りません。インターネットに発達などでそういう情報が広く拡散されるようになっただけなの
です。私は、自分の関心がある分野においては海外サイトを当たる中でそういうのを批判
的に紹介してきましたし、「背信の科学者たち」で暴露されているように、特定少数の学者
の資質的なものではなく、科学界の構造的なものであり、更にそれは本質的には科学者
といえど一介の感情を持つ人間である故に起きてしまうことだと主張してきました。
そして、昨今の特定の論文捏造自体への批判ならあることないこと一杯でてきますので、
事情不案内のまま尻馬に乗って書き散らすなどというつもりはないわけです。
そうではなくて、それに係る事柄・言説に対する疑念と批判があるのでしたためておこうと
考えた次第です。
まず、一つは「報道・ネット界における扱いの軽重」です。2年前のSTAP騒動の嵐を
目にしていますので余計にそれを感じているわけです。
今回も、淡々と東大が発表したことを伝えているだけ・・・。どこまでフォローするか不明で
すね。積極的取材もしている感じは見えません。小保方さんにはパパラッチもどきのひど
いことまでしたくせにね。
二つ目は、「科学」に関する話題の時、マスコミ・メディアを牽引する「科学ジャーナリス
トの言動傾向」です。STAPのときは、知らないような連中がご活躍されましたが、彼ら
は、例の岡山大学事件では見事にだんまりでしたよね。モチベの無い一般大衆はそういう
事件の存在自体知らないのではないかと思うほど、ニュース的扱いが小さかったですよね。
告発した二人の教授が、告発された学長側は不問にされた挙句、別件理由で懲戒免職処
分にされ、裁判沙汰になって大学側が敗訴したという話くらいしかありませんでした。
我々一般下々にとっては、肝心の論文捏造の具体的な中身はわからずじまいです。
何か、真相は不明ですけど、話題にしようとした科学ライターがどこかの教授?に聞いた
ら「筋が悪い」と言われてしまったとかtwitterか何かでつぶやいていたそうです。
このライタ、STAP事件で小保方さん攻撃をしていた女性です。
で、今回、M新聞の記事は、小保方さんの「あの日」で名指し批判されたにも係らず、反論
等なしでだんまりを続けて来た女性記者が書いていますが、つっこみなし。取材するかどう
か不明です。
唯一、こういう告発でメディア等で名前を売られているらしい(ネット上では掲示板等で、正
義面しているという批判も目にしましたが)、U東大特任教授の方は、まだ未発表の告発
された教授名を暴露し、批判的記事を書いたのが拡散されていますけどね。あとはまだ、
だんまりです。
どう見ても、その言動には「覚悟と矜持」など見られず、ご都合主義的で、取材より二次情
報だけで想像して安易な態度で書いている感がするものが多々見られる気がしています。
そんなもんでも職業的に社会に対して一定の影響力があるので困りものです。
三つめは「調査内容・結果報告と処分内容」です。
実際なところは不明で、一方的記事が多いため決めつけるのは危険ですが、何か不公正・
不公平・不明朗な話がネット上には批判的になされています。今回の東大での疑惑対象の
研究室はちょっと前にも匿名告発がなされたところのようで、その時は「しろ」判定がなされ
たようです。前述のU教授の批判はそれゆえのものみたいです。
ネット上では実名告発されたのに、相手が学長だということで、調査もうやむやのままで
「しろ」と断定されたと批判されているものもありました。前述の岡山大学事件もそれの一
つです。告発された側の教授がその分野での有名権威の場合もそういう例があるみたい
です。
要するに、日本科学コミュニティの「むらの掟」なるものは不公正・不公平運用されている
感がしてならないのです。今回、再び告発された研究室の教授は華麗な経歴を誇る権威
の方のようです(Wikipediaに単独で掲載されている有名学者のようです)。
で、実はこの項したためようと思ったのは、以上、過去に既にどこかの項で触れたもので
はなく、私自身も判断しかねている問題があることです。
こういう論文ねつ造問題が起きるたびに、「どうしたらなくなるのか」という論議がなされ、
責任省庁である文科省は答申ガイドラインを審議したりしているのですが(私自身は、法
律があるのに犯罪がなくならないのと同じで、どんなガイドラインを作っても抜け道を探す
または確信的にやってしまう−ばれなきゃいいという思いなのかもしれませんが−のは人
間であることの業ではないかと思い、根絶など不可能だろう、そんながんじがらめにしてし
まうと論文自体書けなくなってしまう恐れがあると思っているのですが)、ネット上に、そう
いう真偽での関係者の意見一覧として文科省が提示したものがありました。
そういうのとか、科学者さんのブログとか眺めていますと、非常に多くの問題を含んでいる
ことがわかります。部外者が勝手にどうのこうのというのは「知らない」ゆえの脳内理屈で
しかないようです。
ある教授が述べられていたのですが、若手科学者の場合はどうかわかりませんが、少なく
ともシニア科学者の間では互いに「性善説」だそうです。いちいち疑っていたら研究などで
きなくなってしまうということです。マスコミ・メディアなど部外者は「なぜ、論文審査の段階
で捏造を見抜けなかったのか」と批判しますけど、それに対する一つの回答でした。
そして、実際に人間の時間は決まってますし、論文を指導される上司は仕事が沢山ある
はずです(研究以外の業務も含めて)。現実的には完璧に把握するなど不可能だというの
は私のような門外漢でもよくわかります。恐らく、「確信的捏造」をやってしまう研究者は、
本当はそれがよくないことと知っていながらやってしまうのだろうと思います。それを日頃
