科学の底流
『科学の基本パラダイム』は主流派・少数異端派含めて全て欧米発
であることは間違いないでしょう。そして、この事実が、地球における
科学そのものに確実に反映していることに、多くの日本人は気が付
いていません。
科学自体をよくみますと、そこには所謂、『決定論』的思想が流れて
います。古典物理学はまさに、『決定論』の世界であることは間違い
ないでしょう。
そして、科学界には「『科学』=『決定論』=『合理的』」という考え方
が基本的な概念として鎮座しているわけです。
しかしながら、そういう理解は「ほんとう」でしょうか?
古典力学すなわちニュートン力学体系を構築したニュートンの空間
論を見ますと、そこには『万物創造の絶対神』思想が如実に現れて
いるのです。実は、西欧的唯物主義の元祖たるデカルトも同じです。
要するに、科学に流れる『決定論』、『唯物主義』というのは、自覚
しているか否かは別として、実は欧米の人々に流れている『キリスト
教的世界観』が反映された思考と考えます。
欧米から遠く離れ、そもそもの文化が異なる日本ですが、明治以来
の西欧文明を積極的に取り入れることで『近代化』を図ってきたこと
から、そういう欧米諸国の科学者の底流に潜む『キリスト教的世界
観』そのものには考えが及ばず、いかにも『科学=合理的思考』と
いう理解だけが『科学教育』の根幹をなし、この科学教育によって、
ある意味、『洗脳』されている日本人は、「科学者=合理主義者=
無神論者」という風に完全に誤解している感がしています。
しかしながら、前述のように、デカルトもニュートンも敬虔なキリスト
教信者であったのは間違いなく、そして、彼らにとっては、科学は
決して、キリスト教に反するものではなかったのです。
そのことからも、前述のように、科学者の基本的な概念として鎮座
してきた、『決定論』『唯物主義』はまさに『キリスト教的世界観』が
反映されたものであると言う私の考えは間違いない気がします。
これは、別に18世紀〜19世紀だけの話では無く、文化の断絶は
無いのですから、自覚しているか否か、そして好むか好まざるか
は別として、現代科学者にもそのまま流れている底流なのです。
ですから、「なぜ、所謂、『コペンハーゲン解釈』とされる考え方へ
の反発が出てくるのか」は明白であって、かのEinsteinがその確率
的な解釈に対して『決定論』の立場から反対して「神はサイを振ら
ない」と言ったのは、決して比喩的意味では無く、彼に流れるキリ
スト教的世界観の素直な現れだったのです。
要するに、20世紀初頭に現れいでた『量子力学』は自覚有無は
別として、そういう『キリスト教的世界観』に基づいた『決定論』、
『西欧的唯物主義』を初めて脅かす存在だったのです。ボーア達、
量子力学の主流学者達は後者と縁が切れず、中途半端なところ
で追求をやめてしまっていますけど、そういう地球科学者に綿々
と流れてしみついてしまっている思考を一旦捨ててしまうと、実は
『量子力学』というのは『決定論』だけでなく『西欧的唯物主義』も
否定しているのです。これにしがみついていたために、中途半端
なところで思考停止してしまっているだけなのです。
ネット見てますと、一律にコペンハーゲン解釈と称せられている
『確率解釈』をよしとせず、決定論のEinsteinとその弟子ボームの
論を支持している方がいますが、明らかに、伝統的決定論の底
流にはキリスト教的世界観があるということなど思いも寄らず(日
本人にはそういうバックボーンがないため)、単に、「決定論=
合理的」という思いこみからであろうと思います。
また、多世界解釈なるものは、実は、結局のところ、中途半端な
ところで風呂敷を畳んでしまっている感がしている「コペンハー
ゲン解釈」と称せられているものを拡大発展させたものにすぎな
いのではないでしょうか?そこにはやはり、『決定論』、『西欧的
唯物主義』への強いこだわりが感じられるのです。
しかしながら、色々と調べていると、どうも『コペンハーゲン解釈』
と一律に称せられているものにはそれを解釈した個々の科学者
自身の捉え方が反映されていてニュアンスに差が見られます。
どうやらボーア達は、|Ψ|^2が観測結果と一致するとしたので
あって、Ψ自体については述べてはいないというのが事実らしい
と思いました。「Ψを確率の波」と称しているのは、ボルンが
|Ψ|^2を規格化したとき絶対確率になるとしたことに起因して
いるだけであり、具体的な物理イメージを描いていない(描けて
いない)というのが事実ではないでしょうか?
