原点に戻って考え直してはみませんか?

再三書いて来たことのまとめみたいなもので同じことの繰り返しですが(^_^;)

『科学界』の情況を傍から眺めていますと、今の「標準理論」へのこだわりを強く
感じてしまっています。ですから、その理論に合わない観測・実験結果が出てき
きてもその理論の『基本』部分はそのままにして、側面部分での「つじつまわせ」
による修正−悪く言えば、「綻びの取り繕い」−に終始している感がしています。
科学者というのは秀才が揃っていますから、大変失礼なことを言うなら、実にそ
ういう「つじつま合わせ」がうまいわけです。そこでの多くは、「新たな仮定」が入
っていて、その後はその仮定の証明に齷齪しているわけです。
どうもそういう「『標準理論』の延命策」が研究の本論化している気がしてならな
いのは私のような部外者が思う大変失礼な「下種の勘ぐり」でしょうか?

よく、「自分は『懐疑主義者』だ」という人を見かけますが、何を言っているかと
思うと、彼らは決して『物理常識』とか『標準理論』に対して『懐疑的』というので
はなく、そういうものに合わない・矛盾するような呈示された「観測結果」主張に
対することである
のが大半です。基本的には、学校で学んだ『物理常識』とか
『標準理論』を「正しいもの」とした上で、「それに合わないものは実験観測自体
間違っている、解釈を間違えている」と疑う
わけですね。そして、彼らはそれを、
「科学研究の『正しいあり方』だ」と信じて疑ってはいないのです。

前にも書きましたけど、科学の基本的標準理論の大きなパラダイムシフトが起
きたのは地球の歴史に置いては、「天動説⇒地動説」くらいではないでしょうか?
そのパラダイムシフトも、天体観測結果から地動説が出てきた当初は、周天円
で「つじつま合わせ」した天動説の方がまだうまく説明で来たため、当時の主流
科学界自体が天動説を捨てられなかったそうですから、結局、次々となされて
いた観測結果に対して、それ自体証明されもしていなかった言わばつじつまわ
せの『仮定』である周天円の数が増え過ぎて収拾がつかなくなり、一方で地動
説理論が次第に確立してきて、学者の賛同がそちらに向かう流れになったため
に運よくこの一大パラダイムシフトが起きたわけです。
一般には「地動説学者弾圧」を教会の責だけに矮小化して喧伝されていますが
それは間違いで、今も変わらない、科学界自体の「異端者弾圧」が陰にあった
のです。いつの時代も、権威筋は綿々と培ってきた自己の権威の失墜を恐れる
ものであり、教会権威を利用しただけに過ぎないというのが実態です。

要するに、再三、指摘してきたように、『地球の科学』なるものは、決して、科学者
が喧伝し、一般下々がそれを信じているような『客観的』なものではなく、その実
は極めて『主観的』なもの
なのです(⇒ここに述べました)。

私は真の科学的態度というのは、前述のような「懐疑主義」ではなく、従来の知
識・常識に囚われず「それに合わないおかしい」という結果が出た時、それを従
来の物理常識・標準理論(セントラルドグマ)に合わないからと言って、簡単に
捨て去るべきでは無く、「その標準理論はほんとうか?」というそういう目で原
点から見直すべきではないか
と思うのです。なぜなら、再三、主張しています
ように、現代の標準科学理論というのは、100%客観的なものではなく、「多数
の学者の主観的コンセンサスを得て『セントラルドグマ』になったにすぎない」も
のだからです。ネットではこういう意見への反論がありますけど、彼らは決して
基本パラダイムの根幹自体には疑いを露ほども抱いていないのは間違いない
でしょう。側面的な付随する理論に対する話をしても反論にはならないのです。

前にも書きましたが、機械・構造物の設計というのを初めて経験すると、そういう
古典物理学を応用している世界に置いても、実に「理論と実際の乖離があるか」
という事実に直面します。歴史が古く、既に枯れた技術かと思うような分野でさえ、
実際と理論の乖離があるのです。一つは理想モデルで計算するからというシュミ
レーション面の不十分さがありますが、「枯れた技術」というのはある程度過去の
経験からの推測をしてやっています。しかしながら、それでも、往々にして、「考え
てもいなかったこと」が起きるわけですが、設計の立場では、それを解決しないと
物にできないわけです。「なぜか」を考えてつじつま合わせしても、製品として解
決しないと無意味なのです。ですから、『製品設計』という『工学応用部門』では
「実証試験・観測」というのは必ずついて回る必須業務であり、問題ない製品を世
に送り出すためには原因究明・解決策見極め・対策の実証検証というのが「普通」
の業務になっている世界です。どんなにもっともらしい理論や解決策を打ち出して
も「実際に成功」しなければそんなものは価値が無く無意味なのです。
過去の科学知識・常識を総動員しても、現実は「そんなことにはお構いなし」という
ことも多々あるわけです。私は、そういう経験を長くしてきましたから、「脳内つじつ
ま合わせ」だけで真の直接実証が悉くなされていないのに「正しいのだ」と断定し
てしまうような「今のアカデミズム物理学」のあり方に非情に疑問を感じているので
す。ちなみに、私は「理論」知らずの「経験的知識」だけでやるというのには一貫し
して反対の立場ですので誤解なきよう。

