科学では無いけど・・・是非知って欲しい考え方

このコーナーは理系の私故、いちばん興味深い「科学」に関する疑問・反発等
について勝手なことを書き連ねていますが、それは元々、ネットであることを調
べようとしたとき、たまたま目についた「異端説」、アカデミズム学者でない一般
の方達の「標準定説」への疑問などに対して、異様なまでの嘲笑・罵倒・中傷が
横行しているのを目にし、不快感を覚えてしまったことからでした。

そこにあるのは、純粋な冷静な「科学的論争」ではなく、大半が、「標準定説理
論」は多くの実証結果に基づくもので、(優秀な)アカデミー科学者の切磋琢磨
から確立されたものであり真理になっているものであり、ど素人の考えるような
疑問などとっくに喝破されつくしている、また、異端説を唱える学者は程度の低
いとんでもな輩に過ぎないというスタンスからの「最初から議論にもならない」レ
ベルのものとしてきちんとした反論等は皆無で門前払いした上での嘲笑罵倒ば
かりゆえの不快感でした。ま、元々、若かりし頃から、今は「とんでも」と嘲笑さ
れているような話が好きな人でしたから余計そういう感がしたのですが。

しかしながら、再三、書いて来たように、私は少しでも「疑問」に感じ、「理解」で
きないところが出てくるとそこで足踏みしてしまう輩で、「わからなくてもそういう
ものだ」などと諦めきれない人で、以前は「理解できないのは自分に知識能力
が不足しているのだろう」と思っていたんですけど、この4年間、ネットサーフィン
したり、教科書を読み返したりしている中で、「実はそうではなく、どこかおかしい
のではないか」と考えるようになりました。というのは、既に別項で書いたように、
結構、「恣意的つじつまあわせ」や「飛躍」が目に着いたからです。そして、色々
調べる中で、地球の科学というのは、そういうつじつま合わせや飛躍が多くの
科学者の賛同を得られれば、「正しい、真理だ」として教科書にも載る「標準理
論」になるということがわかったからです。
要するに、「地球の科学」というのは多くの理論確立以降の後世の学者や理系
の方々が信じているような『客観的』なものではなく、単に『時の学界の権威を
含む科学者の主観的コンセンサス』が得られただけのものに過ぎないというこ
とが・・・。

そういう目で『地球の科学』というのを眺めてみますと、「『少ない実験・観測結
果』から数学を駆使して(場合によっては新たな数学を作り出して)、言わば脳
内で「つじつまわせ」して理論展開がなされてきた」ということがわかりました。
勿論、そうやって構築された理論にマッチした実証結果が得られたものも多々
ありますが、未だ実証されていないものもあるのに一旦確立した理論はそれで
も誰一人疑問を持たないような感が有り、一方で、合わない観測結果がでてき
ても元理論の概念はそのままにして次々につぎはぎしてほころびを修正し元理
論概念の延命をさせているものまであります(ビッグバン宇宙論など)。

科学でさえ、よくよく見るとこのようにかなり「恣意的」な感がしているのですが
ですから、実験などできない例えば「歴史学」の世界を眺めてみますと、実に恣
意的でときには[学閥」まで入り込んだどろどろした世界だなぁと呆れ果ててい
るところです。
歴史学(考古学含む)は少ない文献・遺物をベースにして脳内でつじつまわせ
をする世界ですから、そこには学者本人の「イデオロギー」とか「置かれてい(
る立場学閥など)」などという『真の学問』とは程遠い要素が間違いなく入り込
んでいます。だからこそ、市井の異端説が沢山出版されている世界でしょう。