前にも述べましたが、シュレディンガー方程式の創設者である、
シュレディンガーは実際の波と主張したそうですけど、賛同を得
られなかったようです。シュレディンガーの描いていた「波」と
いうのはどういうものだったか不案内なのですが、恐らく、科学者
は『西欧的唯物主義』を捨てられなかったゆえではないかと思う
のですけどねぇ。だから、いかにも抽象的な『確率の波』という表
現がぎりぎりの線だったのではないでしょうか?一種の自己欺瞞
みたいな気がしてならないのですが・・・
ちなみに、『決定論』の方ですが、『カオス』という現象が発見され、
そこから『複雑系』という科学が生まれており、これからも明白に
否定されているのではないでしょうか?キリスト教のバックボーン
がなく、決定論=合理主義と誤解している日本人はその意味で、
早くそういう誤解を解くべきではないでしょうか?
私の場合は、そういう『キリスト教的世界観』というバックボーンは
ありませんから、もうすっかり、それが底流にある『決定論』や
『西欧的唯物主義』を合理的とする科学教育の洗脳が解けてい
ますのでかなり思考面ではフリーハンドになっています。
そこから、かつては全疑いであったところの所謂、『コペンハー
ゲン解釈』は単に中途半端なところで思考停止に陥っているだ
けにすぎず、本流であろうと思うようになっているのです。
そして、従来底流に従うような余計な「脳内つじつま合わせ」が
入っていない分、どうしてもそういう匂いがぷんぷんしている多
世界解釈よりましと思っているのです。
私は今、『東洋哲学』『仏教』に興味を抱いて来ています。
ただし、後世の人々によりずいぶん変節してしまった「宗教」と
しての『仏教』なるものではありません。釈迦が説いた原始仏
教思想そのものです。そこには、『万物創造の絶対神』思想と
いうのも『決定論』という思考もないようです。私は『決定論』と
いう概念には賛成できません。
『ビッグバン宇宙論』というのは、科学者が自覚しないまま、
実は『キリスト教的世界観』を忠実に反映した代物です。その
ような指摘をされている方がネットにもおられました。事実関
係は不明ですが、この論が世に出て来た時、教会が大喜びし
たので、慌てて当時の学者が抑えたと言う話がネットにありま
したが事実だろうと私は思っています。ですから、そういうバッ
クボーンが一切ないはずの日本の科学界が後生大事にこれ
だけでやっていることが不思議でなりません。
再三、批判してきましたが、ネットで偉そうに科学者の姿勢の
正統性を主張している方達に是非聞いてみたいのです。
本当に、「科学=合理的」であるなら、実験室で再現できると
主張している「プラズマ宇宙論」研究者が一人でもでてきてお
かしくないのではないか?と(誤解の無いように言っておきま
すが、私はプラズマ宇宙論についてはほとんど知識がないの
で賛同者だというわけではありません)。
なぜ、科学の基本的パラダイムが全て欧米発になっているの
か考えたことありますか?
私は今のような科学のあり方を継続している限り、未来永劫
欧米以外の国発の基本パラダイムは出てこないと確信してい
ます。それは決して、欧米人が優れているからではないので
す。前述のように、地球における科学概念の根源が生まれた
のは欧米からであり、自覚有無は別として、欧米人の底流に
厳然としてある『キリスト教的世界観』に基づいているためな
のです。それを遅れて取り入れてきた日本のような欧米以外
の国々ではそのようなバックボーンから生まれた科学を合理
的だとして綿々と教育されてそう思い込んでいるのです。
しかしながら、当然そこには、欧米人に綿々と流れている底
流としての『キリスト教的世界観』はなく、それが前述の私の
確信の理由とするところです。
ですから、本来はそういうバックボーン、しがらみがない日本人
なら、今一度、一切の過去の常識・知識を一度捨てて「科学
とはなんだろうか」ということを0から考えてみるなら、それま
での自分達のあり方との間の相違が見えてくるのではないか
と思うのです。そしてそういう目で今一度、現在、自分達が後
生大事に信じてやっている欧米発の「セントラルドグマ」って
一点の曇りも無い「ほんとう」の事実なんだろうかという見て
いただきたいのですがねぇ・・・
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