地球の人間のそれまで培ってきた科学常識・知識だけでは現実は説明できない
思いもよらないことが起きるから、培ってきた科学常識・知識だけから判断して「そ
んなことはありえないから間違っている」と決めつけたり、それですまなくなると
「つじつま合わせできた」として安心して、安易に理論の延命を図ろうとするなと主
張しているのです。

例えば、なぜか、日本の宇宙物理学はこれだけに拘泥し、真実のように教科書で
書き、啓蒙書を出している『ビッグバン宇宙論』。その歴史をひも解くと、私のよう
な市井の単なる「科学好き」の輩から見ても、「呆れ果ててしまう」くらいの「修正?
に次ぐ修正による『綻びの取り繕い』」の歴史の代物だと感じてしまいます。
しがらみのない私のような一般市民から見れば、とても根幹自体、「神聖にしてお
かすべからず」などと言うような代物には見えません。真の科学者なら、「おかし
いぞ」と思う方が一人や二人はいても不思議ではないのですが、現実は特に日本
のアカデミー科学界ではそういう声は漏れ出てきておりません。欧州では一定の
支持を得ているとされている『プラズマ宇宙論』など日本人著の啓蒙書の類など
皆無です(和訳本は出たようですが)。たとえ思ってもそれが言えない雰囲気があ
るのかもしれませんね。こういう対抗理論が出ている現在、私には「なぜ未だにこ
んな『綻びの取り繕い』ばかりしてきている『ビッグバン宇宙論』に拘泥するのか」
それが不思議でなりません(推測はしていますけどね)。

また、例えば、本コーナーでずっと批判している「相対性理論」はこれが崩壊する
と多くの現代科学の基本パラダイムが総崩れする恐れがあるため、専門学者以
外の学者も疑念を感じたり「できない」感がしています。そして、それが、物理の
の発展に影を落としているのはしがらみのない素人から見れば一目瞭然です。

ま、科学者も人間ですから、当然ながら「長年、綿々と培ってきて、それで一定の
地位についた」学者さんが自分のそれに拘泥する保守的になるのはわからんで
もないのです。これは決して「侮辱」しているわけではありません。しかし、その地
位を利用した圧力というのは認めることはできないのです。そういう体質自体が
真の科学の発展の妨げになっているからです。

別項でも書きましたように、寺田寅彦さんとか初代・東大地震研所長の石本博士
はそういうことへの警鐘を鳴らされていましたが、大変失礼ながら、そういう「悪し
き体質」が日本だけでなく世界的にも厳然とあるようです(特に日本はその傾向
が強く見受けられますが)。ですから、ど素人の部外者の私が再三言っているよ
うに、「綻びが出てきている『基本パラダイム』を元から見直すべき」と言っても、
そこに席を置く方達には現実的には大変な困難が伴うことですし、それ相応の覚
悟が必要でしょうから、私のような意見は、しがらみのない輩の「無責任」な言動
でしかないと思われるのは重々承知しています。
ですが、先の長い「若い」科学者が、下々を見下して「標準理論は正しいのだ、そ
れを間違っているなどとほざくのはお前らがど素人だからだ」というような言動を
されるのは地球の科学にとって最大の不幸だと思うことだけは言っておきたいと
思います。見解の相違だと言ってしまえばそれまでですけどね。

ま、大変残念ですけど、ネット見ている限り、過去と同様、日本発の「基本パラダ
イム」も「パラダイムシフト」もありえないでしょうね。せいぜい、基本パラダイムの
補填または部分修正くらいしかなされないだろうと思いますね。大変失礼ですが、
傍目から見ると、そう結論づけざるを得ないです。寂しい限りです(:_;)

ただ、そういう言動から見ますと、彼らは露ほども御自分達が拠り所としている、
基本パラダイムの根幹に疑念を感じておられないようですから、もし万一、将来
それが崩壊した時、どうされるのでしょうかねぇ。私らは、「しがらみのないそれ
で飯食っていない」市井の人間ですから、「ほれみろ」と一言言って終わりですで
すけどね。 ('14/3)

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