「とんでも」好きな私はそういう「異端説」の本を面白く色々と読んできました。
勿論、ネットではそういうのは皆、「嘲笑罵倒」の対象になっていますが、そこ
にあるのは「標準アカデミズム歴史学定説」を絶対真理だとし、それからはず
れている非・アカデミーの方達の盲説にすぎず論じるまでもない馬鹿馬鹿しい
ものばかりだという決めつけばかりで、どこがどうおかしいのかをきちんと論
じたものを目にしていません。ま、親分たちは悉く無視していますから、意を
汲んで、自分の講座における「アカデミズム歴史学定説」を信じているお弟子
さんたちがこうやって、そういう彼らにとっては邪魔な異端説を下々が信じて
しまって学界の権威が傷ついたりしないようにネットで嘲笑・中傷・罵倒をく
りかえしているものと思われます。要するに「真の学者」の真摯なスタンスで
はなく、極めて世俗的、政治的なことをやっているわけですね。

そんな異端説を掲げられている方の中で、その説の真偽については私には
断定できませんが、その方の根本的な学問の進め方に大いに賛同したのは、
「『邪馬台国』はなかった」という説を果敢に提起された古田武彦さんという方
のスタンスです。尚、この本は『邪馬台国』に相当する国がなかったというので
はなく、邪馬『台』国という名前では無かったというのを論証されているもので
す(何か、近年、標準定説になった感ある「聖徳太子はいなかった」というのと
は違いますね)。

この方は、そもそも、『三国志』魏志倭人伝には『邪馬台国』という国名が出て
こず、倭人伝の中で国名が出てくるのは、
 南至邪馬壹国。女王之所都
という一文だけであり、ここには邪馬『壹』国あるのに、色々な学者の本では、
なぜ、『邪馬台国』なのかについての説明がなく、触れていても邪馬『薹』国
誤りと理由とか論証なしで書かれているだけということに疑問を感じて研究す
ることにしたそうです。
そもそも、それ以前に、親鸞の『歎異抄』に付属している『流罪記録』というも
のが、後から付け加えられた偽書だろうとされていたのを、最もオリジナル性
を残すことを綿密な文献検討から証明した本を元に、『勝手な改ざん』をする
ことを徹底的に排しての綿密な解析で偽書ではないことを証明するという業を
なされた方だそうです。多分に、元々『歴史学者』ではないゆえに学閥にとら
われない自由な発想ができる方ゆえの功績でしょう。
この魏志倭人伝の解析においても同じスタンス・方法で研究されたようで、そ
こには、冒頭で私は当然であろうと思う、学者として公明正大で真摯なスタン
スが表明されており、本文に引き込まれました。

彼は、『邪馬台国』検討の指針として次の二つを設定されています。

 @簡明率直な方法であること
   作業を導く方法の核心はきわめて単純でなければならない。
   小・中学生に対しても、説得力を持ち、はっきりと理解されるものでなく
   てはならない
 A基礎的で確実な方法であること
   高い所から下を見下ろすような論法は危険である。
   高遠な思想や高度の歴史理論の立場を背景として、「だから、この文献
   のこの部分はこう考えるべきだ」というふうな議論の仕方は無用である

彼は、
 研究者の主観やイデオロギーに立って断を下す
 のであれば、学問として無意味

と指摘されており、徹底徹尾実証的・客観的な追跡を志したとのことです。
このスタンスは全く持って「その通り」と私は全面的に賛同します。

古田説は市井で『古田史学』と称せられ、一般の市井の歴史愛好家の多くの
ファンがあるようです。その結論は、私の勝手なまとめですけど
 (a)紹熙本(版本:皇室書陵部蔵書)が現存最良の本である
 (b)この本は一切、勝手な改ざんする必要なく整合性がある
というようなものと思います。