からそういうことをする恐れがあるのを見抜けなどと言っても不可能でしょう。
これほど話題になってきている現在、普通の先生たちはそういうことに手を染めないよう
論告し、目を光らせておられることと思いますが、それでも起きてしまうのです。
もっとも教授自体が不正をさせたというとんでもない話もあるそうですけどね。
また、「確信的捏造」なのか単なるミスなのかという問題もあります。
ベル研のシェーンのように、実験せずに確信的にデータねつ造して論文を量産していたこ
とがばれた例もあります。一方で、有名な生命科学研究室でマークスペクタという大学院
生がやったような、きちんと実験ノートをつけ、きちんと実験していたけど、実験でインチキ
をやっていたことがばれてしまった例もあります。いずれも科学的にねつ造がばれたわけ
ではありませんよね。言い逃れの出来ないねつ造証拠が発見されてしまっただけでした。
しかるにSTAP事件の小保方さんの場合は、修正で済むミスを不正だと喧伝され、研究自
体まで何も証拠の無い時から捏造だと決めつけられていました。ひどい話は、理研の最初
の調査委員会、委員長、委員らは過去の論文で同じようなことをしていたのが暴露された
のにそちらは「ミス」で許されてしまうという極めて不公正判定がなされました。
「誰がやったか」で処分内容が異なるというのは公正・公平ではないのは当然の事です。
「確信的捏造者」はそう簡単に白状などするはずはありません。客観性には疑問があるの
です。「処分を強化する」ときにつきまとう一つのアンチテーゼになるようです。
次に、文科省のルールとして、捏造疑惑を掛けられた科学者には「再現実験」を申し出る
権利が認められているそうですが、そのための費用と時間(マンパワー)の問題から二の
足が踏まれるという問題があるそうです。もっとも、そういう規定があることを知らないまま
STAP細胞事件での再現実験に大反対した分子生物学会長がいるそうですが(STAP事
件に繋がる日本科学コミュニティのおかしな意識批判の項で触れたのですが、規定された
ルールを知らない科学者が多いみたいです。ルールから外れたご都合主義的解釈がなさ
れていることを図らずもされけだしている方達がおられるようです)。
そして、私がどうなんだろう、難しい問題だなと感じたのは、「匿名告発制度」です。
不正軽減にはこれが重要だと言う意見がありました。告発者に圧力がかかる例がよくある
からというのはよく理解できます。
しかしながら、「悪用される」という意見も目にしました。ライバルや嫌悪している学者を追
い落とすためになされたりする恐れがあるというのです。
これも十分ありえる話です。
そして、真に無実であっても、一旦拡散されてしまった醜聞は完全に消されないという問題
があります。匿名ゆえ、悪質であっても告発者は安泰・・・
そういう意味でこれについては私自身は判断しかねています。
最後ですが、これは正論のように聞こえるのですけど、賛成できない意見・・・
「競争原理」が要因であるとして、国策批判をされている科学者さんがおられるのですけど
何か、根本的なところで勘違いしていないかということです。結局「金にまつわる」話なんで
すが。唯一、それは正論だなと思ったのは、研究内容によっては期間で機械的に区切るの
ではなく繰り越しを認めることでした。初めから全てわかっているなどということはありえなく
て、何が起きるかわからないわけですから、そういう考慮はあるのは当然だろうと思いまし
た。
ただ、研究費はどこから何のために出ているのかについて真に認識されていない気がして
ならないのです。前にも書いたのですが、研究費を貰うという事は科学者の特権ではない
ということです。そして予算は無限大にあるわけではないことは当たり前のことです。
出す方は出す方の責任を問われるわけです。期限無制限で好き勝手にやらせよ、でも金
は出せは通らない話です。それをしたいなら、自己資金でやるしかないのです。
大抵、予算を貰うというのは一般会社ではそうなんですが、同じだと思います。期限を示し、
どういうことをやってどういう成果を目論んでいるか、それにはこれだけの予算がこういう
内訳で必要だと言う計画書提示とプレゼンが必須となると思います。それを金を出す方が
納得してくれなければ予算はおりないのは仕方がないことですし、計画通りにいかなけれ
ば「なんで?」を問われるのは当然ですし、それに納得させる答えができなければそこで終
了となるのは仕方がないことです。その点は一般会社は厳しいですよ。重点事業でも甘く
はありません。
ま、私自身は一般会社の経験しかありませんので、どうなっているかは不案内ですけど、
できもしないことをわかっていてバラ色のプレゼンで予算獲得するなら、それは一種の詐
欺だと思うのです。「研究費」を貰うということは、当然ながら「覚悟と矜持」が必要ではない
でしょうか?慈善事業ではないのですから、いつまでもできないでは済まないのは当たり
前のことです。それが嫌なら、科学者などにならなければよいですし、または自己資金で
やればよいのです。
ですから、私は「競争原理」を論文捏造の多発の原因にするというのは虫のよい甘い認識
でしかないと思うのです。そして、厳しいことを言いますが、捏造しなければ何も見いだせ
ないというのなら、科学者であることをあきらめるしかないではないかと思うのです。
科学者の方達は、科学研究ということに憧れとモチベがあり、また、それを職業にできるだ
けの能力を有された方達だろうと思います。しかしながら、現実は厳しいということです。
昔ならいざ知らず、人数も多いわけです。運・不運もあるでしょうが、特に最先端分野は花
形ゆえにめざす人も多いわけで、競争世界になるのは制度とは別に当然の事なのです。
('16/9)
目次に戻る