ネットに見られる強い「科学者信奉」A

広大な電脳空間であるインターネットの発達により、個人が自分の意見を
自由に世界に発信できる時代になっています。
それにしたがって、これまでは、学校での『専門家』の教科書による『科学
教育』や著者が「それらをわかりやすく解説した」つもりでいる啓蒙書等に
よる一方的な発信ばかりであった『科学』の世界でも、かつては、本屋で
たまたま目にして購入しないと知ることもなかった、主流アカデミズム科学
以外の異端本・異端説の紹介、主流アカデミズム科学への反対論本の紹
介、そして、かつては全く目にもできなかった市井の個人の懐疑論・異
端説が無料で発信され、色々な情報・意見をいながらにして誰でも見るこ
とができるようになりました。

しかしながら、科学教育も支配しているアカデミー科学界にとっては、こう
いう情況というのは、アカデミー科学界の『権威』の失墜に繋がる恐れが
あり、看過できない状況で権威学者は苦々しい思いをしているでしょう。
特に、異端本の著者の言い分が真実とするなら、陰で出版社への陰湿な
圧力をかけたり、再三、批判していますけど、学会で「擬似科学批判」シン
ポを開いたりしています。更には、ネットではそういう権威の意を汲んだ、
又は自らの権威を疑わない(それにどっぷり浸かっている)恐らく若手の研
究者(学徒、院生、ポスドグ等の方達)や同様に「正統理論」に疑い自体を
抱いていない言わば「洗脳」されているとしか思えない理系の方達が尻馬
に乗る形でそういう、異端論、反対論に対し、「低脳、知恵遅れ、馬鹿、で
んぱ」等の罵詈雑言での一大攻撃が会議室などを中心になされています。

ですが、人間は十人十色。そういう権威側からの攻撃に対して、市井の一
般市民の中には、逆に不快感を招いたり、異端者への同情心が『判官び
いき』として出てくるのは必定です。

そうなってくると、中には異端説自体を信じる方も出てくるとは思いますが、
別に異端説そのものに賛同しなくても、「正統理論」に関してじっくり調べた
とき、「ほんとうに全て論理的で論自体の飛躍がなく、また、証拠というのも
完璧」で非の打ちどころの無いものというのには疑問が多々あると感じる
私のような人間も現れるのです。

要するに、アカデミー科学界側による異端派・反対者潰し攻撃は成功して
おらず、逆に、これまでそんなこと考えたこともなかった人々を逆に異端説・
反対説への同調者を増やしてしまっている感がします。
相対性理論への不信から科学について色々と検索するようになったこの4
年間、諸分野での懐疑論サイトが減るどころかむしろ増加している感がし
ているのは私だけでしょうか?

私はこのコーナーで再三、「多くの科学者が正しいと認めているから正しい
のだ」という主張は権威の誇示(水戸黄門の印篭)にしかすぎず「論外」と
断罪してきました。
ネット見ていると、「多くの科学者が正しいと認めている」のは正統な理由
があるからだという主張がありました。それへの反論として前項@で、正統
理論というものが確立した実態を示しました。
要するに、「科学界と言うのはあなたが信奉しているようなご立派な世界で
はありませんよ」と。そういう暴露本があり、一方では、知らなかったのです
が、そのアカデミー科学界の中にも、科学者体質への批判をされた学者が
いたことも事実です。

ですから、ひたすら、「多くの学者は信じているのではなく、きちんと理解し
て正しいと判断した」ものが「セントラルドグマ」になっていると主張し、自
分も決してただの信者などでは無く、自分で理解して正しいと納得している
のであるが、それに対して、反対者は不勉強または低脳ゆえ理解できない
だけにすぎないのだという攻撃は論理のすりかえに過ぎず、全く反論になっ
ていないのです。