昔からある、東大系の「九州説」、京大系の「近畿説」とも多くの点で自己学説
に都合がよいように、「確固とした根拠」なしに魏志倭人伝の記述を「ここは誤
り」とし改ざんしてそれを正しい真理のように喧伝してきたことを批判されてい
ます。
私はこの本を読むまで、元々の現存の三国志の中の魏志倭人伝に『邪馬壹
』とあるなどとは全然知りませんでした。そして、ふと疑問が湧いて来たの
ですが、今は卑弥呼の継承者の妹の名前は「とよ」(台与、薹与)と称せられ
ているそうでけど、私は中学校か高校の頃、確か「いよ(壱与)」と習った記憶
があることです。恐らく、その頃は、魏志倭人伝の改ざん前の書には『壹与』
とあったのではないかと思うのですが・・・。そして、ひょっとすると、
邪馬『壹』国⇒邪馬『薹』国としたのと整合性を取るため、『壹』与⇒『薹』与と
こちらも根拠なく後から「改ざん」したのではないかと思ってしまうのですが・・・。

どうみても、アカデミズム歴史学というのは、間違いなく「学閥」が影を落とし
ていて、また、実験実証などできない学問であることをいいことにして、前述
のように、古田さんが「学問として無意味」とされている「自己のイデオロギー
と高度の歴史理論」から、「ここはこうであるべきだ」という言わば「独断的」
解釈や乏しい文献に対して根拠なき改ざんをして構築された、何か壮大な
「砂上の楼閣」の上で踊っているだけのような気がしてなりません。

ちなみに、古田史学はややアウトサイダーの数理歴史学者から反論が出て
いた以外、主流権威筋は反論もせず(できなかったんだろうと疑っていますが)
完全無視状態で逃げたようで、近年、古田氏が偽書とされている「東日流(つ
がる)外三郡誌」を支持したことで、ここぞとばかり「こういうとんでもさん」だと
悪宣伝して全てを葬り去ろうとしたようですね。
あまりにも汚い姑息なやり方だと考えるのは私だけでしょうか?やっぱり、
アカデミズムの世界がどろどろしたもんだというのは小説・ドラマの虚構世界
ではなく現実世界のようですね。

もっとも、冒頭にも書きましたが、「実証」され「客観的」と信じられている「科
学」の世界だって、私から見ると五十歩百歩じゃないかって思うんですけど
ね。ネット見れば、山のようにそういうどろどろした世界が垣間見られますね。

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(追記)
ネット見てましたら、学者側から名指しでの説批判された方ともうお一人?の
の2件程の文書での反論があったとこのことで、古田氏はそれぞれの方の反
論とそれへの再反論を逐一提示されています。
で、大変失礼ながら、学者さんの反論はちょっと感情的で、元々、古田氏が
元本で言明された『研究者の主観やイデオロギーに立って断を下すのであれ
ば、学問として無意味』というまさにそのような従来通りのやり方での反論に
なっており、明確に古田氏から「やり返し」されています。
元本「『邪馬台国』はなかった」で古田さんは「反論大歓迎」と呼びかけておら
れ、まずは反論された先生方に謝意を呈示されていますが、元本を読んでい
る第三者の私から見ますと、どうも反論された先生方はしっかりと読んでから
反論しているようにはとても見えませんでした。
こういっちゃなんですが、最初からけんか腰で御自分の思いに合わせた斜め
読みした上での「いいがかり」みたいな反論に見えてしまいました。
重大な反論があるかと期待したんですが、期待はずれ。「合理的」に見える古
田説を覆すようなところは全然なく、しっかり「返りうち」されていました。

どうやら、それ以外の言わば「主流派=『邪馬台国』派」の学者さん達はもう頭
から、「『非専門家=歴史学者じゃない』の戯言」など反論にも値しないという
のか、無視の対応だったようです。すろくに読みもしなかったのではないかと思
いなすね。

しかし、それなのに、恐らく、前述した偽書とされる(正当歴史と異なる内容だけ
でなく発見者自体の言動が、『あやしい』と喧伝されていることもその要因)
謎の「東日流外三郡誌」を擁護したことをもって「古田史学は終わり」とばかり主
流派側は喧伝してますが、元々の古田さんの「邪馬国」論にはまともの反論
もできなかったくせによくいうわとしか思えませんね。大変けしからん話です。
そして、こんなことで古田さんから離れて行った人達もいるそうですけど、大変失
礼ですが、そういう方は単に「ブームに乗ってすぐに洗脳されてしまうだけ」の人
(どうも日本人ってそういう人が多い気がします)っていう気がします。

