「量子」について(2)
さて、本当に「量子」ってなんなんでしょうか?
私は、このコーナーで再三再四、「直接実証観測」を最重視する必要性を
強調しており、その中で、前に「観測する」ということはどういうことかにつ
いて自分の考えを述べました(⇒ここ)。
再度示しますと、「観測した」というのは
@『観測装置』に何らかの『作用』がなされた
A『観測装置』はその作用を、自身の『検出能力範囲』で検出できた
ということだという主張です。
『作用』がなければ検出などできませんし、例え、『作用』があってもそれが
『観測装置』の『検出能力範囲』外であるなら検出はできないということです。
何が言いたいかと言いますと、「そこに物があっただけで見えるわけではな
く目と言う観測器官に何らかの作用があるからこそ見える」のだということ
です。このように考えると「物」としての実在性の信ぴょう性が問われること
になります。すなわち、そこに「物」が存在してなくても、「目」という観測器官
に「何らかの作用」があれば、「そこにある」らしいと認識できるだけというこ
とです。
そういうことから、私は「粒子」という「物」を考えるのは思い込みだけに過ぎ
ず決して証明された「真理」ではないのではないかと考えるのです。
ウィルソンの霧箱で観察された「素粒子の軌跡」というのは、そこのガスに何
らかの作用があったことで生じた反応です。別に「物」としての「粒子」でなく
ても構わないのではないでしょうか?
では「何でしょうか」?私はそれは「波」と考えているのです。
調べてみますと「波は作用である」という説明がありました。
ここでいう「波」は決して「海の波」のようなものではありません。物理学で云
う波はもっと広義のものですね。ただ、浅学非才の素人の私ですので、今現
在、具体的にどういう波なのか確固たる概念はまだ持ってはいませんが。
ネット見てましたら、「電子は波だ」と主張されている40年間量子力学を教え
て来たという日本アカデミズム科学の先生の主張を目にして驚きました。
「電子は質点か場か」
なんと神奈川大学総合理学研究所の宮沢先生という方の書かれたものです。
上記のpdfには詳細な理論については記載されていませんのでそのような結
論に至った具体的過程については不案内ですが、この御主張に賛同されて
いる方が補足してブログで紹介されています
(⇒ここ)。
先生の主張は、過去の科学者は電子を「質点」と考えて来たからニュートン力
学と矛盾してしまって新たなミクロ世界に対する力学が必要となって量子力学
が作られたが、その量子力学を難しいものにしてきてしまったのは電子が「質
点」であるという考えに拘ったからであるというものです。
「質点」ではなく「場」という概念をとっていれば量子力学は20年早く完成して
いたはずとも主張されています。
裳華房『量子力学(T)』(基礎物理学選書)によれば、(1)で述べたシュレディ
ンガー方程式は元々は、
として求めたものとのことで、シュレディンガーはそれを拡張してΨがこの形で
ないときにも成立すると考えたそうです。
ところで、「粒子」という「もの」を考慮しているため、「運動量」というニュートン力
学の概念が考慮されていて、これをpとするとき、運動エネルギーは
となるとしています。では、「運動量」って何でしょうか?ニュートン力学では
が成立しますので、時間0→tの間に速度がv0→vに変化した時
となります。ここで
であり、Ftを力積と称して、それは(質量)×(速度)の差に等しいことになり
ます。この(質量)×(速度)
を運動量と称しているわけですが、今更ながら、物理的イメージが湧かずに
います(^_^;)。一体全体「なんだろうか?」です。
上記の運動エネルギーの右端の式はこの式と中央の式から巧妙に速度vを
消して質量と運動量だけの式になっています。そして、中央の式から離れて、
運動量として前項(1)に示したA式を用いているわけです。実に巧妙なやり
方ですよね。
ま、それでも「質量」が入っていますが、例えば「電子」の質量は通常の物の
ように「重量計」で重量を測って重力加速度で除すというような形で求めたも
のではなく、間接的に求めたものですからすでにそこに理論的な算定が入り
込んでいるわけです。
何が言いたいかといいますと、結局のところ、シュレディンガー方程式という
結果自体は、現在、「正しい」(観測結果と一致)ことを考えれば、特に「粒子」
ということを考えなくてもよいのではないかということです。
「じゃぁ、観測されたものはなんだい?」となると思います。それで、冒頭で
長々と「観測する」ということはどういうことかについて示したのです。
例えば、電子の二重スリット実験におけるスクリーン上の点を「粒子」として
の電子像だと考えていますけど、スクリーンのところでなんらかの作用があっ
てあの「点」が「像」となっていると考えたらどうでしょうか?像自体は電子そ
のものではないのですから。
実は私はマクロ世界というのも同じだと考えているのです。そして、「周波数」
という属性を有していると・・・。マクロ世界の物理学は「集合体」としての性質
のみに注目しているだけではないかと。逆転の発想で、ミクロ世界の物理学
からそれの「集合体」としてのマクロがどうなっているかという風に考えたらど
うでしょうか?マクロ世界で確立した物理学をミクロ世界に適用しようとしたか
らそのままでは矛盾が出たと言う訳で、それゆえ、曖昧な概念のままになっ
てしまっているのではないでしょうか?
いずれにしろ、地球物理学において近年一番の重要な発見はエネルギー量
子であろうと思います。ただし、hはプランク定数というような単なる定数で
しょうか?「作用子」と称している学者もいるそうですし、何か「深遠な」存在
ではないかと思っています。
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(補足)
「速度」は保存しないが「運動量」は保存の法則があるので、速度より運動量
の方が運動にとって、より本質的だと言う主張をネットで見ました。
私は運動量保存の法則は勿論習って知っていますが、運動量って元々どう
いう概念で出てきたものか、忘れているのか最初から考えてもいなかったか
わからなかったので調べてみたら上記のような導出がありました。
ですから、ひょっとしたら、そういう式でmvを運動量と称しているとだけ習った
のではないかという気がしています。昔は、最近ほど、語彙の意義をまじめに
考えたりしなかったからですが。
結局、まだ私の中ではぼやっとしてます(^_^;)
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