ガリレイの相対性原理と物理学(’15/8)

ガリレイの相対性原理』について考えてみました。私は、簡単には、

 物体間の運動は相対的であり、区別はつけられない(※1)

と言う風に理解しています。
実は、私はこの説明でよかったかなと気になって力学の教科書を見たのですが「ガリ
レイの相対性原理」については2〜3行しか説明がなく、そこでgoogle検索をしてみた
ら、なんとトップにでてきたのは『ガリレイ変換』でした。そして、予想していた通り、
"Special Relativity"項が沢山・・・

本来、"Principle of Relativity"(相対性原理)というのは「ガリレイの相対性原理」であ
り、"Special Relativity"は「相対性理論」であって全く別物なんですよね。
もっと言うと、Einsteinの"Special Relativity"のpostulateTは"Principle of Relativity"
となっていますが、我々が高校時代までに習うものはあくまで「ガリレイの相対性原理」
であり、これは「運動」に限定した原理(principle)であるのに対し、"Special relativity"
のpostulateTは「全ての物理現象は相対的である」というマッハの影響を受けていた
「Einsteinの信念」
という相違があるのです(私には、マッハの極端な主張はそれをした
当時の科学界では賛同が得られず批判が多かったという風に聞いた記憶があります)。
"Special relativity"の啓蒙書等では、いくつかの例を挙げて、"Special Relativity"の
postulateTとしての"Principle of Relativity"(相対性原理)の説明(読者に、それが正
当であると思わせる)がなされています。で、私がそうであったのですけど、先に習い
覚えて頭の中に「ガリレイの相対性原理」があるので、大変失礼ながらそういう説明
で多くの方も何も特に疑問も感じないですんなりと受け入れているのではないでしょう
か?しかしながら、18世紀までに確立した『古典力学』において"Principle of relativity"
と称せられている「原理(principle)」はあくまで『ガリレイの相対性原理』であり、これは
「運動」に限定したものであるということ、"Special Relativity"の説明に出てくる"Principle
of relativity"はそれとは別物で、Einsteinがこの理論の中で立てているpostulateであ
るということをしつこく強調しておきます。なぜなら、Einsteinの"Special Relativity"で
postulateTとして入れた"Principle of Relativity"についてはEinstein本人も後世の学
者も証明もなく、当然の「自明の理」みたいに説明し使用しているゆえです。
(それとも、既に証明されていて、知らないのは私だけでしょうか?)

さて、私は上記で「簡単には」と断って(※1)と述べました。しかしながら、私の思考の
中には補足があり、それは、

 real worldから現実的な諸条件をとっぱらった理想的な
 『純理論』世界における原理である
(※2)

というものです。ただ、私の中に多くの人々は、これをreal worldの原理であると思って
いるのではないかという疑念が湧いてきました。
そういうと、多分、「当然そうだろう。何がおかしいのか?お前は何が言いたいのか?」
と言われるだろうと思います。正直、私自身も(※2)のような思考をするようになったの
はここ2〜3年のことですが・・・。

私がそうでしたけど、『ガリレイの相対性原理』についての説明で、よく出されている例
として、「駅から見た電車と電車内から見た駅」という皆が実際に体験していると思われ
るもので納得されたのではないでしょうか?
しかしながら"real world"を考えた時、「運動体(moving body)」というのは必ず「属性」
が伴います。前述の「駅から見た電車と電車内から見た駅」の場合、現実には「動力」
を有して動いているのは電車」であり、「駅には動力はなく、地球上に固定されている」
わけです。ですから、"real world"で考えると、明らかに電車と駅は運動に置いて区別
される
わけです。ですから、私は、あえて(※2)と言っているわけです。

私は、多くの方は多分に、頭の中では(※2)をわかっているはずなのに、どこかで線引
きが曖昧になり、"real world"そのものだと思われているのではないかと思うのです。
といいますのは、ネット上で、前述の駅と電車の例を出して、「ガリレイの相対性原理
は間違っている」と主張されている方がいた(前述にしたがえば、この方は「物理学世
界」をreal worldそのものと思われている気がします)のですが、それに対するコメント
は悉く、嘲笑罵倒のみで、誰一人、冷静な(※2)のような反論を挙げていなかったから
です。結局のところ、大変失礼ながら、「ガリレイの相対性原理」という「言葉」だけが
中途半端な形で独り歩きしているのではないかと思うのです。

実際、「古典力学(Newton力学)」というのは、あくまで、(※2)の世界でのものではない
でしょうか?「質点」なるものは、数学的に定義された大きさの無いというものに質量
という属性を付加した仮想的存在
のものであり、"real world"のものではありません
よね。また、real worldには、厳密には「等速直線運動」というのは存在せず、したがっ
て厳密には「慣性体」というのも存在しないのです。
「材料力学」は、より"real world"を意識して応用されたものですが、それでも簡易モ
デル化した世界であり、"real world"では「安全率」なるものをわざわざ入れているわ
けです。理論が厳密にreal worldに対応するならこんな曖昧な余分なものは不要なは
ずですよね?

