進化論について(2)(前の補足)

くどいのですが(^_^;)

本コーナーは、日本の教科書で「真実」のように書かれ、それを用いて学校で教
えられて、それを学んだ学徒(小・中・高・大)が全く疑いも抱かずに「普通の当
たり前の真実
」と思い込んでいるいくつかの『標準理論』への疑念が出てきてし
まい、同じく疑念を抱いて反対本を出したりネットでそれを表明している方々への、
そういう「『標準理論』は正しく真実だ」とするアカデミー科学界及び理系の方々の
嘲笑罵倒攻撃に大きな不快感を覚えてしまって作ってしまったものですが、その
うちの、『進化論』については、単なる"one of them"で、私にとってはそれほど強
い関心はなく、ここで簡単に概略の疑念に触れただけでした。

しかしながら、特に、『進化論』というのは日本においては、まだこれからという小
学生時代から「普通の当たり前の真実」のように学校とか本とかメディアとかで
教え込まれ刷り込まれてしまってているためか、そして、わざわざ話題にして考え
直すようなテーマでもないためか、大半の日本人にとっては、単なる普通の『
学常識
』の一つになっている
感がしています。
しかしながら、別項でも触れたように、本質的には『科学教育』でそういう風に
洗脳」されている
のでね。ただ、『科学』ゆえに、教えられる方は「洗脳されてい
る」などと感じてもいないでしょうし、一方、教える方も、「洗脳している」などと思
いもしていないだろうと思いますから、こういうことを言うと、「なんだ?こいつ」と
所謂「反権力」者みたいな「うさんくさいやつ」的な目で見られるかもしれません。
でも、そこには間違いなく、文明社会の人間の深層心理の中にどっかりと根を
下ろしていると思われる、「科学=合理的」という「神話」が影を落としているの
のです。なぜなら、ネット見ている限りにおいて、「科学教育」分野に関する限り
においてのこういう批判の多くは、あっても、せいぜい、イデオロギー的な別の事
由によるもの(例えば、原発など)くらいだからです。

ま、検索してみると、この『進化論』についても、ネットでは多くの反対論が出てき
ていますし、中には、「今になっても、まだ『進化論』を正しいと主張する人は『進
化論信者』だ」と酷評する意見もあります。そして、他の『標準理論』とは少し異
なり、私から見ると、逆に、「『進化論』は正しい」と言う方々が必死に自己防衛を
されているような感をしています。ある意味、分が悪いからでしょうが。

ま、恐らく、物理学のような数式による理論で固められたものではなく、科学者
がよくいう「科学は反証可能でなければならない」というのに程遠い姿のものゆ
えで言わば、「考古学」みたいな存在だからだろうと思います。

きちんと「論理的」に考えてみれば、ずいぶん「おかしな」ことを主張しているもの
であり、その意味では、そこが「科学」ゆえの一つの大きな『弱点』なのです
が、
それに変わるような、アカデミズム学者の多数の『主観的コンセンサス』が得ら
れるような対案
がないゆえに、綿々と延命できているにすぎません。
一つの対案として出てきているのは「ID理論」ですが、元々、「キリスト教的創造
論」を進めたものという風に捉えられ、言わば「科学に対抗する宗教世界のもの」
だという進化論者側からの「非論理的・非科学的」な攻撃を受けていて、それが、
アカデミズム学者の多数の『主観的コンセンサス』が得られず、特に日本ではそ
ういう意識が強くあるために、未だに、一般的には『進化論』は打撃を受けておら
ず、昔のままで綿々と学徒に教え続けられ、それを「科学常識」となり続けている
わけです。

勿論、近年のインターネットの発展により、「『進化論』のおかしさ」に気づき始め
ている人も増えているとは思いますが、それでも、その多くが、根本のところで西
欧文化のバックボーン的深層観念のない(「万物創造の絶対神」意識のない)日
本の理系人間には違和感が出てしまう「創造論」賛成者の方達の意見が多いた
め、中身を見ない前に逆に引いてしまっている人も多いものと思います。うちのせ
がれもその一人であり、「進化論者」の「創造論」だけ攻撃による延命策は、少な
くとも日本では、ある程度は功を奏しているようですけど、キリスト教的バックボー
ンがない私でも、そういう、本質的でないところの言わば「姑息で卑怯なやり方」に
は極めて不快感を抱いています。

そういう意味もあって、私は、「創造論者」であることを表明されていないサイト意
見を漁っているところですが、そういうサイトはちゃんとありますね。
一番は、しがらみのない「専門学者」ゆえの「普通の科学的感覚」から素直に出
てくるものでしょう。それで飯を食っているその分野の「専門学者」なら別に対案
など出してくる必要性も必然性もありませんからね。

そういうしがらみのない素直な感覚で「科学的」に考えるなら、今の地球上の動
植物の持つ複雑な性状が進化で出来上がる確率など天文学的な小ささ
であり、
科学者及び理系人間が合理的と信じている『物理常識』などとは完全に乖離して
いる
わけで、アカデミー学者や理系が信じる所の「科学的」では全くない説なので
す。当然、ほとんどは実験で再現できたものでもありません。古代史同様、一生
懸命、描いたストーリーに合うような『証拠』探しを150年の長きに渡り探し続けて
きているのですが、某進化論者自身がはからずしも述べているという「(進化論
は)もはや実際の科学的知識と一致しないし、事実を明確に把握するにも充分と
はいえない」という低落のようですし、その過程で、ひと時は証拠とされながら、
今では、事実を完全に暴露されて消えてしまったものや、まだ、一般下々には徹
底されずに相変わらず証拠だとして教科書に載せ続けられれている多くの「捏造」
がなされてきているようで、私から見れば、根本的に『科学』という学問の体をな
していないんじゃないのかという感がしています。科学界お得意の「新たな仮定に
導入による修正つじつまわせ」も多数のコンセンサスを得られるようなものではな
い状況にあるようです(遺伝子進化論など)。独自の「今西進化論」で世界的権威
であった今西錦司博士も「学者放棄宣言」されて離れられてしまわれたそうです。

そういう意味で、今や「進化論」は「学校教育で布教され続けている」だけの一種
の(無神論的)「宗教」になり下がっているではないか
とまで思えてしまうのです。
人々は、実に簡単で素直な「確率的に見ておかしいのではないか」という気持ちを
大切にして、まずは、第一歩として、おかしな洗脳から抜け出て欲しいものです。
そして、代案は専門学者の責にかかっているのです。完全に合理的な反論ができ
ないまま、基本部分が150年前の発想のものにいつまでもしがみつくというのが真
の自然科学者のスタンスではないと考えていただきたいものです。

私は、今では、ちまたの「陰謀論」なるものには距離を置いている輩ですので、真
偽不明の陰謀説に全面的組みはできかねますけど、どうして、定説になり、今まで
生き延びてこれたかと考えると、セントラルドグマとしての確立過程で何かあったの
のかもしれませんね。(’14/3)

目次に戻る