尚、「自分の都合によい」という利用価値で支持を装う人がいるのか、それゆえに
そういう人の考えに反対する人が「みそもくそも」で古田史学に反対しているのも
ネットにありますが、古田さんが本できちんと言明されている歴史解読の方法・ス
タンスをきちんと本で読み、そのほかの行動を見て言っているとは思えません。

中傷誹謗では古田さんに「真に」打ち勝つことはできないでしょう。
古田さんが本の冒頭で言明されたスタンスが一連の解析の中で本当にまじめに
実行されている(と私は感じましたが)ことを考えると、第三者から見て、合理的議
論だと思えるような形となるには、古田さんの言う「『研究者の主観やイデオロギー
に立って断を下す』という『学問的に無意味』なことを一切排除」しての合理的反論
をいかにされるかということだと思います。

『古田史学』というのは、内容もさることながら、最大のポイントは従来の歴史学が
ともすると、『研究者の主観やイデオロギーに立って断を下す』傾向にあった風潮を
一刀両断した点にある気がします。なぜ、歴史には沢山の市井の研究家の異端説
本が本屋にあふれているか考えてみる必要があります。当然、「正統アカデミズム」
からは嘲笑罵倒無視がなされていますけど、そもそもの「正統アカデミズム歴史学」
自体が『研究者の主観やイデオロギーに立って断を下した』形になっていて、かつ
「学閥」が影を落としているからにほかなりません。ですから、『主観やイデオロギー』
を異にするところでの諸説がでているわけで、そこにあるのは「真理」ではなく、単に
「アカデミズム歴史学」かそうでないかの差でしかないのです。

ですから、そういう『研究者の主観やイデオロギーに立って断を下す』ことを徹底的
に排除して朴訥に『合理的』に解析した形になっているので市井には古田史学ファン
が多いのだろうと思います。

ま、ネット見ていると、科学の世界と全く同様で、
「正統派アカデミズム歴史学」=「多くの『優秀な』専門学者
が綿々と研究し、学者間での論争で切磋琢磨されてきたも
の⇒それゆえ神聖で犯すべからずの『真理』なのだ

というスタンスで、こういう異端説を何一つ反論を提示せずに中傷罵倒しているものが
多々あります。あまりにもばかばかしくてなりません。

ところで、上の方で私が皮肉った卑弥呼の妹の名が「台与(とよ)」となったことですが、
今でも、教科書によっては私が昔学校で習った通り「壱与(いよ)」(当時は間違いなく
この読み方が「正」でした)としているものもあるそうです。
私はですから、「台与(とよ)」などとする学者のやり方に疑問と反発を覚えています。
これこそ、その人の「主観」による「改ざん」でしかないからです。

前の方の項で触れた『聖徳太子』に関する「アカデミズム歴史学」主流の捉え方の変遷
も同じように、『研究者の主観やイデオロギーに立って断を下す』形になっている気がし
てなりません。

『日本書紀』『古事記』の読み方も極めて恣意的で、まさに、『研究者の主観やイデオロ
ギーに立って断を下す』形をとっていますね。自分の『主観やイデオロギー』に都合のよ
いところはそのまま利用し、都合の悪いところは、『神話』『為政者側のでっち上げ』とし
ているんです。そこには少しも万人が納得できるような『合理性』などかけらもありませ
ん。私のような、「『学者』の権威には、はぁとしない」輩にとっては、『研究者の主観や
イデオロギー』に基づく「正統アカデミズム歴史学」の『権威』など市井の異端説と五十
歩百歩でしかないのです。

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