いくら、言葉で手を変え品を変えて、スローガンだけでセントラルドグマを擁
護しても、真に「おかしいぞ」と思ってしまった人々に対しては無意味で無駄
な主張でしかなく、逆に「科学者信奉」者だとしか思われないのです。
どのセントラルドグマでも、よくよく学ぶと所々に論理の飛躍が見られます。
ですから、「それでいいのだろう」という主観的コンセンサスが多々入ってい
るのです。悉く、論理的・合理的・客観的ではないのです。だからこそ、「そ
ういう論理的飛躍、主観的コンセンサス」を受け入れられるか受け入れられ
ないかというところに賛成・反対が出てくるのです。セントラルドグマはたま
たま学者の中で賛成者が多かったというに過ぎないのです。全会一致では
ないのです。真に客観的で合理的であるなら、全会一致であるはずですね。
そして、多数派が絶対正しいと言う絶対的根拠はないのです。

結局のところ、どう取り繕おうと、「信じているか、疑問を感じているか」とい
う差でしかないのです。そして、「信じている」側はいくら教科書に書いてあ
る内容を呈示しても無駄なのです。疑問を提起している側は全否定してい
るのではなく、「論理飛躍」と感じている部分に疑問を呈しているのですか
ら。「証拠」と称しているものも、主観的解釈が必ず入り込んでいますし、
ずいぶん怪しいのもあります(既に捏造が証明されてしまっているものもあ
ります)から、スローガンみたいに「多くの証拠がある」と言っても、全然、
セントラルドグマは正しいのだと言う論拠になっていないのです。

したがって、いくら、正統派側が「信者ではない」という反論をしても、スロー
ガンだけでは、反対者にとっては瑕疵にもならず、賛同者が増えるような反
論になっていないことを十分考えるべきです。


ところで、異端説を攻撃する気持ちの中には、綿々と習い覚えた「科学
常識」があるものというのは間違いないでしょう。異端説の大半はそういう
「科学常識」に反しているものですから。
本コーナーで再三、批判してきていますが、その分野の専門家でもない某
学者がやっている『疑似(擬似)科学批判』なるものはまさに、そういう「科
学常識」だけを元手にしてやっています。しかしながら、少なくともある程度
の科学教育を受けた理系の人々で『疑似(擬似)科学』と攻撃を受けている
ものを信奉している人って、この人の云うようなことに無知で信奉している
のでしょうか?あまりにも市井の人々を馬鹿にして上から目線で見下して
いるとしか思えないのは私だけでしょうか?

驚いたことに、私は、綿々と習い覚えた「科学常識」とセントラルドグマに
疑いを一切持たないのではという意味から「科学者信奉」「科学信仰」と
いうキーワードで検索してみましたら、これを『疑似(擬似)科学批判』に
使っている意見をいくつも見ました。
『科学信奉』ゆえに『疑似(擬似)科学』に騙されてしまうのだそうです。
科学的な説明がなく言葉だけだとはなから無視し、それゆえに科学で説
明しようとすると、今度はこういう攻撃をされているわけで、結局、はなか
らそういう説の存在自体を排撃しようとするわけですね。
要するに、正統科学と科学常識だけが絶対的な科学だと「信じて」いるか
らにほかならないからです。どのように云い繕うとこれが実態なのです。
宗教における異端派攻撃・排除と全く変わらない構図です。
ですから、私が本コーナーで一貫して批判しているのは、そういう「正統
科学」だけが正しいと「信じ込み」、『科学常識』に一切疑問を感じずに、
そうではない説・意見を攻撃する愚に対してなのです。

正統派にとっては、異端派・反対派は目ざわりでしょう。ですが、やって
いる方法は逆効果で無意味なのです。ここで私が指摘しているような
反感しか帰ってこないのです。
「正しいから正しいのだ」という態度では無く、逐一、自分の言葉での十
分、論理的・合理的な反論が唯一の方法なのです。それを探し続けて
いるのですが私が抱いてしまった疑問を氷解してくれるような言説に
は未だおめにかかれていないため、少なくとも私は全然説得力を感じ
ず、「な〜んだ、やっぱり、アカデミズム科学信奉かぁ」としか思えない
わけです。

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