古典電磁気学について思うこと
40年以上の前に買った古い「電磁気学」の教科書を読んでいて、そこで触れ
られている記述を考える中で思った事なんですが・・・
『古典的電磁気学』は『ニュートン力学』などと共に、科学応用である『工業』を
支えるTechonologyに欠かせない言わば『道具』となっています。
少なくとも「工学部レベル」で学ぶ範囲の『古典的電磁気学』の基本的なところ
は17〜20世紀初頭に完成しているようです。勿論、まだミクロの世界が分かっ
ていなかった時代のものであり、『現象論』としてマクロ的な見方で言うならば、
「つじつま合わせ」されたものですが、とにかく産業応用としては「十分分使え
る」理論であるのは間違いありません。尚、20世紀には全体を見ての単位系
の見直し(cgs単位系⇒MKS合理単位系(〜SI単位系)が図られていて、今、
学ばれている「電磁気学」はその単位系にしたがうものです。但し、その結果、
第一章である『真空中の静電界』で最初に出てくるクーロンの法則
の式が、電荷の単位として[C](クーロン)というのが導入され
とおいて、
となるとあります。こんな最初のところで単位F(ファラッド)とか誘電率とか、
更にはなんと光速cまで出てくるので、初学者は戸惑うのではないでしょうか?
ま、今でこそこんなこと言っている私も多分、その頃は「覚える」ということが学
習の基本形態だったという覚えがありますから、「そういうものだ」と簡単に考え
ただけだったのではないかと思いますけどね(^_^;)
いずれにしろ、電気関係はほとんどそのまま今のSI国際単位系に引き継がれ
ているMKS合理単位系が確立する前のcgs単位系時代は比例定数Kは1、
電荷の単位はよくわからない[e.s.u]、力Fは[dyne]として、
とされていたそうですから、古典電磁気学の基礎はそういう単位系の時代に確
立されたのは間違いないでしょう。B式を見れば明らかなように、cgs単位系の
時代には、最初の「真空中の静電界」の章では「真空中の誘電率ε0」なるもの
や光速なるものは一切入っていないことに留意が必要だと思います。
私自身やりかけてしまったのですが、MKS合理単位系で修正された式で忠実
に理解しようとすると何か「本末転倒」な理解をしてしまう恐れがある気がしてな
りません。あくまでMKS合理単位系は20世紀初頭までに基本的理論が確立し
ていたものをおしなべて見直して単位系をわかりやすくしたものであるというこ
とですから、理論確立過程ではなかった単位系だということに留意すべきと思い
ます。
さて、電磁気学には多くの方々が「仮想的なもの」だと主張されている用語・概念
が出てきます。例えば「電束密度D」「真空中の誘電率ε0」「電気力線」「磁力線」
「磁荷」などがそれです。また、既に別項で触れたように「磁界は磁束密度Bが本
質的で磁界Hは二次的概念」という最近の主流的考え方もあります。一方では長
い間、単に計算を容易にするためだけに導入され仮想的なものと考えられていた
が近年になり量子力学からの結論とそれの直接実証試験結果から実在が証明
された「ベクトルポテンシャル」のようなものもあります。
しかし、ではそのほかの概念って本当なのでしょうか?
「現象をうまく説明できる」ことは認めます。ですが、「だから真理だ」と言えるので
しょうか?どうも「現象をうまく説明できる」からだけでそれ以上の追求などなされ
ていない用語・概念も沢山あるのではないでしょうか?
例えば、『電荷』という概念です。教科書には「電気を担う『もの』」という概念で導
入されたものとあります。そして、大抵は「球形のモデル」で描かれています。
そして、クーロンの法則はそのような「球形」の形をした「電荷」という「もの」の間
に働く力であるかのような説明になっています。
更には、「数学上の概念でしかない」大きさの無い『点』というのを考え、『点電荷』
という概念を導入して理論の純化を図っていますが、勿論、『点電荷』なるものは
仮想的なものにすぎないことは多くの方は理解していると思います。
しかし、それなら、『電荷密度』というのはどうでしょうか?今ではミクロ世界もかな
り「わかってきている」ことになっていて、「連続物体」というのはマクロ世界視点で
のものにすぎないわけですから、厳密の意味での『電荷密度』というのはないはず
です。私の持っている教科書でも、ですから「マクロ的な考え方で」というような断り
書きがこの『電荷密度』という概念の導入に先行して書かれています。ただ、こうな
るとすでにそこでは『電荷』というのはもう「電気を担う『もの』」という概念の存在で
はないですよね?