「物理学」というのは、real worldそのものではなく、そこで起きた現象を、抽象的・理
想的・汎用的な形で解明しようというものであるということを真に理解しておくべきで
あると私は思うのですが、どうも、聞かれればそう答えるという「理念」だけあって、
現実にはreal worldそのものと混同してしまう(線引きが曖昧な)傾向にあるのでは
ないかと思うのです。

私は最近、「物理学世界はreal worldそのものではない」というphilosophyを持つに
至りましたが、本項ではその簡単な一例をあげました。
しかしながら、実は、私が主張したいことはそれだけではなく、本質的には、
物理学の空間・時間は"conventions"で述べましたように、地球上における物理学
の世界は、「一つのconventionalな世界」であるということです。
古典物理学はその世界でうまく身近な現象にマッチする説明がされ、工業応用を
されていますが、それはそういう過去のreal worldの現象を昔の科学者が取り決め
た「一つのconventionalな世界」がうまく当てはまったというところでしょう。
しかしながら、時代が進み、この昔にはそれで解明できたと考えられた「一つの
conventionalな世界」では説明ができない現象が発見されてきました。
このことは、過去に確立された「一つのconventionalな物理世界」がreal worldの全
てとはアンマッチだったということです。

で、20世紀以降の現代物理学世界では、「古典物理学」の成功体験から、これを
修正すればよいとしてやってきたのではないかと思います。言い換えれば、古典
物理学はそれまでのreal worldで観察された現象を元に構築された「一つの
conventionalな世界」あるという思考はそこには欠けていた・いると私は思うので
す。

私を含め、"Special Relativity"の論理展開に拭いきれない「おかしさ」を感じてし
まって、納得できない・おかしいと感じられている方は多いと思います。ただ、大
半の科学者や科学愛好家はそうではなく「それでいいのだ」と思われているよう
ですから、だからこそ、両者の議論はかみ合わないのです。
それはなぜでしょうか?
前にも書きましたが、Einstein本人は"Special Relativity"の構築過程について具
体的な明言をしなかったようですが、古典力学の成功は尊重したようです。それ
が"Special Relativity"の理論展開には入っています。だからこそ、おかしな「論
理矛盾」をそこに感じてしまう私のような人間が出てくるわけですが・・・
実は、Lorentz変換はPoincaréの手によるものですし、既にEinsteinより先に、局
所時間という概念、時間の遅れ・距離の短縮という概念自体、PoincaréとLorentz
が出していたものです(ご存知の無い方も多々おられることと思いますけどね)
が、EinsteinとPoincaré&Lorentzの考え方の決定的な相違は、物理学の空間・時間は"conventions"
で述べたように、そういう概念をPoincaré&Lorentzは「一つのconventionalな世界」
でのものと考えていたのに対し、Einsteinは1905年の発表当時、real worldのもの
と考えていたらしいことです。そして、現在の科学者もその1905年の頃のEinstein
の思考をそのまま引き継いでいる感がします(既に述べましたが、どうやらEinstein
本人は後年、Poincaréの考え方に心変わりしたらしいのですけどね)。

Lorentzは、私が"ad-hoc"と言いました"Lorentz ether thery"を自らは"real world"
のものではないと言明していたそうです。一方では、どこがと明言しないまま
"Special relativity"は「数学トリックくさい」と生涯否定的だったそうです。
ですから、私は、PoincaréとLorentzは"Lorentz Ether Theory"やご自分
の"Theory of Relativity"というのは過去の確立した「一つのconventionalな世界」
である古典力学のベースでつじつまわせしたものだということを自覚されていたの
ではないかと思うのです。実証されていないetherの性質をつじつま合わせで説明
し、それを用いて論理展開されたのがLorentz ether theoryですが、いかにも「辻
褄合わせ」だと感じられるad-hocな仮定を除けば、その理論には論理矛盾・論理
飛躍はないことは調べて見ればわかると思います(これについての私の理解は
Lorentz ether theory?で示しました。その理解の正否は?ですけどね(^^;)
それがSpecial Relativityとの最大の相違点ですが、多くの方が前述のように、物
理学の世界は「一つのconventionalな世界」であるということに気が付いておられ
ず、real worldとの境目が境目が曖昧ゆえに素朴なSpecial Relativityに感じてし
まう「おかしさ」に気が付かないのではないかと思う(たとえ感じても、結局はそれ
でいいだろうと妥協していまう)のです。だからこそ、数学の世界からご都合主義
的な「つまみ食い」で論理を構成し、それをreal worldのものだと思い込んでしまっ
ているのではないかとも思うのです。

私は、なぜ"Lorentz Ether theory"が当時受け入れられなかったのか(私はad-hoc
だからと言いましたが、どうやら、PoincaréとLorentz自体はそれをad-hoc
な思考であることに疑問を感じなかったわけではなく、成功していた「一つのcon-
ventionalな世界」である古典力学の延長上での論理的辻褄わせでのものと考え
ていたのだろうと考えます。それはPoincaréが示していたphilosophyを考えれば
明らかな気がします)、一方で勝者となった"Special Relativity"にもこの100年以
上、なぜ、科学者の中にも綿々と批判される方々がいたのに単発批判で終わっ
ていたのかについては、批判側も擁護側も前述のように大半の科学者・科学愛
好家がかつて科学界において成功した『古典物理学」が「一つのconventionalな
世界」のものであるという重大な事実に気が付いていないためだと思うのです。
ただ、気が付いていたPoincaréらも結局は「その井戸の中での辻褄合わせで」
終わっていました。そこが私には残念なんです。

もし、真に気が付いていれば、根本的に異なる別のonventionalな物理世界を思
考し提案された方が出ていたかもしれません。

ま、多分に私の「ないものねだり」的な意見でしかないのですが・・・

単なる難くせ・いちゃもんだと思われるかもしれませんね(^^;

                           ('15/8)

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