『科学常識』って何なのか

人はよく、「常識で考えれば」というフレーズを使います。
そして、理系の我々は、往々にして「科学常識」を元手にして、「そんな科学に
反するものなどない」と断定口調で宣告したりし、そういう「『科学』に反する」
とされてる事を言うと、白眼視され、馬鹿にされてしまうのです。

しかしながら、そういう『常識』『科学常識』って人間が「自然に」身につけたも
のでしょうか?違いますよね?それは、『学校』なり『家庭』なりの『教育』で齎
されたものです。悪い言葉で言えば、「洗脳」されてきたということです。
そして、多くの人々は、自分の経験に照らし合わせて、それらの基本的な面
に少しも疑いなど抱いていないわけで、特に、『科学』などという学問の場合
は、自分が「学校教育で洗脳されてきた」などと考えたりする方はほとんどい
ない気もします。そういう私だって、長年そんなこと考えたことすらありません
でしたから。

ただ、私の場合、理系のくせに、若い頃から科学常識に反するものを全否定
せず面白いものは面白い、科学者の多くが気が付いていないだけかもという
感性の輩でしたから、ネットで反相対性理論者の言を見て以来、色々と調べ
た中で、私の中で、「学校理科教育によるアカデミズムの洗脳」という大きな
不信感が出てきてしまいました。そして、これは当然ですけど、「科学者も結
局は一介の人間にすぎない」のだなということに気が付いてしまったんですね。

勿論、教育側はそんな「洗脳」しているのだなどと考えてもいないでしょうし、
こういうこと言うと、反発されるかもしれません。
しかしながら、教育の現場では、当然ながら、「教科書」「授業で教えているこ
と」は真理だという風に「信じて」やっているわけでしょうし、習う方は、当然な
がら、「学校教育で習うゆえに」真実だと疑いすら抱かないのではないででしょ
うか?

しかしながら、実際には、他にも説があるのに、多数派ということで基本パラダ
イムみたいにされているものだけが教科書に記載され、授業の場で教えられ
ているという現実を考えてみれば、やはり、「多数派学者」の考えを真実だとし
て「洗脳」していることになるのではないでしょうか?

確かに、昔でも、習ったことに疑問を感じて、所謂「突飛なこと言ったり質問し
たりする」生徒はいたはずですが、多分に無視するか言いくるめられて終わり
になっていたでしょうし、特に日本の場合は、受験戦争がありますから、習っ
たことを忠実に覚え使うことが必須みたいになっていますので、私自身そうで
したけど、そこに決定的な疑念など持ちようがなく、私のような感性の輩でも
ないと、そういう知識がその方の中では確固たる位置を占めてしまっているん
ですね。勿論、私でも未だにそれが考えるときに尾を引いてしまっています。
そういう意味で、前述で「学校理科教育の洗脳」と言ったわけです。

でも、考えてみれば、今の人は「昔だから」とごまかしますけど、2000年続い
た「天動説」時代は、それが真理だと習い、自分の目で見た経験から、それに
疑念さえ一般の人は持たなかったと思います。当時は、「天動説」が「科学常
識」だったんですね。ですから、「地動説」にパラダイムシフトが起きたとき、当
時の人々はどのように感じたか是非知りたいです。

不都合なためか、明確に全てがきちんとさらされていない解明できていない(
要するに、『科学の常識』で説明できない)自然事象は沢山あるようです。
既存の数式をひっくり返し、綿々と「洗脳」されてきた『科学常識』を元手に知恵
を絞っても答えが見つからないというわけです。

その意味から、私は、ちまたで言われ、「そんなものはありえない」とするとき
の元手にしている『科学常識』って何なのか?と疑念を抱いており、だからこそ
そういう『科学常識』を元手にしての「そんなものはありえない」論に反発を覚
えているのです。彼らが「そんなものはありえない」と攻撃することを言う人は
そんな『科学常識』など知っていて言っているのですから反論になっていない
のです。

別項でも書きましたが、物理学者が一番頑迷ですなぁ。ネットで時に、定説に
反するような論文が話題になっても、いつも尻つぼみ・・・なぜでしょうか?
(’14/2)

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