それは『科学』なのでしょうか?

メディアやインターネット上で、「科学倫理」を盾にして、小保方さんを不正科学者だと
して散々攻撃された某大学教授の方がおられるのですが、中部大学の武田教授が
調べたところ、「専門分野」(ネット上で知りましたが書きません)の論文業績は皆無、
あったのは、「科学倫理」の論文だけだそうです(恐らく日本語でしょう)。

で、「科学倫理」って『科学』なのでしょうか??
そして、ご自分で論文を書いていない方が、論文について「科学倫理」云々などと言
ってしまって若い未熟の研究者を攻撃するような経験・権利はあるのでしょうか??

ネット上で、ある沢山論文を出されている科学者が、そんな四角四面なことに拘って
いたら論文など出せないと本音を吐かれたという話もありました。
私が、最もこの人をけしからんと思ったことは、「たとえSTAP細胞があっても」という
とんでもないことまで口走ったということでした。この方は科学をなんだと思っている
のでしょうか?「科学コミュニティ」というのは特別の特権階級なのでしょうか?
そして、「科学」というのは、そういう特権階級の手グサミなのでしょうか?
ふざけるにもほどがあります(-_-メ)。科学は人類の幸福のためにあるものです。
科学者のマスタベーションのためのものではありません。「生命科学」というのは人
間の健康に直結した学問ですよね?それを「なくても」と、ある意味、くだらない科学
倫理なるものを優先させるとはどういう方でしょうか?
こういうのを「角を矯めて牛を殺す」というのです。

科学倫理なるものは、ご自分で散々研究生活を送られ、沢山の論文を書いてこられ
て功なり遂げた名誉教授クラスの方が、自分自身の経験に鑑み、やるようなもので
はないですか?


本コーナーで再三批判してきた、「疑似科学批判」なるもので有名な先生がおられ
ます。私が大変けしからんと思うのは、この方は、余暇でご自分の自宅のパソコン
で自費でやるならまだしも、大学のパソコンで大学の費用で、それを発信し、賛同
者が集まるブログを運営されていることです。
この方は、それで今の地位にいるちゃんとした科学の専門分野の方なのに、それ
ではなく、こんなものに力を注いでおられるわけです。

で、見ていますと、日本科学アカデミア権威筋がやらないもの、科学常識にはずれ
るものを全て「疑似科学」と自己認定しているだけなのです。で、そういう認定をさ
れた側が、「そういうことはきちんと自分で試してみて言って欲しい」と主張すると、
「そんなものを証明している(まともな)論文はないから間違っておりやるまでもない
(キッパリ)」とやっているわけです。

はっきり言えば、その対象部門は彼の専門分野ではありません。科学者と言えど、
全ての部門に関与して深い知見を有している方などいません。ですから、専門分
野以外では当然、自分で実験研究活動など非体験であり、大学で学んだ理系素
人の域を出ていないわけです。当然ながら、その言説は"Faith based evidence"
によるものでしかないわけです。

こんなものが「科学」でしょうか?単なる「科学評論家」でしかないのです。
社会学玄論〜思想化するニセ科学批判〜というブログに、

 科学=学問と思想は区別されるべきである。科学の役目
 それ自体には自我統合機能も社会統合機能もない。
 事実を探求することが科学の役目である。


という指摘がありました。そして、この先生とそこに集う方々がやっているのは、

 最早、科学ではなく、思想である(※1)

と主張されています。攻撃されている側の方が、「疑似科学批判教」だと批判され
ていましたが、まさに、そういう一種の"religion"の感がします。
私は、病理学的懐疑論(pathological skepticism)の項で海外サイトで目にした批判
的言説を引用紹介しました。前述の"Faith based evidence"もそこからの引用です。
そこの批判からすると、大変失礼ながら、この方々のやっているのはまさに、
"pathological skepticism"、"Quasi-skepticism"ではないでしょうか?
しかしながら、彼らは恐らくそういう認識はないだろうと思うのです。ですから、
前述の(※1)という批判はわが意を得たりです。

確かに「いんちき」「ペテン」もあるかもしれません。また、その人の「思い込み」の強
さからだと思えるものも多々あるのは、とんでも好きな(但し、それらを皆、信じてい
るわけではなく、常識だけで全否定はしないということ)私でも感じてはいます。しか
しながら、例えば、Faradayは電磁誘導の法則を実験的に見出したのですが、その
当時、多くの科学者から「ペテン師」と誹謗中傷されたという事実があるのです。
「疑似科学」と批判されている方達の多くは、"Understanding based evidence"でそれ
を主張されているのです。そうではなく、単に"Faith based evidence"だけで誹謗中傷
するのは、私は決して"healthy skepticism"でも「科学的」でもないと思います。


私は、前述の、「事実を探求することが科学の役目である(※2)」という主張に全
面的に同意します。
大変失礼ながら、上記の先生方がやっていらっしゃるのは、「科学者」の本質的な"work"
であるはずの(※2)ではなく、言わば、「アカデミア科学コミュニティ」防衛でしかないと
考えるのです。

例のSTAP細胞事件において、初期の頃から、中部大学の武田教授は、「STAP細胞
&小保方嬢攻撃」の「風」に批判的で、(特に「科学コミュニティ」からだと思いますが)
大バッシングを受けられたそうですが、その一貫した言説は、まさに上記(※2)に基づ
くものと感じています。「アカデミア科学コミュニティ」に属されていながら、というかそこ
で多くの経験をされているゆえの言説だと思いますが、「日本科学むらの掟」を社会の
法律より優先しているという批判をされていました。日本国の法律と言うのは、言論の
自由を保証し、法律に反する罪を犯してもきちんと裁判で白黒つけるというものです。
しかしながら、私のような部外者の目から見ると、「日本科学むら」では、その権威を
守る、対外的にその権威を高く保つというのが「掟」の基本になっており、公正公平な
「裁判」などなく、極めて恣意的運用がなされている気がするのはネットサーフィンす
れば一目瞭然です。そこには、「学問の自由」も見られません。パイオニア的研究とそ
の発見者は迫害を受けている感がしています。前述の武田教授は、それを批判され
ていると思います。

「疑似科学批判」なるものは、そういう限られた「日本科学むらの掟」をそこに属して
いない(または、そこで迫害を受けて来た)方々にまで適用しようというような極めて
僭越なものではないでしょうか?

いずれにしろ、そこには、決して、「科学者が本来すべきこと・社会から求められてい
ること」というのは何かという目線は全くなく、それぞれの「権威」を頂点とした日本科
学むらの「権威」の防衛が先にある「権力思想」でしかないと思うのです。

 ('16/5)

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