結局、現象論的には、あくまで「『帯電した』物体にはある『電気量』がある」という
その『電気量』を『電荷』なる仮想的なもので説明しているにすぎないわけですね。
ですから、『電荷体積分布密度』と称しているものは、「その物体の帯電した『電気
量』をその物体の体積で除したもの」すなわち、「単位体積当たりの平均電気量」
ということになります。
このように考えるなら、『真電荷』などという概念は単に数式上の存在でしかなく、
現実に実験で観測されるのは合計の『電気量』だけなんですね。我々はよく『正電
荷』だとか『負電荷』だとかという用語を普通に使いますが、正負というのはあくま
で『現象』から見たものに地球の科学者が名づけて分類した『相対的な』ものにす
ぎないわけです。ですから、私自身は現時点では「電気力線」という概念は一般
に言われているのと同様「仮想的なもの」と考えています。
また、『真電荷』を実在のもと考えて、いかにも美しく、一部の方々が真理見たく考
えている「電束密度」Dという概念は「仮想的なもの」と考えています。単に数式上
の理解(∇・D=ρ(真電荷)の式からの理解)にすぎないでしょう?と思う訳です。
ただし、本来、このDは『電気変位』という概念のものです。
誘電体中の電界が誘電体が置かれたところの電界より小となることから考えださ
れたメカニズムとしての『誘電分極』から求められたものです。『分極』というのを誘
電体内に元々正負の同じ量の電荷があって外部から見ると「帯電していない」状
態に見えるものが電界内におかれると正電荷と負電荷に分離する(それぞれの位
置が変位する)という考え方による名称ですね。『電荷』というのはこういう説明に
便利な概念なのでそのまま使用されているのではないでしょうか?
別項でも触れましたが、たまたま数式展開の中で∇・(ε0E+P)=ρが出てきた
ためにD≡ε0E+Pとおけば、∇・D=ρとなり、
Dを考えるとファラデーが考えて
いたような姿(1個の真電荷から1本の力線が出ている)になるとして物理量の一つ
(電束とその単位面積当たりの量である電束密度)と考えられたものと思います。
いずれにしろ、私にとって大変興味深いのは、私の教科書の記述だけからの判断
ですが、主として「クーロンの実験結果」や「ファラデー」の実験結果から電界につい
てあれだけ深く理論展開がなされたことです。恐らく、1880年に確立されたベクトル
解析が大いに役立っているのだろうと思います。
本コーナでは再三、『数式』だけでやるのはどうのこうのと批判してはいますけど、
理系にとっては実に数式展開と言うのは「合理的」に見えて「理解しやすい」のです
よね。一切の疑いを抱かない限り、確かに「理解しやすい」のは間違いありません。
『ベクトル解析』というのをある程度理解できると「ふむふむふむ」と読んでいけるの
ですから。
ですけど、あくまで『仮定した』概念での理論展開であることは間違いないでしょう。
理論展開の過程は確かに合理的ですし間違いないでしょうが、それでも、『仮定し
た』概念でのものですから、「絶対真理」と断定はできないと思います。例えば「電束
密度」なるものの実在性って証明されていませんよね?『電荷』なるものは見ること
はできませんし。
本コーナーは「科学へのいちゃもん」と銘打っていますので(笑)、本項では誰も仮想
的と言わない『電荷』をやり玉にあげましたけど、物理学は実に沢山の用語・概念が
導入されていて、どれが『仮定的なもの』でどれが『真実のもの』か実に曖昧になって
いる気がしてなりません。
また、私の所有する電磁気学の教科書に多くの「数学公式」が示されていますけど、
それが純粋に『数学』という学問分野で導出された公式なのか、物理理論を発展させ
る上での必要性から導出された公式なのかちょっと不明です。微分は物理学の必要
性から、ニュートンが創設したものという話は聞いています(色々と調べてみると
ニュートンという人はくせのある人で他人の功績を盗んだりしたこともあったような話
も目にしていますので真相は知りませんが。一般に言われていることが伝説にすぎ
ず真相とは異なる例はちょくちょくあるようですしね。)けど・・・。
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