私の思考

ネット見てますと、例えば私のような相対性理論に反対する方々を『自分の常識とはず
れているから疑うのだろう』と『相対性理論正しい派』の方々は決めつけている感がし
ていますが、少なくとも私は全然違うと言うことを強調しておきたい。

私は所謂『とんでも』好きな人間であり、理系人間でありながら『常識とはずれている』
ということで決して懐疑的になったり、反対する根拠になどしない輩なのです。
ですから初めて『相対性理論』に接した時も、『時間と距離』に関する『一般常識』から
はずれていても全然そんなことは気にもならずごく普通に淡々と入っていきましたよ。
何が言いたいかといいますと、普通に淡々と入りこむということは決して完全に惑わさ
れてしまったりしない
ということなのです。

「相対性理論は納得できたので正しい」として私と平行線のせがれと話をしていたとき、
最初はどうやら常識で考えていくつか疑問を持ったと言ってました。で、私はなるほどと
感じたのです。私の勝手な邪推かもしれませんが・・・
恐らく、正しいと考えている方達はこの理論に接した時に常識とかけ離れた点があると
して驚き、そして巧妙に構築された『理論』と後世の学者の巧妙な説明に接して理系ゆ
えにどうしても『理論』というものの存在を高く見てますから「おお、なるほど。常識とは
違うけどこれは本物らしい」とその人にとって最初の衝撃が大きい(常識とかけ離れて
いる)分、余計に確固たる存在となっているのだろうと思うのです。

確かに私も理系のはしくれですからある意味、『理論』という存在に弱いことは認めま
すが、だからと言って、『理論崇高主義』ではなく、『理論』に反している、理論がないと
いうことで懐疑主義的になったりは全然しない
輩なんですね。
要するに、このコーナーで再三書いてきたように、むしろ「観測絶対主義者」なのです。
ですから、誰かが観測したと主張した事柄があるなら、「理論、常識に反しているから
そんなものは間違っている、ペテンだ」などと勝手に決めつけたりしないのです。
いくら少数の人の主張でも『実証観測』がその主張の元になっている限り、決して懐疑
的・否定的にはならない輩なのです。既存理論がなんぼのもんじゃという訳です。

しかし、その主張が単に『脳内思考』の結果に過ぎないようなものは私は決して肯定
しない輩なのです。いくら説明が巧妙でもです。いくら巧妙でつじつまが合おうとも
『実証観測』というものがないようなものは真理だと信じたりしないと言うことです。
私の中には「地球人の知恵なんて所詮大したことはない」という思いが強固にあります
から(ソフトのバグはいつまで立っても解消されないませんし、多くでのエンジニアの知
恵の結晶で何重にもフェールセーフを施したはずのハイテク飛行機も墜落するという
事実一つとっても明らかじゃないですか?)いくら多数の学者が真理だと主張しても
だからといって平服などできず、脳内だけから出されたものを真理だとは認めること
ができないのです。私にとっては「多数の学者が正しい」としているからというのは
全然「黄門様の印籠にはならない」のです。

私はこういう思考の人間ですから、これまで全て実証試験観測されていて今のところ
何一つ実証観測で矛盾する結果が出ていない「量子力学」はかなり真相に迫った理
論だろうと考えています。これも全然常識云々などというのは私の中に何もかせに
はなっていませんでした。その意味で、『量子力学は正しいが相対性理論は間違い』
と主張されている方々は少なくとも『自分の常識とはずれているから疑う』ような人で
はないと言えましょう。要するにそんな理由で『理解しようとしない』のでは決してない
のです。

後ヅモで、あつかましいご都合主義的な『情況証拠』をいくら並べたてられてもそんな
ものは真理の絶対的証拠にはならないのです。

私は、「なぜ、相対性理論を唯一の回答だなどと思いこむのか?」と問うています。
真の回答は、いくら困難でも、直接実証観測試験でしか導出できないと言いたい。
そして、それが本来の科学じゃないかと言いたいのです。

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私は「理系の思考」ということについて考えてみました。その格好の材料が「ガリレイ
変換」でした。中学か高校か忘れましたが、初めて「ガリレイ変換」を学んだとき、そ
れに違和感を感じた理系の方っているでしょうか?恥ずかしながら、私は全く自然に
受け入れてしまったという気がしています。で、見ていると多くの理系の方はそうじゃ
ないかと思います。

しかしながら、よくよく考えた時、決して教科書や授業でその実証観測結果なるものは
目にしたことはないのではないでしょうか?それなのになぜ自然に受け入れられたの
かについて考えてみたのです。そして、結局、皆、中学高校と綿々と学んできた数学
−ユークリッド幾何学の知識
があったゆえではないか
という結論に達したのです。
要するに、自然科学だと言いながら、元は「数学」だということです。

結局のところ『主客転倒』なんですね。ところがこの『主客転倒』ということに誰も気が
ついておらず、自然の素朴な知恵と思いこんでしまっているのです。その結果があの
光の三角形光路を真理だという主張に直結しているのです。

何回も書いてきましたが、誰一人、あの光の三角形光路など直接観測していないにも
係わらずです。
その意味で、私は
 特殊相対性理論と言うのは中学生レベルの数学知識を
 適用範囲があることに気がつかないまま思い違いをし
 て乱用しているにすぎないもの

として反対しているのです。そしてその適用範囲での帰結はガリレイ変換なのです。
ですから再三、ガリレイ変換を否定するなら光の三角形で考えてはいけないと主張し
ているのです。決してガリレイ変換がオールマイティな真理だなどと主張しているの
ではないのです。単に、非論理的・不合理なことをするなと主張しているだけなので
す。
ガリレイ変換というものが元々は純粋な数学理論がベースになっていること、そして
それを自然科学に適用するのには大前提が厳然とある
ということに気がつくなら、
日高さんの主張が理解できると考えています。少なくとも私はこの結論から理解して
います。そして、
 真の理論は「直接実証観測結果」からしか得ることは
 できない

と断言します。それこそが『本来の科学のあり方』ではないでしょうか?

繰り返しますが、手前みその後ズモ解釈のご都合主義的情況証拠をいくら積み重ね
てもそんなものは真理の証拠には決してならない
のです!!科学の真理は直接実証
観測結果の積み重ねのみから得られるのです!!人間の脳内知識・浅知恵からだけ
では決して真理など生み出されません!!出てくるのは仮説にしかすぎないのです。
みな大きな幻想を抱いているだけにすぎないのです。
できると思うのは科学者の浅墓なうぬぼれにしかすぎません


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