『観測された』ということ
60歳を過ぎてこの二年半、前の60年間、考えたこともなかった科学の原点的なこと
をあれこれ無い知恵絞って考えています。
最近、色々とネットサーフィンしている中で、現代の定説理論に対する疑問・疑念が
湧いてきて、その疑問・疑念を振り払うためにはこれまで何の疑問も感じないままき
たことを原点から一歩ずつきちんと考えて、そこの中から理解していこうという、浅
学菲才の素人のくせにまことにおこがましいことを始めています(^_^;)
ま、素人ゆえ、自分自身が理解納得できればそれでいいということですけどね。
納得できないものを、不思議だけどそういうものなんだからなどと言うはぐらかしで自
分を偽り続けるなどということが金輪際できない輩ですから。
『あきらめればわかる』なんて知ったふうなことをえらそうに言う人がいますが、私は
そういう人とその主張を『科学的』とは決して認めません。
「ふざけるな」
と言いたい(-_-メ)。・・・おっと前置きが長くなりました(^_^;)。
-------------------------
私はこのコーナーで再三に渡り、『既存理論より観測結果を重視すべき』と主張をし
ていますが、『観測』とは何かということを考えてみました。
ここで言う『観測』は所謂『観測装置』で観測するだけでなく、人間の五感も含んでの
話です。ですから、所定の目的の元に沿ったもののみならず得られた全てのものを
その観測結果という言葉で包含して以下は述べています。
『観測された』ということは観測装置に何らかの『作用』がなされ、それを観測装置が
反応して何らかの結果を表示・記録することです。
ですから、何らかの『作用』がなかったり、それに装置が反応しなければ観測はなさ
れないわけです。
すなわち、『観測された』というのは
観測装置にある作用があり、そしてその作用を観測
装置が装置の能力の範囲内で検知された
ということに他ならないでしょう。
わざわざ当たり前のようなことを書いているのは、現実にはこの『当たり前』のことが
ともすると忘れられていると思われるからです。
何が言いたいかと言いますと、勿論、作用がなければ未来永劫、観測されないです
けど
「観測されない」=「作用がない」とは限らない
と言うことです。『逆は必ずしも真ならず』なのです。
作用してもそれを検知する能力が観測装置に無い時は観測されないからです。
そして、観測装置の検知能力には間違いなく差があるのです。
これは人間の作った観測装置のみならず、ここで私が包含して考えている人間の五
感も含めて皆そうです。そしてそれは状況により確実に変化するものであって未来
永劫一定ではないのです。
ひょっとすると、みな、こういう当たり前の現実を忘れているのではないかという気
がしています。
なぜ、こんなことをくどくどと書いているかと言いますと、私自身も含めこの『地球上
の人間』には学んだ知識に起因するある意味困った習性があるからです。
すなわち、
自分の学んだ知識・常識に反する結果が出てきて
しまうとそれを素直に受け入れることができない
というものです。頭から『何かの間違いだろう』と決めつけてしまうわけです。
それが実験観測装置の結果であるなら観測装置自体の誤動とかや実験手順状況
を疑い、人間の五感であるなら幻視、幻聴などと決めつけてしまう訳です。
しかし、前述の私の主張する『観測された』ということの本質を考えた時、そのよう
な私に言わせてもらえば『真の根拠のない勝手な決めつけ』をすることは正しい
真の科学的態度でしょうか?
私はたとえ一回限りの観測結果でも、一回限りという理由だけで勝手に装置の誤
動作などと決めつけてはならないと言いたいのです。勿論、誤動作ということも
ないわけではないのは当然のことですが、誤動作であったという実証がないまま
誤動作として捨て去るなと云いたいのです。作用があっても検出能力外では検出
できないのですが、その検出能力は条件で変化するものであり全ての条件下で一
定ではないのですから、たまたまクリティカルにその検出能力がうまく検出できる
時点があったのかもしれないのです。
人間の五感の場合、「私は見た」という人達が主張されている『心霊現象』があり
ますが、私も含めて多くの人は見た経験がないこともあり、『地球の現代科学』で
説明できないことから『非科学的』と決めつけられています。
しかしながら、これも、単なる人間の五感が平等だという幻想と学んだ知識だけか
らの決めつけにすぎません。幻視だとかペテンだとか決めつけてしまう真の根拠な
どないわけです。
話が発散しかけていますので、まとめますと、要するに私が言いたいことは
(1)「観測された」ということはなんらかの作用が観測装置になされたことは
間違いない
(2)「観測されなかった」ということは必ずしも存在しなかったということには
ならない。観測装置の検出能力が劣っていただけの場合もありうる
(3)観測装置には個体差と条件による差があるのである観測結果が再現
できなかったからとか観測装置で観測されないからという理由だけで
そういうデータは間違いか捏造と勝手に決めつけてはいけない
(4)自分の知識・常識に反するからという理由だけで観測結果を廃棄して
はいけない
ということです。科学界を見ているとどうもこういう判断が真の根拠なく正しいなど
という思い込みがありそしてそれが『科学的態度だ』という感違いが横行している
気がしてなりません。
目次に戻る