量子について(7)〜Ψ:勝手な妄想

専門家が答えを出していないのに、浅学非才のど素人のくせして、無謀にも
ずっとシュレディンガー方程式Ψって何なのかと考えています。

シュレディンガー方程式は『波動方程式』の形をとっていますから、物理学の
概念ではΨは『』ということになりますが、多くの人は『確率の波』だなんて
説明されても、じっさいのところでは「何?それ」ではないでしょうか?
規格化された|Ψ|^2が絶対確率であるということから、単にΨをそのよう
に呼んでいるだけにすぎない(それ以上の何ものでもない)とうのが実際のと
ころではないでしょうか?だから、ボーア達はそれ以上の説明をしようとしな
かったのではないかと思います。要するに、「何?それ」と追求しても答えは
返ってこない(「答えられない」)というわけです。

で、「なぜ、ピンとこないのか?」ということを考え、これは私だけなのかもしれ
ませんが、はたと気が付きました。
普通、「○○の波」というフレーズは、「海の波」とか「池の波」とかという媒質
の種類や、「音の波」のように波の具体的な本体の種類を表していて、我々
はすぐに理解できます。しかしながら、「確率の波」は数学的計算値という
イメージがある「確率」を含んだフレーズですから具体性がなくて、なかなか
理解出来にくいのではないでしょうか?

私は前から「『波』って一体全体なんだろうか?」と考え、検索したりもして、
一度、駄文をアップしたことがありましたが、思う所があってその後抹消して
しまいました。けれでも、やはり、そのときから考えていたことから離れられ
ないままになっています。
ネットでは「波動方程式の解が波」なのだという主張も目にしました。これな
ら、確かに、科学的括りでの「広義」の定義でうなずけないことはありません
が、じゃぁ、それぞれの波動方程式の解って波という一括概念の名前はわ
かるが一体全体、具体的には何なの?というような疑問には答えられませ
んよね。欲しい答えはそれなんですが・・・。

しかしながら、私の注目を引く説明を目にしました。それは、

 波は『作用』である

とうものでした。この説明をじっくり考えてみますと、我々が素朴に「波」とい
う名前で呼んでいる、例えば「海の波」は波というのが具現化した形を目に
してそう呼んでいるだけであり、海水に何かの『作用』があってああいう形
で具現化しているのだと言えるわけですから、波の本質は、ああいう形に
なる『作用』ということになります。

ただ、『作用』というと、通常は、「○○が作用する」「○○に作用する」とい
うような○○という「もの」を伴って使われる「動詞的」なwordですので、
ベストな用語ではない気がしますけど、他によい用語がないので仕方があ
りません。

結論として、私が考えている(勝手な妄想でしかないのですけど)Ψという
のはですから、『作用』です。用語として抽象的な感がしますが、シュレディ
ンガー方程式を解として満足する『作用』で、そういうものが「存在」してい
ると考えているのです。

前の方の項で、私が考える「観測」ということについて述べたましたが、観
測というのは観測装置になんらかの作用があって初めてできるものですの
で、波束の収束と呼んでいるものは、まさに、前述の『作用』が観測装置で
観測されたということになります。ですから、「作用する○○」というのは不
要であり、作用』だけが単独に「存在」していて、それがまさに、Ψではな
いかと考えているのです。

我々人類は、直接目にするマクロの「もの」から細分化していったものを、
「もの」という意味での「粒子」と先に名付けたため、「粒子の性質を持つ」
という風に捉え、そう科学者は説明しますが、本質は全く逆であって、Ψと
いう波動方程式(シュレディンガー方程式)の解の形となっている『作用』
が観測時に、所謂「波束の収束」という形(|Ψ|^2)で出てきたのが、
所謂「粒子」という姿であるというのが「ほんとう」ではないでしょうか?

したがって、私は、量子と称せられているものは、「波でも粒子でもない
もの」とか「波であって粒子でもあるもの」というような存在ではなく、
波動方程式の解の形としては『波』という概念に属しているが、実態は、
『作用』であり、観測すると、所謂「粒子」と呼ばれるような姿で観測され
るもの
であると考えているのです

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