知識人とエセ知識人(Intellectuals And Pseudo-Intellectuals)

前項で、ネットに蔓延している"pathological skepticism(病理学的懐疑論)" について
海外サイト記事を引用して論じました。あまりにhealty(健康的)でない、それを明示している
か否かは別として、ご自分の知見を絶対としているように見える"self-skeptic(自称懐疑主
義者)"の人達の横暴とも感じられる主張に不快感を感じて来たゆえに、記事を目にしたとき、
「わが意を得たり」と感じたからでした。

で、そのときもそうでしたけど、今回もわざわざそれで検索したわけではなかったのですが、
あるサイトの一article記事に"skepticism(懐疑主義)"という項があり、そこに面白いと思う
ものが引用紹介されていました。元記事サイトは読めないみたい(有料?)なので、そこから
孫引用で紹介しておきます。
(⇒ここ)
下手な和訳も示しておきます。

・The intellectual is looking for the right questions to ask;
 the pseudo is giving what he claims to be the right answers.

 (賢者は尋ねられるべき正しい質問を期待する;エセ知識人は
 彼が正しい回答だと主張するものを与える)

・The intellectual is evidently motivated by a disinterested
 love of truth;the pseudo is interested in being right, or being
 thought to be right, whether he is or not.

 (賢者は明らかに公平な真実愛によって興味を示される;
 エセは彼がそうかどうかに係らず正しいこと、正しいと思う事
 に興味を示す)

・The intellectual is willing to admit that what he does not know
  is far greater than what he knows;the pseudo claims to know
  as much as can be known about the subject under consideration.

 (賢者は、彼が知っていることより知らないことの方が多いこと
 を認めるのにやぶさかでない;エセは考慮中の課題について
 知ることができる限り知っていると主張する)

・The intellectual states as good a case for his adversary as can
 be made out;the pseudo sets up a straw man and beats it to
 death for the sake of seeming superior.

(賢者は、立証されうることは、彼の敵にとっても同様によいこと
 と述べる;エセは藁人形を作り、(自分が)優れた人と見えるよ
 うに、それを死ぬ迄叩く)

・The intellectual is deeply and constantly aware of the limitations
 of human reason;the pseudo makes a deity of reason and tries
 to force it into realms it cannot penetrate.

 (賢者は、人間的理由による限界に深く常に注意を払う;エセ
 は理屈の神を作り、それを理解できない領域に押し込もうとする)

・The intellectual seeks light from whatever source, realizing
 that ideas are no respecters of persons and turn up in the
 most unexpected places from the most improbable people;
 the pseudo accepts ideas, when he does, only from experts
 and specialists and certified authorities.

 (賢者はソースがなんであれ、そのアイデアが尊敬されなくて、
 最もありそうもない人からの最も期待されていない場で掘り
 起こされていることを理解していて、それから光明を求めて
 いる。;エセは彼がするとき、エキスパート、専門家、公認の
 権威からのみアイデアを受け取る)

・The intellectual advances an hypothesis that he hopes may
 be true; the pseudo propounds a dogma that he insists is
 true.

 (賢者は彼が真実としてもよいと望む仮説を進める;エセは、
 彼の主張するドグマを提唱する)

・The intellectual recognizes that opposites are not always
 contradictory, and may indeed reinforce each other;
 the pseudo paints a picture in black and white, right or
 wrong, leaving no room for a contrary viewpoint.

 (賢者は反対者がいつも矛盾していないこと、実際、お互いを
 強化することになることを理解している;エセは反対の見解
 に余地を残さず、黒か白か、正しいか間違っているかで絵を
 塗る)

・The intellectual knows there are no final answers to human
 questions; the pseudo makes each tentative and provisional
 answer sound like a finality.

 (賢者は人間の疑問に対する最終的回答がないことを知って
 いる;エセは各々の暫定的で仮の答えを最終であるかのよう
 に作る)

・The intellectual is courageous in opposing majority opinion,
 even when it jeopardizes his position; the pseudo slavishly
 follows "the most reliable authorities" in his field sneering
 at heresies.

 (賢者は、たとえそれが彼の地位を危うくするときでさえ、
 多数意見に反対する勇気を持っている;エセは異説をあざ
 笑う彼のフィールドにおける「最も信頼できる権威」に従属
 的に従う)

・The intellectual never talks down to his audience, but tries
 to be as clear as possible; the pseudo talks above his
 audience to mystify and impress them.

 (賢者は決して彼の聴衆を見下して話すことはなく、可能な
 限り明らかにしようと試みる;エセは彼の聴衆の上で煙に
 巻き彼らを痛感させるように話す)

(以上、「エセ」と訳した"Pseudo"は"Pseudo-intellectual"のことです)

私は単なる市井の一般人であり、「知識人」ではありませんが、"Pseudo-Intellectual"と指
摘されていることに関しては耳が痛いところも多々感じています(^^;
ま、しかしながら、ネット上では実にここで指摘されている"Pseudo-Intellectual"が跋扈し
ていますよねぇ。
"straw man"なんて外国でも同様に使うんですねぇ。
"only from experts and specialists and certified authorities"って、まさに私がここで批判
的に主張していることですなぁ。
"the pseudo slavishly follows "the most reliable authorities" って、日本の科学ジャーナ
リストがやっていることそのものでしょうな。

尚、このサイト記事には、

 The history of science reflects that numerous scientists
 have been denigrated by peers unwilling to accept new
 ideas that would require a change in their world view,
 even when evidence was at hand.

 (科学の歴史はたとえ、証拠が手の内にあるときでも、幾多の科学者
 が彼らの世界感を変える新しいアイデアを受けたがらない同輩によっ
 て誹謗されてきたことを表している)


という指摘があり、有名な例としてライト兄弟の飛行機成功話が書かれています。これはそ
のまま引用はしませんが、要するに、

 Scientific American誌が基本的信念(空気より重い航空機は不可能)に基づいてライト兄
 弟の飛行の噂を嘲笑した記事を出し、それは多くの科学者や米軍から支持されたが、
 それから数年後、彼らは飛行に成功した

というものです。確か、その前に「飛行機は科学的にありえない」という論文を書き、後で物
笑いの種になった科学者がいたそうですね。

ま、このサイトではこれを"Skepticism as Inertia(惰性としての懐疑主義)"だと批判
的に書かれていますけど、いつの時代でも、どこの国でも、"scientists unwilling to accept
new ideas that would require a change in their world view"と"science journalist"による
"Skepticism as Inertia"としてのコラボレーションは綿々となされてきたんですねぇ・・・


                           ('16/5)

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